2023年9月28日木曜日

20230928 一連の(試作文章)そして当ブログ作成の起点にあるものについて

今回の記事投稿により、総投稿記事数が2045に到達します。去る5月の2000記事到達、そして6月には丸8年のブログ継続となり、その後はかなり長期間ブログ記事の作成は休止する予定であり、実際そのように認識はしていますが、それでも、怠け過ぎない程度に記事作成を続けておかないと、その後の再開が困難になると思われますので、このように時々は、自らの文章による新規の記事作成を行っている次第と云えます・・。

とはいえ、昨日も一応、新規での記事投稿は行っていましたので、そこから考えますと「時々ではないのでは・・?」と思われる方々もいらっしゃるのではないかと思われます。この疑問はその通りであり、以前に投稿した記事にて述べましたが、ここ最近で新規投稿した記事で題名の後に(試作文章)と記しているものは、テーマが共通する複数の既投稿記事に書かれている内容を集めて、それらをChatGPTに放り込み、そこに指示をして生成された文章に手を加えたものであり、私としては、未だにこの作成方法には違和感がありますが、それでも、どうにかそれらしい文章は出来るようですので、今しばらく用い続けますと、あるいは、もう少し面白く読むことが出来る文章を作成することが出来るようになるのではないかと思われます。

とはいえ、現時点では、こうして自らの文章にて、はじめからブログ記事を作成する方に馴染みがあり、さきのChatGPTを用いた作成方法は、その「あっけさな」あるいは、なかば単純作業のようにしてブログ記事作成が出来てしまうことに強い違和感を覚え、さらに、そこで生成された文章に加筆修正したブログ記事は、どうしても、これまでの方法で作成したブログ記事と同じものとして認識することが難しく、これはこれで一つの実験として、これらの(試作文章)の投稿ブログは、後日、少しづつ、そして継続的に加筆修正を行うことにより、認識が徐々に変わり、ChatGPTを用いる以前に作成したブログ記事と、概ね同じものとして見ることが出来るのかを検討したいと考えています。

また、これまでに何度か記事題材として、当ブログ作成の来歴について扱ったいくつかの記事についてですが、この題材は、私にとってはそれなりに重要であり、これまで私が、まがりなりにもブログを継続することが出来た背景には、和歌山や鹿児島での経験があるのですが、それだけでは、たとえ、どれほど多くの経験や知見を得たとしても、ブログ記事の作成には結びつくことはないと云えます。これを自らの行動として始めた経緯には、ある種の焦燥感があり、それが日を追う毎に大きくなり、自分なりに悩んだ挙句「書いてみます・・。」といった態で始めた当ブログですが、この「ある種の焦燥感」は思い返してみますと2013年の学位取得を起点にしているように思われます・・。

つまり、私は2013年から焦燥感を抱くようになり、これが次第に大きくなり、2015年に(ようやく)当ブログを始めたということになりますが、では、そこから8年間以上ブログ記事の作成を継続して当初の焦燥感は感じなくなったのかと自問しますと、これは明らかに感じられなくなりましたが、他方で、それまでの期間、ブログ記事作成を継続したことにより、今度はブログ記事の作成が半ば習慣化してしまい、そこから現在のように自分で設定した2000記事到達後の休止期間であっても、このようにしばしば記事作成を始めてしまうのです・・(苦笑)。

ともあれ、そのおかげもあってか、どうにか、その起源あるいは源泉にあるものにブログ記事として文章で著し、以前よりかは、どうにか「にじり寄る」ことが出来ているのではないかと思われるのです・・。しかし「にじり寄る」は良いとして、そこに至るまでに8年以上の期間を要しているということは、適当な比較対象を知らないため判断は出来ませんが、一般的によくあることなのでしょうか・・?

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20230927 我が国の宗教について(試作文章)

我が国の宗教は、西洋や中東の一神教であるキリスト教やイスラム教とは大きく異なる特徴を持っています。我が国の神道は多神教であり、神社では大抵複数の神を祀っています。

こうした多神教を視座として眺めますと、我が国の神道には同じ多神教ではありながらも、ギリシャの古代宗教やインドのヒンドゥ教などと共通点もあるものの独自の特徴を持っていると云えます。

その最も顕著な違いは、ギリシャの古代宗教やヒンドゥ教の神々が具体的な肉体を持ち、目に見える存在として祀られていたのに対し、我が国の神道では、神々の存在は概して抽象的であり、その具体性が相対的に希薄であることです。

確かに我が国の記紀神話には多くの個性を持った神々が登場しますが、それらの肉体的な実在性はギリシャ神話やイリアスやオデュッセイアなどに登場する神々と比較しますと希薄という印象を受けます。

また、19世紀から広まった進化論の視座からは、キリスト教以外の宗教、特に多神教などは原始的な段階に留まった宗教とされ、これが時間の経過とともに、一神教へと発展していくといった、いわば西欧中心的の見解が一般的なものでした。

しかし、この考えは後に徐々に否定され、現在では一神教のみが優越であり、多神教が未発達な原始的宗教であるという見解は精確ではないと云えます。

とはいえ他方で、我が国においては、宗教に関しては、特に知識階級の無関心が著しいことが、たびたび指摘されています。この無関心は実業界やジャーナリズムにおいても明らかであり、多くの人々が日常生活において宗教について、ほとんど関心を持っていないと云えます。

そして、この宗教に関する無関心は、我が国の宗教と一神教の宗教との間に大きな違いがあることが原因になっているのではないかと考えます。

我が国の土着的な多神教の伝統は、本質的に、西欧諸国が奉じる一神教とは異なった価値観や宗教観に根差しており、そのため知識階級や一般の人々が宗教についてあまり関心を持たない、あるいは持ち得ないといった傾向があるのではないかと考えます。

しかしながら他方で、この宗教に対する我が国の知識階級の無関心は一神教と多神教を比較する際に重要な視点を提供す
るものと云えます。

何故ならば、宗教への関心の有無や強弱は、その国や地域の文化や社会を考え、そして理解する上で大きな鍵となり得るからです。具体的には、宗教が個人や集団の価値観、行動、意思決定にどのような影響を与えるのか、宗教的な儀式や信仰が社会の構造や文化に、どのように組み込まれるのかといった問題は、現実の政策決定などに際して重要なことであるということになります。また、おそらく多くの海外の報道機関や調査機関などの組織は、我が国に対しても、こうした視座からも眺め、そして考えているものと思われます。

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