2022年2月21日月曜日

20220221 中央公論社刊 石津朋之著「リデルハートとリベラルな戦争観」pp.58-61より抜粋

中央公論社刊 石津朋之著「リデルハートとリベラルな戦争観」pp.58-61より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4120039153
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4120039157

 第一次世界大戦中にイギリス首相という要職に就き、同大戦後はこの戦争に極めて批判的な議論を展開したデビット・ロイド・ジョージと同様にリデルハートは、第二次世界大戦勃発当初、すなわち一般的には「奇妙な戦争」として知られる1939年から40年の時期において、イギリスとフランスがヒトラーによる和平への申し出を拒否してはならず、交渉による妥協を図るべきであると主張していた。なるほど連合国側にとって勝利が望ましいことはいうまでもないが、リデルハートは、イギリスとフランスがこの西側諸国の「文明」の防衛と侵略者に対する戦いにおいて、攻勢を用いない旨を宣言すべきであると主張した。こうすることで連合国側は、道義的に優位な立場を維持することができるうえ、ドイツが西側諸国を攻撃する口実を与えることになるこちらからの挑発行動を抑えることにもつながると期待したのである。つまり、リデルハートが主唱したことは相互に武装したままでの共存であった。双方が満足できる和平がドイツと交渉できないのであれば、既に西部戦線で闘われている「奇妙な戦争」が継続するだけにすぎない。そして、これこそ「冷たい戦争」という概念なのである。

 リデルハートによれば、連合国側にとって唯一現実的な選択肢はこうした低強度の「冷たい戦争」を継続することであり、また、それによってドイツを挑発する可能性も低下するのである。今度は、戦争を少しばかりエスカレートさせることによって、ドイツもまた勝利の可能性を有さず、そのために払う犠牲が大きすぎることを敵に示すことにより、交渉による和平への道が拓かれるとリデルハートは期待したのである。

 このようにリデルハートは第二次世界大戦当初、すなわち核兵器が登場する以前から既に「封じ込め」という戦略を主唱しており、さらには「冷たい戦争」の必要性を唱えていたのである。だが核兵器という巨大な破壊力や抑止力が存在しないなかで、ドイツとの総力戦へのエスカレーションを阻止し得る決定的な要因とは何であろうか。これに対するリデルハートの回答が、第一に、空軍力による攻撃によって迅速な相互破壊が生じるかも知れないといった一般的な恐怖心を利用するというものであった。1930年代及び40年代初頭のヨーロッパの人々は、後年に核兵器による脅威によって人々が感じたものと同じような恐怖を、上空からの攻撃に抱いていたのである。第二に、第一次世界大戦で明確に示されたように、以前と比べて大国間の大規模な戦争があらゆる意味で犠牲を必要とし、さらには、現代社会の価値や利益とはまったく相反するものになりつつあるという一般的認識に依存するというものであった。

 そこでリデルハートは、ドイツが予防的な行動を軽々にとらないよう、また、併せて戦争がエスカレートする可能性を低下させるため、連合国側が攻勢的な行動を放棄するという計算された戦略を主唱したのである。だがこうした背景の下、リデルハートは彼の生涯のなかでもっとも大きな過ちを犯してしまうことになる。すなわち、軍事戦略のレベルであれ国家戦略のレベルであれ、第二次世界大戦前からリデルハートは、攻勢に対する防勢の完全な優位を主張し続ていたのである。

 リデルハートによれば、自らが唱えた集団安全保障と限定関与という国家戦略が帰着するところは、封じ込め以外には考えられなかった。そしてそのためには、抑止力を強化することが求められたのである。だが、戦間期や第二次世界大戦初期を通じてリデルハートが、ドイツに対する包括的な安全保障戦略構想として封じ込め、限定関与、そして、抑止などを明確に打ち出せば打ち出すほど、彼は極端なまでに防勢の優位を主張することになる。すなわち、ドイツ側であれ連合国側であれ、攻勢が成功する可能性を少しでも考えることは、それだけで彼の戦略概念の根底を切り崩すことになったのである。前述したように、リデルハートは相互に破壊することなく、敵・味方がともに安全保障を確保できる唯一の方法が「冷たい戦争」であると考えていた。こうした皮肉なことには、第一次世界大戦前夜に「過剰な攻勢主義」が広く唱えられていたことに反発するかのように、この時期のリデルハートは、「過剰な防勢主義」とでも呼ぶべき、根拠に乏しい戦略を強引なまでに唱えていたのである。

 実は第二次世界大戦前、防勢の優位と集団安全保障や限定関与政策との関連は、フランスや東ヨーロッパの同盟諸国の安全保障に対するリデルハートのアプローチにとっては決定的であった。イギリスはヨーロッパ大陸に大規模な陸軍派遣軍を送る必要がないという認識(あるいは、せいぜい小規模な機械化部隊を派遣すればよいという認識)、フランスはドイツに十分に抵抗できるとの認識、仮にフランス軍がイギリス軍によって増強されたとしても西ヨーロッパでのドイツに対する大規模な攻勢は成功しないという認識、そして、ソ連の支援があればチェコは長期間にわたってドイツに抵抗できるとの認識は、すべて相互に密接に関連しており、防勢の優位という前提に大きく依存していたのである。