2017年4月25日火曜日

20170425 夢野久作・谷川健一・大西巨人を結ぶもの・・

A「本日の首都圏もまた日中は気温も上昇し、比較的過ごし易い一日でした。

さて、本日も記事作成を止めておこうと思いつつ記事の閲覧状況を確認しますと、思いのほか読まれていたことから、また記事作成に取り組んでいる次第です・・(苦笑)。

また、先日600記事に到達してからも、まさしくどうしたわけか継続的に記事作成を行い、気が付きますと既に新たに5記事以上を作成しておりました・・(苦笑)。

加えて、直近ここ数回の記事に関しては、先日来より読んでいる夢野久作の著作の影響を受けているようにも思えます・・(笑)。

そして、このように考えてみますと、自身に関しては、何かしら著作を読んでいる時の方が記事作成も速やかにそしてスムーズに為されるように思われます・・(笑)。

その点、ブログ記事作成当初の記事全般とは、それまでに読んだ著作の影響が複合的に見受けられ、また同時に、その文体とは現在に比べ、何といいますか、頑なであり、現在読んでみますと「ああ、たしかにこの文体では長い期間の記事作成は困難であろうなあ・・」といった感想を持つに至ります・・(笑)。

とはいえ、その一方で自身とは、そうした頑なな文体に未だ憧れているようなところもあり、そこから時にはそうした(頑なな)文体を用いて文章を作成するのもまた、大事ではあるまいか・・?といった、さきとは相矛盾ような感想をも持つに至ります・・(笑)。

それ故、今回に関しては、このさきの文章を敢えて頑な、硬質な文体を用いて書いてみようと思い立ちました・・。

さて、現在読んでいる夢野久作の著作とは、偶然ながら、以前抜粋引用した谷川健一の著作においてもその一部分が抜粋引用されていることをつい先ほど思い出した。

谷川健一の著作とは、我が国の歴史の裏面あるいは民俗などについて取り扱ったものが多いと云えるのだが、その中で何故、本来(独特な作風の)小説家である夢野久作著作内の文章が抜粋引用されているのかと考えると、おそらく、その著作内で述べられている内容が、我が国古来よりの民俗的あるいは伝統的な、物事に対する視座に基づく叙述が随所に為されているからではないかと考える。

無論、こうしたある意味、歴史を貫く内容を持つ叙述とは、さまざまな文字文化において見受けられるのであろうが、特に谷川健一、夢野久作間のそれを結んで浮かび上がってくる特徴的な要素とは、おそらく我々が古来より普遍的に持っていると内面においては実感しつつも、同時にそれを表出することは進化発展を遂げた現代の我が国社会においては相応しくないものとされるような、恐ろしくも残忍な要素ではないかと考える。

また、その意味において、著作の中にて上記と類似した要素が随所に認められる著述家として大西巨人が挙げられるのではないかと考える。

そして、そうした要素を文章にて抉り出し露見させるような性質とは、あるいは九州出身の著述家を含めた表現者全般において、ある程度広く認められるのかもしれない。

感覚的ではあるが、そうした、いわゆる露悪的な文章において、前出三者とは、たとえば(九州に出自を持たない)山本七平、大岡昇平、会田雄次、丸山眞男などの類似した内容を持つ文章と比較した場合、その全体的なトーンが異なるのではないだろうか・・?

そして、そこにある程度同意が為されるのであれば、おそらく、その基底にあるものとは、地方、地域独特の口語、文語を含めた言語世界ではないかと思われる。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」