2017年1月30日月曜日

20170130 文体の進化について思ったこと(多少具体的に)

A「本日首都圏は4月並みの気温まで上昇したとのことでした。
たしかに本日は外に出ていても特に寒いと感じることはありませんでした・・。

これが続けば良いのですが、しかし明日になりますと例年通りの寒さに戻るとのことであり、大変残念に思います・・(嘆)。

しかし、もう少し長い期間で考えてみますと、以前(1月初旬~半ば)に比べますと、多少は暖かくなり、また陽も長くなっていると感じますので、既に季節は徐徐に春に向かいつつあるのでしょう・・。

その一方、自身のブログ記事に関しては本日今現在もまた主題の着想に至らず「さて、どうしたものか?」といった感じです・・(苦笑)。

また新たな書籍は読んでいるのですが、これはさきのブログ記事にて取りあげた北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」に触発された為か、精神分析についての著作であり、そこには「共同幻想」といったコトバが比較的多く見受けられます・・。

そして、こうした精神分析、心理学に関連する著作を読んでおりますと、それまである程度自明のことであると考えていた事柄に対し、疑問を持ち、またそれを考えるきかっけとなるのまでは良いのですが、一方、その著作にてて述べられている主張、説などを、ある程度「理解出来た。」と実感しないまでは、現在為されている文章の着想に対しては、どうも阻害する『何か』があるのではないかと思われるのです・・(苦笑)。(本当であるのか?)

とはいえ、これまでの(主観的な)記述内容が、客観性の光に照らした場合、どの程度の妥当性を持つのであるかは別として、そうした状況を文章にて著すといったこと自体は、少なくと無意味ではなく、それ(自身がその場で考えていることを文章化すること)もまた、着想の一種ではないかとも考えられます・・(笑)。

また、この種の着想、記述様式とは、これまで(ブログ記事作成の継続以前)行ったことがなく、あるいは過去の日記にて、その断片らしきものが散見されますが、それらはあくまでも断片であり、現在書いているこの文量程度までは至らず、加えてそれらにはハナシのスジといったものは見受けられません・・。

その意味において、現在書いているこの文章もまた、過去(明確に区切るとすれば、2015年6月半ば)においては書くことの出来なかった種類の文体であることから、その間には幾分かの進歩、進化らしきものが認められるのではなかろうかと考えるのです・・(笑)。

さらに実際的なハナシを追記しますと、文章がここに至るまでに要した時間とは60分に満たず、これは特に調子が良い、悪いわけではなく、平均的な所要時間であると、これまでの経験から云うことが出来ますが、これに関しても、さきと同様、過去に比べ進歩、進化の痕跡が認められると云えます・・(笑)。

しかし一方、過去の作成記事(2015年後半)の方が現今のそれらよりも優れていたと思われることもあり、それは書かれている主題の深さであると云えます。

初期に書かれた記事(書籍からの抜粋引用を除く)の多くは対話形式を採っており、また、そこに書かれている対話の大体70%程度は実際過去に為された対話であることから、その主題の深さとは、少なくともその半分は私の能力以外(対話者)に由来すると云えます。

それ故、現在の採っている独白形式にものよりも、主題が深いと感じるのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

ともあれ、当時、文章(ブログ記事)作成のために採ったこの苦肉の策(対話形式)とは、独白形式のそれに移行するまでの有効な手段であったのではないかと現在では考えます・・。

そしてまた、これ(対話形式の文体)がある程度、普遍的にそうした(補助的)効果を持つのであるかは分かりませんが、自身としてはとりあえず書いておくに値することであるとは考える次第です・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございました。

また、昨年2016年に熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」








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