2019年4月30日火曜日

20190429「翔ぶが如く」をあらためて読み始めて思ったこと

残り23記事の投稿にて、とりあえずの目標としている1200記事に到達することが出来ますが、ここ最近はどうも記事の更新が出来ていません。また、こうして新たに書き始めてみますと、特に問題なく書き進めることは出来るものの、以前のように半ば義務感で行っていた時期とは異なり、どうも記事作成時の緊張感のようなものが湧いてきません。しかし、この義務感がなくなった時期において、痛痒を感じることなく記事作成が出来ているということは、それはそれでこれまでの継続的な記事作成のおかげであるのかもしれません・・。

さて、つい先日、書店にて不図手にとってみたことから、20年以上前に読んだ司馬遼太郎著の「翔ぶが如く」をあらためて第一巻から読みはじめることにしました。また、この20年以上の間に「翔ぶが如く」の主な舞台となった鹿児島に在住したこともあり、心中にて「そうそう!たしかにそういう感覚は鹿児島ではよくありました。」あるいは「司馬先生、それはもう少し違う意味、とらえ方があるのではないでしょうか・・」といった思いが心中を去来しつつ、徳島から東京への夜行バス車内にて、決して明るいとは云えない読書灯を頼りにこの著作を読んでいました・・。

未だ二巻目の途中ではありますが、作中にて描かれている鹿児島、薩摩藩の様子は、私の同地域での経験とも大きく矛盾することはなく、あるいはそこから更に穿った意見なども書かれていることもあり、著者の同地域への勉強、調査そして興味の程度が並々ならぬものであったことが理解されます。

しかし、現在考えて不思議に思うことは「何故、鹿児島在住時に、同地を舞台としたこの著作をあらためて読んでみようと思わなかったのか」ということです。たしかに文庫にて全十巻と、長編と評して良い著作ではありますが、しかし、中高の頃には普通に読んでいましたので、読もうと思えば実験などの合間にでも読むことは決して無理ではなかったと思われるのですが、当時はどうしたわけか、この著作を再び読んでみようという気にはなりませんでした・・。

こうした場合もまた「灯台もと暗し」というコトバが適切なのでしょうか・・。

ともあれ、現在、20年以上ぶりにこの著作を読んでいますと、鹿児島在住当時の記憶が蘇り、そしてまた、さまざまな考えも湧いてくるのです。こうした経験を歴史を題材とした小説にて得ることは「大変重要である」とは断定しないまでも、私個人の意見としては、医学や工学など、いわゆる実学分野での知識と同程度に重要であるように思われるのですが、さて如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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2019年4月14日日曜日

20190414 アメーバブログをはじめて思ったこと【別種の経験の重要性?】

ここ最近新たなブログ記事を作成していませんでしたが、休日ということもあり、新たなブログ記事を作成しようと、多少あらたまってPCの前に座ってみますと、特に痛痒を感じることなく、新たな記事作成に取組むことが出来ましたが、しかしやはり、ほぼ毎日記事作成を行っていた頃と比較しますと、多少、滑らかには行かないようであり、今回に関しても、記事の書き出しについては、さきに述べたように問題なく行きましたが、その後の記事主題に関しては、未だ現在定まっていないと云えます・・(苦笑)。

とはいえ、主題となるようなものは何もないというわけでもなく「何を選んで書くか。」の方がより重要であり、書き出しからスムーズにそれ(主題)に至ることが出来れば、これまでの経験から概ね記事作成はどういか出来ると云えます。

そして、こうしたことは、我々の創造的行為全般にも、ある程度云えるのではないかと思われます。

しかし、本日に関しては、それが未だ定まっていないことから、それを主題として記事作成を進めていこうと考えていましたが、ここに来て、昨今、記事の主題に値する、特筆すべきことがあったことが思い起こされました。

本当にここ一週間程のハナシではありますが、新たにアメーバブログを開設し、そこに、これまでにブロガーにて作成した記事を移植しています。ブロガーにて作成した記事は1100記事以上あり、ある程度のストックがあると云えますが、それら全てをアメーバブログに移植するのは、それはそれで面倒な作業であるため、ここで新たな記事作成を行わなくとも、しばらくは記事の移植によりどうにかなると云えますが、冒頭にも述べた通り、ある程度の間隔は空けても、記事作成を継続していないと、記事作成が困難になると思われることから、アメーバブログへの記事移植と併行して、新たな記事作成を試みているのが現在であると云えます。

アメーバブログは、これまで主に記事作成・投稿を行ってきたブロガーと比較しますと、カウントされる閲覧者数は少ないものの、投稿記事への反応は早いことから、記事作成の手応えは、記事作成者としては同程度であると感じられます。

そうしたことから、新たにブログを始めようと考えている方々に対して云えることは、あまり他からの反応に右往左往することなく、記事作成が出来るのがブロガーであり、他方、他者からの反応を見つつ、それに合わせて記事作成を行っていこうと考える方々にとってはアメーバブログは適しているのではないかと思われます。

自身の場合、おそらく当初からアメーバブログにてブログを始めていたら、1000記事まで到達出来たであろうか不安になります・・(苦笑)。

ブログ記事の作成と云えども、その記事作成環境は思いのほかに重要であり、また、何でもそうであると云えますが「自分に合った環境を選ぶこと」が大事ではないかと思われました・・。そして、ここからは多少観念的になりますが、この「自分に合った**」を納得して選択する際に哲学・思想そして宗教などの存在が足掛かりになるのではないかと思われるのです・・。

インターネット網の進化発展によって、さまざまな哲学・思想そして宗教の概要のようなものを一通り知ることが出来るようにはなりましたが、それらを自身の精神に内在化・インカーネーション(incarnation)させ、さらにそれらを能動的に発動することが出来るようにするためには、また異なった種類の経験が必要であるということを、周辺技術の進化により表層的には合理的になった我々は、どうも見落としがちではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?