2016年2月17日水曜日

北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」新潮社刊pp.137-138より抜粋 およびスタンリー・キューブリック監督「突撃」(1957) 終幕場面 20160218 

Directed by Stanley-Kubrick
ending scene

北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」新潮社刊pp.137-138

「翌日は出港の予定であったが、三十年来の濃霧のため河口に四十隻の船がつまってしまい、出港できぬという。結局この霧のため二日半出港がのびた。

出港がのびると酒や煙草はシールされているので不足してくるし、むろんのことベルギーの金は使いきっている。私はまだ少々ドルやマルクを持っているが、今後どういう事態が起こるかわからぬので無駄には使えない。いつ出港になるかわからぬため上陸許可が出るのは午後も遅くか夜になってからである。

私はそれでも街へ出て行って、中央駅あたりの店で二、三枚の絵はがきを買い、一ドル紙幣をくずした残りで幾刻かを過ごした。

ある午後は映画を見た。西部劇の看板のでている館にはいって行ったら、なんだか様子がおかしい。古風なフランス軍の軍服なんかきたカーク・ダグラスがしきりと呼子を吹きながら突撃している。
西部劇は次週のもので。これは第一次大戦の仏軍の物語なのである。
英語をしゃべっているのだがとてもわからず、フランス語とオランダ語らしい字幕があるがこれは目に一丁字もない。
功をあせった上官がカーク・ダグラスの将校に無理な攻撃を命じて失敗してしまうのだが、最後に三人ばかりの兵士が死刑になってしまうところがよくわからない。また捕虜みたいなドイツ娘が兵隊の前で歌など唄うがこれまた関連がわからない。どうも未だにわからない。」

どくとるマンボウ航海記
ISBN-10: 4101131031
ISBN-13: 978-4101131030  北杜夫
 

金関丈夫著「発掘から推理する」岩波書店刊pp.52-56より抜粋 20160217

万葉集」の巻一に、カグ山ミミナシ山との争いを歌ったものがある。争いの原因はウネビ山を中にした恋愛の三角関係である。

しかし、山と山とが恋愛したり、喧嘩したりするということは、いったい何のことだろう。
単なる擬人法で、山の名は借りものにすぎないのだ、と片づけるとしても、まことに不可解な発想法である。この歌の意味はいまだにはっきり説明されていない。

説明の手がかりは、まず恋愛のほうにある。
一方が男で他方が女でないと恋愛は成り立たない。
現に山のうちには、山城の男山とか、日光男体山にように、性を有するものがあり、日光の文字も二荒(ふたら)のニコウをもじった吉祥字で、もとの二荒はふたつの神山である。 その一方が男体だから、ここにはちゃんと女体山(女貌山または如宝山)がある。 紀伊大和の妹背山、大和の二上山も北が男岳、南が女岳である。
古い記載では、「常陸国風土記」に筑波山の西峰が雄神、東峰が雌神であったり、「肥前国風土記」には、杵島の三山の一つはヒコ神、一つはヒメ神、これにはミコ神、すなわち子供まであった。ウネビ山のミホトの地名は、いつも問題になるが、ウネビが女性なら、ミホト(女陰)のあるのは当然だろう。縦に削られた山の凹みにこの名をつけて読んでいる例は朝鮮にもある。

これらの例でわかるように、山には男神と女神とがあり、山にも性があるからには、これをそれぞれ、男神女神として祀る社会があったことになる。 一つの山が男女二峰に分かれているならば、これを祀る二つの社会も全体としては二つに分かれた、一つの集団だった、と考えられよう。 国分直一教授は下関市蓋井島で、いまも部落が男山と女山とを祀る二つの集団に分かれていることを明らかにして、日本における双分社会の存在の問題に、一つの大きな手がかりを与えた。

古い姿を想像すると、これら男女の山神は、年一、二度の両集団の合同の祭りに、それぞれ男女の姿をとって出現し、和合の神事をいとなんだものらしい。
今も日本の多くの地方で、男女神の婚交の神事をやって、年の豊穣を祈るのは、そのなごりと見られる。 

讃岐琴平神社の十月の祭りには、上の頭司と下の頭司、すなわち二つの宮座の頭のあいだに、婚礼の盃をとりかわす式が行われて、双分社会の合同の神事が、後世の宮座のそれに影響を与えていることを暗示している。

それはそておき、それぞれに男女神を祀る二つの社会の合同の祭事は、これらの外婚性の両集団の、定時の結婚や交易-市が立つ-の機会でもあった。

さきの筑波や杵島の山々に、男女の定時の集団婚の行われた記事があるのは、この山神の祭りと無関係ではない。

しかし、和合の前には、山と山との争いの場面があった。
相聞といえば恋愛そのもののように近ごろでは考えているが、これは男女が即興的な歌のやりとりをすることで、その歌は相手をやりこめて屈服させたり、屈服されまいと争ういわば歌あらがいである。
折口信夫博士は、平安朝の女房文学の発達は、この、境界(逢坂関)における定期の歌あらがいを考えないとわからないといっている。

この争いは結局の和合を予想したものだが、しかしそれを長びかせて、できる限りのレジスタンスをすることが必要だった。 沖縄久高島では、ついこのあいだまで「刀自覓ぎ」の風習があり、それは婚礼の席上から、花嫁は山林に逃亡する。 十日、二十日はこれをアクセレートしなければ、和合による祈念の霊力が強まらない。 結婚には、単なる個人的な人間関係でなくて、個々の場合でもこうした、集団的な、宗教的な意味があったのだ。

この行事では、男女神の和合の結果として一身に両性をそなえたミコ神が誕生する。
これが絶大な霊力をふるい、あらゆる予想的の害物を退治して、その年間の安泰と豊穣とをもたらす。これが祭りのクライマックスである。

こうした行事は、東南アジアの農耕民のあいだでは広くのこっており、ジャワでは同じく性的、外婚的双分化社会の合同祭事で生まれた男女双生神の、ひどく劇的なロマンスとなってのこり、また芳賀日出男君の報告によると、インドベンガル地方の、バロンという神劇では、女装の英雄が悪蛇を退治して、いけにえの娘を救うという。
日本では、これはある種の神話や物語に反映してのこっている。
オロチを退治する前のスサノオノミコトは、頭に櫛をさす。これは女装を意味している。
ヤマトタケルも女装してクマソタケルを退治する。
アマテラス神功皇后も、大事の前には男装を必要とした。五条橋の牛若や、ヒヒ退治の岩見重太郎に至るまで、みなこれである。これらの神話は、社会の害を除くのにこうした双性の霊力を必要とした思想の反映である。

この思想から、単なる女巫や男覡ではなく、一身に両性をかねた双性の神人が崇められることにもなる。
琉球では、こうした神人を尊ぶ風が今でものこり、現に女装の覡が存在している。

われわれが発掘した鹿児島県種子島広田の、弥生前期末の遺跡から、昭和三十三年に見出した一体の人骨は、その装身具を一見したところでは女性としか思われない。しかし発掘者のあいだに討論を重ねたあげく、結局男性ときまった。

男性としては非常に女らしい男だ。
ところが、おもしろいのは、この人骨が他の男性人骨にはけっして見られない、豊富な装身具を身につけていることである。
同じような装身具は、この遺跡人の風習から見て女巫を思わせる数多くの女性骨にみられるものであるが、その中でも最も豊富につけているのがこの男である。
それのみならず、その額には、他には一例も見られない特殊な装身具をつけた跡がのこっている。
それを幅広の鉢巻の正面に固定して、若いときから常用した、そのために生じた骨の変化も見られる。
装身具といっても、これらはみな呪具である。すなわち、彼は霊力もっともあらたかな人物、最も畏怖された呪師だったということになる。
南島の、今ものこる双性神人の、最も古い祖先の一人だったということになる。

発掘から推理する
発掘から推理する
ISBN-10: 4006031300
ISBN-13: 978-4006031305
金関丈夫