2023年6月26日月曜日

20230625 19世紀後半から続く我が国の「文明開化」・「開化」について①

現代の日本で生きる我々の生活は、19世紀後半の明治維新そして文明開化からの影響を強く受けたものであると云えます。しかしながら、このことは、私を含めた社会全般において、あまり深くまでは理解、そして共有されていないのではないかと思われます。そのため、現代の我が国社会を考えるうえで、我が国近代の「文明開化」さらに「開化」についての理解を深めておくことは有意義であると考えます。

そこで、はじめに一般的な「開化」の概念を検討します。この検討に際しては、対象となる事物の要素に定義を付与する必要がありますが、この「定義を与える」という行為には注意が必要です。なぜならば、定義は事物を制約してしまうからです。その意味において我々は、複雑な事物に定義を付与して明解な説明を可能にする研究者の方々の知見と能力には敬意を払いつつも、その付与する定義には注意を払い、慎重になる必要があります。なぜなら、定義は先述のように、対象となる事物に不要あるいは不自然な制約を加えることがあるからです。

たとえば、幾何学では円は「中心から円周上の任意の点までの距離が等しい図形」といった定義が付与されますが、これはあくまでも理想的な円を想定したものであり、現実にある円を完全に説明し得るものではありません。また、現実にある物体やその形は絶えず変化しています。それ故、さまざまな事物を説明する際に用いる定義は、現実の変化に対して柔軟に対応出来るものが望ましいと云えます。

あるいは、これを説明するための具体例として、化石化した樹脂である琥珀が挙げられます。しばしば、こうした琥珀の中に蠅などが閉じ込められていることが見受けられます。これを透かして見ますと、たしかに蠅の姿が確認できますが、それは実在はするものの、死んでいる蠅です。それゆえ研究者の方々がくだす定義には、この琥珀の中の蠅のように実際には生物ではなく、死んでいると評価され得るものもあります。そして、こうした事例からも分かるように、現実での運用においては、厳密な定義よりも、変化に対応可能な柔軟な定義が有用であると云い得ます。

そして次に、先述しました「文明開化」そして「開化」の要点について考えてみますと、それは端的に、我々の活力の発現の仕方であると云えます。これを詳述して、活力の発現の仕方について考えてみますと、それは大きく積極的なものと消極的なものに分類出来ます。

我々の存在は解釈の仕方によって多様な意味を持ち得ますが、それらの意味を検討するためには、活力の発現の仕方、そしてその持続や進化などが大事な要素となります。

もう少し具体的に述べますと、外部からの刺激に対する我々の反応の仕方は多岐に渡り、刺激があるたびに活力の発現を制限して、できるだけ活力の節約を好むといった性質や、反対に刺激を求めて活力を消耗させることを好むような性質もまたあります。

こうした外部からの刺戟に対する反応の仕方は、活力節約と、その逆の活力消耗の二つの性質として認識されます。活力節約の性質は、概ね義務を果たすための刺激に対して起こります。我々の社会では一般的に義務を果たすことが好ましいとされていますが、これは人間の活力発現の様子を観察して、さらなる組織の発展を促進するうえで重要な役割を持っています。一方、活力を自由に発現する方の意欲は、趣味や娯楽などの活動においてきわめて重要なものであると云えます。具体的には釣り、読書、運動、など多様な活動がこれに当たります。そしてまた、文学、科学、哲学なども、本質的にはこの意欲の発現と云えます。つまり、開化においては、活力の発現やその進化、持続といった要素以外には適切な説明は存在しないと云えます。そして我々の生活状態とは、外部の刺激によって活力が、どのように反応するかを観察することによってほぼ理解できるものと考えます。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。