2022年10月5日水曜日

20221005 自分にとって重要な意味を持つ著作を見つける意味について(口語と文語・人間交際?)

おかげさまで、昨日投稿分の記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。さて、この記事では文章の作成において「読書や会話などが良い効果を齎すのではないか」と述べましたが、これまでの経験から、これは間違いではないと思われます。また、その中での読書、つまり書籍を読むということは、多くの場合、その著者との対話を行うということであり、これがスムーズに為されれば、それに応じて頁もまた進み、そしてより楽しい読書経験になると云えます。しかし、読み進めるのが困難である場合は、その文章の意味を調べたり、あるいは考えながら進めなければならないため、決して楽しい読書とは云えないと思われます。とはいえ、それが自分にとって何か重要な意味を持つ著作であるのならば、調べ、考えながらの読書もまた、決して面倒ばかりではなく、さきの意味とは異なった楽しさが感じられるのではないかとも思われます。

そして、そこで問題となってくるのが「自分にとって重要な意味を持つ著作」を探し出すことであると思われます。他方で、図書館や大型書店などに行きますと、一生掛けても到底読み切れないほどの書籍が刊行されていることを実感させられます。その中から「自分にとって重要な・・」を見出すことは、少なくとも、そこまで簡単ではないように思われます。では、どのようにして、その「重要な著作」を見つけ出すのかと考えてみますと、ここで「人との会話」に一つの重要な意味があるように思われるのです。これについて私見を述べさせて頂きますと、我々が日常用いている言語は、当初に口語として発達し、そして、その意味を凝結させたものが文語・文章であると云えます。つまり「はじめに口語ありき」であると云えます。それに伴い、我々の言語に対しての感性もまた、口語の方に理解の重点が置かれているものと考えます。端的に、自分の感性に基づいた判断に際しては、口語による経験、つまり会話に基づいてした方が良いと思われるのです。しかしながら他方、会話において、あまり事実には依拠しない、感性的とも云える内容を、それらしく流麗に語ることと、さまざまな事実とされるデータに基づいて、ある程度事実と云い得る妥当性を呻吟しながら訥々と語るのでは、前者の方により魅力を覚えるのが、我々多くの一般的な反応であると思われます。しかし、それを起点として、さらに研鑽を重ねることにより、後者の方がより妥当であり、且つ伝わり易い言語表現にたどり着き、そして徐々に前者を凌駕していくのが、ある程度の長さの期間で見た、社会にて度々生じている循環のようなものではないかと思われるのです。その意味で、丁度、現在の我が国社会あるいは、より広く、世界のさまざまな場面において、後者が前者を凌駕していく過程にあるのではないかと思われるのです。こうした社会の変化とは、おそらく江戸時代から明治時代への変化がそうであったように、人々の話すコトバつまり口語に変化が生じて、それが徐々に文語にも影響を及ぼしていくのだと思われますが、そうした中で「自分にとって重要な意味を持つ著作」を人との会話を通じて見出していくということは、一つの道楽的な趣味としても、また社会をよく見抜くための勉強としても、それなりに面白く、あるいは福沢諭吉が「学問のすすめ」内で述べた「人間交際」(じんかんこうさい)にも時代背景的に、そうした意味合いもあったのではないかとも思われるのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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