2017年1月1日日曜日

20170101 昨日の続き「人間力」「つじつま」について・・

本日の首都圏は元日にしては気温も上昇し、日中に関しては比較的過ごし易かったのではないかと思います・・。

また、このブログ記事に関しても本日の投稿は止めておこうと考えましたが、さきほどブログ閲覧者数を見たところ、思いの他多くの閲覧者を得ていたことから、書くことに決めました。


昨日のブログ記事においては西郷南洲翁(隆盛)のことを題材として取り上げました。


しかし、よくよく考えてみますと西郷隆盛に限らず、多くの歴史上の人物の個性、性格とは、関連するいくつかの書籍、資料などを読んでみますと(最近のテレビドラマのような)安易な解釈が出来なくなるようなものであると思います。


このことを異言すると、その人物の行った業績と個性、性格との間に矛盾が見られ、つじつまが合わないことが多いのではないかということです・・。


また、そうした個性、性格を持つ人物が比較的多く見出され且つ、現代に一番近い時代が、幕末維新ではないかと思います。


おそらくこの維新回天期とは、江戸時代、封建制の枠組みに抑えつけられていたさまざまな個性、性格が、枠組み(封建制度)の劣化、弱体化により、そのエネルギーがあふれ出てきた時代であったのではないでしょうか?


そうした時代では(封建)制度内においては有効であった個性、性格よりも、より総合的な現代でいうところの「人間力」を持っている人物の方が活躍する可能性が高いのではないかと思います。


そして、西郷隆盛をはじめ、日清、日露戦争(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)あたりまでに活躍した我が国各界首脳部の多くとは、主にこの「人間力」がその後の時代の我が国各界首脳部に比べ高かったのではないかと思います。


ヒトが制度を作り、そしてその後は制度がヒトを作る」と云いますが、近代以降の我が国とは、ヒトが制度を作っていた時期(明治維新~太平洋戦争敗戦の前半部)においては、比較的上手く国を運営することが出来ていましたが、その後、制度がヒトを作る時期(同後半部)に入りますと、何といいますか、つじつまは合っているが小さくまとまっている人物たちが各界首脳部におさまるようになり、彼等が国政を主導した結果として、数々の失策に続き、太平洋戦争の敗戦に至ったのではないかということが出来るのではないでしょうか?


そして、そのように考えてみますと、焦点を当てるべきは「ヒトを作る制度」ということになると思われますが、それをより具体的にいうと「教育制度」ではないかと思います。


しかしながら、昨今はいざ知らず、少なくとも近代以降の我が国の教育制度とは、概ね高い水準を維持してきたと国際的な見地からも認識されている(た)といって良いと思います・・。


そうしますと、その「教育制度」の中の如何なる要素が個々の「人間力」の増進に寄与しない、あるいは劣化させたのかと考えてみますと、それは初等、中等そして高等教育と段階分けされる教育制度全般のなかで特に高等教育において、そうした傾向が強いのではないかと思われます・・。


とはいえ、こうしたことは同じく昨今、さまざまなところで主張されていることではありますので、ここで特に強調しておきたいことは、そうした我が国高等教育の変革の必要性が認識されるにしても、その具体的な変革が反知性的な方向に舵を切らないようにした方が良い、あるいは卒業、修了後の社会において必要とされる技能、知識の獲得により重点を置くことは、むしろ歓迎すべきことではあるのですが、同時にそれが教養といった『ある種の学問への能動性』の活性化に寄与せず、逆に、その芽を摘み取ってしまうことにならないよう細心の注意をもって推し進めて頂きたいということです。

そして、これが現今の我が国高等教育およびその変革において重要なことではないかと思います。

また、追記すると、近代以降の我が国とは、そうした(一見些細な)ことを蔑ろにした結果、毎度、変な方向に行ってしまっているのではないかと思われることがあります・・。


とはいえ、これもまた煎じ詰めると、我が国の極度に此岸性を重視する性質(国民性としての執拗低音、バッソ・オスティナート)の結果であるのかもしれませんが・・。



さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。

20170101 新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
さて、来年(2018)の大河ドラマは西郷南洲翁(隆盛)を主人公にしたものになると聞きました。
ここ数年私は大河ドラマを視聴しておりませんので、あまり関係ありませんが、西郷隆盛とは、我が国の近代史において、その評価が難しい人物の一人であるといえます。

そして、その評価を難しくしている原因を端的に述べると、西郷隆盛の人格形成とは、前近代の封建時代たる江戸時代末期に為され、維新回天期に大いに活躍し、そしてその結果誕生した明治政府に対し、その同じ人格がさまざまな矛盾(自身の思想・理想からの)を感じ、下野そして、周囲の強い要望もあり明治政府に対し反旗をひるがえし、近代日本史上最大の内乱といえる西南戦争に至ったことにあるといえます。

つまり彼は近代日本(明治政府)の立役者の最重要人物の一人であり、同時にその設立された明治政府に対し近代日本史上最大の叛乱を起こした人物でもあるのです・・。

そのように書きますと、たしかに、そこには一人の人格の中に何かしら矛盾した要素の存在が看取され、それらを包括した一人格としての評価を困難にし、また、その人生をうまく描くことをも難しくさせるのではないかと思われます。

とはいうものの、これまでに西郷隆盛の人生を描いたさまざまな作品がありました。

私はそれら全てに目を通したわけではありませんが、鹿児島に在住した経験に基づいてかつて目を通したそれら作品を考えてみますと、それらの多くには何か大事な視点が描き切れていないのではないかと思われるのです・・。

そして、その大事な視点とは、西郷隆盛の人格形成が如何なる環境で為されたかということです

このことは、他の多くの薩摩藩に出自を持つ明治政府の元勲、高位高官、西南戦争で西郷軍側で立った方々に関しての記録、書籍などを読んでみると、ある程度最大公約数的に分かるのではないかと思います。

さらに、実際その土地にある程度の期間住むことにより、その環境といったものを知性のみならず、感覚的にも実感にもとづき、ある程度理解することができるのではないかとも思います。

その意味において、私見とはなりますが、鹿児島とは、今なお西南戦争の記憶が強く生きている地域であるといえます。
あるいはそれは古代以来、南九州勢力の中央政権、覇権勢力に対する反乱の一つとしての記憶であるのかもしれませんが・・。そして、そうした反乱のなかで首尾よく成功してしまったのが明治維新であったのかもしれません・・。

さて、維新回天期(戊辰戦争)において東北諸藩、ことに会津藩が受けた苦痛、被害は甚大なものであったことはさまざまな史料が伝えるところではあります。

そして、その主要な敵役の一つであった薩摩もまた、そこからおよそ十年程度後に同様、あるいはそれ以上の苦痛、被害(西南戦争)を受けることになったことには、何かしら意図せぬ歴史の詭計以上の運命的なものを感じさせます。

このことは、特に鹿児島、薩摩について考える際に大変重要な視点であると考えるのですが、同時に理知的な文章による説明はどうも困難さをおぼえてしまうのです・・。

とはいえ、先を続けて書きますと鹿児島、薩摩とは、何かの策を相手に為すにあたり、先ず自らが相手と同化して、そこから相手を徐徐に自分のペースに持っていき策にはめるといったところがあるのではないかと思われるのです・・。

そしてその見方によれば戊辰戦争と西南戦争の間には、そういった関係があるのではないかと思われるのです。

また、それは狸と狐の人のばかし方の狸に近いのではないかと思うことがあります・・。

ともあれ、こうしたある種の(醸成された)地域性により、その地域の歴史は展開していき、さらにその集合体である国の性質から、その歴史は外部作用との種々反応により展開していくのではないかと思います。

さて、そこでハナシを戻し、鹿児島・薩摩地域を代表するといっても良い西郷隆盛を大河ドラマの主人公として扱うのは、かつて司馬遼太郎原作の「翔ぶが如く」がありましたが、特に現在においてはなかなか難しいのではないかと思うのです・・。

そうした、何といいますか激動の時代を生きた人間像を扱いたいのであれば、むしろ西南戦争以降、不平士族のエネルギーが向かった自由民権運動国粋運動などを、ある地域、団体などを基軸として扱い群像劇的なドラマとした方が現在の我が国では面白いのではないかと思います・・。

いずれにせよ、諸文化の先端をいく洗練された首都圏、東京のメディアが原作は何であれ、都市(東京)と地方の(主に経済的)格差が広がりつつある現代において西郷隆盛をテレビドラマの主人公として描くことに私は漠然とした危惧をおぼえます。
たとえそれにより鹿児島に観光客が増え、多少経済的な効果があるとしても・・・。
特に西郷隆盛とは(現在の)テレビドラマ化というある種の安易な普遍化により消毒あるいは人畜無害化されてはいけない人物であると思うのです。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。

中江兆民著「三酔人経綸問答
白洲正子著「白洲正子自伝
野上彌生子著「迷路」上下巻
竹山護夫