2016年8月18日木曜日

20160818 閲覧されたブログ記事から・・

これまでに作成したブログ記事も390を越え、あと10記事の投稿に満たず、どうにか400記事に到達します。
また、以前は366記事(閏年であるため)を目標として定め記事作成を行ってきましたが、それに到達しますと、今度は、その次のキリのいい数として400記事を目標として定め、現在は、その(到達に近い)途中であるといえます。

また、最近は読んで頂いている記事も最近投稿のもののみならず、大分前(たかだか一年程度ではありますが・・)に投稿した記事がどうしたわけか多く読んで頂いていることがあり、こうした現象とは、もしかすると、そこに何かしら現在(さまざまなレヴェルにおける)との関連性の指摘が為されているのではないかとも考えさせられます・・・。

そして、そのようなことを頭のどこか片隅に置き、何かしら文章を記していると、どのようなメカニズムに因るものであるかわかりませんが、つい先日に投稿した「「山鹿灯篭まつり」から・・」のようなことが生じるのではないかと思われます・・(笑)。

とはいえ、このようなことは、決して語義通りの意味で「科学的」であるとは到底いえません・・。

しかし一方において、こうした現象もまた少なからず世の中に存在することは、大抵の方々が理解、納得していただけるのではないかとも思われます・・・。

このようなことは不思議といえば不思議ではあるのですが、同時にそこに偶然・必然いずれかのコトバであれ、それを以って(現象に対し)充たそうとすると「どうも違う・・」、「いや、それだけではない!」といった感じを受けてしまうのです・・(苦笑)。

あるいは、もしかすると、心のそのあたりの動きに「創造性」といったものが脈打っているのかもしれません・・(笑)。

しかし、このようなことを(ボンヤリと)考える(ことができる)ようになった時期とは、私の場合、そこまで古くはなく、昨日のブログ記事における鹿児島在住の頃(特に後半)であったと記憶しております・・。

この時期とは、現在になり考えてみますと、さきに記した「山鹿灯篭まつり」記事のようなことが(比較的)継続的に生じていた時期であり、そして、おそらくそのような(継続的な)現象を自我が感知するところから、一種の自意識の肥大化が生じ、その結果、何かしら精神に(良い悪いは抜きに)変化が生じるのではないかと思われます・・(笑)。

また、こうしたことを現在言語化を試みているということは、次に生じるそれに適切に応対する為であり、同時にそれを「望んでいる」ともいうことが出来ます・・(笑)。

つまりここで重要なことは「それ(自意識の肥大、精神の変化)に適切に応対するということが大事なのであり、それを望むということは、決して悪いことではないのではなかろうか?」ということです。

そしてそのように考えてみますと、反語的に在鹿児島時代の私とは「それ(自意識の肥大、精神の変化)に適切に対応出来ていなかったのではないだろうか・・?」と考えさせられるのです・・。

あるいは、そうしたこともまた、当時の私は薄々ながら感じ取っていたのではないかとも思われます。

そして、何れにせよ、どうにかそれ(自意識の肥大、精神の変化)に押し潰されず生きてこれたことに対し薩摩、鹿児島の風土そしてその地域社会そしてそこでお世話になった人々(鹿児島が地元でない人々をも含む)に対し、少なからず恩義を感じざるを得ないのかもしれません・・。

ともあれ、以降もまたしばらく記事を書き続けます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。

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