2016年8月30日火曜日

20160830 虹を見ました。

A「本日も仕事で東京市街地におりましたが、雨が降ったり、日が差したりと二転三転するようなおかしな天気でした・・。

しかし、そのおかげで久しぶりに水道橋、神保町の周辺にて虹を見ることができました・・(笑)。

周囲の方々が空に向けてスマートフォンを向けている先を見てみましたら虹が出ていた次第です・・。

また、それと同様面白いことに、昨日記したブログ記事は投稿1日目にしては思いのほか、多くの閲覧者を得ることができました・・(笑)。
興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

また、本日は日中仕事にて街を歩いた疲れが出た為か、ブログ記事の更新を止めておこうかと思いましたが、さきの二点を題材にして何かしら記すことができるのではないかと考え、現在このようにブログ記事を記している次第です・・(笑)。
しかし一方、目標とする400記事までは到達しましたので、とりあえずしばらく記事作成を休んでも良いのではないかとも思い、また先日再び読んでいた岩波文庫刊・バートランド・ラッセル著「幸福論」にて下に示す記事に出くわしたため、現在、記事作成継続への思いが多少揺らいでおります・・(苦笑)。

P.47
「文学者のグループは、社会生活と生き生きとした接触を保っていない。もしも、人間の感情に、悲劇と真の幸福の双方が営まれる際の真剣さと深みを持たせたいのであれば、そうした接触は不可欠である。
世界には自分のすることなど何もない、という思いをいだいてぶらぶらしているいわゆる才能ある若者たちに、私は言いたい。
「ものを書こうとするのをやめて、それよりも、書かないように努めてみたまえ。
世の中に出ていき、海賊なり、ボルネオの王様なり、ソビエト・ロシアの労働者なりになってみることだ。基本的な体の要求を満足させることで、君のエネルギーの全部が費やされるといった、そういう生活に飛びこんでみることだ。」
私は、なにもすべての人にこの行動指針をお勧めするのははない、ただ、クルーチ氏の診断する病気(厭世、絶望)にかかっている人たちだけにだけお勧めするのである。
私の信じるところでは、このような生活を何年か送れば、元インテリ青年は、いくら書くまいとしての、もはや、ものを書かずにはいられなくなっているのに気づくだろう。そして、この時がきたとき、彼の書きものは彼にとって空しいものとは思えないだろう。」

この文章を読み、少し考えてみますと「今現在果たしてブログ記事を記し続けた方が良いのか、あるいはそうではないのか・・?」と考え込んでしまいます・・(苦笑)。
しかし、何れにしても揺れ動いていることは確かなのです・・。

あるいは、こうしたものは単なる言い訳探し、ポーズ、カッコつけなのでしょうか・・(笑)?

とはいうものの、現在記しているこの記事とは、まさしくこの「揺れ」そのものを題材としており、またそれは同時に少なくとも空しいものではありませんので、まあ、こうしたことを題材として記事を書けるのであれば、書いておくに越したことはないのかもしれません・・(笑)。

そして、ここまで記していて、昨日投稿した記事への反応もまた大変興味深く面白いものであったことを思い出しました。
果たして私自身がそうした反応を出来るかどうかはかなり疑問です・・(苦笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震にて被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」