2018年1月2日火曜日

20180101 言語と事物の対応関係について・・【新年あけましておめでとうございます。】

新年あけましておめでとうございます。
本年もまた、しばらくは記事作成を継続しようと考えていますのでどうぞよろしくお願いします。

さて、昨日投稿した記事は、大晦日であるにもかかわらず、かなり多くの方々(100以上)に読んで頂き、そこから本日元旦であるにもかかわらず新たに記事作成を開始しました。

そして次の具体的なブログにおける目標は来月二月中の900記事への到達とします。

また、これまでの総投稿記事数は855記事ですので、今月・来月中に45記事を投稿することによりそれは達成され、また特に無理をすることもなく、時には休息を入れつつ記事作成を継続することにより十分に為し得るものと思われます。

そのように考えてみますと900記事への到達も以前より、かなり現実味を帯びてきたと云えますが、当ブログを始めた当初においては正直なところ、この程度まで継続できるものとは考えていませんでした・・(笑)。

くわえて、昨年の丁度この時期に500記事到達後の再スタートをしたと記憶していますが、そうしますと昨年中におよそ355記事を作成・投稿したことになりますが、これは年内ほぼ毎日1記事ずつ作成・投稿してきたことになりますので、記事の質はともかくとして、またあまり達成感もありませんが『とりあえずやり抜いた』といった感じはあります。

また、それに関連するものであるか分かりませんが、これまでの記事作成の継続により、自身の作成する文章に自信を持てるようになってきたという感覚はあまりなく、硬軟双方の我流の文体にて記事を作成していますが、未だそれらから『自己の文体の獲得』といった感覚を得るには至っていません・・。

あるいは、1000記事程度まで作成し続けると、何かが分かってくるのかもしれません・・。

また他方で、先日から過去に作成した記事をいくらか見ていますと、そこで述べられていることが時折、何らかのカタチで未来とつながっているのではないかと考えさせられることがありました・・。

具体的にはボブ・ディランカズオ・イシグロ両氏のノーベル賞受賞の発表がされるかなり前に、自身のブログ記事にて両氏をそれぞれ取り上げていたことであり、無論それらは偶然ではあるのでしょうが、しかし、こうしたことが継続的に文章を作成する際に(無意識ではあれ)時折生じる面白い現象であるように思われます(これを数値的に分析・表現すると、果たしてどの程度の偶然・確率となるのであろうか・・?)。【あるいは、これを『やり当て』と云うのかもしれません。】

しかし、であるからといって自身のみの欲得を動機とする恣意的な内容の文章を作成し続けても、それはどのようなメカニズムによるものか分かりませんが、さきのようには行かないのではないかと思われます。

そして、そういった意味からも、その根底にある言語と事物の対応関係があらためて重視される必要があるのではないかと思われるのです・・。

おそらく現今の我が国社会とは、もちろん自身も無縁ではありませんが、そうした言語と事物の対応関係が、さまざまな情報機器の急速な進化発展によってか、多少混乱しているのではないかとも思われるのです・・。

いや、あるいは、さきの情報機器云々がなくとも、ある程度大きな歴史規模にて考えてみますと、社会においてそうした言語と事物の対応関係が混乱する時代・時期といったものが定期的にあるのかもしれません・・。

また、こうしたこととは、迷信と重なる部分も少なからずあるのでしょうが、同時に全てが迷信であるとも思われず、そして時代を遡れば遡るほど、人々は、こうしたことに対する感性が鋭かったのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか?

允恭天皇御代にて盟神探湯が行われた経緯を考えてみると、あるいは当時の社会においてもまた、こうした混乱があったのではないかとも考えさせられます・・。】

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年、
列島各地において発生した地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸
地域のインフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

昨年より
再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。