2020年6月6日土曜日

20200605【架空の話】・其の24

【架空の話】
まあ、そのお店では普通の棒寿司もあるから、それと食べ比べてみたら面白いと思うよ。」とのことであった。発酵させた魚というと、私はクサヤを想像して多少尻込みしたが、とりあえず地元では問題なく食べられていて、そして兄も食べたことがあるのであれば、まあ食べられないことのないかな・・。」と思った。そして時刻は出発予定時刻の18:30まで10分程度となっていた。そこで、再び外出する準備をして18:30少し過ぎに兄の家を出た。外は既に暗くなり、また思いのほかに寒く、手袋を持ってこなかったことを少し後悔した。

兄は運転しながら、片手でカーオーディオを操作して曲を掛けた。その曲は、かねてより兄がよく聴いていた「Blues Traveler」の「Run-Around」という曲であった。しかし、私個人の感覚からすると、この曲は冬よりも晩春や初夏あたりの少し暖かくなってくる時期の方が合っているように思われた。ともあれ、兄は今度はあまり話さず、かといって不機嫌でもない様子で運転をしていた。そして再度、車が市街地に入ってきた頃にStingの「 Englishman In New York」という曲がかかった。この曲は知っていたが、同時にこの曲は、丁度この時季の状況に似つかわしいなと思っていると「もうあと5分もしないで着くよ。」と兄が云ったため外の様子を見ると、左手前方にW城が見えていたが、その横を通る前に右折し、かつては賑わっていたであろうと思しき商店街の横を通り過ぎ、さらに進んだ。すると、比較的大きな十字路に出て、そこで兄が「ほら、前の右側の方に店が見えてきたよ。」と云った。すると、道路沿いのバス停すぐ近くに、これまた味のある構えの寿司屋さんが見えた。兄は店のすぐ横にある駐車場に車を停め、早速店内に入ると、丁度他のお客さんが精算をしているところであり、兄は「どうも、二人ですけれどもカウンター席で良いですか?」とカウンター内にいる若い板前さんに聞いた。すると「ああ、どうも、カウンターでもかまへんよ。」と比較的柔和な紀州弁と思しき返事が返ってきた。そこで兄と私はカウンター席に座ると、上品な感じの少し年配の女性が寿司屋特有の大きな湯呑に注がれたお茶を持ってきてくれた。そして「どうも、今日はお二人さんですか?」と兄に訊ねてきた。それに対して「ええ、弟が来ましたので、この地の「なれずし」を食べてもらおうと思いましてね。それで、今日はまだありますか?」と問い返した。すると「ええ、丁度今時分が良い具合になりますので、今日のは美味しいと思いますよ。」とのことであった。兄は「ああ、それは良かった。じゃあ今日は、なれずしと早ずしを一本ずつと、あと、赤だしのアラ汁を二つください。アラ汁は寿司が出てからで、お願いできますか?」と手早く注文した。こうした昼もラーメン(中華そば)屋さんで見せたような兄の如才なさは、かつての学生時代では知らなかったことから、ここでもまた驚いたが、社会に出て勤めるようになると、こうした行為態度を自然と身に着けることが出来るようになるものなのだろうか?

ともあれ、兄は注文を済ますと、私に「とりあえず、なれずしと早ずし一本づつを二人で食べれば、そこそこ満足出来ると思うから、それを食べて、また何か食べたかったら、注文して。」と云い、そしてカウンター内の板前さんに「どうも、今度は私の弟を連れてきました。初めてのなれずしですので、また反応がちょっと楽しみですね。」と笑顔で話しかけた。すると「さきほど会計をしていた年配の店主と思しき板前さんが、少し困ったような笑顔で「毎度どうもありがとうございます。それで先日W大学の先生がフランスの方を連れて来ましたが、その方は「私の国のチーズにもこのようなものがあるます。」と完食しましたが、同席された別のW大の日本人の先生はどうしても食べれないようで、何だか困ってしまいましたよ・・。」とのことであった。たしかに店内の壁には、さまざまな色紙や古い新聞記事などが飾られており、どうやら、あまり目立たないものの、このお店は地元の老舗であることが見て取れた。

私は兄に続いて「そのなれずしはそんなにクセがあるのですか?」と訊ねると私の近くにいた若い方の板前さんから「まあ、こればかりは実際食べてみよらんとわからんねえ。」と笑顔で返事が返ってきたが、手元は動いていた。

さて、そうこうするうちに「なれずし」と「早ずし」双方が運ばれてきたが「なれずし」の方は噂に違わぬ独特の芳香を醸し出しており、それを精確に食欲を増進するように表現することは困難と思われるが「くさや」よりはマイルドで、臭いの強いチーズの魚バージョンとでも表現すれば良いのだろうか・・といった感じであり、兄は「ほら、これが名物の「なれずし」だよ。と云って、すしを包む葉っぱを取りながら、一片を私にすすめてきた。私は意を決して、少しだけ醤油を垂らしてその一片を口中に投ずると、決して食べられない味ではないことは瞬時に分かり、また、今までに食べたことのないその独特に味わいに、精確に言葉を当てはめることの困難さを感じた。恥ずかしながら、これは今もって適切な言語表現を付与することが困難であるが、他方で云えることは、臭いの強い発酵食品を食べることが出来る人であれば、一回は経験しておいた方が良い味ということである。

そして、その後、早ずしを食べてみると、こちらの方は現代的な味覚で大変美味しい寿司であり、ごく稀に口にする関西の鯖の棒寿司をより素朴と云うか、元のカタチに近くしたものと評することが出来るのではないかと思われた。

さらに面白かったのは、付け合わせの生姜が酢漬けの一般的な「ガリ」でなく、ナマの生姜を切ったものであったことだ。そして、私が食べている様子を見ていた兄は「ほお、食べれるのか。それは良かった。」と云いつつ、自分も両方の寿司を交互に食べつつ、運ばれてきたアラ汁を啜っていた。

私個人の感想としては、この寿司屋はもう少し知名度が上がっても良いのではと思われたが、店側の方にあまりそういった強い商売っ気がなく、美味しいなれずしを作り、それを供すること以外にあまり関心がないのかもしれない・・。そして見ようによれば、これは一種の地域の伝統芸とも云えるのではないだろうか。

ともあれ、この両方の寿司をアラ汁と共に美味しく頂き、兄を交えてお店の方々としばらく話していると、お酒を飲んでいないのにも関わらず、酔ったような感じになってきた。無論、この寿司にはアルコールは含まれず、これは初めて食べる発酵食品に対する身体の反応ではないかと思われたが、これもなかなか不思議な経験であった。

そして、21:00頃に店を後にした。帰りの車内で「どう、これもなかなか美味しかったでしょ。」と兄が訊ねてきたため、私は「うん、なれずしでちょっと酔っ払ったかもしれないけれど、両方とも美味しかったね。特に早ずしの方は、向うに帰っても注文したいくらいだよ。」と返したら、兄は「・・そうか、じゃあ電話注文で明日にでも、実家に送ってみようか。」と思い付いたように言ったため「ああ、それはいいかもしれない。早ずしだったら美味しく食べられるでしょ。」と返答した。

夜のW市街は首都圏に比べると、街の灯りが疎らであり、寂しい感じもしたが、同時に、冬の夜の澄んだ空気に周辺の自然環境から来る香りが強く感じられ、何やらフワフワとした心地良い感じがしたが、あるいはそれは、なれずしによる酔いと、地域の濃厚な自然を感じさせる大気による相乗効果が私に及ぼした影響であるようにも思われた・・。そして、車が兄の家に着いたのは22:00少し前であった。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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