2017年1月31日火曜日

20170131 岩波書店刊 エルヴィン・シュレーディンガー著「生命とは何か」―物理的にみた生細胞― からの抜粋

岩波書店刊 エルヴィン・シュレーディンガー著「生命とは何か」―物理的にみた生細胞― からの抜粋
pp.151ー152
「この最後の章で私が明らかにしようとおもうことは、一口でいえば、生きているものの構造について本書で学んだこと全体から、生きているものは物理学の普通の法則に帰着させることのできない或るやり方で働きを営んでいるという結論を出す準備が整ったに違いない、ということです。
しかもそれは生きている生物体内の一つ一つの原子の行動を指図する何か「新しい力」とか、あるいは力以外の何ものかが存在するということを根拠としているのではなく、生きているものの構造が、物理の実験室でいままで研究されてきたどんなものとも異なっているという理由に基づきます。
大ざっぱに説明すると、たとえば蒸気機関しかよく知らない技師が電気モーターの構造をみて一通り検べ終えれば、おそらくこの技師はそれが自分のまだ知らない原理に従って働いているという結論を出す準備が整っただろうというようなものです。
彼はボイラーなどでよく知っている鋼がここではコイルに巻かれている長い長い銅線として使われており、また梃や棒や蒸気筒などでよく知っている鉄がここでは銅線のコイルの内側をみたしていることに気がつきましょう。
彼はきっと、これは同じ銅と同じ鉄であり、自然界の同じ法則に従うに違いないと考えるでしょう。
この点で彼の考えは正しいのです。
その技師は、これほど構造が違っているのだから働き方が全然異なっているだろうと考えるのでしょう。
だが電気モーターはボイラーや蒸気もなしにスイッチ一つひねればまわりだすのだから、何か幽霊によって運転されるのだろうというような疑いを起こすことはないでしょう。」

pp.154ー156
「いずれにせよ、繰り返し何度でも強調すべき点は、物理学者にとってこのような事態は先例がないので、ありえそうもないと思えるばかりでなく、実に驚愕すべきことだという点です。
一般の人が信じているところに反して、物理法則により支配されている規則正しい物事の成り行きは、原子が高度の秩序をもった配列をしていることの結果ではなく、原子の配列状態が、周期性の結晶の場合またははなはだ多数個の同種の分子からなっている液体あるいは気体の場合のいずれかの場合のように、同じ配列がはなはだ多数あることに基づいて出てくる結果に他なりません。
化学者が実験室でははなはだ複雑な分子を取り扱う場合でさえも、必ず莫大な数の同様な分子を相手にしています。
或る特定の反応がはじまってから一分後には半数の分子が反応を終えており、二分後には四分の三が反応を終えているという場合がありましょう。
だが、仮に或る特定の分子の(反応)経路を追跡することができるとしても、その分子がすでに反応を済ませたものの中にあるか、まだ反応を起こしていないものに含まれているかどちらかであるかを予言することはできません。
それはまったく偶然のことがらです。
私は単に理論的に推測してこういっているのではありません。
それは、われわれがただ一個の小さな原子団あるいはただ一個の原子の運命を観察することがどうしてもできないからというのではありません。
事実それを観測できる場合も少なくありません。
しかしその場合にはいつでも必ず完全な不規則性が見出されるのであって、それらを合わせて平均してはじめて規則性が生まれます。
その例はすでに第一章で説明しました。
液体の中に漂っている一個の小さな粒子のブラウン運動はまったく不規則です。
しかし同じような粒子が多数あれば、それぞれの粒子の不規則な運動によって全体としては規則的な拡散の現象が現れます。

ただ一個の放射性原子が崩壊するのは観察することができます。(或るものを放射しそれが蛍光膜に当たると目がチラチラした光を放ちます。)

しかし放射性原子をただ一個だけ取り出したとすると、その寿命を予言することは健康な一羽の雀の寿命をあてるよりもずっと困難です。

事実その原子の寿命については次のこと以上何もいえません。

すなわち、その放射性原子が生きている限りいつまでたっても(しかもその寿命は何千年あるかもしれないのですが)、次の一秒間の間に崩壊する確率は、確率自身の大小にはかかわらず、同種の放射性原子が多数あれば、その結果として正確に指数関数に従う崩壊の法則が出てくるのです。」

エルヴィン・シュレーディンガー
生命とは何か
ISBN-10: 4003394615
ISBN-13: 978-4003394618



2017年1月30日月曜日

20170130 文体の進化について思ったこと(多少具体的に)

A「本日首都圏は4月並みの気温まで上昇したとのことでした。
たしかに本日は外に出ていても特に寒いと感じることはありませんでした・・。

これが続けば良いのですが、しかし明日になりますと例年通りの寒さに戻るとのことであり、大変残念に思います・・(嘆)。

しかし、もう少し長い期間で考えてみますと、以前(1月初旬~半ば)に比べますと、多少は暖かくなり、また陽も長くなっていると感じますので、既に季節は徐徐に春に向かいつつあるのでしょう・・。

その一方、自身のブログ記事に関しては本日今現在もまた主題の着想に至らず「さて、どうしたものか?」といった感じです・・(苦笑)。

また新たな書籍は読んでいるのですが、これはさきのブログ記事にて取りあげた北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」に触発された為か、精神分析についての著作であり、そこには「共同幻想」といったコトバが比較的多く見受けられます・・。

そして、こうした精神分析、心理学に関連する著作を読んでおりますと、それまである程度自明のことであると考えていた事柄に対し、疑問を持ち、またそれを考えるきかっけとなるのまでは良いのですが、一方、その著作にてて述べられている主張、説などを、ある程度「理解出来た。」と実感しないまでは、現在為されている文章の着想に対しては、どうも阻害する『何か』があるのではないかと思われるのです・・(苦笑)。(本当であるのか?)

とはいえ、これまでの(主観的な)記述内容が、客観性の光に照らした場合、どの程度の妥当性を持つのであるかは別として、そうした状況を文章にて著すといったこと自体は、少なくと無意味ではなく、それ(自身がその場で考えていることを文章化すること)もまた、着想の一種ではないかとも考えられます・・(笑)。

また、この種の着想、記述様式とは、これまで(ブログ記事作成の継続以前)行ったことがなく、あるいは過去の日記にて、その断片らしきものが散見されますが、それらはあくまでも断片であり、現在書いているこの文量程度までは至らず、加えてそれらにはハナシのスジといったものは見受けられません・・。

その意味において、現在書いているこの文章もまた、過去(明確に区切るとすれば、2015年6月半ば)においては書くことの出来なかった種類の文体であることから、その間には幾分かの進歩、進化らしきものが認められるのではなかろうかと考えるのです・・(笑)。

さらに実際的なハナシを追記しますと、文章がここに至るまでに要した時間とは60分に満たず、これは特に調子が良い、悪いわけではなく、平均的な所要時間であると、これまでの経験から云うことが出来ますが、これに関しても、さきと同様、過去に比べ進歩、進化の痕跡が認められると云えます・・(笑)。

しかし一方、過去の作成記事(2015年後半)の方が現今のそれらよりも優れていたと思われることもあり、それは書かれている主題の深さであると云えます。

初期に書かれた記事(書籍からの抜粋引用を除く)の多くは対話形式を採っており、また、そこに書かれている対話の大体70%程度は実際過去に為された対話であることから、その主題の深さとは、少なくともその半分は私の能力以外(対話者)に由来すると云えます。

それ故、現在の採っている独白形式にものよりも、主題が深いと感じるのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

ともあれ、当時、文章(ブログ記事)作成のために採ったこの苦肉の策(対話形式)とは、独白形式のそれに移行するまでの有効な手段であったのではないかと現在では考えます・・。

そしてまた、これ(対話形式の文体)がある程度、普遍的にそうした(補助的)効果を持つのであるかは分かりませんが、自身としてはとりあえず書いておくに値することであるとは考える次第です・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございました。

また、昨年2016年に熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」








20170129 アメ横に久しぶりに行って思ったこと・・

A「本日の首都圏はこの時季にしては気温が上昇し、日中は多少過ごし易かったと思います・・。

また久しぶりに御徒町アメ横に出向き、相変わらずの喧騒の中、探しものをしておりました。

とはいえ、最近はインターネットによる通販サイトが大変発達しておりますので、よく考えてみますと何もアメ横で商品を探し、購入する必要性はないのかもしれませんが・・。

しかし、それでも個人的にはアメ横や秋葉原の電気街そして神田神保町古書店街などには何かしら捨て去ることの出来ない魅力があると思うのです・・。

また、私はいくつかの地域に住み、それぞれ大変良いところであると思っておりますが、この点、つまり、何かしらの分野における圧倒的な商品量を誇る古くから市場街といったものに関しては、やはり東京の方が幾分優れているのではないかと思います・・。

そして昨今、そうした古くからの即物的ともいえる市場街が仮想空間上のインターネット通販サイトの市場規模拡大により押されつつあるというのは、少し抽象化してみますと、同じく昨今、さまざまな場面において見受けられる現象と同根であると考えることも出来るのではないでしょうか?

これは、地域の商品購買力、経済規模などを別にして考えてみますと、地域間の格差を平均化するものであるとは云えます・・。

また、それがある面における進化であり、他面における退化、劣化ではあるのでしょうが、何れにせよ、そうしたものが時代精神といったものの一側面であるのではないでしょうか?

そして我々は、そうした時代精神からほぼ無意識のうちにさまざまな影響を受け、日々ものごとを考え、行動しているのですが、ここで大事であると思われることは、その時代に生じている現象、傾向に対し、抽象化を試み、その上で抽出される、ある程度簡素化された、さきの現象、傾向の『原理』(メカニズム、作用機序)に類似した『原理』が何時、何処の歴史の流れにおいて作用していたかを考えてみることです。

そうしますと、当然、対象となる歴史の流れを数多く且つ多面的に知っておいた方が、より深化させて現在対象とする現象、傾向を考え、そして洗練された結論を出すことが出来ると考えます・・。

これはつまり、考える時に『能動的に』引き出すことの出来る歴史の流れを、より多く持つということです。

そして、これがいわゆる『教養』といったものの一側面ではないでしょうか?

さて、現在、その進化発展が著しい人工知能であり、また、これには膨大な知識が内蔵されているのでしょうが、おそらく現今においては、あるコトバになっていない、流れ、動き、傾向といったものを感知、抽出し、それに対し能動的に見解を発し、さらにそれに関連させた知識(体系)を付加させ、考えを駆動させていくといった一連の活動に関しては未だ開発途上であり、さらに、そこに至るまでは今後も難しいのではないかと考えます・・。

しかし今後、もしそうなった場合『教養』とは、人工知能を指すことになるのかもしれません・・(苦笑)。

しかし、少なくとも現在においては『教養』とは、そういったものではなく、また本質的には、あくまでも人間に対して付与されるものであるとは考えるのですが如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございました。

また2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の復興を祈念しております。」








2017年1月29日日曜日

20170128 昨日探していた書籍について・・『どくとるマンボウ医局記』など・・

A「今回の記事投稿により総投稿記事数が525となります。

これはとりあえず次の目標である600記事へ到達するまでの四分の一の行程を過ぎたことになりますが、まだまだ先は随分長いように感じられます・・(苦笑)。

とはいえ、一歩ずつ進めていく以外、方法はありませんので、今回もまた記事を書いているというのが一面における現状であるといえます・・(笑)。

さて、昨日投稿の記事冒頭での「探していた書籍」とは北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」であり、当著作は、これまでに何度か読んでいるものの、現在読んでみてもなかなか面白い著作であると云い得ます(笑)。

現在、テレビドラマ、マンガなどで「医療もの」が流行しているようですが、それでしたら、この著作をドラマ、映画化してみるとなかなか面白いかもしれませんが、如何でしょうか(笑)?

しかし、現代のこうした大学医局、医療の現場においては、おそらく、この著作に書かれているほどの破天荒な行動、言動は出来ない、為されていないことから共感を得るに至らず、あるいは舞台を現代に移し別種の(現代に合わせた)そのような(破天荒な)ことが描かれるにしても、その場合においても、おそらく現実感がないことから同様にあまり共感を得るに至らず、あるいはそれ以前に(特に現代においては)そうしたことを映画、ドラマとして配給、放送することには、さまざまな意味での困難さが伴うのかもしれません・・(笑)。

またしかし、その意味において(こそ)、この著作を稀有、面白いものとしているのではないかと思われるのです・・。

加えて、当著作末尾に示されている著者と同医局に所属していたなだいなだによる解説では以下のように述べられています。

「医局記は北杜夫が医局員として生活していたころの回想である。それは彼が大学を卒業してから芥川賞を受賞し、エッセイ「どくとるマンボウ航海記」も馬鹿売れというほどの超ベストセラーになり、作家としての地位を固めるまでの時代に重なる。彼は彼の創りだしたユーモラスな饒舌的文体、法螺と思えば真実、真実と思えば法螺という、読む者をして牛若丸に翻弄される弁慶のような気分にさせる、いわゆるマンボウものの語り口でこの回想も書いた。だから読者が、ここに登場する人物も事件も、文体上の真実つまりは作家的に誇張されたリアリティーだと思われても不思議ではない。だが彼の三年後に同じ医局に入り、その時代を共に生きた仲間の一人として証言するが、この医局記には不思議と嘘がないのである。誇張も少ない。」

どうです、当著作を「おもしろそう・・」と興味を持たれた方々も多少はいらっしゃるのではないでしょうか(笑)。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。」












2017年1月28日土曜日

20170127 2013年6月末の出来事を日記から思い出して・・

本日の首都圏はこの時候としては気温が上がり比較的過ごし易い一日でした。

また帰宅後、ある書籍を探していたところ本箱から2013年に書かれた日記を見つけました。

この年は私にとってあまり思い出したくない記憶があり、特に春が訪れ気温が上昇する頃は精神的に病んでおりました・・(苦笑)。

そこで市内の谷山付近にある心診療内科医院へ何度か通院し、そのためか多少は良くなりましたが、とりあえず一度実家に帰り休んでみようと思い立ち、6月の終わり頃帰郷することにしました。

帰郷当日は羽田空港から直接、兄・祖父母が眠る寺へ墓参りに行きました。

そして、この時、日記には書いておりませんでしたが墓前にて兄(の霊)に向かい何やら悩み、愚痴を言っていた記憶がありますので、その時もまたそこそこ病んでいたのでしょう・・。

また、日記によると、その日から何日間は親戚、知人のところを訪ねて廻っていたようですが、それでもどちらかというと気分は晴れることはなく、当時の日記を読む限りにおいて、愉快に何かを感じているような様子はあまり見受けられません・・。

そして帰郷より数日経ったある日、以前より手紙を書き、状況をお知らせしていた文系の師匠より『港区の某大学にて中東に関するシンポジウムが開催されるから一緒に出席しないか?』とのご連絡を受け、これに出席させて頂くことにしました・・。

文系のシンポジウムの出席は久しぶりであり、またその発表、議論される内容も大変興味深いものであったことから質疑応答の際には質問をさせて頂きました・・。

シンポジウムの後、会場であった大学近くの中華料理店にて師匠から夕食を御馳走になりましたが、この時話された内容は、それまでと特に変わることなく主に歴史、文化そしてそれらに関連させた世間話であり、具体的な慰め、激励のコトバといったものはありませんでした・・。

しかし、そのお蔭で多少元気を取り戻したように記憶しております。

さて、ここまで、その当時(2013年6月末頃)の出来事を同時期に書かれた日記をもとに思い起こし、書いてきましたが、この時期の出来事を書くのは気が進まないのか、キーボード上の両手はあまり活発には動いてくれません・・(苦笑)。

しかしながら「歴史を書くことは歴史を脱却する一つの手段である。」ともいいますので、あるいはこうした時期の出来事こそ、気は進まないにしても文章として著した方が良いのかもしれません・・。

また、そうした状況にて書かれた記事がどのように読まれるのか?そして、それが読んで頂いた方々に何かしら印象を残すのであろうか?そしてまた、印象を残すのであれば、どのような印象を残すのであろうか?といったことは大変興味深いことでありながら、おそらく判然と認識、理解されることはないものと考えます・・。

今回もここまで読んで頂いてどうもありがとうございます。

昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島周辺での大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。

2017年1月26日木曜日

20170126 2011年春の出来事から思ったこと・・

A「先日投稿したブログ記事にて、2011年年始のことについて記しましたが、この年の春の学会は玄界灘の向こう側の国の首都にて国際会議との合同開催でした。

こうしたことは学会の開催において数年に一度行われ、また発表者は、それに合わせて各種発表資料の作成を行うことになります・・。

実験に関しては、基本的に、これまで行ってきた実験を更に進化させるカタチであり、具体的には、実験条件などを改変、追加し、これまでに得られたデータから、より対象とする現象の精確な理解をはかるものであり、特に基礎からの見直しを要するといったものではありません(時にはそういった場合もありますが・・)。

それ故、こうした場合、最も苦労することは、その発表の形式、つまり厳密には、その用いる「言語」についてであったといえます・・。

とはいえ当時2011においては、既にブログ記事に記したように去る2010年秋にインドネシアにて口頭発表、またさらに以前の2009年秋においても2011年学会と同国にある南部の都市にてポスター発表を経験しておりましたので、そこまであわてるといったことはありませんでした・・。

加えて、この2011年春の学会が開催される都市への訪問とは初めての経験であり、むしろそのことの方に高揚していた感があります・・(笑)。

また、大変面白く感じたことは、この時の航路(飛行機)とは鹿児島より直通便が出ており、その所要時間が東京へ行くよりも随分短かったことでした・・。

しかし、こうしたことは東アジアの地図を見れば、自ずと理解できることではあるのですが・・(笑)。

つまり、それを面白いと感じた理由とは、それまで自身が心のどこかで首都圏イコール日本であると認識していたことによるのではないかと思われます・・(苦笑)。

そしてまた、そのことによりあらためて、当時、自身が九州に在住していることが理解できました・・。

また、そこから航空機のない時代、つまり我々の知る歴史の殆どの期間、九州とは、現在我が国において(一般的に)語られる、認識されるような意味での『国際的』とはまた異なった次元から『国際的』であり、また現在なお、その次元からの自然発生的な結節に基づく『国際的』なるものが息づいている地域であるといえます。

また、おそらくこうしたことは、ある程度(数年以上)その地域に在住してみないと認識出来ないことであり、同時にこうしたことは本質的に言語、文章にて表現してみても実際のところ、あまり意味はないのではないかと思われるのです・・。

いや、あるいは殆どのこうした実感、体感より生まれ、感覚に基づいた思想、思考とはそうしたものであるのかもしれませんが・・(苦笑)。

それ故、現代において進化したさまざまな科学技術による学問的理解への容易さの増進とは、どうも『片手落ち』のような感じ、違和感を受けることがあるのかもしれません・・。

そして、それは何といいますか鋳造、鍛造といった原初からの金属加工技術が存在しなかった国、地域において、突如としてCAD/CAMによる金属切削加工技術が持ち込まれた際におぼえる妙な違和感に似ているのではないかと思います・・(偶然にもこれと類似したことを先日訪ねた碩学といっても良い歯科医師の方が仰っていました・・)。

とはいえ、そうしますと今度は現代においては一般的には時代遅れとされる唯物史観での発展段階説にまた妙な郷愁らしきものをおぼえてしまうのですが、何れにせよ、その歴史的な認識、位置づけにおいて『現代』とは後世、果たしてどのように認識されるのであろうか・・?

というのは、なかなか不安であると同時に面白い設問であると考えます・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」









20170125 読書への興味・ブログ記事作成に対する興味について・・

A「本日は多少風邪気味であり、ブログ記事の作成は止めておこうと考えておりましたが、やはり何かしら書いておいた方が良いと考え、面倒とは思いつつも記事作成をはじめた次第です・・(笑)。
習慣とはなかなかおそろしいものであるとつくづく思います。

また「上記のような心情にて書き始めた記事がどのようなものになるのか?」といった疑問もなかなか面白いものであり、それは昨日投稿した記事の主題とも、ある程度関連があるのではないかとも思われます・・(笑)。

さて、現在このように記事作成を行っているわけですが、その心的状態とは、特に高揚、落胆しているわけでもなく、であるからといって、もとより記事作成に没頭しているわけでもありません・・。

本当に何かに没頭している状態とは、おそらくその状態を(客観的な感じで)記述することが難しいのではないかと思われますので、こうした文章を作成している心の状態とは、また少し特殊(現在の自身にとって多少不慣れな心のスタンス)であり、違和感があると最近時折思うのです・・。

しかし、この文章を作成している自身の心の状態を特殊と感じ、また違和感をおぼえるということは、あるいは自身の文体を得るまでに経験する一つの過程ではないかとも思われます・・。

これを別言しますと、以前であれば、こうした心的状態を取り上げ、それを上記のように文章として表現することは難しかったことから、これはこれで一つの進化(の過程)ではなかろうかとも思われるということです・・(笑)。

そしてまた、そのようなことを継続していくうちに果たして「自身の文体」といったものを得ることができるのでしょうか・・?

以前投稿した記事においても示しましたが中井久夫によると「文体を得る経験」とは比較的明瞭、判然としたものであるとのことですが、私はこれに関しては未だに実感がありませんし、また同時に今現在、自身の文体を持っているという自覚もありません・・。

しかしまた、以前に比べれば、多少それに近づいているといった実感はありますが・・。

また、その実感があるからこそ、冒頭にて述べたとおり、面倒とは思いつつも作成をはじめた記事が、この程度まで(特に痛痒を感じることなく)記すことが出来ているのではないかと思います。

また、このことに関して当初「中身が無いことを延々と文章にて記すことは無意味であり、何の益もない」と、かなり批判的に考えていたのですが、それがある程度の期間、ブログ記事作成を経ることにより大きく変化したことも事実です・・(笑)。

それ故「継続は力なり」というコトバの意味もまた、ここであらためて実感しております・・(笑)。

とはいえ、それが「今後どの程度まで継続するのか?」については、正直なところまったく考えておりません・・(苦笑)。

そして、これは自身の読書の傾向と、かなり近似しているように思われるのです・・(苦笑)。

さらにまた、この読書の傾向とは、幼年期にまで遡ることが出来、その意味において、読む書籍に関しては、年齢の経過により、いくらか成長、進化しているのかもしれませんが、その行動自体とは大きく変化(成長)していないということが出来ます・・(笑)。

そうしますと、現在ある程度継続し作成している一連のブログ記事においてもまた、そのようになる可能性があるのかもしれません、また同時に、それが「どのようにして為されるか?」とは、多少興味が湧き、おそらく根源的には、そうした興味によって、これまで一連のブログ記事作成は為されているのではないかと思います・・。

しかしまた、この種の興味とは、さきの読書に対する自身の興味?とはまた異なるものです。

そして、それら(読書、ブログ作成に対する興味)とは、おそらく同一になることはありません。

とはいえ、それら双方の興味が「どのように同一とまではいかないまでも近似していくのか?」とは、なかなか面白いと自身は考えるのです・・(笑)。


今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

また、昨年発生した熊本、山陰東部そして福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」













2017年1月24日火曜日

20170124 創造のタネ、着想の訪れ ブログ記事の作成、文体、帰納法・・

A「これまでに作成したブログ記事を読んでおりますと、やはりそれらの出来(面白さ)にはブレがあり「これは現在読んでも面白い」と思うものと、そうでもないものがあります・・。

しかし、作成した記事全てを面白いと思うようであれば、それはおそらく私の方に何かしら問題があるのではないかと考えられます・・(苦笑)。

とはいえ、作成記事の面白さにブレがあると認められるのであれば、私の方に問題がないというわけでもありませんが・・(苦笑)。

それ故、毎回記事を書くにあたっては、特に神経を使っているわけではありませんが、ただ何かしらの創造のタネ、着想が訪れるのを待つということはしているのではないかと思われます・・。
たとえ半ば無意識であるにしても・・。

つまり殆ど全ての記事において、一気呵成に記事を書き上げることはなく「何かしら」を書き始めて、そこから徐徐に創造のタネ、着想の訪れとのギア(歯車)を合わせ、回転を合わせ駆動させてゆくといった感じであると思います・・。

また、一連のブログ記事において比較的多く見られる過去の出来事を思い起こし記事とする場合においても、やはり、何かしら着想、想起のタネが訪れないことには、それを文章として書くことは困難であるように思われます・・。

しかし、そうであるならば着想、想起のタネがスムーズに訪れるのあれば(自身から見て)良い記事が書けるというわけでもなく、着想、想起の訪れのスムーズさと、出来上がった記事の面白さの間には「明瞭な」関係性を認めることが難しいのが実際のところであると云えます・・(苦笑)。

とはいえ、それらの間に「全く」関係性が認められないというわけでもなく、やはり何かしらの関係性は存在するのではないかと思われます。

こうした状態とは、さまざまな実験を為すにあたり、はじめに認識される状況と似ていないこともないと思われます・・。

そしてまた一面における極言を行うと、これまでの記事作成とは、この関係性のより精確な認識のために行ってきたのではないかと云うことができます。

つまり、この関係性を精確に認識することが出来るようになれば、より自身およびその文体なるものを「客体化」して精確に理解することが出来るのではないかと思われるのです・・。

さらにまた、それを行うことにより、更なる文体の進化をはかることも出来るのではないかとも思うのです・・(笑)。

このように書いておりますと、行う内容は異なりますが、その背景となる考えの基本とは、かつて行ってきた試料作製を伴う実験のそれと、かなり近似するのではないかと思われました。

あるいは私とは、少なくともいくつかの場面、あるいは能動性を示すことが出来る(ある種の)状況においては、こうした何といいますか「帰納法的な手法」を採ることを好む性質であるのかもしれません・・(笑)。

そしてまた、こうした主題を過去のブログ記事において何度か取り上げていることも認識されましたが、果たしてそれら類似している主題の記事の間にて、何かしらの変化、進化などは認められるのでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」

2017年1月23日月曜日

20170123 土地の気候風土に対する順応について・・

A「本日の首都圏もまた大変寒く、特に風が強かったように思います・・。

しかし、わずかながら若干以前に比べ、日が長くなったのではないかとも思われます・・。

さて、昨日投稿したブログ記事は投稿当日、翌日にしては多くの閲覧者を得ることが出来ました。

そして本日記事を投稿することにより総投稿記事数が520になります・・。

これは600記事までの適当な一里塚であり、また今後も出来る限り記事を投稿し続けようと思います・・。

そういえば昨日投稿しました2011年の紫尾山の登山とは、丁度6年前の本日であったことをつい先ほど気が付きました・・(笑)。

現在も街中はある程度の距離を歩いていると思いますし、また都心部では地下鉄数駅分程度の距離を歩くことは、そこまで苦ではありません・・。

とはいえ、現在のような寒い時期とは、歩いていて身体が暖まるまでは、やはり多少面倒ではありますが・・(苦笑)。

それでも帰郷当初から考えてみますと、多少は関東地方の冬の寒さにも慣れたのではないかと思われます・・。

そして、こういった慣れとは一体どのようなメカニズムによって身体が在住地域の気候風土に順応していっているのかとは、なかなか興味深いことであるように思われるのです・・。

また同時に、一度在住した経験を持つ地域に再度ある程度の期間をおいて住むことになった場合、身体がどのような反応(順応の過程)をするのかということもまた興味深く思えます・・。

そのように書いておりますと、不図思い起こされることは2009年に鹿児島に住んだ当初、かなりの期間(数カ月)便秘に悩まされたことです・・(苦笑)。

自身の経験より考えてみますと、新しい土地に住むことになったはじめの数カ月あるいは一年程度とは、身体がその土地に慣れないことから、心身共に調子が出ない、上がらないことが少なからずあるのではないかと思います。

そして、こうしたことに関しては、経験に由来する一般的な知恵としては存在するものの、その科学、普遍的な背景とは、あまり研究、考察そして言及されていないのではないかと思われますが如何でしょうか?

また、こうしたことは学問分野としては公衆衛生学あるいは疫学などに分類されるのかもしれませんが、それと同時に、ある程度深く、その土地の民俗、風習などについて研究してみるのも、新たな視座あるいは知見を得ることが出来る(一つの効果的な)方法ではないかとも思われます・・。

また案外、かえって昔の研究者の方がそうしたことに関してはより考慮していたのではないかと書籍などを読んでいると考えさせられることがあります・・。

そして、それがある程度妥当であるならば、何故現代とは、そうしたことにあまり注視しなくなったのでしょうか?

それは国内各地域の生活環境全般が(以前に比べ)平均化されたからであるのでしょうか?

あるいはそうした研究を行う方々が土地の民俗、風習といったことを考えるための視野を得る経験が少なくなったからでしょうか?

はたまた、それは初めから単なる勘違い、杞憂であるのでしょうか・・?

さらに別の視点からは、おそらくこうした経験が、はるか昔、古代のことを考え、それに対し妥当な推論を為すために大切なことであるように思われるのです・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」











2017年1月22日日曜日

20170122 2011年の年始を思い出して・・

2010年年末から2011年年始にかけて鹿児島では記録的な大雪が降りました。

記録によりますと鹿児島市内にて約25㎝程度積もったとのことですので、本格的な積雪が滅多にない鹿児島としては、これは異例、珍事であったといえます。

また、その折も私は帰省せずに実験室に通っておりました。
加えて、たしかこの期間(冬休み)は全館暖房が夕刻までしか機能しないことから、その後の時間は講座研究室の先生の好意によりガス・ストーブを使用させて頂いておりました。

そして年も改まった残雪著しいある日、帰宅しますと昨2010年秋の学会発表(東海地方開催)において優秀発表賞を受賞したとの通知葉書が郵便受けに入っておりました。

この受賞は自身としてまったく予期していないことでしたので大変嬉しかったです。

それとまた同時に、このことはさきに述べた鹿児島での記録的な大雪とは関係がないものと考えます・・(笑)。

とはいえ、この受賞通知を受け取り、そのまま関係各方面の方々にその旨をお知らせするメッセージを作成、送信し、さらに翌日、講座にて周囲の先生方にお伝えしました。

しかし、講座の先輩院生方とは、大抵何らかのカタチでこうした賞を受賞されておりましたので、それは快挙というよりも、どちらかというと「講座での受賞歴の轍を前進させた」といった意味合いの方が強かったように思われます・・。

また、お知らせした先生方の中には「うん、それは良かった。しかし今春の学会は韓国での国際会議と合併開催の予定であるから授賞式は今秋の学会にされるだろうね・・それまで悪いことをしないように気をつけなさい・・。」と親切に忠告してくださる方もいらっしゃいました・・。

ともあれ、その後同月23日には、未だ残雪多い紫尾山に講座の先輩方と登っておりました・・。

この紫尾山とは、ある伝説により内輪にて大変おそれられていたのですが「今回はある程度雪も残っているから大丈夫であろう・・」とのことで登山を試みた次第ですが、その登山路とは想像以上に残雪が多いことから、かえって難儀したことを記憶しております・・(苦笑)。

しかしながら、同時にこれは大変良い経験でした。
何故ならば、はじめての雪山の登山が南国鹿児島であったという方々は、あまり多くないと考えるからです・・(笑)。

このような調子にて2011年はスタートしていた次第ですが、この年は年始から大雪、受賞(の通知)といった平穏ではない滑り出しではありましたが、同時にそれは前年後半から生じていたさまざまな出来事に付随、継続するようなものであったのではないかと思われます・・。

そして、ここまで書いていて不図思い起こされたのが、現在読んでおりますエルヴィン・シュレーディンガー著「生命とは何か」第4章「量子力学によりはじめて明らかにされること」の「遷移」についての記述です。

この著作は「まえがき」が大変面白いと思い購入した次第ですが、正直なところ、中には意味がよく分からない部分もあります・・(苦笑)。

しかし、全体として大変興味深いことが記されているのではないかと思いますので、興味がある方は読まれてみては如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

昨年発生した熊本、山陰東部そして福島周辺における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」








20170121 最近読んだ著作から、顕教・密教

ここ最近は新たな長編小説などは読んでおりませんが、相変わらず何かしら新しい書籍は読んでおります。
その中で特に面白いと思ったものは森鴎外著「ヰタ・セクスアリス」であり、この著作に描かれていることは、現代社会でのさまざまな出来事を考えるうえにおいても、なかなか興味深く、有意義ではあるまいかと思いました・・。

とはいえ、同時にこの著作とは、おそらく当時の男性に向けて書かれたものであり、また現代においても女性からの共感を得ることは難しいのではないかと思われます・・(笑)。

さて、この著作冒頭部のなかで執筆当時に流行していた自然主義文学のことを「理解し難い」と描いておりましたが、こうした感覚とは後年の批評家、小林秀雄とも共通しているのではないかと思われます・・。

また、同様に、現代の我が国が世界に誇るノーベル文学賞の候補ともなっている某作家の諸著作に対しても、おそらく、それと類似した評価となるのではなかろうか?と思われるのですが如何でしょうか・・?

そして、そのように考えてみますと、今度は、時代毎に世に広く受け入れられている文学、音楽などの文化的事物とは、果たして本当の意味で優れているから受け入れられているのであろうか?あるいは、それらの人気の源泉となっているものとは一体何であろうか?と考えてしまうのです・・。

そして、そこから仏教用語の顕教密教といった概念に思い至るのですが、おそらく、世に広く受け入れられる事物とは、概して顕教的な意味合いが強く、それに対し、広く受け入れられないにしても何かしら深く、普遍的な価値を持つと認められる事物とは、密教的な意味合いが強いのではないでしょうか・・?

さらに、こうしたことは、ある程度文明が発達した社会に概ね普遍的に認められることではないかと思われます・・。

そして、それら(顕教、密教的な事物)とは、同時代、社会において、さまざまな相互作用が為され、そこから新たな文化全般の母胎ともなる時代精神が醸成されるのではないでしょうか?

それ故、双方共に有意義であると同時に、平和裏のみの共存とは実は望むべきものではないのかもしれません・・(苦笑)。

また同時に、双方のうち何れかの要素が社会において勝りすぎても、それは普遍的な価値を持つ文化の創造という観点からは好ましくないとも考えられます・・。

とはいえ、その観点から考えて現代の我が国の社会とは、果たして多少なりとも良い方向に向かっているのでしょうか・・?

こうした問い、疑問とは、これまで多くの著述家、研究者などが考え、それを著してきましたが、近代以降の我が国の場合、どうも夏目漱石著「三四郎」冒頭部での会話、あるいは同著者の「現代日本の開化」などを思い起こしてしまうのです・・。

そういえば本日ハリウッドにて製作された遠藤周作原作「沈黙」の映画作品が公開されたようです・・。

この著作はこれまでに何度か読みましたので、少し楽しみです・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。




2017年1月21日土曜日

20170120 楽曲から惹起される情感について思ったこと・・時代、季節など

昨日投稿したブログ記事はどうしたものか、それなりに多くの閲覧者を得ることが出来ました。

興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

とはいえ、本日こそはブログ記事の投稿を止めておこうと考えていたのですが、これまた上記のような状況により、記事を書くことに決めた次第です・・(苦笑)。

さて、昨日投稿した記事後半に記した抜粋引用部とは、なかなか面白い箇所もあったのではないかと思われますが如何でしょうか・・?

戯曲と小説の違いとは、考えてみますと、たしかに抜粋引用部にて述べられているような傾向があるのではないかと思われます・・。

そして、こうしたことを音楽についてかりそめに適用してみますと、現代の一般的な音楽とは、ほぼ、そのメロディーより感じ得る情感、あるいは歌詞にて述べられている世界観、物語といったものは概ね戯曲的(直線的)なものではないかと思われます。

それに対しクラシックの楽曲などを考えてみますと、たとえばそれが戯曲に用いられた楽曲であった場合においても、現代の楽曲一般ほど戯曲的特徴(直線的)を備えるものではなく、何といいますか、そのメロディーから惹起される情感とは、悪くいえば悠長、あるいは良くいえば壮大といった感じを受けるのではないかと思います。

たとえばワーグナーの「リエンツィ(最後の護民官)」序曲ベートーベンの「エグモント」序曲あるいは戯曲用の楽曲でなくともベートーベンの第5交響曲「運命」などからは共通してある種の勇壮さと共に激動、悲劇といった複数の情感を惹起させ、同時にそれは現代の楽曲一般ほどにメロディーから惹起させる情感が限定されていないと考えられます・・。

そういえば、エグモントの序曲は、どうしたわけか歴史映像、映画などで革命の場面で用いられることが多いように思われます・・。

もとい、しかし、そうであるからといってクラシックの方が現代の楽曲全般より良い、優れていると主張したいわけでなく、おそらく、それぞれ楽曲が作曲された時代の音楽そのものに対する感覚、価値観が異なり、また、より単純な視点からは、楽曲一つの長さも大きく異なることから、上記のような感じを受けるのではないかと思われます・・。

そして、ここまで書いていて思い起こした楽曲はスタンリー・キューブリック監督「バリー・リンドン」にて用いられたシューベルトのピアノ3重奏曲第2番作品100であり、この楽曲はまさに、現在の季節にふさわしく、同時にその変化する旋律から複数の情感が惹起せられるのではないかと思います。

また、シューベルトよりも150年近く前のバロック期の作曲家コレッリによるヴァイオリン・ソナタ作品5番内の通称「ラ・フォリア」(この楽曲は映画「ジェファーソン・イン・パリ」に用いられていた)もまた、さきの楽曲と同様、この季節に合っているのではないかと思います・・。

そして、今度は、その映画題名から時代は現代に移りスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」を思い起こさせます・・(笑)。

そして、この楽曲もまたそのメロディー、旋律からこの季節が相応しいのではないかと思います。

しかしながら一方において、何といいますか、それら時代の異なる楽曲から得られる情感とは、さきに述べたように「冬に合う」という意味においては共通していると思われるものの、やはりさきに述べたようにそれぞれ(惹起される情感が)異なるのではないかと思いますが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」

2017年1月19日木曜日

20170119 鹿児島での登山等から思ったこと・・

本日の首都圏もまた大変肌寒く感じる一日でした。

さて、昨日投稿した記事に書いた通り2009年暮れ、および翌2010年はじめは実験(試料作製)にて明け暮れておりました。

そして2009年の仕事おさめの直前に、師匠から「おい、開聞岳に登らんか?」と尋ねられ、二つ返事にて、その年明け早々に開聞岳に登ることになりました。

開聞岳については以前投稿したブログ記事にて記しましたが、思い起こしてみますと鹿児島在住期間を通じ三度登ったのではないかと思われます・・。

そしてこの2010年1月での登山とは昨2009年11月の出来事によりあまり気勢が上がらず、おそらくそうした状態を見かねた師匠が誘ってくださったのではないかと思います・・。

登っている最中「どうや、やっぱり自然はええやろ?実験も楽しいけれど、そればかりではのお・・。」といった感じに時折話しかけてくださいました・・。

このような調子で登頂した開聞岳頂上は他の登山客もあまりおらず、冬の澄んだ空気にて、はるか南の方角に屋久島の宮之浦岳が望むことができました。

そして、この2010年とは、これを皮切りに師匠、講座の方々と登山に行くことが度々ありましたが、おそらく、そのお蔭で春を過ぎた頃になりますと大分元気を取り戻すことが出来ましたのではないかと思います・・。

また、ここまで書いており不図思い起こしたことは同年11月初頭に開催されたインドネシアでの学会の投稿原稿を登山に向かう自動車の中にて師匠に(数人分)添削して頂いたことです・・(笑)。

この時登った山は、たしか大隅半島の高隅山あるいは周辺の横岳、平岳であったと記憶しております。

このように思い起こしてみますと、登山とまではいかないハイキング程度をも含めますと、それなりに数多く行っていたのではないかと思われます。

またその後、師匠、講座の先輩方が周囲からいなくなりますと、週末になると一人で原付にて「脇田」電停まで行き、そこから市電に乗り「天文館通」あるいは「いづろ通」まで出向き、そこから脇田、宇宿まで徒歩にて戻り、登山、ハイキングの代わりとしておりました・・。

こうした街歩きの場合、途中幾つか大型の書店などにも立ち寄ることが出来たため、これはこれで良かったとも思われます・・(笑)。

さて、ここまで書いており、不図、ここ最近の数回にわたる鹿児島での出来事を記したブログ記事、およびつい先日公表された三島由紀夫と外国人翻訳者との対談記録テープ内容に関連するのではないかと思われるゲーテ著「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」からの記述を以下に示そうと思い立ちました。

「小説でも戯曲でも、われわれが見るのは、人間の性質と行為とである。両者の差別は単に外形にあるのではない。
即ち一方では、人物が話をし、他方では、通常その人物について語られるというような点に、差別があるのではない。
だが、情けないかな、多くの戯曲は対話体の小説に過ぎない。これでは、戯曲を書簡体で書くこともできないことはない。小説では特に心情と事件とが現されねばならない。
戯曲では性格と行為とが現されねばならない。小説は徐徐に進行し、主人公の心情が、どんな方法によるにせよ、全体の急速な進展を引き止めるのでなければならない。戯曲は急ぐべきもので、主人公の性格は終局に向かってまっしぐらに進むべきであって、ただそれが食い止められているのでなければならない。小説の主人公は受動的であるべく、少なくとも甚だしく能動的であってはならない。戯曲の主人公には活動と行為とが望ましい。小説では偶然の働きを許すことはできるが、それは常に人物の心情によって導かれねばならない。
これに反し、人間の関与をまたず、独立した外的の事情によって不測の破局へ人間を駆って行く運命は戯曲にのみ存在する。偶然というものは愁嘆場をひき起こしはするが、悲劇的な情態を作り出すことはできない。これに反し、運命は常に恐ろしいものでなければならない。そして、罪のある、あるいは罪のない、互いに独立した行為を、不幸に結びつけるような場合には、運命は最も高い意味で悲劇的となる。こういう考察は再び、あの驚嘆すべきハムレットと、この作品の特性との考察にもどった。みんなは次のように言った。
この主人公は元来心情を持つだけである。また彼に起こって来るものは事件だけである。したがってこの戯曲には小説のように間ののびたところがある。しかし全体の結構は運命の描くところであり、全曲は恐ろしい行為から出発している。
また主人公はたえず恐ろしい行為に向かって駆り立てられている。したがってこの戯曲は最高の意味で悲劇的であり悲劇的結末に終わるほかないのである。」

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
そして、上に示した抜粋引用部と、さきに述べた事柄との関連性については如何お考えになるでしょうか・・(笑)?

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」

2017年1月18日水曜日

20170118 「孤独な作業」について・・

本日の記事投稿により総投稿記事数が515記事になります。昨年12月はじめの500記事到達以来、これは早いものであるのかは、よく分かりません。

とはいえ、あまり先を急がず、且つ休み過ぎないで年半ばに至るまでに600記事に到達すれば良いのではないかと考えています。

さて、本日も多少帰宅時間が遅くなったため、ブログ記事の作製・投稿は止めておこうと思いましたが、昨日の記事投稿後の反応(読まれている記事の傾向)が大変面白かったことから、本日分の記事作成をはじめた次第です・・(苦笑)。

このことからも、これまで一連のブログ記事とは、こうした読んでくださっている方々の大変面白い反応により為されているこことが分かります・・(笑)。

また、そのように考えてみますと「さきに挙げた読んで頂いた方々が示す傾向・特徴が、如何なる経路・作用により自身の(新たな)記事作成意欲に結びついているのであろうか?」は、ほぼ当然のものとして感じ、そしてそれに基づいて行動してきましたが、考えてみますと、そこには、なかなか面白い「何か」が潜んでいるのではないかとも考えさせられます・・(笑)。

また、そのように考えてみますと、世に多く存在すると思われる、いわゆる「孤独な作業」とは、その孤独度において多寡があるものの、それら行為が何らかのカタチを為すものであれば、それは「絶対的な孤独」とはいえないものであり「誰かか見ているのではないか?」とも考えることができます・・。  『集合的無意識』

このことを書いていますと不図思い起こされることは2009年11月に兄が亡くなり、茫然自失としていた12月の講座の忘年会の帰路、鹿児島中央駅(西駅)近くにて、お師匠が『おい、がんばれい!必ず誰かが見ておるぞ!』と云われたことに触発されてか年末年始も一人で実験室に通い詰め最適と思われる試料作製に挑んでいたことでした・・。

それが功を奏したのか翌2010年には学会発表に適う程度の精度を持つ試料作製のメソッドを得ることが出来るようになったのかもしれません・・(笑)。

また、そこでさらに思い起こしたことは、試料を試作し、師匠の研究室に持っていき、その出来を見てもららいますと、おもむろに試料を窓際に置いてある実体顕微鏡の試料台に乗せ、ランプを点灯し、観察しながら評価を述べ「おおし、これで接着強さを測ってみい!」あるいは「よっしゃ上等、上等やってこい!」と云われ、意気込んで試験機まで持って行き、実験を行っていたことです・・(笑)。

そこで私もその真似をして、実体顕微鏡とまではいきませんでしたが、高倍率のルーペを購入し試料作製のさまざまな段階において観察を行うようになりました・・(笑)。

そして、こうした行為を重ねていきますと、先日のブログ記事にて述べた『ある程度多くの試料を見ておりますと、そのうちに向こう(試料)の方から何かしら語りかけてくるような感じがあるのではないかと思います・・。』といった感じになるのではないかと思います・・(これが高じるとD2病となる・・(苦笑))。

それ故、あらためて2010年秋とは、そうしたことを実感として感じていた時期であったと云えます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。



2017年1月17日火曜日

20170117 20110311の記憶から・・

A「これまでしばらく2010年の出来事について記しておりましたが翌年の2011年3月には東日本大震災が発生しました・・。
この時も私は鹿児島におりました。
また震災当日は金曜日であり、加えて当地では徐徐に陽気が良くなっている頃でもあったことから講座の先輩等と県内の温泉に向かっているところでした・・。

到着後、温泉脱衣所に設置してあるテレビの前に多くの人々が集まっていることから「何ごとであろう?」と、その間から観ますと、どうやら東北、関東にて大規模な地震が発生したことを知りました。

そして、それぞれの関東在住の親類、知人などに電話にて連絡をとり、また車内にてラジオを聞いてみますと、関東はともかく東北の特に太平洋岸はどうやら大きな被害を受けているらしいということが分かりました・・。

以上のような過程にて私は東日本大震災のことを知った次第です。

その後、福島県在の原子力発電所における大震災からの影響の推移、報告などが報道されると講座の方々は、その理工学の知識に基づき推論をされ「報道されている内容がおかしいのではないか・・?」といったことを述べられておりましたが、このことは後日、ほぼ同様の内容を他の理工学関係の方もまた仰っていたことから、ある程度の専門知識があれば、それは「おかしい」と感じることが出来る内容であったことが分かりました。 『炉心溶融』
『合金の液相点』

しかし、当時の私は自身の研究内容およびそれに関連する事柄以外の専門知識的なことはあまり分からず、ただ、それらのハナシを肯定的に聞いていたことが思い起こされます・・(苦笑)。

とはいえ、そうしたハナシとは実際のところ、声を大にして、コトバを尽くして説明したとしても「空気を読まないけしからん言説!」として結果的に排除されるのが我が国社会の全般的な特徴といっても良いのではないでしょうか・・?

また、そのように書いておりますと、こうしたことは何も理工学系の知識に限らず人文社会科学系学問からの見地から出た主張においても(より一層)同様の過程を経ることが多いのではないかと思われます・・。 『三島由紀夫』

つまり、いつの頃か、いやあるいは昔から我が国とは、表面上においては学問的なもの全般を大切に扱うような「そぶり」は見せるものの、そうした(学問的)見地に基づいた意見、主張を実際に納得して聞き入れる、取り入れるといったことは、生死、健康に関与する医学的なもの以外は「殆どない」といって良いのではないでしょうか・・?
『豊洲地下水』

そして、それが我が国の極度に此岸的あるいは即物的と見做される一つの根源ではないかと思われます・・。

あるいはそれを擁護するならば、そうした(短絡的とさえいえる)心的態度を保持し続けなければ、さまざまな段階における激しい内部競争にて生き残ることが困難であるのが、我が国社会の特徴であるのかもしれません・・。

とはいえ「それらをどうにか改善させる何か良い方法があるのか?」と問われましたら現在のところ「それはよく分かりません・・今後の課題といたします・・」といってお茶を濁すことくらいしか出来ません・・(苦笑)。

それでも、このことを考えてみますと「それは小学校あるいはそれ以前の段階にて自然発生的に生じるスクールカーストにその淵源は既にあるのではないか?」と考えつつも、その一方において「いや、そうしたことはあまり干渉してはいけないことではないか・・」とも考えてしまうのです・・。

これは一体何故でしょうか・・(笑)?

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2017年1月16日月曜日

20170116 再度2010年秋の出来事について・・

ここ最近2010年の出来事を思い出し、ブログ記事に書いておりましたが、本日不図思い出したのは同年の10~11月頃に講座のある方の発案により、師匠および講座の方々と鹿児島市内照国神社に厄払いの祈願に参拝したことです・・。

丁度この時期とは2010年のノーベル化学賞受賞者が発表され、そこに邦人研究者が2名含まれていることに喜んでいる時期でもありました。

ともあれ照国神社に厄払い祈願のため参拝しますと、お神酒として頂いたのが焼酎であったことに師匠が驚かれ「おおい!鹿児島ではお神酒も焼酎やぞ!」と周囲の弟子共に話されていたことを思い出します・・(このハナシは不思議なことに後の福岡在住時での雑談と妙に符合しました・・(笑))。

この頂いた焼酎は、その晩、師匠のご自宅で皆で頂くことになりましたが、その時私は飲まず、運転手役であったと記憶しております。

また、このお神酒の焼酎を頂いた晩、師匠のご自宅にて観たニュース番組が、さきの邦人研究者2名を含むノーベル化学賞の受賞でした・・。

そのように思い起こしてみますと、この時期とは、さきのブログ記事に記したことをも含め、さまざまな出来事があったことがあらためて認識されます・・(笑)。

さらに、ここまで書いていてまた思い起こしたことは、おそらくこれと同じ時期に講座にてトマト鍋パーティを行ったことです・・。
この時の鍋パーティーは当地名産の豚・鳥のブランド肉をふんだんに使用し、なかなか贅沢であり、また、その味もまた用いた材料に相応しいものでした・・。

ともあれ、そのようなことを思い起こしてみますと、修士院生の頃もよく週末の夜半、市内の中華そば店に度々、思い付きのように出向いていたこともまた同様に思い起こされます・・(笑)。

それに加え、さきの鹿児島での鍋パーティー、師匠ご自宅の酒盛りなどに共通して「何が面白かったのか?」と現在になり考えてみますと、おそらく、それは、その「会話」であったのではないかと思われるのです・・。

現在、あのような会話が為されることは殆どなく、その意味において日々の生活を幾分味気ないとも思うこともあります。

しかしながら、そうした環境、場の良さとは、現在であるからこそ、はじめて、その価値が分かるのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

とはいえ、正直なところ、再度そうしたリベラルな(学究の)環境に身を置きたいとは考えております・・。

そして、再びまた、そうした環境に身を置くことになれば、以前よりかは幾分賢明に処することが出来るのではないかとも思います・・(苦笑)。

おそらくご承知の通り、私は元来あまり賢明とはいえない性分であり、上記に記した経験のように、一つ一つ身体で認識していかなければ、理解することが出来ない性分ではないかと思われます・・(苦笑)。

しかしまた、以上全てを振り返り省みて、そうしたことをこのように記す行為とは、果たして賢明なことなのであろうか?とも、不図考えてしまうのです・・(苦笑)。

また同時にこの調子ですと再度昨年のような頻度にてブログ記事を投稿するとになりそうですので今後また多少投稿の頻度を控え、具体的には、春が訪れ気温が暖かくなり、コートがいらなくなる頃までに600記事に到達することを目標とします・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。




2017年1月15日日曜日

20170115 年代記的な事柄を記すにあたり思うこと・・

A「先日ブログ記事にて記した2010年の出来事とは、その後の2011年に入り、多少は自身に対しても影響を与えたようであり、各々の期間に撮影された自身の写真などを見ますと、何かしら異なった印象を受けます・・。

そして、このように多少年代記的に自身のことを書いてみるのもまたなかなか面白いものであることが理解できました・・(笑)。
こうしたことは日常生活においてあまり意識することはないと考えますので・・。

また、そのように考えてみますと時間の経過とは、一般的に云われるように残酷であると同時に、意識してみますとなかなか面白いこともまたあるようにも思われます・・(笑)。

さて、こうしたことを書いておりますと、想起されるのはトーマス・マン著「魔の山」であり、この著作においては、主人公が従兄のいるスイス・ダヴォスの療養所を訪れてからの数カ月間に多くの文量が割かれ、それに対し、その後、療養所を去るまでの期間はどちらかというと飛び石的に描かれております。

このことは、著者自身その著作内にて意識の流れと関連させ述べており、またトーマス・マンに心酔していた北杜夫も、その著作「楡家の人びと」のなかで、さきのトーマス・マンと類似した見解を述べておりました・・。

とはいえ、こうした意見、見解が普遍的であるかどうかは分かりませんが、私にとっても2009~2013年の鹿児島在住期間においては、たしかにその前半といえる2009~2010年の期間においてさまざまな出来事が大挙して生じており、この意見、見解にある程度合致しているといえます。

それに比して、後半である2011~2013年とは、どちらかというと前半の期間に生じた出来事から派生、対応するようなカタチで、また、さまざまな出来事が生じていたように思えます・・。

とはいえ、こうしたことは畢竟、感覚的なことでありますので、その判断(実際にそうであるのか?)とは、なかなか難しいように思いますが、さて如何でしょうか?

しかしながら、ヒトはこうした年代記に類することを述べる際、たとえ無意識あるいは結果的であったとしても、上記のような何かしらの観念的な基軸あるいは物語のスジといったものを採用しなければなりません・・。

そうでなければ、それは単なるグラフ的な年表といえるでしょう・・。

そのように考え、私の鹿児島在住期間を当て嵌めてみますと、前半に生じた出来事を後半に生じた出来事に対応させるカタチにて述べるのが適当ではないかと思われるのですが、そのような場合、どうも記述の手法において心もとなさをおぼえるため難しいように思われるのです・・(苦笑)。

また、個人的には後半である2012年以降に生じた出来事の方が自身に与えた影響は大きかったのではないかとも思われますので、それぞれ記しながら、その都度、それらの関連性について示唆していくのが適当ではないかと考えるに至ります・・。

ともあれ、今後もまた、機会がありましたら、それら期間での出来事を記していきたく思います。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」

20170114 2010年の出来事について・・

本日の首都圏は大変気温が低く、これまでとはまた異なった感じの寒さを感じさせました。

また、最近投稿したブログ記事に関しては何故か2010年のことを扱ったものが多かったことから、この年の出来事を思い起こしてみますと、この時期は所用により色々と移動をしていたことが分かりました・・。

おそらく友人が鹿児島に訪ねて来て頂いたのが9月頃であり、その後10月はじめ、東海地方にて学会が開催(この際、熱田神宮に講座先輩院生の方々と参拝した)され、それに出席、発表し、そして鹿児島に戻った翌日には師匠と講座の方々で韓国岳(2010・10/11)に登っておりました・・(笑)。

さらに翌月の11月初頭は学会発表にてインドネシアのジョグジャカルタに行っておりました・・。

そして、このインドネシアへの行き来の旅中とはムラピ山の大規模な噴火により、なかなか波瀾に富むものでありました・・。

ちなみにこの旅では関西国際空港から飛行機が飛ぶため、鹿児島を出発し、大阪なんばにて一泊することになりましたが、このインドネシアへの出立の前夜(なんばにて一泊する日)南海電車にて南下し、何の目的もなく和歌山市駅まで行き、夕刻のぶらくり丁を徘徊し、刺田比古神社に参拝したことが思い出されました・・(笑)。

ついでながら、この旅中読んでいた書籍は、訪問国と物語の主要な舞台が同一であることからローレンス・ヴァン・デル・ポスト著「影の獄にて」(「A Bar of Shadow」)を選んでおりました・・。

ともあれ、このようにあらためて思い起こしてみますと、この時期2010年の後半とは、さまざまな出来事が大挙して押し寄せてきたような感じがあったように思われます・・。

また、それは続く2011、2012年の前哨戦のようなものであったのかもしれません・・(笑)。

これらの年のことは、また後日、機会があった際、想起すると思われますが、これらもまた自身にとってはなかなか重要な年々でした・・。

特に講座の先輩院生方が修了され、私一人が院生として講座に在籍していた2012年以降とは、現在になり考えてみますと、大変ではありましたが、それ以上に得るものもまた大きい期間であったのではないかと思います・・。

そして、そのように考えてみますと、果たして現在の私とは、その時(2012年~)に比べ成長しているのであろうか?と考えてしまうのですが、こうしたことを考えてみても、当時とは色々と局面が異なるため、あまり意味はないのではなかろうかと思い、とりあえず、こうした疑問は棚上げしておこうと思うに至ります・・(苦笑)。

しかし、一つおそらく成長していると思われることは、こうした文章を継続的に書くということであると思われます・・。

とはいえ、これもまた自身の内的な必要(衝動に近い)に迫られて継続しているものであり、その意味において、単にその衝動の質、相が異なるものになっただけとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。

そして、それは成長や進化といったいわゆる前向きなものであるとは決して言い切れません。
無論、逆もまた然りではありますが・・。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。









2017年1月12日木曜日

20170112 510記事 書籍などの電子化について・・

A「昨今は多くの雑誌、書籍そして書類が電子化される傾向によってか書籍全般の売り上げが落ちてきていると聞きます。

こうした電子化によって実体としての書籍を購入する必要がなくなることから生じる影響とは、如何なるものであるか私には分かりませんが、やはり私見としては、実体としての書籍、書類が存在しないと、どうも不安になってしまいます・・(苦笑)。

あるいは、そういったものとは目的に応じ、それぞれ(実体としての書籍、書類、電子化されたもの)を使い分けすれば良いのであるかもしれませんが、そうなりますと、今度はその「目的」が当初より明確化されることにより不具合、不都合などが生じることが予想されます・・(苦笑)。

このように書いておりますと、実際にそうした局面に立っていないにも関わらず、あれこれ考えるのもあまり意味がないのではないかと思うに至り「その問題は棚上げしておこう・・。」となります。

とはいえ、そうした技術的な変化によって元来の書籍を読む習癖に良からぬ変化が生じるかもしれないと考えますと、多少問題は変わってきます・・。

しかしながら、現在こうして書いているブログ記事も、正確には筆記の意味で書いているのではなくキーボードにて文章を入力しているのです・・。

私がはじめてキーボードにて文章を入力することをおぼえたのはまさに前世紀末であり、その頃はそれなりに違和感を感じており、また「何故、キーボード入力であると文章が浮かんでこないのであろうか?」といった感覚をおぼえていたこともまた思い起こされます・・。

そのことから、私とは、文章を書くことを筆記にておぼえ、そして徐徐にキーボード入力に慣れていったということになります。

また、現在においても場面、目的によっては筆記をも行っており、実際に一連の当ブログ記事初期段階では筆記による下書きからキーボード入力を行い記事を作成しておりました・・。

しかし、面白いことに、ある程度記事を書いておりますと、自身のブログ記事に対する敷居が下がったのか、徐々に下書きなしの直接入力にて記事を作成するようになっていきました・・。

これは昨年の出来事ですので、一概にそれを進化と「のみ」見做すことは出来ませんが、ただ、この程度の年齢になっても色々と順応による変化が生じることは理解できました・・(笑)。

それ故、さきの電子化された書籍に対する危惧云々も、こうしたスタンスにて考えてみれば「自然と収まるところに収まるのであろう・・。」と思うに至ります・・(笑)。

しかし、そこで問題になるのは、その後の実体であれ電子化されたものであれ書籍にて得た「何か」(感覚や知識ではなかろうか?)の実体としての身体への定着の程度です・・。

あるいは、そうした傾向全体から生じる社会への影響です・・。

これは昨今のニュースなどを見聞きしておりますと、何やら良からぬ要素もないことはないのではなかろうか・・?と多少マジメに考えさせられるのです・・。

また元来書籍を読む習癖が定着していない場合においては、その影響もまた大であり、そのことから社会全体における知性?の壁のようなものが、より一層明確化されてしうのではないかといった危惧も生じ得ます・・。

その意味において「知性」といったものは最先端の機器操作に習熟出来る柔軟性である一方において、その芯あるいは核となる要素とは、あくまでも、我々の原初より続く文明を繋いできた生命の灯の延長上に存在する、いわば「原始的な何か」ではなかろうか・・?と考えさせられるのです・・。

また同時に、それこそがさきの柔軟性をも担保するものではないだろうか・・?とも考えます・・。

そして、現代の社会において忘れてきつつある要素とは、一つにはこういったものではないでしょうか?

その意味で、現代の我々とは、見ようによればオデュッセイアでのロートパゴス(蓮喰い)族の島に漂着したような状況であるのかもしれません・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」





2017年1月11日水曜日

20170111 2010初秋霧島周辺にて 昨日の続き

A「昨日投稿のブログ記事のその後、霧島の「嘉例川」から再び出立し焼鳥屋に向かう車中での会話を以下に再現します。」

A「いやあ、何だかBさんのお蔭でこちらも楽しくなりましたよ・・(笑)。
それでも嘉例川の駅舎があんなに観光客がいるほど有名だとは知りませんでした・・。」

B「ええ、私もお蔭でかなりレアな写真を撮ることができました。
あの駅は鉄道ファンの間ではなかなか有名なのです。
私としてはむしろ地域の情報に関心を持つAさんがそのことを知らないことの方が意外な感じがしますけれども・・。」

A「いえ、そんな・・私は主に歴史関係の地域ネタには興味を持ちますが、どうも鉄道まではその守備範囲の外になってしまいますね・・(苦笑)。
とはいえ、この「カレイガワ」という地名ですが、我々が住んでいた和歌山にもあったことはBさん御存知でしたか・・?」

B「いえ、それは知りませんね・・本当ですか?」

A「ええ、実は私も先日偶然こちらに来て知ったのですが、また、その用いる漢字は異なるのですが、和歌山市のすぐ南の海南市に魚の鰈で「鰈川」と書く地名があるのです・・。
たしかここは有間皇子の万葉集の歌で有名な藤白よりも少し南に位置し、おそらくこのあたりとは古来、畿内より南下する熊野参詣道の始めの方の難所、つまり山あいの地域であったのではないかと思います・・。
しかし、この海南の鰈川と霧島の嘉例川に何か関連があるのかどうかは私にはよく分かりません。
とはいえ、似たような事例であるかどうか分かりませんが、ここ鹿児島東部の大隅半島には垂水(たるみず)という街がありますが、それと同じ字を用いる「たるみ」という街がたしか神戸の方にあったと思います・・。
これらの間にも、さきと同様に何か関係があるのかもしれません・・。
まあ「垂水」の場合は語義通り「瀧」のある地域につく名称であるとは云われてますが・・。」

B「・・やはりそういうところは研究分野が変っても変わらず関心を持っているものなのですね。
少し安心しましたよ・・(笑)。」

A「はあ、たしかにこういったところはあまり変わっていないかもしれませんね。
また、それと面白いのは、このあたりはご存知のとおり古代隼人の勢力範囲内なのですが、帰りにおそらく寄ると思いますがJR日豊線の「隼人駅」ここは実はCさんの御実家のごく近所なのですが、ここに隼人塚というものがありましてね、ここにある石像の意匠がどうも独特で面白いのです・・。
たしかこのことはたしか白洲正子の自伝にも書いてありましたが、とにかく一度ご覧ください・・。」

B「はあ、そうするとCさんは本当の隼人の子孫であるのですね・・。
それにしても、そうした石像などに関する感覚とは、私はイマイチよくわからないのです・・。
しかしAさんは昔からそういった昔の銅鐸や古墳を見るのが好きでしたが、ああいうものに対する意見、評価とは、どこから出てくるのでしょうか?」

A「ええ、それらは決して出まかせを云っているつもりではないのですが、ああいったものは、ある程度多く見ておりますと、そのうちに向こうの方から何か話しかけてくるような感じがあるのではないかと思います・・。
そして、その話しかけてきたものを自分なりに言語化して、さらに研究者の著作などを読んでいて、その自身が言語化したものに近い見解が示されていたりしますと、何だか嬉しくなり、あるいはそれが異なっている場合、その理由を考えてみるものもまた、それぞれ面白いものであると思います・・。」

B「・・なるほど、たしかにそういった感覚はたしかに文献調査でもあるかもしれませんね・・。
ただ調査する対象の実体が存在するという意味では、案外現在のAさんの研究とも重なる部分があるのかもしれませんね・・(笑)。」

A「・・ええ、そうなのです・・。
実際、最近はそのように考えて、自分を正当化させようとしていたフシがあるように思います。
あ、もうじき着きます!
そこに今、看板がありましたので、もうすぐ着きます。」

B「分かりました、丁度いい時間に着きそうですね。」

「さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」








2017年1月10日火曜日

2070110 情念引力について・・

A「ここ最近はブログの投稿記事数を気にすることはありませんでしたが、今回の記事投稿により、総投稿記事数は508に到達するようです。

そして「では、今後は具体的にどの程度の頻度にて記事投稿を行えば良いのであろうか?」と考えてみますと、妥当なところで年内に600記事を幾らか越えれば良いのではないかと思うに至りました。

この頻度とは、これまでの500記事に到達するまでの記事投稿頻度に比べますと、大分遅く、鈍くなっているといえますが、まあ身体のこともありますので、あまり無理をしない頻度となりますと、上記のような投稿頻度が妥当、適当なのではないかと考えるのですがさて、如何でしょうか?

そういえば、先日も再度いくつか年賀状を頂きました。

送って頂いた方々、どうもありがとうございます。

さて、その送って頂いた方々を思い起こしてみますと歯系、文系両方にわたり、特に文系の方々の場合、何やら意味深い箴言のようなことが書いてある場合が多く、そこから、おそらくこれまでの一連のブログ記事をある程度読んで頂いているのではないかと推察されます・・(果たして本当であろうか?)。

また、理系の一端ともいえる歯系の方々に加え、文系の研究者といっても良い方々からも、こうしたお葉書を頂くということから不図「果たして私は何者であろうか?」と考えてしまいます・・(苦笑)。

しかし、よく考えてみますと、何のことはありません、単にそれは私の生きてきた軌跡そのものなのではないかということになります・・(苦笑)。

また、昨今は特に元来文系であった自身が歳月により内面での応力緩和が生じ、文系寄りに戻っているのではないかとも思われます・・(笑)。

そういえば、ここまで記事を書いており不図思い起こしたことは、鹿児島在住時の2010年に文系時代の友人がわざわざ鹿児島まで訪ねて来て頂いた時のことです。

その時、この友人は北の方の大学院博士課程を無事修了し、御実家に戻り、そこから近隣の板金工場に働きに出て、同時に地元の大学にて非常勤講師をしつつ、大学職種への応募活動を行っておりました。

この時も修士院生当時と変わらず快活であり、同時にこれも変わらず鉄ちゃんであることから鹿児島の市電に大いに興味を示しながら最寄の脇田電停から中央駅(西駅)まで行き、そこからレンタカーにて霧島方面に向かいました。

何故なら、以前もブログ記事に書きましたが、そこに美味しい焼鳥屋があり、そこに連れて行くと、かねてより伝えていたからです・・。

この焼鳥屋に関しては、それ以前にも面白いハナシがありますが、ここではそれは述べません。

ともあれ、霧島方面に向かい走行しておりますと、その途中で「嘉例川」と記された標識を目にした友人が「ここに寄りましょう!」といったため寄り道をしました。

どうやら、そこ(嘉例川)とは鉄道ファンの間ではかなり名の通った駅舎であるらしく、また確かにその建物は相当時代を感じさせるものでした。

所々で写真を撮りつつ速足で移動している友人が時折「さあ、こっちで良い写真が撮れますよ!」と呼ぶので、こちらも呼ばれた方に小走りで移動しておりますと、面白いことに、こちらも何だか楽しい気分になってくるものなのでした・・(笑)。

その時「なるほど「情念引力」とは、こうしたものであるのかもしれない・・。」と妙に感心したことを憶えています・・(笑)。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


2017年1月8日日曜日

20170108 内視鏡検査を受けて思ったこと

A「本日の首都圏は雨が降り、気温も上がらずまさに寒々しい一日です。

さて、年賀状を送って頂いた方々でこれをご覧になっている皆様、どうもありがとうございます。

また、新しい年となり、昨年暮に受けた健康診断の結果も届きましたが、これによると胃に病変があり「精密検査を要す」とのことでした・・。

そして、その後早速内視鏡による精密検査を受けた結果、特に悪性のものは認められないとのことで一安心しました・・。

私自身、これまでの人生で胃が悪いという認識はまったくありませんでしたので、この一連の出来事には大いに驚き、そして今後はあまり胃に悪いことはしないように心がけます・・。

それに加え、これまで仕事にて時折口にしていた経鼻による内視鏡検査の実体験とは、なかなか貴重なものであったと思います。

内視鏡による検査とは、そのスコープの届く範囲までの体内の動態・様相を観察することが出来、たとえば、概ね歯科領域といっても良い摂食嚥下の機能検査などの場合、摂食物が気管・食道部位に至るまでの動態・様相を観察・診察することを目的としております。

一方、先日私が受けた内視鏡検査とは、スコープが食道をも通過し、さらにその先にある胃・十二指腸までも観察・診察されるものでした。

おそらく双方共に用いる機器の間に大きな差異はないものと考えますが、そうした意味からも、この内視鏡とは、ある意味、学際的な医療機器であるように思います。

とはいえ、スコープが先端に取り付けられた管・ファイバーが体内に入っている感覚とは、やはり大変違和感を感じるものではありましたが・・(苦笑)。

しかしながら、あの程度の違和感にて、さまざまな体内器官の様相・状態を観察・診察出来るのであれば、内視鏡による検査とは大変有意義なものであり、今後更なるその画像による診察・診断技術および使用機材性能の向上が望まれるのではないかと思います・・。

さらにそのとき聞いたハナシではありますが、現在は管・ファイバー先端に取り付けられたスコープを用いる内視鏡検査ではありますが「今後は薬剤カプセル状のものにスコープが内蔵されたものが出現するのではないだろうか?」とのことでした。

このハナシを聞いたとき、不図、大分昔に観た映画「ミクロの決死圏」(「Fantastic Voyage」1966)のことを想起しました。

ちなみにこの映画作品の監督とはジュール・ヴェルヌ著の「海底二万海里」の映画作品(「20000Leagues Under the Sea」1954)もまた以前に監督しており、そこから双方の間に何やら不思議な共通点を見出した感じがします・・(笑)。

また、そうしますと、かなり久しぶりにまた「海底二万海里」を読んでみたくなってきました・・。
あの著作を読んだのは一体何時の頃であっただろうか・・?
また、今度は英文でも読めるであろうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」









2017年1月2日月曜日

20170102 「帰ってきたヒトラー」を観て思ったこと

A「正月休みということもあり、久しぶりに映画をDVDにて観ました。

題名は「帰って来たヒトラー」というドイツ映画ですが、これはかなり面白かったです。
「ドイツ人はコメディのセンスがない」といった評価があるようですが、この映画を観る限り少なくとも最近はそうでないのかもしれない・・と考えさせられます。

また、どうやらここ数年は、世界規模にて時間・空間の移動といった主題が流行っているのかもしれないとも考えさせられました・・。

であるとすれば、ハナシは先日来の大河ドラマ題材に戻り、その主題を現代にタイムスリップした西郷南洲翁(隆盛)とするとなかなか面白いのではないかと思いますが如何でしょうか・・?

そのように考えてみますと、さきの「帰ってきたヒトラー」においては、タイムスリップしたとしても、その政治的手腕は社会において発揮され、徐徐に権力に近づいてゆくさまが描かれ、またそれが、おそらく現代のドイツ社会に対するある種の警鐘であると同時に喜劇でもあるのかもしれません。

それに対し、西郷隆盛を現代の我が国に甦らしたとしても、その手腕、個性などは、どの場面においても発揮されず、むしろ幕末維新期に活躍した西郷隆盛としては悲劇的な結末に至るのではないかと思われます・・。

それほどに我が国とは何といいますか、現世重視、此岸性の強い社会であり、過去において大事とされた事物を現在において有益でなければ躊躇なく投げ捨て、忘却することが出来る性質を持っているのではないかと思います(断捨離など)。

もちろん、これは自身をも省みて書いていることであり、また、良くも悪くも我々とは、そのような性質を持っているのではないかと考えるということです。

そして以上のことを踏まえ西郷隆盛を現代にタイムスリップさせると、さきに記したような結末になるのではないかと思うのです・・。

とはいえ、こうしたことは全て、あくまでも仮定のハナシであり「帰ってきたヒトラー」に関しても、もしも実際にそのような現象が生じたとしても、果たして、そこまで首尾よく行くことはないのかもしれませんが・・。

そして、ここまで書いていて不図思い出したのは、太平洋戦争後もなおフィリッピンのルバング島にて戦争が継続していると信じて戦っていた帝国陸軍将校のことです・・。

実際のタイムスリップとは難しいのかもしれませんが、さきに述べた事例(戦後30年近く経過の後の(かつての)戦地からの帰国)とは、一種のタイムスリップ状態といっても良いのではないかと思います・・。

そして、このタイムスリップ状態を経験した元帝国陸軍将校は、帰国した我が国社会でのさまざまな価値観の変化に違和感を感じ帰国後一年も経ずに海外へ移住しました・・。

こうした事例を考慮してみても、さきに挙げた「西郷隆盛が現代の我が国社会に蘇ったら」という仮定とは、少なくともハッピーエンド的なものにはならないと考えるのです・・。

こうしたことから、現在の我が国社会とは、果たして同じ社会において称揚されている、偉人とされている方々が持っていた思想・理想に多少は叶っているのであろうか・・?と考えてしまうのですが、果たしてどうなのでしょうか・・?

とはいえ、こうした疑念とは決して現在の我が国社会に対する悲観(のみ)から生じているものではありません。

また、時にはこうしたこと考えてみることもあながち無意味なことではないと思うのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございました。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2017年1月1日日曜日

20170101 昨日の続き「人間力」「つじつま」について・・

本日の首都圏は元日にしては気温も上昇し、日中に関しては比較的過ごし易かったのではないかと思います・・。

また、このブログ記事に関しても本日の投稿は止めておこうと考えましたが、さきほどブログ閲覧者数を見たところ、思いの他多くの閲覧者を得ていたことから、書くことに決めました。


昨日のブログ記事においては西郷南洲翁(隆盛)のことを題材として取り上げました。


しかし、よくよく考えてみますと西郷隆盛に限らず、多くの歴史上の人物の個性、性格とは、関連するいくつかの書籍、資料などを読んでみますと(最近のテレビドラマのような)安易な解釈が出来なくなるようなものであると思います。


このことを異言すると、その人物の行った業績と個性、性格との間に矛盾が見られ、つじつまが合わないことが多いのではないかということです・・。


また、そうした個性、性格を持つ人物が比較的多く見出され且つ、現代に一番近い時代が、幕末維新ではないかと思います。


おそらくこの維新回天期とは、江戸時代、封建制の枠組みに抑えつけられていたさまざまな個性、性格が、枠組み(封建制度)の劣化、弱体化により、そのエネルギーがあふれ出てきた時代であったのではないでしょうか?


そうした時代では(封建)制度内においては有効であった個性、性格よりも、より総合的な現代でいうところの「人間力」を持っている人物の方が活躍する可能性が高いのではないかと思います。


そして、西郷隆盛をはじめ、日清、日露戦争(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)あたりまでに活躍した我が国各界首脳部の多くとは、主にこの「人間力」がその後の時代の我が国各界首脳部に比べ高かったのではないかと思います。


ヒトが制度を作り、そしてその後は制度がヒトを作る」と云いますが、近代以降の我が国とは、ヒトが制度を作っていた時期(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)においては、比較的上手く国を運営することが出来ていましたが、その後、制度がヒトを作る時期(同後半部)に入りますと、何といいますか、つじつまは合っているが小さくまとまっている人物たちが各界首脳部におさまるようになり、彼等が国政を主導した結果として、数々の失策に続き、太平洋戦争の敗戦に至ったのではないかということが出来るのではないでしょうか?


そして、そのように考えてみますと、焦点を当てるべきは「ヒトを作る制度」ということになると思われますが、それをより具体的にいうと「教育制度」ではないかと思います。


しかしながら、昨今はいざ知らず、少なくとも近代以降の我が国の教育制度とは、概ね高い水準を維持してきたと国際的な見地からも認識されている(た)といって良いと思います・・。


そうしますと、その「教育制度」の中の如何なる要素が個々の「人間力」の増進に寄与しない、あるいは劣化させたのかと考えてみますと、それは初等、中等そして高等教育と段階分けされる教育制度全般のなかで特に高等教育において、そうした傾向が強いのではないかと思われます・・。


とはいえ、こうしたことは同じく昨今、さまざまなところで主張されていることではありますので、ここで特に強調しておきたいことは、そうした我が国高等教育の変革の必要性が認識されるにしても、その具体的な変革が反知性的な方向に舵を切らないようにした方が良い、あるいは卒業、修了後の社会において必要とされる技能、知識の獲得により重点を置くことは、むしろ歓迎すべきことではあるのですが、同時にそれが教養といった『ある種の学問への能動性』の活性化に寄与せず、逆に、その芽を摘み取ってしまうことにならないよう細心の注意をもって推し進めて頂きたいということです。

そして、これが現今の我が国高等教育およびその変革において重要なことではないかと思います。

また、追記すると、近代以降の我が国とは、そうした(一見些細な)ことを蔑ろにした結果、毎度、変な方向に行ってしまっているのではないかと思われることがあります・・。


とはいえ、これもまた煎じ詰めると、我が国の極度に此岸性を重視する性質(国民性としての執拗低音、バッソ・オスティナート)の結果であるのかもしれませんが・・。



さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。

20170101 新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
さて、来年(2018)の大河ドラマは西郷南洲翁(隆盛)を主人公にしたものになると聞きました。
ここ数年私は大河ドラマを視聴しておりませんので、あまり関係ありませんが、西郷隆盛とは、我が国の近代史において、その評価が難しい人物の一人であるといえます。

そして、その評価を難しくしている原因を端的に述べると、西郷隆盛の人格形成とは、前近代の封建時代たる江戸時代末期に為され、維新回天期に大いに活躍し、そしてその結果誕生した明治政府に対し、その同じ人格がさまざまな矛盾(自身の思想・理想からの)を感じ、下野そして、周囲の強い要望もあり明治政府に対し反旗をひるがえし、近代日本史上最大の内乱といえる西南戦争に至ったことにあるといえます。

つまり彼は近代日本(明治政府)の立役者の最重要人物の一人であり、同時にその設立された明治政府に対し近代日本史上最大の叛乱を起こした人物でもあるのです・・。

そのように書きますと、たしかに、そこには一人の人格の中に何かしら矛盾した要素の存在が看取され、それらを包括した一人格としての評価を困難にし、また、その人生をうまく描くことをも難しくさせるのではないかと思われます。

とはいうものの、これまでに西郷隆盛の人生を描いたさまざまな作品がありました。

私はそれら全てに目を通したわけではありませんが、鹿児島に在住した経験に基づいてかつて目を通したそれら作品を考えてみますと、それらの多くには何か大事な視点が描き切れていないのではないかと思われるのです・・。

そして、その大事な視点とは、西郷隆盛の人格形成が如何なる環境で為されたかということです

このことは、他の多くの薩摩藩に出自を持つ明治政府の元勲、高位高官、西南戦争で西郷軍側で立った方々に関しての記録、書籍などを読んでみると、ある程度最大公約数的に分かるのではないかと思います。

さらに、実際その土地にある程度の期間住むことにより、その環境といったものを知性のみならず、感覚的にも実感にもとづき、ある程度理解することができるのではないかとも思います。

その意味において、私見とはなりますが、鹿児島とは、今なお西南戦争の記憶が強く生きている地域であるといえます。
あるいはそれは古代以来、南九州勢力の中央政権、覇権勢力に対する反乱の一つとしての記憶であるのかもしれませんが・・。そして、そうした反乱のなかで首尾よく成功してしまったのが明治維新であったのかもしれません・・。

さて、維新回天期(戊辰戦争)において東北諸藩、ことに会津藩が受けた苦痛、被害は甚大なものであったことはさまざまな史料が伝えるところではあります。

そして、その主要な敵役の一つであった薩摩もまた、そこからおよそ十年程度後に同様、あるいはそれ以上の苦痛、被害(西南戦争)を受けることになったことには、何かしら意図せぬ歴史の詭計以上の運命的なものを感じさせます。

このことは、特に鹿児島、薩摩について考える際に大変重要な視点であると考えるのですが、同時に理知的な文章による説明はどうも困難さをおぼえてしまうのです・・。

とはいえ、先を続けて書きますと鹿児島、薩摩とは、何かの策を相手に為すにあたり、先ず自らが相手と同化して、そこから相手を徐徐に自分のペースに持っていき策にはめるといったところがあるのではないかと思われるのです・・。

そしてその見方によれば戊辰戦争と西南戦争の間には、そういった関係があるのではないかと思われるのです。

また、それは狸と狐の人のばかし方の狸に近いのではないかと思うことがあります・・。

ともあれ、こうしたある種の(醸成された)地域性により、その地域の歴史は展開していき、さらにその集合体である国の性質から、その歴史は外部作用との種々反応により展開していくのではないかと思います。

さて、そこでハナシを戻し、鹿児島・薩摩地域を代表するといっても良い西郷隆盛を大河ドラマの主人公として扱うのは、かつて司馬遼太郎原作の「翔ぶが如く」がありましたが、特に現在においてはなかなか難しいのではないかと思うのです・・。

そうした、何といいますか激動の時代を生きた人間像を扱いたいのであれば、むしろ西南戦争以降、不平士族のエネルギーが向かった自由民権運動国粋運動などを、ある地域、団体などを基軸として扱い群像劇的なドラマとした方が現在の我が国では面白いのではないかと思います・・。

いずれにせよ、諸文化の先端をいく洗練された首都圏、東京のメディアが原作は何であれ、都市(東京)と地方の(主に経済的)格差が広がりつつある現代において西郷隆盛をテレビドラマの主人公として描くことに私は漠然とした危惧をおぼえます。
たとえそれにより鹿児島に観光客が増え、多少経済的な効果があるとしても・・・。
特に西郷隆盛とは(現在の)テレビドラマ化というある種の安易な普遍化により消毒あるいは人畜無害化されてはいけない人物であると思うのです。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。

中江兆民著「三酔人経綸問答
白洲正子著「白洲正子自伝
野上彌生子著「迷路」上下巻
竹山護夫