2016年8月31日水曜日

20160831 過去と現在のギャップ

A「通常でしたら、職務のことについてブログ記事には記さない方針ではあるのですが、本日は少し書いてみようと思います。

本日は、実家周辺を廻ったのち、一度出社し、資料(しりょうと変換するとはじめに試料と出てくる・・(笑)。)をそろえた後、御茶ノ水に行き、そして飯田橋までJR総武線にて移動し、そこから徒歩にて半蔵門まで行き、地下鉄半蔵門線に乗り、渋谷まで行きました。

渋谷は相変わらずの大変な雑踏でしたが、これにも随分と慣れ、目的とする場所に着きました。

そして、この目的地にて伺ったお話しが極めて興味深く、途中、民俗学を専攻していた時の習性からか、これを録音したいという衝動に駆られました・・(笑)。

この時伺ったお話しとは、主に当地域の過去についてのことであり、その中には高名な歌人、作家等が出てきて、それはこれまでに読んだ、どの評伝等書籍に記されていないことであり、大変興味深いものでした(あたかも山田風太郎の開化物の小説のように)。

そして、それは、まさしく、かつてのこの地域の土着文化の記憶についてであり、また、それと同時に、それはこれまで私があまり扱ったことのない、東京(渋谷周辺)についてのものであったため、そのように感じたのではないかとも思われます・・。

面白いことにこうしたお話しをひとしきり伺うと、私は少し酔った、興奮したような状態になり、そこを辞し、そのままの状態にて再び渋谷の街の雑踏に呑み込まれ、歩きはじめました(そういえば、こうした状態とは、和歌山在住時のヒアリングの際は度々ありました。)。

そうした酔い、興奮が冷めやらない状態にてテレビ番組の収録にて、大物お笑い芸人を囲んだ人だかりに出くわし、その横を通ることになりましたが、それはあまり眼中に入らず、一瞥ののち、歩みを緩めず、そのまま通り抜けました・・。

そしてそのまま歩いていると、不図「こうした私の状態とは、もしかするとフェデリコ・フェリーニ監督の映画「ローマ」の狂言回しのようであるかもしれない・・。」と思いました・・。

この時に私が感じたのは、この渋谷という場所における過去と現在の強烈なギャップであったと考えます。

通常、我々は、そうしたことを日常生活において特に意識しておりませんが、上に示すような契機(過去と現在のギャップ)により、そうしたことを強く感じますと、その思いとは一時的にではあるかもしれませんが、人の心を支配するのではないかと思います・・。

あるいはまた、異郷在住時の不図した契機にて惹起される郷愁の念なども、それと類似する性質を持っているのではないかと考えられますが如何でしょうか・・?

そして、そこから下に示す筑摩書房刊・橋川文三著「ナショナリズム」からの一節です。

ISBN-10: 4480096876

ISBN-13: 978-4480096876
P.28
『このような形成過程からも想像されるように、郷土感情の方は人間のパーソナリティの内部に深く潜在しており、何かの折にふれて湧然とよみがえるという場合が多い。
ミヘルスの伝えているエピソードであるが、フランス軍に加わっていたスイスの傭兵隊は、しばしば異常な郷愁のパニックにおそわれ、算を乱して脱走、帰郷していったことがあるという。そのため、スイスの民謡のあるものを歌うことは、死刑によって禁止されていたともいう。』

我々の心とはなかなか面白いものです・・(笑)。
あるいはまた、こうしたことは、以前のブログ記事にて記しましたゲーテがローマ滞在時に法王庁の役人から聞いたという『人間は始終心の中に様々な考え、想念を持っていないと(意識が分裂していないと)おかしくなってしまう。』の意味合いにも通じる何かがあるのかもしれません・・。

しかし一方、様々な音楽、芸術といったものは、どちらかというと我々を感動させ、そして心を統一させるような性質がその根源にあるのではないかと思われます。

そうしますと、我々の意識とは、分裂しているぐらいの状態が日常生活をおくる上においては適しているのでしょうが、時には音楽、芸術などによって、その統一を図る習慣を持っていないと、時によっては重要なそうした心の状態(統一された)あるいはそれに至る方法を忘れてしまい、結果として、心そのものが荒廃、劣化してしまうのではないかとも考えさせられますが如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」





2016年8月30日火曜日

20160830 虹を見ました。

A「本日も仕事で東京市街地におりましたが、雨が降ったり、日が差したりと二転三転するようなおかしな天気でした・・。

しかし、そのおかげで久しぶりに水道橋、神保町の周辺にて虹を見ることができました・・(笑)。

周囲の方々が空に向けてスマートフォンを向けている先を見てみましたら虹が出ていた次第です・・。

また、それと同様面白いことに、昨日記したブログ記事は投稿1日目にしては思いのほか、多くの閲覧者を得ることができました・・(笑)。
興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

また、本日は日中仕事にて街を歩いた疲れが出た為か、ブログ記事の更新を止めておこうかと思いましたが、さきの二点を題材にして何かしら記すことができるのではないかと考え、現在このようにブログ記事を記している次第です・・(笑)。
しかし一方、目標とする400記事までは到達しましたので、とりあえずしばらく記事作成を休んでも良いのではないかとも思い、また先日再び読んでいた岩波文庫刊・バートランド・ラッセル著「幸福論」にて下に示す記事に出くわしたため、現在、記事作成継続への思いが多少揺らいでおります・・(苦笑)。

P.47
「文学者のグループは、社会生活と生き生きとした接触を保っていない。もしも、人間の感情に、悲劇と真の幸福の双方が営まれる際の真剣さと深みを持たせたいのであれば、そうした接触は不可欠である。
世界には自分のすることなど何もない、という思いをいだいてぶらぶらしているいわゆる才能ある若者たちに、私は言いたい。
「ものを書こうとするのをやめて、それよりも、書かないように努めてみたまえ。
世の中に出ていき、海賊なり、ボルネオの王様なり、ソビエト・ロシアの労働者なりになってみることだ。基本的な体の要求を満足させることで、君のエネルギーの全部が費やされるといった、そういう生活に飛びこんでみることだ。」
私は、なにもすべての人にこの行動指針をお勧めするのははない、ただ、クルーチ氏の診断する病気(厭世、絶望)にかかっている人たちだけにだけお勧めするのである。
私の信じるところでは、このような生活を何年か送れば、元インテリ青年は、いくら書くまいとしての、もはや、ものを書かずにはいられなくなっているのに気づくだろう。そして、この時がきたとき、彼の書きものは彼にとって空しいものとは思えないだろう。」

この文章を読み、少し考えてみますと「今現在果たしてブログ記事を記し続けた方が良いのか、あるいはそうではないのか・・?」と考え込んでしまいます・・(苦笑)。
しかし、何れにしても揺れ動いていることは確かなのです・・。

あるいは、こうしたものは単なる言い訳探し、ポーズ、カッコつけなのでしょうか・・(笑)?

とはいうものの、現在記しているこの記事とは、まさしくこの「揺れ」そのものを題材としており、またそれは同時に少なくとも空しいものではありませんので、まあ、こうしたことを題材として記事を書けるのであれば、書いておくに越したことはないのかもしれません・・(笑)。

そして、ここまで記していて、昨日投稿した記事への反応もまた大変興味深く面白いものであったことを思い出しました。
果たして私自身がそうした反応を出来るかどうかはかなり疑問です・・(苦笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震にて被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」







2016年8月29日月曜日

20160829加筆修正 「20150707 八幡宮、喜捨、放生会について」

無事に400回目の投稿も終えましたので本日はブログ記事の投稿を止めておこうかと思いましたが、そうしますと、どうも落ち着かないため、やはり記事作成をはじめました・・(苦笑)。

さて、本日も特にこれといった主題はないのですが、先日ブログ記事にて記したように現在また野上彌生子著「迷路」上巻を読んでおりますが、その中で興味深く思われた記述がありましたので下に抜粋引用します。

P.584
「なんでも、いいたい放題いってのけるところの多津枝には、自分では意識しない故郷の血にひそむ、外観の精錬された「近代」とは、まるで反対な熊襲の蕃女めいた野生が、肉感的にまで迸しる。」

おそらく多くの方々は、この記述を読み、そこから他の書籍、文献に記されている熊襲、隼人といった、かつて南九州に蟠踞した屈強な種族、そしてその様々な伝説、伝承を想起するのではないかと思います。

あるいはまた、こうした近現代における人物像から随筆家の白洲正子を想起される方もまた、いらっしゃるのではないかと思います・・。

たしか白洲正子の場合、御自身でそうした内容をどこかに記していたと記憶しております。

しかしながら、現代我が国における一般通念から考えてみますと熊襲、隼人からその野生さが示されるのは、主に男性からであり、同地、同種族の女性からは、あまりそういった印象(蕃女)を受けることは少ないと思われます・・。

むしろ、どちらかというと、一般的に九州の女性とは、上に記された印象とは反対の、芯の強い、(どちらかというと)おとなしい女性といった印象が漠然とあるのではないかと思いますが、如何でしょうか・・?

そして、こうしたことを含め、いくつかの土地に住んでみて思うことは、それぞれの土地、地域の文化風土といったものは、実際にその土地、地域にしばらく(少なくとも数年程度)住んでみないと(ある程度明瞭に)理解することは難しいのではないかということです・・(いくら文献、書籍を読んだとしても・・)。

さて、そうしたことを念頭に置き「20150707 八幡宮、喜捨、放生会について」の加筆訂正を試みます。

鹿児島市の郡元周辺に鴨池という地名があります。
文字通り、ここにはかつて鴨がすむ大きな池があったということですが現在ここにそうした池はありません。
私の知る限りにおいて、鴨池には、かつて動物園(現在はさらに南に移転した)があり、また、現在のその場所には大規模商業施設、市民球場、医療保健施設などが立地しております。

そして、この鴨池から県道20号線(市電通り)沿いに騎射場(きしゃば)を経て天文館方面にしばらく北上しますと鹿児島有数の古社の一つである荒田八幡宮に至ります。

かつて、この荒田八幡宮では、武の神である八幡神を祀る神社に相応しく流鏑馬神事が為されていましたが、おそらくその名残が、さきに出て来た(荒田八幡の)ごく近隣にある騎射場という地名となっているのではないかと思われます。

しかし他の八幡宮を含めた神社にて、流鏑馬神事が為される場所のことを騎射場と表現する例は聞いたことがありませんので、これは当地域独特の文字文化(文字による事物表現の仕方の傾向?)によるものであるのかもしれません・・。

その一方、この騎射場(きしゃば)と同じ音を持つコトバを以前聞いたことがありました。

それは琉球、沖縄における地名、苗字の喜舎場(きしゃば)
です。

さらに、この喜舎場の「喜舎」について考えてみますと、それは仏教用語の「喜捨」に起源を持つのではないかと考えられます。
この「喜捨」とは「布施」とも似ているのですが、その意味合いとは「功徳を積むために喜んで自身の財物を施す」という現代でいうところの「寄付」にあたります。

そして、この功徳という意味合いにおいて「喜捨(舎)」には宇佐八幡宮をはじめとする全国の諸八幡宮にて流鏑馬神事と同様に為される魚、鳥などを野に放つ「放生会」神事に相通じる要素があるのではないかと考えられます。

また、この八幡宮における「放生会」神事の起源とは、南九州にて朝廷に対し反乱を起こし、戦にて倒れた隼人の鎮魂の意味で当初為されたといわれております・・。

そして、そのように考えてみますと、この一連の鴨池(放生会神事により魚、鳥を野に放つ為の池)、喜舎(捨)場(功徳を施す場)、荒田八幡がごく近隣に存在すること、そしてさらに現代においても、この鴨池にかつて動物園が存在したことは、大変興味深く、この地域の文化の基層から現代に至るまで貫かれている何かしらの信仰的な観念の存在、あるいはそれらの持つ大変興味深い多義性(我が国における原初的な詩心といっても良いかもしれません・・)を示しているのではないかと考えさせられるのです。

また、そうしたことを念頭に置き、さきに抜粋引用した野上彌生子著「迷路」の一節を読んでみますと、多少またその感慨が異なってくるのではないでしょうか?

P.584
「なんでも、いいたい放題いってのけるところの多津枝には、自分では意識しない故郷の血にひそむ、外観の精錬された「近代」とは、まるで反対な熊襲の蕃女めいた野生が、肉感的にまで迸しる。」

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震にて被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。










2016年8月28日日曜日

20160828 既視感・既読感・・記憶?

A「おかげさまで昨日土曜日も閲覧者数が1000人に到達しました。
どうもありがとうございます。

また、昨日は既投稿記事の加筆修正を行い、その日(2016827)の記事としました。

こうした既投稿記事の加筆修正を行いますと、自身の当時の文体の特徴、クセといったものが再認識されます・・。

そして、現在になり思うことは「たしかに当時の文体であれば、連日の記事投稿はキビしかったであろう。」ということです・・(苦笑)。

しかし、このことは昨年7月の当時から現在(2016年8月)といった相違はあるものの、あくまでも(何れも)主観であるため、さきに記した文体に対する評価(連日の投稿はキビしいであろう。)とは、立証、証明することができません・・。

とはいえ、今現在では、自身の主観を以ってしか、こうしたことを述べることはできませんので、先に進めますと、昨年7月に用いていた文体とは、おそらく簡潔明瞭といったことを念頭に置き記していたものと認められ、またそのように記憶しておりますが、これが多少過ぎて、説明不足の感があり、それに加え、よく分からない、あまり関係のないところで、ハナシが飛んでいる(和歌山から鹿児島)こともまた認められます・・。

こうしたことも、ある程度はセンスの問題であり、たとえハナシが飛んだとしても、その間に何かしらの(センスの良い)関連性が認められれば、それで良いのでしょうが、当時の場合はおそらく、ただただ記したかったのでしょうが、しかし、現読んでみますと、必ずしもそれらの間に「センスの良い関連性が存在する」とは言い切ることができません・・(苦笑)。

さて、そこでハナシは飛んで(笑)昨日の日中は神保町に出向き、書店を徘徊、立ち読みをして、面白そうな著作を見つけました・・。

そして、この著作を立ち読みしておりますと、よく分からない既視感、既読感のようなものを感じ、もしかしたら、この著作は以前読んだかことがあるのではないかと思いましたが、どうも思い当たるフシ、明確な記憶はありません・・。

その一方で、私は比較的立ち読み歴はある程度あると思いますので、以前立ち読みし購入に至らず、その後忘却された著作とは数多くあると思われますので、もしかすると、さきの著作とは、そうしたものの一つであったのかもしれません・・(笑)。

また、それがたしかであるとすれば、無意識化された私の記憶力とは、そこまでひどいものでもないのかもしれません・・(笑)。

しかし、何れにしましても、この既視感いや既読感とは、なかなか面白いものでした・・(笑)。

今後機会がありましたら、この著作からの抜粋引用を試みたいと考えております。

また、それはさておき、これを読まれている方々にもまた同じような経験(既視感、既読感)はあるのではないでしょうか・・?

さて、それに加えまた面白く思うことは、昨日のブログ記事を閲覧して頂いている方(方々)からの反応です。

今現在、それがどなたによるものであるのか分かりませんが、その反応により、おそらく記事を作成した者よりも深く記事を読んで頂いていることが推察されます・・(苦笑)。

また、そのように読んで頂いている方(方々?)がいらっしゃる中でブログ記事を記し投稿し続けるのは、多少面倒ではありますが、それ以上にやりがいをも感じさせてくれます・・。

今後も新規の記事、既投稿記事の加筆修正、書籍からの抜粋引用の何れであれ、出来るだけ作成投稿したいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

今回もここまで興味を持って読んでいただき、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年8月27日土曜日

20160827加筆修正 「20150704古墳造営様式の類似性と様々な文化の移住を示唆するものについて」

和歌山県内の古墳とは、県北西部のほぼ和歌山市全域を含む紀ノ川下流域に集中(県内古墳全体の約7割)していることが、まず第一の特徴として挙げられます。

そして第二の特徴として、これも第一の特徴と関連するのですが、それら古墳のうちの多くが関西、近畿地方においては古墳時代後期以降(概ね6世紀~)を特徴づけるものとされる横穴式石室という造営様式が用いられているということが挙げられます。

以上のことから、和歌山県内における古墳全体の特徴とは、端的に表現しますと、県北西部の紀の川下流域に横穴式石室をその造営様式とする古墳が集中していることであるといえます。

さらに、これら古墳のうちの多くが紀の川南岸の平野から丘陵地に至る地域において集中的に見出されます。
こうした古墳がある特定の地域に集中的に造営されている様式を群集墳といいます。

この群集墳とは、国内各地に数多く見出されますが、紀の川南岸におけるそれは、その数(残存する、確認され得る)においても全国有数であり、また、それを構成する古墳の造営様式においても特色、地域性といったものが見られます。

その造営様式における特色、地域性とは、第一に石室(玄室、羨道)造営に用いられている石材が紀の川南岸(中央構造線の南側?)にて採掘される板状に加工するのに適した緑泥片岩であり、それを積層し、その石室(玄室、羨道)を造営していることです。

第二に、さきのことと関連しますが、この板状に加工された石材(緑泥片岩)を石室内に懸架させた棚状の構造物(石棚)を持つ古墳が少なからず存在することが挙げられます。

そして第三に、群集墳を構成する各々墳墓とは概して中小規模であり、墳丘径50m超の(ある程度)大規模といえる古墳は、数百ある群集墳を構成する墳墓のうちのほんの一握りであることが挙げられます。

また、さきに記した紀の川南岸(中央構造線の南側?)にて多く採掘される板状への加工に適した緑泥片岩とは、先行する弥生時代の墳墓における石槨(墓穴の仕切り板)、あるいは銅鐸の舌などとして加工され用いられていたことから、おそらくその時代間(弥生~古墳)に断層ともいえるような住民の大きな変化とは、なかったのではないかと考えられます。

さらに、さきに同様に記した緑泥片岩を舌として用いたとされる銅鐸とは、現在のJR和歌山駅周辺の太田黒田遺跡から出土されたものであり、面白いことにこの銅鐸と同じ鋳型にて作成された四つの銅鐸が、現在国内にて最も多く(39)の銅鐸が出土した島根県雲南市の加茂岩倉遺跡から出土(1996)しております。

さて、こうしたことは一体何を示唆しているのでしょうか・・。

また今回もここまで興味を持って読んでくださった皆様、
どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の速やかな諸インフラの復旧とその後の復興を祈念しております。


緑泥片岩

20160827 400記事到達・・『嬉戯』としてのブログ記事作成

本日のブログ記事投稿により、全投稿記事数が400に到達します。思えばある程度長い道程ではありましたが、しかし特にこれといった感慨らしきものはありません・・。

ただ「さて、本日分のブログ記事を書くとしようか・・。」といったところです(笑)。

また、その主題、内容は予めカチッと決まっているわけではありませんが、ただ、本日は日中、外に出ており、その際に思ったことを題材に書きはじめようと思っています。

さて、本日仕事にて出向いた御茶ノ水周辺にて工事現場近くを通ったところ、風で砂ぼこりを少し受けてしまい、唇に付着した砂が口腔内に入り、上下顎切歯のわずかな接触の際、砂のその感触を感じました・・。

そして、この時面白いことに鹿児島在住時の夏季に原付を運転している自分を不図そして比較的明瞭に思い起こしました・・(笑)。

こうしたことは自覚して思い起こすよりも先に、そうした感覚が意識上に顕現するものらしいです・・(笑)。

しかし、不思議に思うのは、何故その口腔内で得た砂の感触から思い起こされた記憶が、鹿児島在住時におけるものであると自覚的に判断することが出来たのかということです・・。

また、おそらくこのあたりに虚偽が入っていても、大抵の方々は気づくことが出来ないと思います。

そして、それを良い方にとらえれば一つの創造的な行為と評されるのでしょうが、しかし一方、私見ではありますが、そうしたことを続けていると、より深い意味での創造が出来なくなるのではないかといったある種原始的な恐怖を感じます・・。

またそれは、当ブログ記事初期~中期に多く見られた書籍からの抜粋引用を(ある程度以上)続けてゆくと、それは自身の創造性をも壊死させてしまうのではなかろうか・・?といった怖れともまた類縁関係があるのではないかと考えさせられます・・。

また、現在考えてみますと、そうした怖れにより書籍からの抜粋引用を控え、たとえ稚拙ではあっても、なるべく自身の文章にてブログ記事を記していこうと考えたことは、少なくとも「間違い」ではなかったと考えております・・(笑)。

とはいえ一方、この「稚拙」に関しては、今現在なお、かなり検討、改善の余地があるものと考えております・・(苦笑)。

そして、そのように考えてみますと「文体の獲得」とは、なかなか難しいものであり、おいそれと簡単に出来るものではないということを改めて実感させられます・・。

しかし、そうはいうものの、これまで(ある時期から)出来るだけ自身の文章にてブログ記事を作成し続けたことにより、自身の言明したいことを以前よりかは(より多く)表現することが出来るようになったのではないかとも思われますので、こうしたこと(文体の獲得)とは、漸進的な進化発展により得られる、為される性質のものであるのかもしれません・(笑)。

また、ハナシはさきほどの想起されたこと自体に戻りますと、五感、六感に対するある種の刺激により惹起せられた記憶、想念といったものの(虚偽を含まない)言明、表白を継続することにより何といいますか、人間の創造性とは練磨、洗練されるものではないでしょうか?

また現在では概ね制度化されている勉強、研究などといったものも、その古典と呼ばれるものを読むにつけ、根源的にそれら(勉強、研究)とは、原初からの我々人間に付随する『嬉戯』の一種であったのではないかと考えさせられるのです・・。

そして、これまでに私が作成してきた一連のブログ記事とは、本質的にはそうしたもの(嬉戯)であることを願っているのですが、なかなかそればかりではいかないところがまた、見方によっては面白いのかもしれません・・(笑)。

あるいはまた、そうであることを願うことにより、これまでどうにかブログ記事作成を継続出来たのではないかとも思います・・。

また、これは自明のことではありますが、それと同時に一連のブログ記事を(興味を持って)読んでくださる(私にとって多くの)方々がいらっしゃることにより為されたことをここに明記しておきます。

そして、今回もまた興味を持って記事を読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

今後も引き続き継続しようと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

また、ここにきて不図思い起こしたのは下に示すフリードリヒ・ニーチェの格言です。

「成熟とは、子供のときに遊戯に示したあの真剣さを再び見出したことである。」

さる四月に熊本を中心に発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。



2016年8月26日金曜日

20160825 史実の表層・・

本日は若干帰りが遅くなり、今(22:58)から本日分のブログ記事の作成を開始します。また、今回投稿する記事によりこれまでの総投稿記事数が399となり、400記事まで、まさしくあと一歩ということになります。

また、本日分の記事の主題を何にしようかと帰りの電車の中で考えておりましたが、途中ウトウトしはじめ、そして寝てしまっておりました・・(苦笑)。

しかし一方、相変わらず書籍の方は、何冊かこれまで読んだものを再び、三度読み返しておりますので、まあ、これといった面白い着想がなければ、それら書籍のなかで面白いと思った記述を抜粋引用しようとも考えておりました・・(笑)。

また、これらの書籍とは、特に一つの学問分野に絞られるわけでもなく、文学(小説)、歴史、思想史、民俗学などと多岐に渡り、そのことから「また近々面白そうな、ある程度硬質で長めの著作を集中して読んでみたいな・・。」といった欲求がまた湧いてくるのですが、残念ながら今現在未だそうした著作を見出しておりません・・(苦笑)。

ちなみに直近で読んだある程度硬質、長編の著作とはご承知の通り野上彌生子著「迷路」であり、これは前記の現在読み返している著作の一つであり、今回の読書においては、面白い、興味深いと思われる記述の頁を折ったり、赤線を引いたりといった、かつて採っていたスタイルを踏襲しております。

また、以前もブログ記事にて記した記憶がありますが、今回三度目の「迷路」を読みながら思うことは、この小説、物語とは、著者御自身の生活環境からの影響が強く、その主要な舞台も東京、九州(特に大分県の臼杵市(おそらく)周辺)、それに軽井沢であり、さらにその登場人物もまた、九州に出自を持つ者が多く、そのことから登場人物の作中での会話等様々な描写の記述も当地の時代の雰囲気、民俗(土地の習俗、文化)を強く感じさせるものが少なからずあということです。

そして、それらの記述とは、九州での在住経験がある私にとっては、大変興味深く、また、おそらく在住経験がなかった頃に比べ、それら記述されている内容を、ある程度深く理解しつつ読むことができているのではないかと思います・・。

そして、このような視点から考えますと、この「迷路」という著作はあくまでも物語、フィクションではあるのですが一方、その作中において記述されている様々な(些細ともいえる)事柄とは、史実の表層といっても良いものが多いのではなかろうかと考えさせられるのです・・。

そしてまた、あらゆる過去を舞台にした小説、物語あるいは映画などは、こうした些細な要素の具体性、信憑性(の蓄積)などによってもまた、少なからず、その評価とは変わってくるのではないかと思われます。

いやしかし、こうしたことは、何も過去を舞台としたものに限らず、空想科学(SF)の分野においてもまた同様であるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本で発生した大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念します。




2016年8月24日水曜日

20160824 久しぶりの対話形式

先日知人と電話にて話していた際のやりとりを先ず下に示します。

A「どうですか、最近は私のブログ記事を読んでいただいてますか?」

B「ええ、そこまでじっくりとは読んでおりませんが、一通り読ませて頂いていますよ。
それに時折はなかなか面白いと思わせる記事もありますしね・・。」

A「はあ、それはどうもありがとうございます。
それでBさんから見てどういった記事が面白いのですか?また、それに加えて、記事に書かれている内容の意味は通じておりますか・・?
いや、これは「私の文章の記述の仕方が分かりやすいのであろうか?」という疑問からお尋ねしているのですが・・(笑)。」

B「はあ、なるほど、そうですか・・。
先ず私から見て面白いと思う記事とはAさんらしく文系か理系かよく分からないAさん独特の世界観が述べられている記事が多いかもしれません・・(笑)。
また、記述されている内容に関しては、おそらく理解しているのではないかと思いますよ。」

A「ふうむ・・独特の世界観ですか・・そうしますと何だか私が余程の変わり者のようにも感じてきますが、こうしたことのその実際のところとは、なかなか分かりにくいものです・・(笑)。
それに私個人としては、そうした自覚とは、まったくありませんので・・。
それとBさんが私の書いた文章を理解されているというのは分かるのですが、しかしそれはBさんが実際の私のことを知っているからであると思うのですが・・。」

B「・・私がAさんのことを実際に知っているから、その書かれた文章を理解できるというのは、云われてみますと、なるほど・・たしかにあるのかもしれませんね・・(笑)。」

A「ええ、これまで私もブログ記事という形でいくらか散文らしきものを書いてきましたが、そのような上手く説明ができないような感覚、つまり(自身が)読んだ文章を著した人物のことを直接に見知っていることから、その文章を理解出来るといった自覚を持つという感覚とは、たしかにあると思います。
そして、その端的なものが手紙であり、またそれを文学的な創作の型としたものが、実際、架空の何れであれ書簡形式といったものではないでしょうか・・?」

B「ああ、なるほど、それはたしかに一理あるかもしれませんね・・。
そういえば、Aさんが学位取得後の一頃、やけに手紙、葉書を送ってくださる時期がありましたね・・(笑)。
そして、私としてはその時期にAさんが書かれた手紙、葉書と現在書かれているブログ記事とは、一本の線でつながりますね・・。」

A「・・ええ、何かしら精神の危機的状況に差し掛かる、追い詰められると、私はそのようなこと(手紙、葉書を書く)をする傾向があるのかもしれません・・(苦笑)。
もちろん、そうした状況だけではありませんが、そうした傾向はあると思います・・。
しかし、そうしますと、これまで作成してきた一連のブログ記事も、おそらく同様にその範疇に入り、あるいはそうした状況の産物であるともいえます・・(苦笑)。
しかし一方、現在記している一連のブログ記事とは、そうした状況の産物であるのと同時に、一時的にであるかもしれませんが、そうした状況から私を救ってくれるものでもあるのです・・。
まあ、これもまた多少不思議な感じがしないでもありませんが・・(笑)。
さらにまた、そうした状況がある程度継続することにより触発された「何かを書く」という行為が第二の天性のように自身に浸透そして定着するのではないかと思われます・・。
いや、これは未だ希望的観測の域を出ないハナシではありますが・・(笑)。」

B「・・ええ、たしかにそうしたことは、少なからずあると思います・・。
おそらく私もそれと似たような時期を過ごしてきましたから・・。
それでも、何でもそうであるように適切な分量というものがある思いますのでAさんのブログ記事作成もそうしたことを多少は念頭に置いて作成するのもまた良いのではないでしょうか・・(笑)?」

A「たしかにそれは仰る通りであると思うところなのですが、しかし、何といいますか、その伸るか反るかの見極めが何においても大変難しいのではないかと思います・・。
ですから、とりあえず次のキリのいい目標である400記事に到達しましたら、また考えてみようと思います・・。
それでも、ここまでブログ記事を書いてきて思うことは、私は基本的に文章を書くことが好きなのではないかということです・・(笑)。」

B「はあ、なるほど、そうですか・・では、とりあえず、あまり無理をしない程度のペースを維持して400記事まで到達されるといいですね。」

A「ええ、ではあまり無理をしない程度に頑張ります(笑)。
また、ここまでブログ記事作成(文章を書くことが好きでいられた)を継続することが出来たのは、書かれた記事を読んでくださる皆様が(私にとっては少なからず)いるからである思います・・。」

B「まあ、それはたしかにそうでしょうが、それでも、あまり気負わずに書かれた方が面白い記事が書けると思いますので、とりあえずは目標とされている400記事まで駆け抜けてください・・。」

A「はあ、どうもありがとうございます。
それと、今回のこの一連の会話も個人特定の要素を除いて、久しぶりに対話形式の記事とさせていただきます(笑)。」

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの早期の復旧と、その復興を祈念しております。










20160823 投稿記事397記事 ロールモデルの変遷 万世橋の銅像 

本日のブログ記事の投稿により、記事投稿総数が397となり、とりあえずの目標とする400記事まであともう一息といった状況になります。

そして実際にそうなってみないと分かりませんが400記事に到達しますと自身の内面において何かしら変化が生じるのでしょうか・・?
あるいは自身の外においてもまた、何かしら面白いことが生じるのでしょうか?
あるいはまた、双方共に生じるのでしょうか・・?

しかし、たとえ何かしらそうしたことが生じたとしても、それは自身にとって必ずしも良いとは言い切れないのかもしれません(長い目で見た場合をも含めて)・・。

それ故、今後、上に記したようなことはあまり念頭に置かず、ただ出来るだけ無心になり、もうしばらく記事作成を継続しようと思います・・。

とはいえ、ブログ記事作成におけるある程度大きな区切りに近づきますと、やはり多少なりとも、上のようなことを考えてしまうのが自然なのではないでしょうか・・・(苦笑)?(果たして本当か?)

また、不思議なことに、そうしたことを考えはじめますと、そちらの方に想念が奪われる、集中するためか、肝心のブログ記事の着想が思うように浮かんできません・・(苦笑)。

そして、現在記しているこの文章とは、一通りそうした想念に捉われた後「本日分のブログ記事は書籍からの抜粋にしようか・・。」とあきらめ半分に考え始めた頃「いや、それであれば、そうした現在の想念そのものをブログ記事として記せば良いのではないか?」と考えを改め、如上のような次第となっております(笑)。

とはいえ、ここまで記しますと、今度はそこから先の文章が思い浮かばず、一端キーボードから手を離し、ひとしきり何かしらの着想が浮かぶまでボーッとすることになります・・(苦笑)。

また、ここでジタバタして「何かしらの着想が浮かぶのではないか?」と考え、傍らにある書籍などに手を伸ばすことは往々にしてあまり良い策ではなく、逆にその書籍に飲まれてしまい、着想どころではなくなることが私の場合少なからずあるようです・・(苦笑)。

そして、このように文章の着想が浮かぶまでの経過を着想として扱い、それを記していますと、果たして如何なる着想が浮かぶのであろうかと考え、そのままを記しておりますと不図思い起こしたのは、昨日投稿したブログ記事への反応であり、これはまた私にとって新鮮なものであり、下に示す考えがそこから得られました・・。

昨日投稿したブログ記事最終部近くにて「我が国における(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像とは近代の西郷隆盛で終息、終焉したのではないか?」といった意味のことを記しました。

しかし、もしかすると、それは太平洋戦争の敗戦(以降しばらく)まで万世橋のたもとに立っていた銅像のモデルもまたそうであったのかもしれません・・。

とはいえ、この戦後に撤去された銅像の周辺、つまり東京都千代田区には、他にも戦前からの銅像が比較的多く存在し、本日も大山巌品川弥二郎の銅像の横を通りました・・。

では、なぜこの万世橋の銅像とは撤去されなければならなかったのでしょうか・・?

これには諸説あり、現在なおその確たる背景、真相とは見出されていないようです・・。

あるいはまたその背景、真相とは見出されると面倒な何かがあるのでしょうか・・?

とはいえ、おそらくそこには日本近現代史あるいは我が国国民性の暗部といったものが少なからず隠されているのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の地域、県全体の復興を祈念しております。




2016年8月22日月曜日

20160822 素戔嗚から菅原道真まで・・

昨日記した記事における「大魔神」とは、その造型モデルが古墳時代の埴輪であることは周知の通りであり、またそのことは以前、ブログ記事においても記したのではないかと思われます。

そしてその埴輪の起源について考えてみますと、それはつい先日投稿した記事「山椒・ミカン科・蜜柑・・」内にて記した垂仁天皇の御代であったとされております(日本書紀)。

日本書紀によると、それ以前の時代においては天皇崩御に際し人間が殉葬されていたとのこと(不思議なコトにその証拠はあまり発見されていない)ですが「それは野蛮である。」ということで、出雲に出自を持つ野見宿禰の言を取り入れ、人間の代わりに土製の人形(埴輪)を充てることにしました。

そして、これを機に野見宿禰は苗字(?)を野見から土師(はじ)に改めるように命じられ、またその一族が、さらに後代、菅原と苗字を改め、そこから学問の神様菅原道真が出ました・・。

ちなみにこの野見(土師)宿禰とは、それ(埴輪作成)以前より土器作成を司ってきた一族ではあるのですが、それと同時に我が国の相撲の祖であるとされております・・。

土器作成を司る相撲の祖とは、なかなか面白い組み合わせであると思われるかもしれませんが、これはその出自たる出雲族の祖とされる素戔嗚(すさのお)について考えてみますと意外と納得させられます・・。

といいますのは、素戔嗚(すさのお)は、高天原にて田の畔を破壊したり、溝を埋めたりといった土にまつわる悪行を行い、それら(他にもありますが)が原因で高天原を追放された後、出雲にて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したりと、いわば土いじり、格闘といった双方の要素を兼ね備えていると思われますので・・(笑)。

しかし、そこから時代がくだり、菅原道真までになりますと、古来より一族(野見、土師)が持つ(技術、力技的)要素が希釈され、専ら学問分野においてその名が知られるようになるというのは、なかなか示唆的なことではないかとも思われます・・(笑)。

とはいえ、菅原道真の学問分野における名声とは、一面において、さきの技術、力技的といった男性的な要素に対し、何かしらの変態、転移が生じることにより得られるのではなかろうか・・?とも考えさせられ、また、そのように考えてみますと、妙にハナシの筋は通るのです・・(笑)。

さらにまた、こうしたことを記しておりますと、このハナシの筋道とは、古代より現代に至るまで続く我が国の(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像(?)を示しているのではなかろうか・・?とも考えさせられます・・。

そしてそれは時代精神の変化に伴い、それらが持つ原初的要素(技術、力技的)と洗練された要素(学問、詩歌)とのピークの変化(上下?)を示しながら光源氏、源義経そして最後は近代に至り西郷隆盛あたりで終息したのではないだろうか・・?と考えさせられますが、さて、如何でしょうか・・(笑)。

また、ここまで記しておりますと、不図、岩波書店刊・バートランド・ラッセル著「幸福論」の一節あるいは西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」というコトバを想起しました・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。






2016年8月21日日曜日

20160821 創造性と怪獣・大魔神

本日も特に日中は気温が上がり、蒸し暑い一日でした・・。
また、おかげさまで昨日もまたブログ記事の閲覧者数が1000人に到達しました。

さて、ここ最近の閲覧者の傾向にて多少面白いことは、当ブログとは、これまで主にアメリカ合衆国、日本から閲覧されている傾向がありました。そして、その傾向には大きな変化は見られないものの、ただ、それに加え、西欧からの閲覧者が以前に比べ徐々に増加してきたことです。

ここには如何なる原因が存在するのであるか判然としませんが、あるいは最近共有した動画サイトの動画が原因ではなかろうかとも思われます・・。

また、昨今は、投稿した記事数も今回の投稿にて390代の半ばに達し、400記事への到達も(これまでの道程からすれば)まあ、目前と評しても良い状況になるのではないかと思います・・。

とはいえ、今後もし無事に400記事に到達した場合、その次は一体どうするのでしょうか・・?


とはいえ、おそらく、その後も何かしら記事を書き続けるとは思われますが・・。また、それにくわえて行いたいことは、これまでに投稿した記事の加筆修正です。

これら既投稿記事の中には現在読んでみますと、不適切、言葉足らずとも思われる部分が少なからず見受けられますので、こうした作業とは(多少は)有意義なものであると思われます。

しかし、その際において問題であると思われることは、既存の投稿記事の状態をどうするかということであり、新たに加筆修正した記事に置き換えることが、もしかしたら自然であるのかもしれませんが、同時にそうしたことを(少なからず)行うと、目的は異なるのかもしれませんが、ジョージ・オーウェル著「1984年」での新聞記事作成および修正における記述を思い起こさせるため、どうもあまりいい気持がしません・・・(苦笑)。

そのため、もし既投稿記事の加筆修正を行った場合、オリジナルの記事はそのままにして、加筆修正が為された記事は(201****加筆修正分)と名付け、新たな記事として投稿するのが良いのではないかと考えております。

しかし、そうしますと、今度は「その方法を採ることにより、投稿記事数のより安直なカサ増しを狙っているのではなかろうか?」といった疑念もまた読んで頂いている方々に生じるのではないかと思われます(杞憂であるかもしれませんが)。

しかし、それ(既存記事の加筆修正)ばかりであれば、たしかに問題視される可能性もあると思われますが、それと並行し、新たな記事をも継続して作成するのであれば、そこまで問題視されることもないと考えます・・。

やはり自身としても、何かしら創造性の維持発展は図りたいと考えておりますので・・(笑)。

また「創造性」にて思い起こしましたが、最近は1950年代半ばに第一作が製作された我が国の代表的な怪獣映画の何度目かの改作が公開され話題になっているようですが、個人としては、あの怪獣よりもむしろ「大魔神」の改作を現代の我が国を舞台にして為された方が余程インパクトがあるのではないかと思いますが如何でしょうか・・?

これら怪獣、大魔神に共通する要素として、よく分からない強大な力を持つ何か過去のものが、何らかの契機により目覚め、それが(映画の)舞台となる時代、地域を蹂躙、大暴れするといったことが挙げられます。

一方、異なる要素として、怪獣は本来自然が生み出した「生物」であり、大魔神は古代の人為的な「意図」に基づいて製作された「もの」であることが挙げられます。

そして、もしかすると我々日本人とは、このような恐怖の対象となる存在を何らかの生物として具現化したがるといった特徴、指向性があるのかもしれません・・。(地震のなまず絵等々)

その場合、大魔神とは、元々人為的な製作物(おそらく観念的背景も強い)であるため、それが目覚め、暴れるためには、その起因となる出来事も、必然的にある程度限定された人為的、観念的なものとなるのではないかと思われます・・。

そして、そうであれば、そこから受けるインパクト、恐怖もより限定され、映画作品として観る立場からは一層、第三者的となり、あまり感情移入をする(怖がる)ことが出来ないものになってしまうのかもしれない・・。

また、それに加えて、我が国の戦後より、その傾向がより一層顕著となった自国の歴史(古代を含む)についての無関心といった要素もまた強く存在するのではないかとも考えさせられます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念します。」





20160820 下書きノートにて作成・・

A「本日は所用のため外出した先にて若干空き時間が出来たため、近くの喫茶店に入り久しぶりに本日分のブログ記事の下書きをノートに記すことにしました。

以前は概ね、このノートに下書きを記す方法にてブログ記事を作成しておりましたが、昨今は主に時間的な制限によりPCへの直接入力にて作成しております。

こうしたブログ記事の作成方法の変化により、記された記事の文体、内容に変化は生じるのでしょうか・・?

しかしながら、こうしたことは、ある程度継続してみないと判然としてこないのではないかと思われます。

そして、ある程度継続してみた結果として、その間(下書き・直接入力)に顕著、有意な差異が見受けられないであれば、それはそれで(私としては)新たな発見となり、少なくとも退屈なことではないものといえます・・(笑)。

しかし、その際において重要なことは、結果そのものではなく、そうした現象が判然とするまでの過程、経緯をどのように解釈、理解し、さらにそれを適切に表現することではないかと思われます。
このように記しておりますと、これは思いのほか重要なことではないかと思いはじめました・・(笑)。

また、私がこうしたことを考えるに至ったのは、本格的に実験というものに取り組んだ在鹿児島の頃でした。

一般的に実験を行うに際し、事前に、あるいは並行して類似、関連する他の実験について記された国内外諸文献(先行文献)をあたり、それらの実験、観察結果において、どのようにそこで生じた現象が解釈され、記述されているかを知ることが必須になります。

そして、それを自身の行った実験の過程、結果と比較検討するのですが、実際に実験の全過程を手掛けていますと、概ね、先行文献の解釈、記述に対し多少なりとも疑問が生じてきます。

それは、たとえ実験結果データが示す傾向が類似したものであったとしてもです。

そうしますと、次のステップ、つまり更なる検証の方向、方法が異なってきますので、これ(実験結果の解釈、記述)とは、大変重要な要素であるといえます。

また、次の方向性、更なるステップの方法の検討といったところでまさしく、実験、研究に従事する人のセンス、学識といった背景が顕現あるいは問われるのではないかと思われます・・。

その意味で私が行った実験とは、特にその方向、方法の検討、結果の解釈などにおいては、お師匠からの御意見を多く参考にさせて頂いたものであったため、その際に何といいますか(私としては)異次元的な学識の深さを感じさせられることが多々ありました・・(笑)。

また、それに関連して思い起こすことは、この師匠を含め、これまでに私が見知った物理、理工学系の(おそらく)突出しているであろう研究者の方々とは、概ね一般的な意味で決して(「かつての」をも含む)美男子(ばかり)というわけではなく、また体型も特にスリムといったわけではないのですが、ジブリ映画の「紅の豚」にて主人公が決闘前夜にランプの灯りで機関銃の弾丸を点検しているところを偶然見かけると、何だかカッコよく(豚が人間に)見えたというような感じ、あるいは根源的に、生物の雄(オス)としてカッコいいと感じさせる何かがあるのではないかと思われます・・。

しかしながら、こうしたことの実証とは(少なくとも現在においては)科学的に困難であることから、信ぴょう性がなく、うさん臭く思われがちですが、それでも個人の全体像に付随する「よくわからない何か」とは実際に存在するのではないかと思っております・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」





2016年8月20日土曜日

20160819 読書について・・【書籍 ラッセル著『幸福論』からの抜粋引用あり】

現在三度目の野上彌生子著「迷路」(上巻)を読んでおります。そして、その記述から、また新たに色々と思う、考えさせられることが出てきます・・。

以前読んだ時においては特に気に留めなかった記述を今回の読書において興味ある箇所として見出すことは、おそらく皆様においても同様に少なくないと思われます。

しかし、同時に、そうしたことが「何故生じるのか?」とは、イマイチよく分かっていない、自覚していないのではないでしょうか・・?

表層的には「それを読んでいる時の自分の心持、感情が変わっているから生じるのであろう。」となるのでしょうが、ではなぜ、どのように自分の心持、感情とは変化するのでしょうか?

また、おそらく、このあたりをも自身の意識などで制御、操作が出来るようになれば、それはそれでスゴイことなのではないかと思われます・・。

また、そう(自身の心持、感情を意識などで制御、操作出来るように)なれば、このようなブログ記事などを継続的に作成することは、おそらく何の苦でもなくなるのかもしれません・・(笑)。

そして、このようなことを記しておりますと、不図、小林秀雄がどこかで述べていた「文章を書く際には間(ま)というものが極めて重要であり、その間(ま)に乗らないと決して文章というものは書けない。」といったことを思い起こしました・・。

なるほど、これはたしかに自身の体験、経験からもその通りであるかもしれません・・。

また、本日のブログ記事を書く際においても、なかなかまとまった着想が思い浮かばず、幾度か主題を変更した結果、上のようなものとなっているのです・・(苦笑)。

そして、その主題にて、この程度まで文章を書き続けることが出来れば、とりあえず自身としては、及第ではあるのですが、同時にそれが読んで頂いている方々(のより多く)にとって面白いものであるかどうかとは、極めて遺憾ながら、また別問題であるようです・・(苦笑)。

とはいえ、どのように才能豊かな著述家であろうと、その著作の最初から最後まで全編が面白いといったものは存在しないのではないかと思われます・・。

そして、もし、そのような著作が存在するとすれば、それは先ほど記した我々が持つ心持、感情の特徴から敷衍しますと、逆説的にあまり深みのない、面白くないものとなってしまうのではないでしょうか・・?

また、それに付随して、深みのある読書の面白さ、楽しさとは、一つに、そういったところに存するのではなかろうかとも思われますが、如何でしょうか?

また、ここから一気に卑近な事情にハナシを移しますと、はじめに記した主題によってここまでハナシをある程度拡張し、引張ることが出来れば、それは自身としては、及第以上ではなかろうかとも思われます・・(笑)。

さらに、ここまで記しておりますと、不図、以前読んだバートランド・ラッセル著岩波文庫刊「幸福論」の一節を思い起こしましたので、下に示します。
PP.68ー70
『偉大な本は、おしなべて退屈な部分を含んでいるし、古来、偉大な生涯は、おしなべて退屈な期間を含んでいた。
現代のアメリカの出版業者が、初めて持ち込まれた原稿として旧約聖書を目のあたりにした場合を想像してみるがいい。
たとえば、家系について彼がどんなコメントをするかを想像するのはむずかしくない。
「ねえあなた」と彼は言うだろう。「この章はぴりっとしていませんな。ほとんど説明もなしに、ただ固有名詞をずらずら並べたって読者の興味を引きつけることはできませんよ。確かにストーリーの冒頭は、スタイルもなかなか見事です。それで、私も初めはすこぶる好ましい印象を与えられたのでした。でも総じて、何もかも洗いざらい語りたいという気持ちが強すぎます。さわりの部分を選び出し、余計な箇所を省いてください。そして、適当な長さに縮まったら、もう一度原稿をお持ちください。」
こんなふうに現代の出版業者は言うだろう。
現代の読者がどれほど退屈を恐れているか承知しているからだ。彼はまた、孔子古典や、コーランや、マルクスの「資本論」や、そのほかこれまでベストセラーになったすべての聖典についても、同様なことを言うだろう。
このことは、聖典のみにあてはまることではない。
最もすぐれた小説は、おしなべて退屈なくだりを含んでいる。
最初のページから最後のページまで才気がひらめいているような小説は、まずまちがいなく、偉大な本ではない。
偉人の生涯にしても、二、三の偉大な瞬間を除けば、興奮にみちたものではなかった。
ソクラテスも、おりふしは晩餐会を楽しんだし、また、あおいだ毒ニンジンが回りはじめたときも、自分の会話に深い満足をおぼえたにちがいない。
しかし生涯の大部分は、妻のクサンチッペとともに静かに暮らしたのだ。
そして、午後には健康のために散歩をし、もしかすると、途中で二、三の友と人会ったことだろう。カントは、一生涯、ケーニヒスベルクの町から十マイル以上離れたことは一度もなかった、といわれている。
ダーウィンは、世界一周したあと、その後の生涯をずっとわが家で過ごした。
マルクスは、いくつかの革命を起こしたあと、残りの日々を大英博物館で過ごすことに決めた。
総じてわかることは、静かな生活が偉大な人びとの特徴であり、彼らの快楽はそと目には刺激的なものではなかった、ということだ。
偉大な事業は、あまりにも注意を奪い、あまりにもむずかしいので、骨の折れるような娯楽をするためのエネルギーがほとんど残らないのである。例外は、休暇中に肉体的エネルギーを回復するのに役立つような娯楽で、その最もよい例は山登りであるかもしれない。

さて、このあたりは如何にもバートランド・ラッセルらしい文章であると思われます・・。
また同時に、抜粋引用部前半からは、モンティ・パイソン調の笑いを誘われることから、こうしたことにおかしさを見出す精神とは英国特有のものであるのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本での大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。






2016年8月18日木曜日

20160818 閲覧されたブログ記事から・・

これまでに作成したブログ記事も390を越え、あと10記事の投稿に満たず、どうにか400記事に到達します。
また、以前は366記事(閏年であるため)を目標として定め記事作成を行ってきましたが、それに到達しますと、今度は、その次のキリのいい数として400記事を目標として定め、現在は、その(到達に近い)途中であるといえます。

また、最近は読んで頂いている記事も最近投稿のもののみならず、大分前(たかだか一年程度ではありますが・・)に投稿した記事がどうしたわけか多く読んで頂いていることがあり、こうした現象とは、もしかすると、そこに何かしら現在(さまざまなレヴェルにおける)との関連性の指摘が為されているのではないかとも考えさせられます・・・。

そして、そのようなことを頭のどこか片隅に置き、何かしら文章を記していると、どのようなメカニズムに因るものであるかわかりませんが、つい先日に投稿した「「山鹿灯篭まつり」から・・」のようなことが生じるのではないかと思われます・・(笑)。

とはいえ、このようなことは、決して語義通りの意味で「科学的」であるとは到底いえません・・。

しかし一方において、こうした現象もまた少なからず世の中に存在することは、大抵の方々が理解、納得していただけるのではないかとも思われます・・・。

このようなことは不思議といえば不思議ではあるのですが、同時にそこに偶然・必然いずれかのコトバであれ、それを以って(現象に対し)充たそうとすると「どうも違う・・」、「いや、それだけではない!」といった感じを受けてしまうのです・・(苦笑)。

あるいは、もしかすると、心のそのあたりの動きに「創造性」といったものが脈打っているのかもしれません・・(笑)。

しかし、このようなことを(ボンヤリと)考える(ことができる)ようになった時期とは、私の場合、そこまで古くはなく、昨日のブログ記事における鹿児島在住の頃(特に後半)であったと記憶しております・・。

この時期とは、現在になり考えてみますと、さきに記した「山鹿灯篭まつり」記事のようなことが(比較的)継続的に生じていた時期であり、そして、おそらくそのような(継続的な)現象を自我が感知するところから、一種の自意識の肥大化が生じ、その結果、何かしら精神に(良い悪いは抜きに)変化が生じるのではないかと思われます・・(笑)。

また、こうしたことを現在言語化を試みているということは、次に生じるそれに適切に応対する為であり、同時にそれを「望んでいる」ともいうことが出来ます・・(笑)。

つまりここで重要なことは「それ(自意識の肥大、精神の変化)に適切に応対するということが大事なのであり、それを望むということは、決して悪いことではないのではなかろうか?」ということです。

そしてそのように考えてみますと、反語的に在鹿児島時代の私とは「それ(自意識の肥大、精神の変化)に適切に対応出来ていなかったのではないだろうか・・?」と考えさせられるのです・・。

あるいは、そうしたこともまた、当時の私は薄々ながら感じ取っていたのではないかとも思われます。

そして、何れにせよ、どうにかそれ(自意識の肥大、精神の変化)に押し潰されず生きてこれたことに対し薩摩、鹿児島の風土そしてその地域社会そしてそこでお世話になった人々(鹿児島が地元でない人々をも含む)に対し、少なからず恩義を感じざるを得ないのかもしれません・・。

ともあれ、以降もまたしばらく記事を書き続けます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。

20160817 灰の降る街について・・ 

本日の首都圏は台風一過によるものか大変天気も良く、また気温も思いのほか上昇しました・・。

これは町なかを歩く際に若干つらく感じる程度のものでした。

しかし、以前より何度も記すようですが、その日差し、そして気温とは、和歌山、九州(特に鹿児島)に比べると特に耐え難いという程のものではありません。

また、九州(特に鹿児島)の日差しに対しても能動的に慣れることを試み、それを継続すれば、どうにかしのげる程度までは慣れていくことも特に難しいことではないと考えます。

いや、むしろ鹿児島(市街)の夏季においては、その日差しよりも日常的ともいえる桜島の噴火による降灰に悩まされるかもしれません・・。

この(降灰の)ため、彼の地(鹿児島市街周辺)における夏季の洗濯物は、その強い日差しにもかかわらず露天にて干すことが困難です。

これには在住当初なんともいえない矛盾を感じておりました・・(笑)。

また鹿児島市街から電車、自動車などで離れて気が付くことは、路地の隅などに(火山)灰およびその痕跡がないことです。

また、それに伴い空気も幾分かキレイになっているのではないかとも錯覚します。

たしかに夏季の鹿児島(市街)においては、シャワー、入浴の際、身体の様々な部位に火山灰が付着していることに気づき、そのことから「ここの大気とは火山灰によって汚染されているのではないか?」と感じることが往々にしてありましたが、他の(空気がキレイな)地方都市と比べてはわかりませんが、少なくとも現在の首都圏と比べますと、まだ大分マシなのではないかと思われます・・。

とはいえ、鹿児島在住時は、この火山灰により洗濯以外においても悩まされ、当時乗っていた原付の運転時におけるゴーグルとは、必需品(に近いもの)でした・・。

また、それと関連することとして、彼の地の(特に夏季における)火山灰が飛散、浮遊する状況により生じる一種独特な大気の環境とは、大気を媒質であると考えた場合、他のそうでない環境と比べた場合、より強い(場の)空気の凝集性を生じさせるのではないかとも考えられますがさて、如何でしょうか・・?

そしてそうした自然環境が、戦国、幕末およびその後において(主にその団結力の強さにより)武勇、精強さを誇った島津兵、薩摩藩の物理的な意味での(まさしく微細な!)礎の一つとなったのではないかとも考えさせられます・・。

そしてまた同時にそうした環境とは、鹿児島の女性(薩摩おごじょ)達の(女性特有の)感受性に対しても少なからぬ影響を与えているのではないかとも考えさせられます・・。

こうしたことは、鹿児島在住時には、特にあらためて言語化して考えてみることがありませんでしたが、現在、彼の地から離れ、且つこうした気温が高い日になりますと、不思議なことに、そうしたことが自然と思い起こされ、そして現在それを題材として文章を記している次第です・・(笑)。

そのように考えてみますと、当然ではあるのかもしれませんが、我々人間一般とは、畢竟、自然の所産、産物であり、そこからの影響を受けつつ何かしらものごとを考えている(考えさせられている)のではないでしょうか・・?

その意味において、日常的な桜島の噴火および降灰が存在する一種独特、特徴的な大気(媒質)の環境を持つ鹿児島とは、やはり、その風土においてもまた、良い悪いといった価値判断を抜きに一種独特、特徴的な「何か」があるのではないかと考えさせられます・・。

また、最後に蛇足となりますが、野上彌生子の「迷路」内においても幾度か記されていたことでもありますが、鹿児島人によく見られるパッチリとした瞳とは、さきに記した桜島の噴火および降灰による自然環境とは、どうも相矛盾するのではないかと思われます。

そうしますと、これ(鹿児島人によく見られるパッチリした瞳)とは、自然環境(桜島の噴火および降灰)以外の、この地の人々特有の種族的な特徴ではないかと考えられますが、私見としましては、どうもそれだけではないような感じを受けます・・。

ここから先はまだ上手く言語化できませんが、機会がありましたら、また考えてみたいと思います。

今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

そして今回の記事題材の北隣の熊本において、さる四月に発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」



2016年8月16日火曜日

20160816 昨日投稿の記事から・・

本日首都圏は夕刻より雨が降りはじめ、それが徐々に強くなってきております。
最も雨が強くなるのは明朝にかけてとのことですが、交通機関への影響が出ないことを願います・・。

現在もまた、若干雨が強くなってきておりますが、その雨音は全般的に和歌山、九州在住時におけるそれよりかは、あまり強いものではありません・・。
さて、ハナシは変わりまして、どうしたわけか、昨日投稿した概ね書籍(「丸山眞男著「忠誠と反逆」)からの抜粋引用であった投稿記事(20160815)は、思いのほか閲覧者数が伸び、加えて、その後に多く読まれている記事もまた、当記事に関連するものが多く、これらの記事を読んで頂いている方々の見識、センスには感服すると同時に驚異(脅威)の念すら持ちます・・(苦笑)。

ともあれ
興味を持って読んで頂きたいへんありがたく思っております。

また、それ以上に、こうした反応がなければ、これまでのブログ記事作成は到底為し得なかったものと考えます。

また、このことは以前のブログ記事においても記しましたが、大切なことであると思いますので、またここに改めて記す次第です。

さて、以前のブログ記事に現在のような暑い季節(夏季)においては、思想系の書籍を読むことが面倒、億劫になると記しましたが、それでも一度手に取り読みはじめ、興に乗ってきますと、こうした書籍もまた段々と面白くなってくるようです・・。

・・いや、これもまた丸山眞男曰く「既成事実への屈服」の一つであるかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、多少言い訳じみますが、丸山眞男の著作の面白さとは、また一種独特なものではないかとも思われます・・。
硬質な文体、口語に近い文体の何れにおいても・・。

そして、おそらくそうした部分が海外(特に欧米)において丸山眞男の我が国に関しての著作が著名であることに何らかの関連があるのではないかと思われます・・。

しかし、それはさておき、この記事、抜粋引用部を読んでいただいている方々が如何なる学問的背景を持たれているかは分かりかねますが、何れであれ、昨日投稿した記事の書籍からの抜粋引部とは、現代の我々の社会を考える上において、なかなか興味深く、示唆的、そして面白いものではなかったでしょうか・・?

・・いや、こうした評価を強いることは決して良いことでありませんでした・・(苦笑)。

しかし一方、昨日作成記事の閲覧者数を確認しますと、多少こうしたことも書いてみたくもなるようです(苦笑)・・。

また、文系学問の面白さとは、一つに、こうしたものをはじめ様々な主張、意見、思想を読み、聞きそして、それらを統合し、自分なりに当時の状況(実際の状況)などを再現し、てそれを様々な手段に依り表現するといったことではないでしょうか・・?

その意味において、おそらく私は根本的には文系型の人間であると考えます。

しかし、それと同時に思うことは、多くの理系諸学問が持つ「実験」という手続き、手段とは、極めて重要、有効であり、多くの文系諸学問において、この「実験」という手続き、手段を用いることが出来ないことは、学問の性質上仕方がないのかもしれませんが、どうも「もったいない」のではないか?ということです。

つまり、文系学問分野においても、その教養的なものとして、実験的なものの見方、考え方が自然に出来るような科目群を設置し、それを各自が能動的に取り組むことが出来る環境があれば、また色々と面白い方に変わってくることも少なくないのではないかと思われます・・。

これも現在においてはあくまでも理想論ではありますが・・。

しかし、かつての我が国における中等~高等教育教養段階とは、概ね上に述べられているようななものであったのではないかとも思われます・・。

そして、それが変化した(してしまった)のは、一体どのような原因、経過を経てそのようになった(なってしまった)のでしょうか・・?

今回もここまで読んで頂いてどうもありがとうございます。
おかげさまで今回の投稿にて390記事となります。
さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。










2016年8月15日月曜日

20160815 主に書籍からの抜粋 立国の根本とは・・【書籍からの抜粋あり】『忠誠と反逆』より

本日2016815日分のブログ記事とはインターネット接続が出来ない環境にて作成しております。
こうし環境にてブログ記事作成を行うのは、かなり久々であり、仕方なく白紙のワード文書にて作成しはじめました。

とはいえ、このような若干の環境の変化により記事が思い浮かばなくなるということもなく、何かしら記しはじめた次第です。
さて、本日は終戦(敗戦)記念日であり、また同時に我が国の暦上においてはお盆(祖霊を祀る行事)ということもあってか、本日の通勤電車は普段に比べ幾分か空いておりました。
また特に本日815日は終戦(敗戦)記念日ということからではありませんが、久々に丸山眞男著・筑摩書房刊の「忠誠と反逆」を取り出し読んでみました。


この著作表題となっている「忠誠と反逆」とは、現代の我々が読んでみてもたいへん興味深い内容であり、就中その中の福沢諭吉の思想について触れた部分とは、我々日本人の近現代史(あるいはそれ以前をも)を考える上で大変興味深い記述が散見されるのではないかと思われます。
では、その一節を下に示します。


PP.55-58
「天下の大勢」という客観的な法則はあくまで法則であり、「勝てば官軍」という事実はあくまでも事実である。
しかしこの法則なり事実が自我の次元において忠誠転移の根拠になり口実となることに福沢は我慢がならなかった。

いわゆる絶対的な名分論がもし純粋に自我に内面化されたものならば、それは「盲目」であり「愚鈍」ではあっても、こうした滔々とした転向は生まないはずである。

とすれば「今の所謂大義名分なるものは、唯黙して政府の命に従ふに在るのみ。」したがって万一、西郷の企てが成功したならば、おそらく現在西郷に逆賊のレッテルをはっている役人どもも「寝返りの易くして神速なるべきは智者を俟たずして明」らかであり、「其、新聞記者の如きは展転反側の最も自在にして最も妙を得たる者なるが故に、忽ち筆を倒にして後へを攻め、以て正三位陸軍大将西郷隆盛公の盛挙を賛成」するだろう。

「実は人民の気力の一点に就て論ずれば、第二の西郷を生ずるこそ国の為に祝すことなれども、其これを生ぜざるを如何せん。余輩は却て之を悲しむのみ」。


この立地点が、後年、勝海舟榎本武揚の行動を「三河武士の精神に背くのみならず、我日本国民に固有する痩我慢の大主義を破り、以って立国の根本たる士気を弛めた」ものとして痛烈に論破した「痩我慢の説」にまっすぐ連なっていることはもはや喋々を要しない。

福沢における「痩我慢」の精神と「文明」の精神と、「士魂」と「功利主義」との矛盾あるいは二元性ということがしばしば指摘される。

抽象的に二つの「イズム」をとりあげるならば、たしかにそうもいえるだろう。

しかし思想史の逆説と興味は、まさにそうした抽象的に相容れない「イズム」が、具体的状況のなげかけた「問題性」に対する応答としては結合するというところにある。

あたかも幕末動乱に面して武士における家産官僚的要素と戦闘者的要素とが分裂したことに照応して、忠誠対象の混乱は、「封建的忠誠」という複合体の矛盾を一挙に爆発させた。家産官僚的精神によって秩序への恭順のなかに吸収された君臣の「大義」は一たまりもなくその醜い正体をあらわした。

しかもいまやその同じ「秩序への恭順」が皮肉にも「上から」もしくは「外から」の文明開化を支える精神として生き続けているではないか。
矛盾したものの結合は実は福沢の批判する当の対象のなかにあるものであり、「近来日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて抵抗の精神は次第に衰頽するが如しという状況判断に立った福沢は、右のような形の「封建性」と「近代性」の結合を逆転することで―すなわち、家産官僚的大義名分論から疎外され現実の主従関係から遊離した廉恥節義や三河(戦国!)武士の魂を、私的次元における行動のエネルギーとして、客観的には文明の精神(対内的自由と対外的独立)を推進させようとしたのである。


丁丑公論」における「抵抗の精神」の力説と、「学問のすすめ」や「文明論之概略」における「人民独立の気象」の要請とは、こうして福沢の立場においては密接につながっていた。

たしかに福沢は「封建的忠誠」の分解をラディカルに推しすすめたが、その作業は、単純に「封建的」に代わって「近代的」なものをすげかえるのではなくて、現実に進行していた解体を利用して、その構成契機の役割を転換させることにあった、封建的忠誠における外面化の傾向をしてむしろ徹底させ、これをパブリックなものに高めよ。そのことによって私的=心情的契機はかえって個人の内面に定着するだろうこれが維新後の「集団転向」の現実を前にした福沢の苦肉の処方箋であった。
「葉隠」の非合理的な忠誠が逆説的に強烈な自我の能動性をはらんでいたのとちょうど裏腹の関係で、福沢はむしろ非合理的な「士魂」のエネルギーに合理的価値の実現を託した

「本来忠節も存ぜざる者は終に逆意これなく候」というのが「葉隠」のダイナミズムであったとするならば、逆に、謀叛もできないような「無気無力」なる人民に本当のネーションへの忠誠を期待できるだろうかというのが、幕末以来十余年のあわただしい人心の推移を見た福沢の心底に渦まく「問題」だったのである。」

・・さて、上掲の著作が著されて(1960)から半世紀以上経過しております。

そして、意外ではあるかもしれませんが、ここに述べられていることは現在の我が国諸々を考える上においても示唆するものが多いのではないでしょうか・・?


今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。


正調 田原坂

2016年8月14日日曜日

20160814 「山鹿灯篭まつり」から・・

おかげさまで昨日のブログ閲覧者数も1000人に到達しました。どうもありがとうございます。今後も少なくとも400記事に到達するまでは記事作成を継続しようと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

さて、先日投稿した記事にて垂仁天皇の御代における出来事について記しましたが、その一代後の景行天皇の御代における出来事が発端であるとされる熊本県山鹿市の「山鹿灯篭まつり」のことを不図本日思い起こしました・・。

何故、私がこの祭りを知ったかといいますと、鹿児島在住時の週末の日課であった散歩(天文館~宇宿)の際、鹿児島中央駅(西駅)前広場にて熊本県の観光広報イベントが開催されており、そこで数人の踊り手達によるこのまつり(千人灯篭踊り)が演じられているのを偶然見かけ、それが大変印象的であったことに端を発します。

その後、余程このまつりが印象的であったのか、就寝後の夢の中でも思い起こし、夢と現(うつつ)の境で「よへほ~よへほ~」と云っておりました・・(笑)。

これを読まれている大方の方々は「おそらくウソでだろう・・。」と思われているかもしれませんが、ウソではありません・・(笑)。
そして、さらにその後しばらくしてテレビのお昼の情報番組にて、この「山鹿灯篭まつり」の特集が為されているのを観て更に嬉しくなりました・・。

それで気を良くしたのか、あるいは調子づいたのか、周囲の熊本御出身の方々に「山鹿灯篭まつり」について聞いて廻っていた記憶もまたあります・・(苦笑)。

そして、ここまで記していて、この「山鹿灯篭まつり」のことが気になりインターネットにて検索しますと(なんと!)その開催時期が丁度明日からとのことで、これもまた何だか嬉しくなりました・・。

これもまた読まれている方々は「これまたウソ、でっち上げではないだろうか?」という疑念を抱かれると思われますが、これもまた偶然なのです・・。

・・これにはいささか自分でも驚いております・・(笑)。

ともあれ、如上のような偶然(?)について考えてみますと、私がこれまでに継続してブログ記事を作成してきた(より)大きな背景には、これら九州での記憶の体系が、その奥深くに存在するのではないかと考えさせられます・・。

あるいは、何かしら創造性を惹起、駆動させる文章を記していて生ずる面白い出来事とは、大小ありましょうが、一つにはこういったことが含まれるのではないでしょうか・・(笑)?

そして、もしかすると、こうしたこと(創造性の惹起、駆動)とは、経済状態の改善、向上と同程度に国の盛衰において大事な要素ではないでしょうか・・?

あるいはまた「かつての時代(明治以前)とは、現在の我々よりもそうしたことを熟知、通じていたのではないだろうか?」とも考えさせられます・・。

その意味において、古の文化、風習を単なる迷信、観念的な遺物としてのみ扱い、表層のみにおいては(あるいは経済的な有用性により)丁重に扱うその二枚舌的な態度(ジョージ・オーウェル著「1984」曰くダブルシンク)とは、そうした文化とは、思いのほか罪深いものであるのかもしれませんが、如何でしょうか・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。
さる四月に発生した熊本における大地震によって被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

                        山鹿灯籠まつり・千人踊り ~ よへほ節 ~





20160813 分水嶺・・

本日は日中所用のため東京方面に出ておりました。
本日もまた、通常のこの季節の如く気温が高く、決して快適なものではありませんでしたが、所用を終え帰宅する頃になりますと、若干陽もかげり、それに伴い幾分涼しくもなりました・・。

とはいえ、夕刻を過ぎる頃になりますと、日中の高い気温のためか、若干疲れが出たものか大変眠くなってきました。

以前にもこうしたことは時折あったのですが、このまま寝てしまいますと、本日分のブログ記事作成が出来なくなると考え、つい先ほど意を決して、記事作成のために起きだした次第です・・(苦笑)。

さて、本日はそのような状態にて一体どのような記事を記すか?といった意味において、なかなか興味深いものであると自身で考えております・・(笑)。

また、本日は以前より何度かブログ記事にて扱った野上彌生子「迷路」下巻を持って出かけて途中電車内で読んでおりました・・。

この著作とは、下巻のある章だけを読んでみても、それは一つの物語(短編)として成立しており、今回はその意味においてなかなか興味深く読むことができました。

そういえば短編の名手として知られた芥川龍之介も野上彌生子同様、夏目漱石の弟子であり、そこから不図思い起こしたことは、「近代以降、長編を手掛けた著述家とは首都東京出身者が極めて少ない」というどこかで読んだ記述です。

たしかに東京出身で長編を手掛けた著述家とは、その全人口からの比率、あるいは我が国の文化の先端であることなどを加味して考えますと有意に少ないのではないでしょうか・・?

また、こうしたことは諸外国においても同様の傾向が存在するのかどうか分かりませんが、あるいはこうしたことを調べてみるのもまた、なかなか面白いのかもしれません・・(笑)。

また、そのように考えてみる場合、先ず前提として長編の定義、各々著述家の出自の定義などが重要な要素になってくるものと考えます・・。

さらに一方、こうした調査・研究・考察?とはどういった学問分野の範疇に入るのでしょうか?
文学史の中に入るのでしょうか?
あるいは社会文学史などといった分野が存在するのでしょうか・・(笑)?

そのように考えてみますと、我々とは、案外自国のこうした要素について(一般的な議題として)あまり考えないような傾向があるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

とはいえ、であるからといって「こうしたことを考えるようにしましょう!」というのもあまり良いものでなく、その考えた結果から変な傾向が生じ、おかしな方向に行くというのが、少なくとも我が国社会における通例のパターン(の一つ)であるといっても良いと思われますので、まあ調査・研究・考察するのは良いとして、あまり知られないでとりあえず文書化しておくといったのが、適当であるのかもしれません・・(笑)。

そのように考えますと、文系のそうした(あまり華々しくない)研究一般とは、医学等をはじめとする理系学問諸分野のように、その研究成果が目に見えて世の中の何かを改善するといった(大層な)ものではなく、ただ後に続く同じような学問的興味を持つ(ごく少数の)人々のための指針、思考上の分水嶺にでもなれば良いといった感じで存在するのではないかと思われます・・。

あるいはそのように考えてみますと、こうしたことは理系諸学問の研究においても概ね同様であるのかもしれません・・。

とはいえ、そうした蓄積の有無とは、一見あまり価値が無いように思われますが、しかし、それこそが大きな発明、発見、開発などの礎となるのですが、通常においては、あまりこうしたことは重要なこととして認識されないようです・・(苦笑)。

それはあたかも山頂付近の小さな分水嶺を流れる小川から海に流れ込む川の状態を認識、想像し難いことに似ているのかもしれません・・(笑)。

また、ここまで記していて想起したことは、鹿児島在住時の師匠との登山の際、基礎研究の重要さを実際の小さな分水嶺を前にし、さきに記した比喩を用いて、師匠が相変わらずの口調にて説かれたことです・・。

そしてまた思うことは「ここまでどうにか私がブログ記事を継続して作成出来ていることは、もしかすると首都圏、東京から離れていたことによるのかもしれない・・。」ということです。

これは科学的根拠を示せといわれてもキビシイのではありますが、私はおそらくそうであると考えております・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に発生した熊本での大地震によって被災された地域における出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」


2016年8月13日土曜日

20160812 主に昨日の続き【書籍からの抜粋引用あり】中井久夫著「アリアドネからの糸」

昨日記し稿した記事(20160811)もおかげさまで投稿翌日にしては、閲覧者数が伸びました。どうもありがとうござます。
この記事は主に自身の経験およびそこから生じた個人的な見解について述べた次第ですが、こうした見解が今後出来るだけ広く拡散してくれたら面白い社会になるのではないかと思いますが、これを読まれた皆様は、どのように考えますでしょうか?
加えて、予め正直に申し述べておきますと、このブログ記事(20160811)にて記されている、学会発表などの場において用いられる英語についての見解とは、特にオリジナルといったわけではなく、以前より師匠をはじめ周囲の方々が述べられていたことであり、私もまた自然とそれに賛同するようになった次第です。

また、これを端的に申しますと「海外留学により流暢、キレイに話すことができるようになった英語能力と、自国内での研鑽によって培われた傍から聞くと、幾分いかめしく、古風な論文英語での能力とは、前者に比べ後者が決して劣るものではなく、むしろ第一義的に我々は日本人であることから考えると、こちら(後者)の方が、それを得るための労苦などから勘案すると、より価値があるのではないであろうか?」ということになります。
その意味において、昨日のブログ記事に記された研究者、院生(?)の発表態度とは、私に感銘を与えるものであり、且つ、その発表内容が(私にとっても)比較的分かりやすく、明晰であったことを考えると、益々その感を強くさせます。
そのように考えてみますと、古より現代に至るまで外来語の習熟を余儀なくされた我々およびその祖先等は、古においては隣国の文字言語である漢文を訳しながら読むことを学び、また近代以降に多く流入した西欧各言語においても、概ね同様の態度を以って接しました。その結果、再生産されるものとして、日本風の漢文および同様の英文といったものが生じ、また、そうした文化(?)とは、現在もなお脈々と生き続けているのではないかと思います・・。また、他面において、明治維新以降、太平洋戦争の敗戦、あるいはその後しばらくまでの医学教育におけるドイツ語においてもまた、同様のことがいえるのではないかと思います。しかし、何れにせよ、これら日本風の外来語による会話、文章にて、その意味が精確に相手に通じるのであれば、特に問題はないのではないでしょうか・・?
そして、こうしたことを国内に当て嵌めて考えてみますと、各地方における訛りにおいても本質的には同じであり、とりあえず意味が精確に通じれば良いのではないかとも思われますが、如何でしょうか・・?
・・・その点面白いことに、大学というところは基本的に関東弁、標準弁が用いられるところであり、教員、学生さん等は様々な出身地を持っているはずなのですが、大抵何故か皆さん、関東弁・標準弁を用いておりました・・。

・・・そして、ここまで記していて、不図以前抜粋引用しました中井久夫の文章が想起されましたが、もしかすると、ここに何かしら関連があるのかもしれません・・。
ともあれ、それを下に示します。」


中井久夫著「アリアドネからの糸」みすず書房刊pp.134-137より抜粋
「身体の外傷は八ヶ月すれば有機化されるが、心の外傷は恒久的に治癒しないことがありえる。」ということもできるであろう。なお、覚醒剤を使ったことのある者が長年経ってから起こす覚醒剤を使った時の異常体験のフラッシュバックも、古型の記憶の装置となんらかの関係にあるものであろう。いっぽう、新型の記憶は極限状況においては麻痺する。
これら侵入症候群と対をなすとされている麻痺・狭窄症状numbing or constrictionであると私は思う。そして、一般に考えられているように両者は交代して現れるのではなく、古型の記憶の賦活が目立つが、新型の記憶の麻痺が目立つかの相対的な違いにすぎないと私は思う。おそらく、古型の記憶はヒト以前に遡るであろう。
ゾウがかつて苛めた相手を何十年か後に攻撃したという話がある。
これに対して新型の記憶は成人言語性の成立以後である。
つまり、言語と結びついていてヒトだけである可能性がある。では人類史上いつごろのことであろうか。
その歴史的時期は不明であって、ある人は非常に古い時期にこれを措定するであろうが、無文字社会における成人文法性のあり方、そこにおける個人史の形と意味についての研究があまりに不足していること、無文字社会への共感が得にくいことのために、私はこれ以上深入りすることは避けたい。
ただ無文字言語と有文字言語との差には注目しなければならない。
無文字言語は語彙が数千を越えることができないようである。
無文字言語に近い現代の方言の語彙もその範囲である。
また、文脈を形成し維持して、文を文脈から遊離させないために、反復や常套句を盛んに使用し、複合的な文章形成を避けるという点も特徴的である。方言が成人言語でないということはできないが、もっとも発達している日本方言である関西弁でも、それを使って今書いているような議論文を私は書けない。無文字言語の世界をわれわれは方言によってかいまみることができそうである。

古型の静止型記憶が成人期までどんどん積み重なっていったとすれば、それはちょうど未整理の写真が何年、何十年分も溜まったようなもので、そういう不精をしてしまえばアルバムに仕立てることが大仕事になる。
新式の記憶が立ち現れる必要があったのは、ヒトの記憶容量の増大に促されてのことではあるまいか。ここで晩年のロラン・バルトが「(一枚一枚の)写真は未来を持っていない」といったのが思い合わされる。

古型の記憶は絶対音階の世界、新型の記憶は相対音階の世界にたとえられるかもしれない。絶対音階を持つことは音楽家には非常に重要な前提条件といわれるけれども、絶対音階を持った人の不幸もある。駅や百貨店で鳴っている音楽を私が聞き流せるのは相対音階しか持っていないからである。絶対音階を持ってしまった人にはすべて音程の狂った音に聞こえて苦しくてたまらないであろう。実際そういう少女のそういう訴えを聞いたことがある。ここで自閉症児が特定のサイクルの音に反応して落ち着かなくなることが思い合わされる。たとえば冷蔵庫を止めるとそれだけで問題が解消する。彼ら彼女らはひょっとすると絶対的音階優位の世界から脱皮できなかった人ではあるまいか。電話帳一冊をまるごと覚えられるという異能も「絶対音階」的な世界に属するものではなかろうか。」
アリアドネからの糸
アリアドネからの糸
・ISBN-10: 4622046199
・ISBN-13: 978-4622046196

中井久夫

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震によって被災された地域における諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」




2016年8月11日木曜日

20160811 学会での印象的な光景

どうしたわけか、昨日記し投稿したブログ記事(2060810)は投稿初日にしては、なかなか多くの閲覧者数を得ることができました。

読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

そして、この記事(20160810)の内容に多少関連しますが、私はこれまでに幾つかの学問分野における研究者および未来の研究者達に接する機会を持つことが出来ました。

そして、ここからは私見となりますが、彼等、彼女等の多くは、各々が所属する学問分野特有の世界観を持っており、その世界観の特徴(これは未だ感覚的なものであり、上手く言語化することはできませんが)より鑑みますと、昨日の記事(20160810)に記した指摘、反応とは、文系的というよりも理系的なそれであり、また、そうであったからこそ、その指摘、反応とは、私にとって新鮮、鮮烈なものとして感受されたのではないかと思います・・。

そして、ここまで記して不図想起することは、以前出席させて頂いた国際学会にて、自身の発表を終え、他の会場での発表を見学していますと偶然、日本語訛り(加えて、そのイントネーションから西日本御出身であることが想像される)の強い英語にて明朗に話し発表をされている女性研究者、院生(?)を見かけたことです。
そして、発表後、西欧在の某大学研究者数名から矢継ぎ早に質問を受けておりましたが、彼女はこれに特に動じることもなく、時には身振り、手振りも交え、発表時と同様、明朗な日本語(西日本)訛りの英語にて質問に応じておりました・・。

また、用いている英語の表現方法、語彙などから、この方の専攻は医歯薬系あるいは理工学系専攻の方であったと思われます・・。

私はそれ以前に学会などにおいて、この様な光景に遭遇したことがなかったため、大変新鮮、鮮烈なものとして記憶していた次第です。

そして、それと同時に「このような女性研究者が今後、より多くあらわれるようになると、社会とはどのように変化してゆくのであろうか・・?」とも思った次第です。

私としては、そうした未来とは、なかなか面白いのではないかと思われ、またかつて、そうした思いを幾度か周囲の方々に語ったこともありました・・(笑)。

しかし、それと同時に、それがこの先に何らかの社会現象として生じた場合、さらにその後において、その現象に社会全般が便乗し、結局のところ、どうもおかしな方向に行ってしまうのではないか・・?
といった危惧もまた生じてきます・・。

大岡昇平の「俘虜記」などを読みますと、そのような自然に生じた現象に対し、後に全体が便乗し、結局のところおかしな方向に行ってしまうといった具体例に満ち、そのことから、いささか暗い気分にさせてくれますが、おそらくこれは少なくとも、近代以降の我が国社会における特徴の一つであると評しても良いのではないかと思います・・。

あるいは丸山眞男の述べるところの「既成事実への屈服」なども同じようなモデルに対する異なった視点からの表現であるのかもしれません・・。

そして、その同じ社会が「この先の未来だけを見つめる」といったことにヤケに力を入れていることは、何かしら不可思議、おかしな、良からぬものを感じさせます・・。

そして、情報技術が進化発展を遂げた現代においては、おそらく海外の方々に対し、そうした我が国のあまり好ましからぬ特質らしきものが透けて見えてきているのではないかとも思います。

それに加え、一つに、そのようなところから昨今の近隣諸国からの我が国に対する驕りもまた生じているのではないかと考えさせられますが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月半ば過ぎに熊本を中心に発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来る限り早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。