2016年2月3日水曜日

20160203 過去、未来および異文化理解などについて

A「先日たまたまテレビを観ていて思ったのですが、何故我が国の政治家、アイドル、著名人達はことさらに「前だけを見て進んでゆきたいと思います。」といったニュアンスの発言をされるのでしょうか?
それは「未来を見据えて着実に前進してゆきたい。」というポジティブな発想によるものなのでしょうが、一方、そういった発言を何度も聞いていると、どうも「この人は本心でそう思っているのだろうか?」と考えてしまうのです。
というのは、前つまり時間軸でいう未来とは、未だ実在していないものですから、それを認識することは困難であると思うのです。
一寸先は闇」などという言葉もあるくらいですから・・。
そういった一面があるにも係らず、さきほどのような発言ばかり目立つというのは何か過去を忘れたいような心情があるのではないか、あるいは、その未来に見込まれる現世利益に対してのみ注視しているのではないかと考えさせられるのです。
もちろん、現世利益は極めて大事であると思いますが、一方で、そこには、忘却を指向しているような心情があるのではないかとも思います。
無論、あくまでもそれらは外部に対するスタンスではあると思うのですが、しかしそこでも、発言者の本音とは、傍目八目的に見出されてしまうのではないかと思いますが・・。」


B「ううむ、またよくわからない主張をされていますが、まあ、それでも我々日本人が過去の歴史、出来事あるいは文化に対して持つ一種敬虔な態度とは、大抵の場合、一種のゼスチャーではないかと思うことが時折ありますね・・()
また、そういったことは昨今の情報技術の進化発展により、徐々にそして一層諸外国にも認識されるようになってきたのではないでしょうか?
かつて「日本人はわかりにくい。」などといわれていましたが、それが良くも悪くも崩れつつあるのではないでしょうかね・・?」


A「たしか小噺で「日本人は何でも小型化するか隠したがる。」というのを読んだり、聞いたりしたことがありましたが、そうした傾向が情報技術の進化発展により見え易くなってきたということなのでしょうか・・?
そして、その結果、我々日本人の持っていた性質、傾向が、かつてより知れ渡るようになったのではないかと思います。
また、その知れ渡った性質、傾向とは、欧米を主とする、まあキリスト教文化圏から見ますと、どうも反りが合わないものが多いのではないかとも思います・・。
しかし一方において、その性質、傾向とは、我が国の歴史文化、つまり精神的風土に根差しているものであるのです。
それは伊豆半島イルカ漁紀伊半島捕鯨文化のように・・。
また、そういった文化をさらに深くまで考察してゆくと、イルカ、クジラといった動物を対象とするものだけでなく、人間を対象とした対人文化においてもほとんど無意識であるかもしれませんが、大きな影響を及ぼしているのではないかと思います・・。」


B「ええ、そうした動物などに対する狩猟文化とは、古代より維持発展してきた、まさしく文化の中心に位置するものであり、また、その国、地域の自然の流れに沿い生成してきたものなのだろうね・・。
加えて、異文化の人間がそれを見た時に即物的であるがゆえに最もショックを受ける部類の一つでもあるかもしれません。
しかし、そう考えると、近代以降は別として一般論では日本人は奈良、平安時代あたりからあまり獣肉を食べることが少なくなり、現在の我々は、直接的にその後の非肉食文化の系譜に立つのではないかな・・?
ともあれ、その非肉食文化が大きく変化したのが明治維新あたりからなのですが、この食文化の変化も当時はなかなか大きいものであったのでしょうね。
まあ、そうしますと古来より継続して肉食文化を保持してきた国々の方が、我が国のイルカ漁、捕鯨文化を糾弾し禁止させようとするのも何だか面白いですね・・(苦笑)
また我々も我々で「現在我々は既に貴方がたの肉食文化を学び、完全に吸収しましたので、もうイルカ漁や捕鯨は必要ありません。」などとは決していいませんからね()
しかし、クジラのヒゲは文楽、人形浄瑠璃の操り糸として必要であるということですが・・。
ともあれ、我々日本人とは、直接身体的な要素に関して、かなり繊細、鋭敏な感覚を持ち、また、その快の追求において貪欲なのではないかと思います・・。
その意味で欧米の文化とは、そうした感覚の繊細、鋭敏さよりも合理性の追求の方をより上位に置いているようにも見えますね・・。
また、それと関連があるかわかりませんが、資本主義が典型的な発展を遂げたといわれる西欧の島国、新教の禁欲的な精神により商業活動が活発に為された国、地域などでは、料理、食文化はあまり高度に発展しなかったといわれますが、彼等はそれでも別に構わない文化を保持していたのではないかと思います。
こうしたことは、我々から見ますと、多少奇異に見えるかもしれませんが、実はこういったことは国内外を問わず、様々な文化の間でも同じようなことがいえるのではないでしょうか?
それ故、私は異文化に対して理性、理屈レベルで批判する気はありませんが、しかし、そこで問題になるのが、さきにAさんが仰っていた対人文化も各々の文化体系に含まれるということであり、実は、その文化体系こそ、様々なレベルでの対外的な摩擦を引き起こしているのですが、だからといって、その摩擦を引き起こしている部分、要素だけを他に取り換えることが出来ないのが文化一般というものではないかと思うのです。
そうしますと、太平洋戦争とは、明治維新以来の外来文化に対する無意識レベルでの拒否反応であったとも見ることが出来るかもしれません・・。
とはいえ、一方においてオレンジ計画などの存在もあるとは思いますが・・。
そして戦後日本社会は、自国の組織内において、その手法を真似するようになったのかもしれません。
また、人は他者から為されたことを無意識レベル(ここが大事であるかもしれない。) また別の他者に対して行ってしまうのではないでしょうか?
しかし、この無意識を意識して明晰化するということは一体どういうことなのでしょうか?
あるいは前を見て進んでゆくということはどういうことなのでしょうか?」


A「はあ、最後のは何だかコンラッドの「闇の奥」を彷彿とさせますね・・。」


20160202 小学校時代の読書、および兵器、物に対する観念について

A「先日不図思い出したのですが、私は小学校時代にも文章を書くのが好きな時期がありました。・・たしか「物語を作る」というような課題が出まして、そこで書いた物語を数人から「面白い」といわれたのが嬉しくて調子に乗り、第二弾を書いたのですが、これはイマイチな反応でしたね・・(苦笑)。」

B「・・ううむ、それを突然思い出した原因の方も気になりますが、その特どういった内容の物語を書いたか憶えていますか?」

A「ええ、たしかその当時秋田書店から刊行されていた「ドイツ艦隊」という本を読んでおり、そこに描かれていた第一次世界大戦におけるドイツ軽巡洋艦のエムデンの太平洋、インド洋における活躍がいたく気に入ったようでして、それをベースにして第一次世界大戦停戦の後、太平洋に居た生き残りのドイツ艦艇数隻が南太平洋の無人島を基地にして海賊のように暴れまわるといった内容のものでした(笑)。

A「・・はあ、それは何だかジュール・ヴェルヌの「海底二万里」も彷彿とさせますが、それよりも子供向けでドイツ軽巡エムデンのハナシが書いてある本があったのですね・・あれはどちらかというとマニアックであると思うのですが・・。」

B「いえ、それでも私が読んだ船の図鑑にもトラファルガーの海戦でのビクトリー号などと並んでエムデンが紹介されていたような気がします・・。多分、当時のそういった子供向けの書籍の著者、編修者の方々は何が子供達にウケるのか知っていたのかもしれませんね・・。また、さきの「ドイツ艦隊」には、後のナチスドイツ海軍の司令官となるデーニッツ提督が第一次世界大戦時にUボートの艦長で、イギリス軍の捕虜になり、収容所で狂気を演じたというような忠臣蔵大石内蔵助を彷彿とさせるようなことも書いてあったと記憶しています・・(笑)。また、同じくその本に掲載されていた第一次世界大戦時のUボートの写真には、まるで古代地中海世界のガレー船にあるような目が描かれており、それを「上空から見た際に魚に間違えるように目を描いてある。」と説明されていましたが、当時の私は子供心に「それは果たして本当であろうか?」と疑問を持った記憶もあります・・(笑)。とはいえ、乗載兵器に顔などを描くことは、古代より現在に至るまで結構見受けられますし、また、そういった遊び心のようなものは、案外日本などよりも海外の方が多いような気がしますが、こういった傾向の彼我の相違にも、やはり何かしら原因があるような気がします・・。」

A「はあ・・そのようなUボートの写真がその本に載っていたのですか・・。それは多少不謹慎であるかもしれませんが何だか面白いですね(笑)。ともあれ、たしかに西洋化に伴い設立された近代日本軍隊においては乗載兵器に顔を描くといったノーズ・アートらしきものは、あまり写真、映像資料などで見受けることがありませんね・・。」
B「ええ、そうなのです・・。そしてその理由を考えてみますと、これは特に深い国民性によるものではなく、端的にいいますと、日本が西欧的な意味での後発工業国であったからではないかと思います・・。そして、そのことにより、兵器の価値が過剰に重要視され、さらには営内教育における上級者から下級者への「お前たち兵隊は一千五厘(当時の切手代)で集めることができるが、この三八式歩兵銃はそうはいかないんだ!」といった叱責に結び付くのではないかと思います・・。また、こうした行動様式とは「道具としての各種兵器を大事にする」といった合理性を通り越して、あるいは別の方向に進化発展してしまった結果ではないかと思うのです・・。」

A「・・なるほどねえ・・いわれてみるとたしかに我が国にはそのような傾向があるかもしれませんね・・そして、それが無敵皇軍といった観念と結び付き、まあ一種のカルトのようなものにもなるのかもしれません・・。では、戦後に工業国として発展してきた現在の我が国において、かつて後発工業国であった時代からの習い性とは未だ残っているのでしょうかね?」

B「そうですね・・とりあえず人間の尊厳、生命よりも、何か他のモノの価値を過大に重視して、それを神聖視するような傾向は今現在でも、表立っては、建前としてはありませんが、多分に残っているのではないでしょうか・・?しかし、そう考えると、実はこうした習い性、つまり本質よりも何か他のモノを重視して、そしてそこから全体を把握しようとする、つまり管を通して空を見ようとするような傾向は古来よりあるのかもしれません・・。ニーチェは「古代ギリシャ人は中身を重視するために外面を大事にした。」というようなことを述べていましたが、これを日本に適用してみますと「日本人は日常的社会性を重視するために外面を大事にした。」というような感じで、はじめから、あまり彼岸的、形而上的なことは考慮に入れないといった普遍的な傾向があるのではないかと思います。そしてその日常的社会性が何かのショックを受けますと、隠されていた他の価値を過大に重視して、それを神聖視するような傾向が表出、顕現しはじめるのではないでしょうか・・?しかし、そう考えますと、こういったものは日本に限らず他国においても同様の傾向はあるのかもしれません・・。では、何が日本特有の傾向であるのかと考えてみますと、それは受けたショックに対する反応の仕方ではないかと思いますが、それは時代により社会も変化していることから同様に変化していると思うのですが、その基層にあるものには何かしらの普遍性があるとは思うのですが、それは未だによくわかりません・・。」
A「ええ、多分そこが大事であると思いますが、まあ今後折々考えてみてください、私もそこはよくわかりませんので・・(笑)。あるいはもっと上手く、簡単にそういったことを考え、述べる方法があるのかもしれませんが・・。しかし、それでも知識を仕入れ考え続けること自体に何かしらの価値はあると思いますので、まあ考え続けてみてください。」

B「ええ、そうですね(笑)。」