2022年9月6日火曜日

20220905 1840記事への到達 読んでいてあまり心地よくない著作を読む意味?

つい先ほど、不図、総投稿記事数が1840に到達していることに気が付きました。そうしますと、あと60記事、毎日1記事作成・投稿すれば2カ月ほどで1900記事に到達の目途が立ちますが、これからしばらく、毎日の記事作成は困難であると思われますので、少し緩めて、2日に1記事の投稿頻度にて進めれば、4カ月程度、つまり大体年内には1900記事到達への目途が立ちます。

とはいえ、たとえ1900記事に到達したとしても、そこからキリが良いところで気持ちよく当ブログを止めるのであれば、2000記事まで継続する必要があると思われます。そして、これは、さきの2日に1記事の投稿頻度にて進めますと、概ね半年は掛かると思われますので、あるいは首尾よく行けば、来年の6月22日、すなわち、丸8年となる当ブログの開始日付近で、丁度2000記事に到達出来るのではないかと思われます。

そして、この2000記事到達について考えたところ、私はこれまでに、これほど長い期間、人に向けての発信を継続したことはありませんでした。またそれは、現在の1840程度であっても同様であり、つまり、記事を作成・投稿する毎日が、過去最高を更新していることになりますが、こうして文章にしてみますと、我が事ながら少し気分が良く、また、そこから高揚感・感慨なども生じるのであれば、今しばらくは当ブログを継続することが出来るのではないかと思われます。

また、書籍については現在読み進めている結城昌治による「軍旗はためく下に」は100頁過ぎにまで至りましたが、こちらの書籍も読み進めていますと、段々と陰惨な気分になってきます。この感覚は、以前に観た「ゆきゆきて神軍」にも近いものであると云え、また、以前にも何度か当ブログにてとりあげた、大岡昇平による「俘虜記」を読んでいる時に感じた、平和裏の米軍収容所内での卑小且つ陰惨な人間模様とは、少し趣が異なり、描かれる時間が戦中、戦後を行き来するような書きぶりは、あるいは以前に観たカート・ヴォネガットが原作の映画作品(ジョージ・ロイ・ヒル監督)「スローター・ハウス5」(1972年公開)にも近いものがあるのかもしれませんが、しかし「軍旗はためく下に」は「スローター・ハウス5」にあるタイム・リープといった空想的な要素は皆無であり、そして、まさにそのことによって、その陰惨さに救いが感じられなくなるように思われます・・。

しかし、そうであっても、こうした自国にてかつて起きた陰惨な出来事を記録した文章は、誰であれ、出来るだけ多く、大学などでの専攻分野に関わらず、内発性に基づいて読まれたら、後になり、意味を見出すことが出来るのではないかと思われるのです。

そして、そうした人びとの数が増えることにより、国民全体のある種のリテラシーが向上して、現在よりも、もう少し良い国になるのではないと私には思われるのです。

ですので、読んでいて陰惨な気分になって滅入るような書籍も、それが実際の歴史を出来るだけ精確に描いたものであるのならば、やはり、価値や意味はあるものと考えます。

しかし、小説や物語などの著作物の中に描かれている戦時中の、さまざまな陰惨さ、そして、そうした出来事自体を急速に忘れていっているのが丁度現在であり、また、それと同じ時期に第二次世界大戦後の最大規模の国家間戦争が生じていることには、何かしら関連性と云いますか、摂理、あるいは壮大な皮肉があるようにも思われました・・。

ちなみに、私はマンガ・アニメ文化はあまり好きではありませんが、それでも強く否定もしません。しかし、さきに述べたような「陰惨さ」のようなものは、アニメ・マンガのようなデフォルメされた具象によって描くことは難しく、それよりもより抽象的表現と云える文章などによって描かれる方が、往々にして伝わるのではないかと思われるのです。それ故、私は、小説作品のアニメ・マンガ化といった具象化の流れは、それなりに意味はあるのでしょうが、しかし、そうしたものは、どうしても、想像や推論が、具象である映像までで否応なく止まってしまい、その先に伸びず、繋がらないのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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