2024年2月8日木曜日

20240208 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.85-87より抜粋

東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著 橋本勝雄訳「プラハの墓地」pp.85-87より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4488010512
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4488010515

 ちょうど一八四八年という、驚異の年を迎えていた。学生はひとりのこらず、教皇座に就いたマスタイ・フェレッティ枢機卿に熱狂していた。彼は二年前に教皇ピウス九世となり政治犯に恩赦を与えていた。この年初め、ミラノで最初の反オーストリア暴動が発生し、帝国政府の国庫を苦しめるためにミラノ市民は禁煙を始めた。(薫り高い葉巻の煙を挑発的に吹きかけてくる兵士と警察官の前で断固として抵抗していたミラノの学生は、私たちトリノの学生の目に英雄のように映った)。その同じ月に両シチリア王国で革命騒動が勃発し、フェルディナンド二世は憲法を約束した。しかし二月にパリで民衆蜂起によってルイ・フィリップが退位して(ふたたび、そして決定的に)共和国が宣言されー政治犯に対する死刑と奴隷制が廃止され、普通選挙が制定されたー三月には教皇は憲法だけでなく出版の自由も保証し。ゲットーのユダヤ人を多くの屈辱的な規則と奴隷状態から自由にした。そして同じ時期にトスカーナ大公も憲法を保証し、国王カルロ・アルベルトはサルディーニヤ王国に憲法を公布した。そしてウィーン、ボヘミア、ハンガリーで革命運動が起こり、ミラノの五日間蜂起によってオーストリア人は追い出され、解放されたミラノをピエモンテに併合するためにピエモンテ軍が戦いはじめた。共産主義者の宣言が出されたという噂さえ学生仲間のあいだで流れた。そのことには学生だけでなく工員や貧困層も熱狂し、最後の国王のはわらわたで最後の司祭を絞首刑にすることになると誰もが信じていた。

 すべてがよい知らせであったわけではない。カルロ・アルベルトは敗戦を重ねていて、ミラノの住民、そして一般的に愛国者全員から裏切り者とみなされた。ピウス九世は大臣が殺害されたことに怯えて、両シチリア王の領地であるガエタに避難した。身を隠して攻撃する教皇が当初思われたほど自由主義者ではないことが判明し、認められた憲法の多くは取りさげられた。しかしそのあいだに、ローマにはガリバルディとマッツィーニに率いられた愛国者が到着していて、翌年初めにローマ共和国が宣言された。

 父は三月には家にはまったく姿を見せなくなり、乳母のテレーザは、きっとミラノ蜂起に加わったのでしょうと言っていた。しかし十二月頃、家に出入りするイエズス会士のひとりが、ローマ共和国の防衛に駆けつけたマッツィーニ派に父が参加していたという知らせを受け取った。祖父は気落ちして、驚異の年が恐怖の年に変わるような恐ろしい予言を私に浴びせかけた。たしかにその頃、ピエモンテ政府はイエズス会の財産を没収して組織を攻撃し、その周囲を徹底的に破壊するためのサン・カルロ会やマリア・サンティッシマ会、レデンプトール会といったイエズス会を支持する修道会まで弾圧するようになった。

 「これは反キリストの到来だ」と祖父は嘆き、当然、あらゆる出来事をユダヤ人の陰謀だとみなして、モルデカイの陰惨な予言が実現するのを見ていた。