2019年7月15日月曜日

20190715 ホセ・オルテガ・イ・ガセット[著] 木庭 宏[著・訳] 松籟社刊「オルテガ 随想と翻訳」pp.42-45より抜粋引用

ホセ・オルテガ・イ・ガセット[著] 木庭 宏[著・訳]
松籟社刊「オルテガ 随想と翻訳」pp.42-45より抜粋引用
ISBN-10: 4879842761
ISBN-13: 978-4879842763

オルテガの大学論の中心テーマの1つは、教養の意味の闡明と教養学部創設の提案にある。そこでまず、《一般教養》と真の教養の意味についてオルテガが述べるところを引いてみよう。以下の引用文中に「教養(文化)あるいは「文化(教養)という括弧つきの概念が出てくるが、それは、教養と文化の両義を持つスペイン語の語彙 cultura を表現し得る単語がドイツ語にも日本語にもないためである。

〈一般教養〉。この愚劣で俗物的な響きは、その不実さを示唆している。家畜や穀物ではなく、そもそも人間の精神に関わる教養は一般的でしかありえない。人は物理学や数学で〈教養〉を積むことはできない。せいぜいこの領域で知識を身に付けるくらいである。一般教養という言葉が用いられるとき、その意味するところは、学生に何がしかの装飾的知識を、彼の性格ないし精神に漠然とした教育的影響を及ぼしそうな知識を与えるべし、ということである。こうした漠然とした目論見のためなら、技術的要素が比較的少なく、厳密性の乏しい科目ならば、科学であれ歴史学であれ社会学であれ、何でも用いることができるのである。
 しかし私たちがいま一跳びして中世へ、つまり大学発祥の時代へと立ち返ってみると、現代まで存続するこの残存物が、実は、もっぱら当時の大学の本来の内実をなしていた物のささやかな名残であることに気付くだろう。
 中世の大学は研究を行わない、職業教育もほんのわずかしか携わらない、すべたがただ・・「一般教養」-神学、哲学、いわゆる人文科学なのである。
 それはしかし今日「一般教養」と呼ばれるようなものではなかった。決して精神の飾りでも、また人格修練でもなかった。いな、その逆である。それは、あの当時の人間が自らのものと呼んでいた、世界と人類に関する諸理念の体系であった。つまり実際に自らの存在の指針となる様々な確信のたくわえだったのである。生は混沌であり、原生林であり、錯乱である。人は生の森のなかで道に迷う。寄る辺のない世界での挫折感、この感情に対して人間精神が、生の森のなかに「小径」を、「道」を見出さんとする努力で応えるのである。「道」とはすなわち、宇宙についての明快かつ確たる理念のこと、世界とは何か、事物とは何かという問題についての積極的な確信のことである。これら理念の総体、その体系がしかし言葉の最も真なる意味での教養(文化)なのであり、それゆえ装飾物とは正反対のものである。教養ろは、生という大海のなかで座礁せぬように我々を守ってくれるもの、無意味な悲劇に終わったり、汚辱にまみれたりするのない生の営みを可能にしてくれるものなのである(148頁)

「一般教養」という「愚劣的な響き」を表現するのに、日本の学生たちの間で用いられているジャルゴン、「パンキョウ」(般教)以上に露骨なものはない。ここから、学生たちが一般教養なるものをあってもなくても良い価値低きものとして、蔑視していることがよく見て取れよう。さて、右の引用文であるが、その第1節では、たとえば日本の大学の旧教養学部における一般教養の曖昧さが鋭く指摘されているといえる。そして、第2、第3節において中世の大学制度に遡及し、そのあと、最後の第4節で、教養とは「世界と人類に関する諸理念の体系であった。つまり実際に自らの存在の指針となる様々な確信の貯えだった」ことがきわめて明快かつ論争的に説明されている。教養は、上流社会の取り澄ました人々が上着にぶら下げるような装飾物などではない。かつて我が国で喧伝され、今ではすっかり廃れてしまった、あの(岩波)教養主義とか教養人とか言われる類のものではないのだ。そしてここで、オルテガが教養について敷衍する箇所をさらに2つ引いておこう。いくらか重複しているが、それぞれ違った表現で、違ったアスペクトから描かれているので、引用は不可欠である。

教養(文化)とは、それぞれの時代が所有する生きた理念の体系である。もっと適切に表現すれば、教養とはある時代がそれをもとにして生きる理念体系である。逃れるすべはない。人間はつねに特定の理念群をもとにして生き、そしてこれら理念が彼の存在に依拠する基礎となっているのだ。それらの理念ー私はこれを「生きた理念」もしくは「生の糧となる理念」と呼んでいる―は、世界とは何か、私たちの同胞とは何かという問と、そして、事物と行為に与えられる価値のヒエラルキー、すなわち、何が尊重さるべきか、何がさほどでないか、に関する、私たちの実際的な確信の蓄積であり、それ以上でも以下でもない。(160~170頁)

啓蒙と文化(教養)は幾人かの有閑人が自らの生の上着にぶらさげる装飾品に過ぎぬとする曖昧な考え方は、いかなる種類のものであれ、断固排除さるべきものである。これ以上ひどい曲解はないだろう。文化(教養)は生と切り離せない必然である。それはちょうど手が人間の一部であるように、私たちの存在の本質に属するものなのである。[中略]自らの時代の高みに生きない人間は、自分の実際の生に見合う水準以下にとどまっている。つまり、自らの生を偽り、歪めている、十全なる意味で生きていない、ということなのである。(173~174頁)

教養に備わっていた本来の生きた意味を人びとの記憶のなかに呼び起こし、それを活性化させんとするオルテガの目論見とその議論にはたしかに説得力がある。もしも教養、文化がそのようなものであるのなら、大学で教養を教えることは不可避のこととなり、またそうした思想は当然ながら学部創設の基本理念ともなりうるのである。』


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2019年7月14日日曜日

20190714 新たな考え・意見について【抽象的なものの重要性?】

これまで1200近くのブログ記事を作成してきましたが、それら記事の中で「これまでになかった新たな考え・意見はあったのか?」と考えてみますと、それはなかなか難しいものがあります。たとえば、投稿記事のなかで、自分では新たな考え・意見を述べたと思ったとしても、それらの大半は、たとえ無意識に近いものであったとしても、これまでに自分が読んだ複数著作に書かれている意見を自分なりに解釈し、そして、それらを組み合わせたものであると云えることから、それらは厳密には新たな考え、意見と評価することは出来ないと考えます。

これは当ブログに比較的多い、何かについて考え・意見を述べたような記事においては、特にその傾向が強く、また同時に、それは当ブログのみならず、刊行されている書籍大半に対しても当て嵌まるのと考えます。

そうしますと「では、どのような記事が新たな指摘・意見を述べている可能性があるのか?」と思うところであり、それに対して、これまでブログ記事を作成していて思うことは「これまでに何度かあった、パッと閃くように、ある意見が脳裏に現れ、それを表現、文章化することが出来たと思われる記事は、いくらか、そうした可能性があるのではないか。」といった感覚的な返答になります。

このパッと閃くように考え・意見が脳裏に現れることは意識による操作、制御可能なものではなく、まさしく「所構わず」であり、また同時に、人によってもその現れ方が異なると思われることから、普遍的な(万人に共通する)意味での効率化は困難であるように思われます。

とはいえ、そのさらに基層にあるものに関しては、ある程度共通して「意識が何かに集中、向かっている時」であると思われ、その中で意識が緩んだ際に「パッと閃く」ようにして考え、意見が浮かんでくるといったメカニズムがあるように思われます。

このようにして得られた考え、意見は、その背景が、さきに述べたように「意識が何かに集中、向かっている時期」であることが多く、この意識のフィルターを経て現れたものであることから、何と云いますか、意識上にあるものに対し、自由な解釈が為され、抽象度が高いものと云えます。

この抽象度が高いということは、異言しますと「新たな考え、意見」に結節し易い状態といえ、こうした言説の状態・様相から、他の何らかの具体的な事象が思い起こされることは、それはそれで一つの共通性、通底する何かを見出したことになり、さらに、その過程を文章化しますと、それはそれで価値があり、あるいは新たな考え・意見ということになるのかもしれません。

自身のこれまでのブログにて比較的明瞭に、そうした過程を経て作成された記事を考えてみますと、それは2年前の投稿記事「20170506 昨日の端午の節句にて思ったこと・・靫・矢屏風から」であると思われます。

また、確証はありませんが、ここで述べている「靫と矢屏風に共通する破邪あるいは境界性の強調といった呪術的な意味合いが、古墳時代から近世まで継続されてきたのではないか。」という考えは、これまで読んだ書籍になく、また、人から意見として聞いたこともありませんでしたので、新たな考え・意見である可能性があり、且つ、歴史を考える上で、そこまで荒唐無稽な意見でもなく、あるいは実存した(する)価値観、観念を示したものとして検討の余地があると思われますので、今後、機会があれば、さらに関連する書籍などを読み、深めてみたいと思います。

さて、現在読み進めているウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」は、その後350頁を越え普仏戦争パリ・コミューンの頃を描いていますが、当著作のように、舞台となる時代背景に入り込み、価値観等を含めて、その当時の人々になり切り、物語を進めていくスタイルは簡単なようでありながら、かなり難しいのではないかと思われます。こうした特徴は同著者による「薔薇の名前」も同様であり、またロバート・グレーヴスによる「この私クラウディウス」もまた、そうした名作であると考えます。

そこから、果たして現代の我が国に、これら著作に匹敵するような(シェークスピアに対する木下順二のような意味でも)作品はあるのだろうかと考えてみますと、あるいは、丁度こうした史実の再現性と登場人物のリアリティー、同時代性を共存させるような世界の構築といった作業は、我が国の場合、マンガ・アニメといった即視覚の世界に集約化されていってしまったのではないかとも思われるのですが、さて、如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。



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2019年7月7日日曜日

20190707 「プラハの墓地」を250頁程度まで読んで思うこと

引き続き、先日の九州南部を襲った大雨による被害が軽微であったこと、そして、その復旧が速やかに為されることを願います。

さて、驚くべきことに昨日、ブロガーにて投稿分の記事が、かなり多くの方々に読んで頂けていました。これを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

とはいえ、この昨日投稿分の記事は、内容がどちらかというとマニアックであることから「この記事の閲覧者数はシケるだろう・・。」と考えていました・・(苦笑)。

そうしますと「この記事の何が、この閲覧者数に結びついたのだろうか?」と疑問に思うところですが、正直なところ、その理由はイマイチよくわかりません。しかし、おそらくこれまでの日本語で書かれたWeb上での言説にて「プラハの墓地」作中150頁周辺と映画「山猫」の同時代性を指摘したものは初めてであったと思われますので、これが多少効いたのではないかと推測するところですが、さて如何でしょうか?

さて、先日来の「プラハの墓地」は、今週末で漸う250頁程度まで読み進みました。ここに来てまた新たな展開となり、次の舞台は1860年代のパリになります。ともあれ、このように同一の主人公が同時代での各地の出来事に関与していくスタイルは、エルジェによる「タンタンの冒険」に近いものがあるのではないかと思われます。そういえば、この「タンタンの冒険」の1作品「ユニコーン号の秘密」は2011年にスティーヴン・スピルバーグ監督によって映画化されていますが、同様に「プラハの墓地」も、同監督によって映画化されると、大変興味深く、面白い映画作品になるように思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、こうして、ある著作を読み進めていく中で、それに関連すると思われる著作、映画作品等が半ば不随意的に思い起こされることは、自身としてもなかなか面白いものがあり、おそらく、こうした習慣のようなものは、その多くは、文系分野での師匠からの影響であると思われますが、同様に、まだまだこの師匠の足元にも及ばないとも思いますので、今後も引き続き、無理をしない程度に、こうした日常的な取り組みを続けて行きたいです。(いずれ何かの役に立つことがあるのだろうか・・?)

ちなみに昨日の記事投稿以来、ブロガーにて「20180108 岩波書店刊 トーマス・マン著『魔の山』上巻pp.264-268より抜粋引用」を読んで頂いていたことは大変興味深く、こうした反応があるからこそ、惰性にはなりつつも、記事作成を止めようとは思わないのかもしれません・・(笑)。

そして、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


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2019年7月6日土曜日

時代の変革期を描いた作品について

先日の九州南部を襲った大雨による被害が軽微であったこと、そして、その復旧が速やかに為されることを願います。

 今回の記事投稿により、総投稿記事数が1195に到達します。そうしますと、残り5記事の投稿により1200記事へ到達することになります。以前にも述べましたが、この1200という数字も、そこまでキリの良いものではなく、今後、たとえ首尾よく到達することが出来たとしても、それは1つの通過点と見るべきであり、今後も記事作成を継続した方が良いのか、あるいは、キリが良くなくとも、このあたりで当ブログの更新は止めるべきであるのか少し考えさせられるところです。もちろん、こうしたことは最終的には自身で決めることではあるのですが、他方で、こうして、思ったことを文章化しておくことは、少なくともブログ記事数カサ増し以上の価値はあるのではないかとも考えています・・(笑)。

さて、先日から読み進めているウンベルト・エーコによる「プラハの墓地」は、今週、比較的読書に充てる時間が少なかったことから、その後、漸う200頁まで至りました。今週末は出来る限り読み進めようとは考えていますが、果たして、どの程度まで進めることが出来るでしょうか・・(苦笑)。

ともあれ、ここまで読んでいて不図思い起こされたのはルキーノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」という映画作品です。この作品の舞台、時代背景がおそらく「プラハの墓地」150頁あたりと同じであり、また、この映画作品は当時の時代精神、雰囲気がよく再現されていると思われますので、興味のある方は是非ご覧ください。こうした、まさしく「重厚」な映画作品は、ここ最近かなり少ないように思いますので、かえって楽しく観ることが出来るのではないかと考えます。
ルキーノ・ヴィスコンティ監督「山猫」

また映画「山猫」にて、すぐに思い起こされるのは、以前にも当ブログで取り上げました映画「大いなる幻影」(『La Grande Illusion』)・「日の名残り」(『The Remains of the Day』)であり、これら映画作品を起点として、あるいはそれぞれ作品内容の関係性から、近現代史あるいは国際関係論なども概説程度は学ぶことが出来るのではないかと思われますが、さて、如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2019年6月30日日曜日

20190630「4年間の記事作成を通じて思うこと」

ここ最近は、ほぼ毎日の記事投稿を行っていなかったことから、去る6月22日で当ブログをはじめてから4年経過していたことを忘れていました。4年間、毎日1記事づつ投稿し続けますと1460程度の記事が作成出来る計算になります。他方、これまでの作成、投稿記事の総数は1180程です。そのように考えてみますと、それでもこの記事数を4年間に均しますと、10日のうち8日は記事を作成してきたことになります。

また、あと数記事の投稿にて総投稿記事数が1200に到達しますが、1200記事まで到達しますと、果たして何か面白いことでもあるのでしょうか・・(苦笑)。

とはいえ、4年間であろうが1200記事であろうが、ある程度の期間、数量、ブログ記事作成に費やしてきましたが、未だに文章が上手くなったというような実感はありません・・。

ただ、少し実感として分かることは、公表する文章の作成に対する抵抗感がかなり少なくなったことです。これまで4年間で40万人以上の方々に当ブログを読んで頂きましたが、喜ぶべきことであるのか、所謂「炎上」のようなことは起きたことはありませんでした。また、当ブログをはじめた当初は、間接的にではありますが、当ブログのことをくさすようなご意見を聞くことも度々ありましたが、2年程度記事作成を続けていますと、あまりそういうことは聞かなくなり、むしろ抜粋引用している著作についての理解度を試すような質問を素知らぬ顔でされることが多くなったように思われます・・。

また、先日ブロガーにて投稿した『「翔ぶが如く」を読了し、次の著作を読みつつ思ったこと』の投稿直後から、当記事内容に関係あると思われる既投稿記事がいくつか読んで頂けていましたが、こうした反応を見て、それぞれの読んで頂いた記事内容の要点を関連付けることにより、さらに、もう少し大きな思想への関連付けることが出来るようになるのではないかと考えます。そして、まさに、この関連付け作業を行っている時に、私は、かつて読んだ書籍およびその著者から、これまでにある程度議論を重ねてきた方々のことが、おそらくほぼ無意識に脳裏に広がっています。

この作業は、その時に面白いと思われる考えが浮かんでも、後になりますと、あまり面白いとは思われなくなること、あるいは数日経て、さらに面白いと思われる考えが浮かんでくることなどもあり、規則性のようなものはありませんが、ブログ記事を作成していて面白いと思うことの1つと云えます。

また、先日来からいくつかの大学のことを当ブログにて掲示していますが、これは公募への応募活動を行っていた際、そして医療法人にて勤務のおり、求人関連などで問合せをさせて頂いた際に情報収集のためメルマガ登録を行ったのですが、メルマガ登録以降、現在に至るまで、たびたびそれら大学さまからメールマガジンを頂くのですが、これに対し何も反応しないのも悪いのではないと思ったことから、先日以来、これら大学のことを取り上げさせて頂いているのです。そして、ある時「このブログでわざわざ掲載してもしなくても、別にあまり変わりはないのではないか・・。」と思い、1大学の情報を掲載しなくしました。

そうしますと、その翌日か翌々日に当大学からのメールマガジンが届きました。おそらく偶然であるのでしょうが、そうしたことからも、今後、出来るだけ記事更新の際は、こうした情報も掲載させて頂こうと思います。

先日来のウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」はその後150頁以上まで読み進み、また面白い展開を見せていますが、ここまで読んで思い起こされた著作は岩波文庫刊コンラッド著「コンラッド短編集」です。これら短編の中でも特に「無政府主義者」「密告者」「伯爵」などは前述「プラハの墓地」と時代背景、文化ともに共通するものが少なからずあるように思われますが、さて如何でしょうか。


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2019年6月24日月曜日

20190624 「翔ぶが如く」を読了し、次の著作を読みつつ思ったこと

先日ようやく「翔ぶが如く」全10巻を読了しました。これまで当作品に関して記したいくつかのブログ記事は、投稿直後から、ここ最近の投稿記事では珍しいほど、多くの方々に読んで頂きました。これらを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。


この作品を読了し思ったことの1つは、我が国の「官」についてです。この作品では、現代に繋がる我が国の「官」の体制が、未だ盤石でなかった時代が描かれていると云えますが、おそらく、良くも悪くも、この作品にて描かれている西南戦争による「学び」から、我が国近代国家の統治の癖のようなものが定着したと思われます。

そして、それが時代を経るごとに、少しずつカタチを変えつつ、同時に根本的には大きな変化をすることはなく、太平洋戦争後の現代に至るまで継承され続けているように思われます。また、そうした「統治の癖」がインターネットによる情報化社会によって露わになり、その「統治の癖」と「社会全般での意識水準」の均衡を得るため、何と云いますか「時代精神の変革」を余儀なくされているのが現在であると云えます。

とはいえ、こうした時代精神の(特に内発的な)変革は、おそらく、我が国が不得意とするところであり、また、その変革のためには古今東西の事例、すなわち、
研究などにより、ある程度明瞭に抽象化された歴史像の存在および、その社会での定着が重要であると思われるのですが、これがさきの「時代精神の変革」から遡り、さらに不得手であるように思われるのです。

一概には云えませんが、我が国社会全般が持つ性質として、即物的に感知可能と云える 
表層的な要素に対しての感受性はかなり鋭い一方で、抽象的な意識の連合、あるいは思想に関しては、それらに基づいて他の考えを評価したり、新たに他の思想を組み立て、表明することを、敢えて避けるようなところがあると思われます。 

そして、その淵源について考えてみますと、近代社会以降に関しては、冒頭の「官」による西南戦争からの学びがあるのではないかと考えます・・。さらに、そうした「官」側の姿勢を批判したものが福沢諭吉や夏目漱石にはじまり丸山眞男に至るまでの近代日本について述べた思想家、著述家など人文社会科学分野の系譜であると云えるのではないでしょうか。


また、そのように考えてみますと、昨今、主に会社経営、医学など実学分野での学問研究に対しては「官」側からも積極的に支援する一方、歴史や思想といった即物的には実学とは (到底)云い難い学問研究は、以前に比べ、さらに避けられている、もしくは多少悪意的にとれば「エピゴーネンの生成」に腐心・注力しているようにも思われます。 

そして、そうした視座に基づき、先日から当ブログにてとりあげたウンベルト・エーコによる「プラハの墓地」を読んでみますと、なかなか考えさせられるものがあると思われます。


そういえば、「プラハの墓地」は、その後100頁以上にまで読み進み、また、現在そうした状況であることから、さきに読了した「翔ぶが如く」と、当著作を関連させようとするのかもしれませんが、以前も当ブログにて述べたことですが、面白いことに両著作の時代背景は20年程度しか変わらないのです・・。 

さらに、こうしたことを書いていますと不図、想起されるのは、さきの両著作時代背景の 中間期の我が国社会を背景とし、また、作中随所に当時の社会状況についての描写も見られ、そして饒舌とも云える独白形式の文体が作中多くを占めることにより「プラハの墓地」とも共通する要素があるように思われる夢野久作による作品「犬神博士」なのですが、さて、この指摘は面白いでしょうか・・(笑)。

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2019年6月16日日曜日

20190616 前科者が閣僚になる社会の価値観

残り10記事の投稿を待たず、1200記事への到達となりますが、この1200という数字も、そこまでキリが良いものではなく、あるいはその先も、半ば惰性のように書き続け1300記事まで書くことになるのであろうかということは、今以て分かりません・・(笑)。

また、先日来から読み進めている「翔ぶが如く」の読了後も、また別の著作が待ち構えていることから、記事の更新を日毎に行う余裕もないように思われます。

この待ち構えている著作は、以前にも当ブログにて触れましたがウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」であり、偶然であるのか、その時代背景は「翔ぶが如く」と20年も違いがありません。

くわえて、当ブログにて何度か取り上げているトーマス・マンによる「魔の山」の時代背景とも20年の違いがありません。今現在50頁ほどしか読んでいない「プラハの墓地」ですが、私の予感として、この著作の時代背景にある思想、価値観、時代精神といったものと「魔の山」の時代背景を比較して読んでみますと、それなりに面白いのではないかと感じています。

さて、ハナシを「翔ぶが如く」に戻し、先日読了した同作品第9巻に、これまで当ブログにて何度か取り上げている陸奥宗光がわずかに登場します。当時、陸奥宗光は元老院議官として政府側に属していましたが、他方で土佐・高知の自由民権、反政府勢力である立志社とも気脈を通じ、西南戦争に乗じて政府の転覆をはかっており、それが露見し、禁固五年を言い渡され下獄しました。(このいわゆる立志社の獄にて陸奥宗光と同様に下獄した一人が自由民権運動家にして実業家そして戦後の宰相である吉田茂の実父である竹内綱です。)

陸奥宗光は出獄後、数年にわたる欧州留学を経て、再び政府に用いられ、そして日清戦争時には外務大臣として活躍するわけですが、こうした人生経路を見ても相当奮っていると思われますし、あるいは当時、現代の我々の感覚では簡単に理解することが困難な別種の「価値観」があったようにも思われます。

そしてその後、さまざまな社会制度が構築、整備され、それが硬直化するに伴い、さきのような「価値観」も変化し国全体がどうもおかしな方向に行ってしまったようにも思われます。

また、見方にも拠るのでしょうが、1945年の敗戦から現在に至る我が国の社会にも、そうしたメカニズムが少なからず作用しているのではないかと思われます・・。

そのように考えてみますと「構築、整備された制度を硬直化するものとは何であろうか?」と思うのですが、それは一体何でしょうか?

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2019年6月15日土曜日

20190615 「翔ぶが如く」第10巻まで読み進めて思ったこと

4月末から読み始めた「翔ぶが如く」は漸う最終巻である第10巻に入りました。以前にも書きましたが、第8巻から西南戦争が始まり、そして第9巻を通じて描かれている田原坂を含む肥後・熊本での西郷軍と政府軍との戦いは、文章からもその凄惨さが伝わり、読んでいますと時折、眉間に皺が入っていることに気が付かされます・・。

また、この第9巻にて、かつての会津藩等、戊辰戦争時の幕府軍に属した方々が陸軍、警察など政府側として西南戦争に参加する経緯が書かれていますが、それらの描写からもまた、一つの時代精神でしょうが、何やら凄まじいものが感じ取れます。

同時期の会津藩出身者等のことに触れた作品として、中公新書から刊行されている石光真人編「ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書」が挙げられます。この作品は著者(柴五郎)が戊辰戦争そして西南戦争の時期のことを実体験として述べていることから、時においてその描写は小説である「翔ぶが如く」よりも生々しく、読者の感覚に迫るものがあると思われます。

他方、この「翔ぶが如く」第9巻での西郷軍側からのスピンアウト作品とも取ることが出来るものが、鹿児島出身の海音寺潮五郎による「田原坂」という短編集です。この作品は著者地元での口碑などがそれぞれ短編のベースにあることから、西南戦争当時の時代精神、風土性を強く感じ取ることが出来るように思われます。

とはいえ、「翔ぶが如く」第9巻にて凄惨な戦闘の描写が続きますと、読んでいるこちらも消耗するようであり、さりながら、ここまで読んで読了に至らないのも悔しく、且つ、この作品はどのような結末を迎えるのだろうかと思う部分も少なからずありますので、おそらく、近日中には読了に至るものと思われます。

しかし、冒頭に述べた4月末の当作品第1巻を読み始めた頃と比べますと、明らかに気分が平均して重くなっていることに気が付かされます。では、この気分が重く、沈んでいる状態は悪いものであるのかと考えてみますと、必ずしもそうではなく、あるいは自分の背景にある大きな歴史の流れを知る、知りたいと思い続けることは、大なり小なりこうした経験を積み重ねていくことではないかとも思われるのです。

その意味で、考証のもとに著された歴史小説が持つ優れていると思われる点は、一つに、それを読み、理解したならば、同様テーマの新書、歴史の概説書あたりは特に問題なく読むことが出来るようになり、さらにその先には、さまざまな学術な著作も読むことが出来るようになるといったところにあるのではないかと思われます。

そして、そうした読書の循環を継続しているうちに、さまざまな異なった時代、地域あるいは学問分野に興味を持つようになることは、自然な能動性発露の仕方ではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


数年前から現在に至るまでに列島各地・特に西日本・九州にて発生した、さまざまな自然災害によって被害を蒙った地域の速やかな復旧そして復興を祈念しています。







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新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関しての勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

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2019年6月14日金曜日

20190614「翔ぶが如く」第8巻を読んでいて思ったこと」から思い出したこと【眼差しについて】

去る6月10日投稿分の「「翔ぶが如く」第8巻を読んでいて思ったこと」において19世紀後半の日本人の顔貌や眼差しについて触れましたが、その後数日経て、不図思い起こされたのは、2015年夏に亡くなった親戚の葬式でのことである。

この親戚は、長年にわたり、いくつかの大学にて人文社会科学系分野教員を勤めてきたことから、大学および学会などでの知人が多かったようであり、その弔辞は比較的名の通った長老格の大学研究者の方が読まれていた。

そして、この弔辞の中で、亡くなった親戚の眼差しについて述べたところがあった。葬式時であったことから、それに感心出来る余裕は少なかったものの、これを聞いた時、私も以前に同様の感想を持った記憶があったことから「やはり、この親戚の眼差しには特徴的な何かがあったのかもしれない・・。」と少し考えさせられた。

また、顔貌からの個人識別においては、眼差しを含む両目周辺の部位が重要であることは、経験的にも理解出来ることから、古来より我々人間は、この部位に何か特別な意味のようなものを認めていたのではないかと思われる。

さらに、こうしたことを書いていて思い起こされるのは、以前にも当ブログにて扱ったことがあるが、両目が模様として表現されている福田式銅鐸(邪視文銅鐸)であり、その模様はチベット仏教寺院に描かれているブッダアイズあるいは、古代中国、殷・周の時代における青銅器、玉器に表されている饕餮文にも類似しているが、何れにせよ、これらが作られた地域そして時代の人々が、共通して眼差しを含む両目周辺の部位に、何らかの神秘的な意味・力があると信じていたということは理解出来るのではないかと思われる。

そして、さきに述べた弔辞の中での親戚の眼差しについての言及と、銅鐸に表された邪視文、チベット仏教寺院のブッダアイズそして古代中国の饕餮文との間に通底するものが実際にあるのかと考えてみると、それは科学的な立証は困難であるものの、同時に、我々の感受性のどちらかと云えば原初的な領域に、それを受容し、知覚する「何か」があるのではないかと思われたのですが、さて如何でしょうか?

そういえば、今回の記事投稿により総投稿記事数が1190に到達します。そして、残り10記事にて1200記事へ到達することになります。今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。お蔭さまで、ここまで書くことが出来ました。

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2019年6月13日木曜日

20190613 岩波書店刊 森嶋通夫著「なぜ日本は没落するか」pp.38-39

『GHQが日本政府に対して多くの根本的改革を命じたのはよく知られている。新憲法の施行、完全非武装化、財閥解体、土地改革、教育改革などである。そのなかでも、長期的に見て最も強力な影響力を生み出したのは、新旧の教育システムの切替えである。すでに述べたように、それは日本の大人の社会を、新たに育ちつつある青少年の社会から切断した。と同時にそれは日本の国家主義(ナショナリズム)にも決定的な打撃を与えた。
日本のナショナリズムは古く六世紀の頃にはすでに育成されていた。日本が儒教を輸入した頃、中国という強大で、はるかに進んでいた国がすぐ隣に存在していた。また朝鮮も、日本より進んでおり、文化面でもはるかに優越していた。こうした環境の下で、日本人は古代から自己防衛的な態度をとるように躾けられていた。すでに七世紀末に、ナショナリズムの精神が勃興している。国を防衛するには、国は国力を持っていなければならない。こうして日本人は物質主義的な傾向を持つようになり、ひいては世俗生活における豊かさに強い関心を持ち続けるに至ったのである。
戦後、日本人はナショナリズムの危険を思い知らされると同時に、他方では、遅かれ早かれ日本にもヒトラーのような人物が将来登場するのではないかと危惧してきた。しかし現代では、一部の人々をのぞいた一般の人は、そうした危険がすくなくとも近い将来には訪れることはないと安心している。二発の原子爆弾は、日本のナショナリズムを完膚なきまでに破壊した。しかし同時に、彼らは自信を失い、国際的な問題に対する発言もやめてしまったのである。世界の大国の陰に隠れて、いかに痛烈に非難されようとも、日本人は物質的な利益を追求し続けた。しかし1990年代になって右傾化が人目を引くようになった。』

日本ななぜ没落するか
ISBN-10: 4006032056
ISBN-13: 978-4006032050

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


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2019年6月11日火曜日

20190610 「翔ぶが如く」第八巻を読んでいて思ったこと

ここ最近、ブログ記事の更新を行っていなかったため、本日は何か書こうと思い立ち、日は改まってしまいましたが、さきほどから記事作成をはじめた次第です。

如上の通り、ここ最近、ブログ記事の更新を行っていなかったことから、就寝前の読書の時間は増え、読書の方は進み、先日来から読み進めている司馬遼太郎著「翔ぶが如く」は第九巻に至りました。さきの第八巻から西南戦争は本格的な戦闘がはじまり、西郷軍、政府軍双方の戦いぶり、そして同様に双方の負傷、戦死の様子が描かれていますが、こうした描写を読んでいますと、150年ばかり前の人々の死生観のようなものが、現代を生きる我々のそれと大きく違うことに驚かされます・・。

また、当時は既に写真機も存在していたことから、この作品の背景雰囲気、時代精神を知るため、登場人物あるいは同時代の人々を写した写真を見てみますと、これまた顔貌、眼差しなどが現代と大きく異なることに驚かされます・・。

おそらく、こうしたことは他の国々においても同様であり、あるいは自国の人々を写した写真であるが故に、そうした相違をより大きなものと感じてしまうのかもしれませんが、何れにせよ、物理的な存在とも云える顔貌の、その背景にある精神の構造・質によっても我々の顔貌は有意な影響を受けるのではないかとも思われましたが、さて如何でしょうか?

そういば、さきの東京出張のさ中、電車内にて、当ブログで何度か述べてきたことと関連があると思われる広告を見つけましたので、その画像を以下に示します。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


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2019年6月2日日曜日

20190602 「ルサンチマン」について

ルサンチマン」という言葉があります。この言葉の意味は「弱者の強者に対する憎しみ、妬み」で概要的な理解は間違っていないと考えます。

ここで大事なことは「弱者の強者に対する」ということであり、そこから表立って憎しみを強者である相手にぶつけることが出来ず、陰に蓄積している憎悪感情と云えます。

また、そうした感情を培地とした道徳律がニーチェの云う「奴隷道徳」であり、西欧において主潮をなすキリスト教的な道徳もまた、その発生の経緯から考えると「奴隷道徳」と見做しました。

そして、同様のことを東洋における孔子の儒教に当て嵌めてみても、類似した構図を見出すことが出来るようにも思われます。

さて、ニーチェはこの「奴隷道徳」の培地である「ルサンチマン」を弱さからくる不健康な良からぬものと考え、他方同時にそれ(ルサンチマン)を、さまざまな創造的行為の原動力であるとも述べ、即ち、二律背反の要素を持っているものと考えていました。

そして、このことを近代の我が国に当て嵌めて考えてみますと、我が国の近代化は、当時の欧米列強に対する「憎しみ、妬み」のみに集約することは出来ませんが、それでも、我が国の近代化は、国際社会での強者に対する弱者の反応であると云え、また、その反応の中には「ルサンチマン」とも評し得る感情が少なからずあったと考えます。

ともあれ、こうした感情から発奮し、あるいはそれを発条として19世紀後半からの我が国の近代化は為されたと云えます。

くわえて、このニーチェによる「ルサンチマン」そして「奴隷道徳」とも浅からぬ関係を持つと考えるのが科学的社会主義(マルクス主義)です。その運動は、団結した労働者階級によって既成権威および、それらにより構成される政府が転覆され、私有財産の否定、資本の共有化が為され、それを労働者階級の代表である政府によって管理・運営されるといった概略になると云えますが、この既成権威および、それらにより構成される政府を転覆することにより理想の社会を実現しようとする思想自体に、毒もしくは本質的に良くないものを小泉信三は感じ取ったのではないかと考えます。

すなわち、人の「憎嫉感情」に訴えかけ、自己勢力の強化、活性化をはかるような性質を持つ思想は、たとえ、その思想自体が良いものであったとしても、それを担ぐ人々が、徐々にそうした性質を強め、そして、それにより、その社会もまた良からぬ方向に行くようになるということです。

また、こうした考えは、思想・経済学分野とは離れますが、同じく小泉信三が説いたスポーツマンシップとも通底する何かがあると考えます。

しかしながら他方で、あまり、文章化したり、口に出して云うことは必ずしも多くないと思われますが、我が国の戦後社会もまた、端的に人々の自他との比較により生じる「憎嫉感情」に訴え、諸活動の活性化をはかってきたようなフシがあるのではないでしょうか・・。

またこれは「ウォ・ーギルト・インフォメーション・プログラム」などよりも深く、我々内部に根差しているのではないかと思われます。

そして、思想あるいはより広義に、人文社会科学系学問の重要さは、本来、そうしたことを是正したり、過去の文脈に基づいて人々に問いかけるといったところにあったのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


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