2017年7月15日土曜日

20170714 地域毎に見受けられるある種の特徴について・・団体精神・昨日の続き

驚いたことに、昨日投稿分の記事の閲覧者数は、これまでの中でもかなり伸びました(60近い)。

これまでに自身はあまり表立って政治的なことは書かず、どちらかというと過去の歴史からの言及といった(間接的な)カタチを採り、そしてそれは昨日投稿分の記事においても同様であるはずなのですが、そうしたなか、冒頭に書いたような現象を見ますと『あるいは現在こうしたことを内心にて考えている方々が多いのかもしれない・・』とも考えさせられるのです・・。

また、それはすなわち『現在における本当・正統な保守とは一体何であるのか?』といった疑問につながるのではないかと考えますが、如何でしょうか・・?

たかだか百数十年間の我が国の近現代においても、その(本当・正統な保守)系譜とは錯綜しており、特に都市部・首都圏におけるそれは著しく、まさに『一概には云えない状態』と評しても差支えないと考えます。

一方、そうした視座を以って地方都市での状況を観察してみますと、もちろん、それはそれで複雑であり、錯綜しているのでしょうが、それでもさきの首都圏もしくは(近現代の)権力の貸し座敷におけるほどの無秩序とも見受けられる勢力積層の様相は見受けられず、数年程度在住し、同時に当該地方都市に関しての書籍・文献をある程度読むことにより、その概要らしきものとは、どうにか(ボンヤリと)見えてくるのではないかと考えます。

以前にもブログ記事にて書きましたが、その点において鹿児島とは西南戦争という近代以降の我が国において最大規模の内乱が勃発した地域であることからか、あるいはそれ以前からの歴史によるものか、やはり特徴的ともいえる地域性を有しており、私の在住期間においても少なからず、その御先祖が維新回天期・西南戦争に従軍、そして下獄された経験を持つ方々と見知る機会がありました。

そして、こうした方々は総じて、御先祖が罪人として獄に繋がれたことを恥じる様子は全くなく、逆にそれを誇っているようにも見えました。

自身としては、そうした御先祖に対する態度とは極めて健全なものであり、また、古代より数多く中央に対しての反乱を起こしてきた隼人の面目を躍如するものであると、感心を通り越し羨ましく思う次第です。

とはいえ、その一方において、現在の鹿児島では、そうした背景を持つ方々の多くが、おそらく地域における手堅い保守層に属しているのではないかと思われます・・。

そしてまた、このことは昨日投稿分のブログ記事に書いた筑前・福岡の旧黒田藩家臣団を基軸とした玄洋社が当時の明治藩閥政府・有司専制に対する、ある種の圧力組織・監視機関として自らを任じたのに対し、鹿児島においては、あるいは西南戦争での地域勢力の敗北により、地域勢力内部構成に地殻変動らしきものが生じ、さらにその後の太平洋戦争の敗北によっても同様の現象が生じた結果として、さきに書いたような状況になっているとも云えますが、その経緯については、大変興味深い題材ではあるものの、調べていきますと、かなり大がかりなものとなるのと思われますので、ここでは触れません・・。

そういえば、ここまで書いており不図思い出されたことは、かつて竹山道雄がその著書『昭和の精神史』において軍人の団体精神について一項を設けておりましたが、我が国はもとより他の国々においても、時代が変革期に差し掛かると、こうした男性的とも云える団体精神の活性化が生じるのではないかと思われました・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から今日に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害といった自然災害によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の速やかな復興を祈念しています。