2017年4月26日水曜日

20170426 これまでの4月内で最も多く読まれた記事から思ったこと

A「昨日投稿記事もまた思いのほか多くの方々に閲覧して頂き、そのことから本日もまた記事作成を始めた次第です・・。
そして、本日もまた今現在特に記事の主題は決めておりません・・(苦笑)。

毎回このような調子で書いており、よく続けることが出来ているとは、我が事ながら多少面白く思うところです・・(笑)。

そういえば、今月も月末に近づきつつありますが、今月内に投稿した記事のなかで最も多く読まれていたのは4月2日投稿分の『時代を通じ普遍的に人々に重み、深みを感じさせる「何か」とは』でした。

また、その閲覧者数は、次点との差がかなり大きく、ほぼ独走、ダントツと評しても良い状態と云えます・・。

とはいえ、この記事が(相対的に)多くの方々に読んで頂けた理由とは今もってよく分かりません・・(苦笑)。

どちらかというと、この記事とは、作成当日が休日ということもあり、多少余裕をもって記事作成に取り組むことが出来たことから作成、投稿した二つ目の記事であり、正直なところ、そこまで多くの方々に閲覧されることを当初より期待したものではありません。

またそれは当時目標としていた600記事到達を早めるために作成した記事と評しても決して不可ではありません・・(苦笑)。

このように考えてみますと、こうした記事、文章を作成する一つの面白さとは、そういったところにもあるのではないかと思われます・・(笑)。

つまり『何であれ文章といったものは書いてみないと分からないということであり、また同時に書き続けていると、上記の事象のようなことをも含め、何かしら面白い発見をすることがあるではないか?』ということです・・。

そしてまた、こうしたことは(幾分無謀にも)公表を前提とすることから知り得たことであり、ひいては『それがブログ記事作成なるものの面白さの一つではないか?』ともいうことが出来るのではないかとも思われます・・(笑)。

また、自身とは、あるいは、こうした(手法による)文章作成であったからこそ、公表する文章であったことが補助輪のような役割を果たし、今現在ここまで記事作成を継続することが出来ているのではないかとも思われのです・・(笑)。

しかしそれは同時にさきに示した記事の主題であった『普遍的に重み、深みを感じさせる何か』とはまた別種のものであるのではないかとも思われます。

いや、あるいは、そうしたものとは、記事作成を継続することにより自然、徐徐に文章に魂?が浸透し、読む方々に対し重み、深みを感じさせるようになってゆくものであるのかもしれません・・。
文字および文章の持つ意味が変化するのか?それを作成する自身が変化するのか?それを読む方々が変化するのか?はたまた、それらが複合的に作用するのか?・・(笑))

そして、もしもそこに多少なりとも理があるとすれば、今現在逡巡しながら作成しているこの記事においてもまた多少の意味があるのかもしれない・・。

ここまで(あるいはこれまで通り)かなり身勝手なことを述べてきましたが、それでも実際のところ、ここまで作成してきた記事の中で百分の一、五十分の一、十分の一程度でも、ある程度普遍的に『面白い』あるいは『重み、深みを感じさせた』という記事があれば、自身としては(かなり)上出来の部類ではないかと思われます・・(笑)。

そして、それはやはり書き続けることによってはじめて達し得たものであるので、その意味では、無駄となった記事は無いとも云えるのです・・(笑)。

とはいえ、今後も多少休みを入れることがあるかもしれませんが、もうしばらく書き続けようと思います・・。

そして今回も最後にゲーテの箴言を(二つ)引用します(笑)。

「なんじが終わりえないことが、なんじを偉大にする。」
(西東詩編「ハーフィズの書」から)

「大小を問わず、性格とは、人間ができると感じたことを首尾一貫させることである。」
(「格言と反省」から)

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」