2024年2月27日火曜日

20240226 現在読み進めている著作の淵源にあるもの・・

昨日の引用記事の投稿により、総投稿記事数が2146に到達しました。私の場合、記事作成の方に注力していますと投稿記事数への注意が乏しくなる傾向があるようです。また、昨日の引用記事の作成により不図、判然としたことは、引用記事作成の場合、ある程度、作成に要する時間が読めるため先の予定も組み立てやすいと云うことです。このことは、あらためて重要であると思われました。しかしながら、そのために引用記事作成が習慣化しますと、自らによる記事作成が困難になると思われるのです。そのため以前に述べましたように、たとえ現在が「引用記事作成のレジーム」であったとしても、出来る限り、こうした記事の作成をした方が良いと思われるのです。

さて、かねてより読み進めているオーランド ・ファイジズ著「クリミア戦争」は、先日ようやく下巻に至り、その後も興味深く読み進めてはいますが、やはりこの年齢(40代後半)になり、あまり読む機会がなかった歴史的出来事について、ある程度、専門的に扱った著作を読み進めることは、それなりに困難が伴います。しかし同時に云えることは、当著作は去る2022年2月以来の第二次宇露戦争がなければ読むことはなかったということです。

他方、2022年の露軍による侵攻以前から当地域の情勢は緊迫化していたことは周知であり、そうした情勢をもう少し知るために、私も2022年以前からロシアの軍事を扱った新書などは数冊読んでいました。それでも現在思い返してみましても、何故当時、それらの著作を選び、読んでいたのかは判然としないのです。そしてまた、そうした経緯から、今回の第二次宇露戦争を「予言」したと思うことは全くありません。

とはいえ、こうした感覚自体はおそらく私にとって初めてであり、また、いまだ明確に言語化することは出来ていません。それでも、こうした認識の感覚を記憶しておくことにより、今後認識する過去・未来の出来事に対しても、この認識の感覚を一つの指標、基準として用いることが出来るのではないかとも思われるのです。ともあれ、それ故に、出来るだけ理解を得つつ書籍を読み進めるのことは、多少難しいのかもしれませんが、なお面白いのかもしれません・・。

そして、そうした経験が年数の経過と共に蓄積していきますと、やがて井筒俊彦が儒教の教えとして挙げていた「脱然貫通」のような、さらに相変態した認識へと至るのではないかとも思われるのです。

また、こうした「認識の相」といったものはSNSなどを見ていますと、しばしば看取され、そして、そこから「文は人なり」という諺の由来をあらためて認識させられもします。また、先日投稿の記事にて述べた「ギャップの認識が創造を生む」もまた、そこに何らかの関連があるようにも思われます。

そのように考えますと、ブログ記事作成のような活動の継続のためには、出来るだけ内向的にならず、自らにとって新たな経験を求めた方が良いのだと思われます。しかし、今現在、春は近いとは云え、いまだ寒い日が続いていますので、内に籠りたくもなります。そうした時に敢えて外向きにするのは好奇心なのでしょうか、あるいは、何らかの義務感なのでしょうか、はたまた、それらが混合したものなのでしょうか・・。いずれにしましても、これまで読まなかった、否、読めなかった分野の、ある程度踏み込んだ著作を読めるようになったことは、ポンコツを基調とする私としては、それなりに進歩であるとも思われるところですが、さて実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


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ISBN978-4-263-46420-5

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