2018年1月31日水曜日

20180131 昨日投稿の記事についての補足:用いる言語の普遍性?

驚くべきことに昨日投稿分の記事は120人以上の方々に読んで頂けました。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

しかし、この記事は投稿時の感覚では、あまり多くの方々に読んで頂けるとは考えていませんでしたので、その理由(多く読まれた)について考えてみますと、それは記事末尾近くの記述・・

『たしかに文系の学問は重要であるのですが、おそらくその更に基層・内奥にあるものとは、実際に存在する事物と、それらに付与されている名称の対応関係が明確な体系ではないかと思われるのです。そして、そうした体系の代表例がさまざまな理系学問ではないかと思われるのですが、その対応関係がアイマイなままにて文系学問を重ねていくと、おそらく変に感覚的なものとなり、よく分からないオリジナルとは離れた感受性の鋭さを競うようなものとなってしまうのではないかと思われるのです・・。』

にあるのではないかと考えました。
そこで、この記述についてもう少し考えてみますと、ここで述べたい要点とは『実際に存在する事物と、それらに付与されている名称の対応関係が明確な体系』を個々人が認識、内在化(インカーネーション)することの重要性です。

つまり、それが為されるのであれば、その発端、取掛りとは、特に文系・理系の何れであれ構わないと考えます。

では、何故、事物と名称の対応関係にて明確な対応体系を持つ代表例として理系学問を挙げたのかというと、先ず、理系学問とは概ね、現実の世界に存在する、知覚し得る具体的な何かを対象とした学問であり、少なくとも、その根本においては目に見えない、触れることの出来ない思想・概念といったものの存在はないと考えるからです。

理系学問にて、概念・形而上的な要素が表出されるのは、多くの事物の観察結果から、ある種の普遍性の抽出を試みたことによると云えます。

ともあれ、そうしたこと(事物から普遍性の抽出)を行う為にも、具体的な事物に対する名称が厳密に定義される必要性があり、また、まさにそれが為されていることにより、それら学問とは普遍性が担保されているとも云えます。

一方、文系学問においては、もちろんそれぞれ大変重要ではあるのですが、さきの事物と名称の対応関係が、その先もしくは背景にある概念・思想的なものの性質によってか、同じ文系学問間においても随分異なることが多いのではないかと思われるのです・・。

しかし、であるからといって文系学問に用いる言語をより精選し、共有化、少なくしようとする試みは、それが良心的な意図によるものであったとしても、実際にそれを取り組む段において、当初の意図からは外れた焚書的な行動・結果になってしまうことの方が普通ではないかと思われるのです・・【『政治は可能性の芸術ではない』と云われる所以とはこういったところに具現化しているようにも思われる。】ガルブレイスVSビスマルク(笑))

あるいは、こうした現象については、現在の国際・国内社会などを見ますと、その実状あるいは背景などを理解することが出来るのではないかとも思われます・・。
ともあれ、そこから思うことは、これまでにも幾度か当ブログにて述べてきたことではありますが、自然なカタチでの文系・理系を横断する交流の重要性です。

また、以前に抜粋引用した荒俣宏著『理科系の文学誌』によりますと『極言すれば、東洋は観念として自然科学的事実と神秘的承認とを融合させることができたのである。』(一方で、こうした見解に対して加藤周一あたりからは反論が為されるのではないかとも思われる・・)とのことであり、くわえて東洋においても我が国は、元来そうした『融合』などが得意な文化土壌であると思われますので、そうした状況が自然に醸成されるような環境整備を行えば、感性が生き生きとした若い方々は、思いのほかに早くに馴染んでいくようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?【おそらくそれは基礎研究のさらに基礎の部分となるのではないだろうか?】

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年、列島各地において生じた地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模な自然災害によって被害を被った諸地域の復興を祈念しています。


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20161004 昨日投稿の記事に関して および書籍からの抜粋引用「理科系の文学誌」【20180131再投稿】

本日のブログ記事は書籍からの抜粋引用を以って充てようと考えていました。
しかし、そのことを記した昨日投稿したブログ記事の閲覧者数が思いのほか増えました・・。
そのことから「本日も自分の文章にてブログ記事を作成するべきか・・?」とも考えてみましたが、ここで敢えて変更するのも如何なものかと考えた結果、本日投稿分の記事は、しばらく自身の文章をもって記したのち、書籍からの抜粋引用にしようと考えるに至りました・・(苦笑)。

さて、昨日投稿のブログ記事の閲覧者数が思いのほか増加したことは、自身としても幾分不思議であり「もの笑いのタネになっているのではなかろうか・・?」などといった不安も多少頭をよぎりましたが、もし、そうであるならば、とうの昔になっていたであろうと思われるため、このこと(昨日投稿ブログ記事閲覧者数の増加)の主要な原因とはイマイチよくわかりません・・(笑)。

いや、あるいは昨日のブログ記事に記したことなどは、案外読んで頂いている方々にとっては既に認識されていることであるのかもしれません・・(笑)。

私はこうしたことの認識に関しては、かねてより相当感度が低いと考えていますので、それもまた十分にあり得るかもしれません・・(苦笑)。

また、唐突であるかもしれませんが、それと同時に不図思ったことは「ブログのプロフィールに自身の顔写真を用いていることが、こうした出来事(考えの先取り、読まれている)と何かしら関係があるのかもしれない。」ということです・・。

これは考えてみますと、科学的な要素が見受けられず、かなり迷信的であるかもしれませんが、それと同時に、かつて西郷南洲翁(隆盛)は、自身の写真撮影を拒んだ(一生涯)というのも、あるいはこうしたことと何かしら関連があるのかもしれません・・。

それに加え、写真撮影ではありませんが、北隣の肥後(熊本)に出自を持つ徳富蘆花(健次郎)は、自身の悪い心が眼に表れているの(?)を見られることを防ぐため、黒メガネをかけ続けたということです・・。

これらの態度の背景には何かしら通底する要素があるのかもしれません・・。

とはいえ、これを検証する具体的な方法として、しばらくの間、自身の似顔絵をブログのプロフィールととして充ててみると、あるいは何かしら変化といったものが生じるのかもしれません・・(これもまた、わかりませんが・・)。

さて、これから先、これまでの内容的とはあまり関係がないかもしれませんが、昨日のブログ記事に記したとおり書籍からの抜粋引用とします。

工作舎刊 荒俣宏著 「理科系の文学誌」PP.284ー287より抜粋引用
『むかしの科学者や哲学者が、真理を教えるにあたって、よくたとえ話を用いたことは、この精神と関係がある。

あるいは、受験英語にこり固まった秀才が、英語の文章をスラスラと訳していたくせに、実際には文章の中身をまるで理解していない場合の(逆理)、これにもよく似ている。

結局のところ、素朴派の根本的な精神はボキャブラリーの問題にかかわってくるのだ。

物から出て、物へ返せない精神というのは、イメージをもたない精神の別名だろう。

「この方程式を使え」という指示が与えられさえすれば、七色の変数をあやつってみせる才人が、今度はたくさんの方程式を何のコメントもなしに渡されたときに当惑してしまう場合、かれには問題を設定するボキャブラリーがないと言っていい。

かれには、与えられた方程式という単一のボキャブラリーしかなく、そのボキャブラリーはボリュームとしていくら膨大なものでも、しょせん(単一)のものでしかないのだ。

したがって、与えられた方程式の深化と改善は図れても、それを乗り越える批判力までは持ち得ない。

ひとつの方程式を批判するためには、その方程式に用いられている内部の言語のほかに、別次元の方程式に属する言語を必要とするからである。

早い話、SFが旧文学の批判者としてそれを乗り越えようと意気込んでいたとき、SFの武器は何よりもまずこのボキャブラリーであったはずなのだ。

しかし、そのボキャブラリーは、文学的な修辞法の優勢といったケチなものではない。

そんなものの優劣は、要するに五十歩百歩の争いにすぎない。

旧修辞学の範囲内で見る作品の優劣は、相対的なものであって、こちらのほうがいつも絶対的に勝れているという言い方は不可能なのだ。

これを言うためには、旧修辞学を超えた別の美学体系に照らして、それが旧修辞学の極限にあることを証明する必要がある。

つまり超修辞学が必要なのだ。それを持たずに、同じレベルの用語で最高絶対を唱えることが不可能なことは、ゲーデルという人が不完全定理でもって立証している。

そしてここにボキャブラリーと呼ぶものは、この超修辞学を指すものといってよい。

つまりSFは旧文学よりも質的に多数のボキャブラリーを持つこと、あるいは科学の言葉を持つこと、それこそがSFの任務なのだ。

科学の言葉が使われ、さらに物質そのものの肉声までが文学の言葉と同質に使われるとき、SFならSFのボキャブラリーは、旧文学のそれを乗り越えることになる。

SFがジャンルとして成立する上での最も重要な意味は、本来そこにもとめられねばならなかった。

冒頭で出した例にしたがえば、今地球の山脈の出来かたを論じるにあたって、地球だけの発想によらず、ソラマメやカメや大脳の用語をも借りてくること。これがボキャブラリーの拡大である。

物から出て物に返す素朴派の精神もまた、このボキャブラリーをマルチ化する意志と同義だと言ってかまわない。

この場合、科学の素朴派とは、科学の言葉と詩の言葉を、そしてさらに言えば直観の言葉を自由に使える人間、という意味をもつだろう。

そういうわけで、ウェゲナーの「大陸浮動説」の根底にあった思考メカニズムも、やはり直観とひらめきとに無関係ではなかったはずだ。

目に見えるものに思考を返すこと。
つまり別々の大陸間に同じような生物相が存在する事実。
これを生物学とは別レベルのボキャブラリーで言い換えれば、もともとその大陸同士が陸つづきであったということだ。

そしてこの二つのボキャブラリーを貫く定数―それは当然ながら、陸地が割れて漂流したという歴史的事実以外のなにものでもない。

ところで、ウェゲナーの怪しげな説を日本人としてもっとも初期に採りあげた物理学者の一人に、ほかならぬ寺田寅彦がいる。

この懐手をした物理学者が漱石子規門下生「吉村冬彦」という名のもとに別種のボキャブラリーを操っていたことは、おそらく偶然ではない。

それどころか、事物の実体験に即した科学精神として、かれは日本的風土の伝統的な思考をひきずっていたとも考えられる。

東洋における真理の伝達法、たとえば仏教やインド哲学に見られるたとえ話や日常オブジェを介したシンボリズムの使用には、当然ながら、この素朴派の直感的・体験的思考に通じるものがある。事物やたとえ話に思考を返して語ることは、悪い面もあるけれど、ボキャブラリーのマルチ化という点ではきわめて有効だったと言えるだろう。

極言すれば、東洋は観念として自然科学的事実と神秘的承認とを融合させることができたのである。

西洋では、多くの場合、一つのボキャブラリーは一つの人格に独占的に宿っていたが、東洋では一つの人格が複数のボキャブラリーを操ることもできた。

とくに東洋では、このボキャブラリーが生命と物質界を統合するという点で大きな役割を果たしていた。生命も物質もともに空に帰する一元的な世界像は、物質のなかの生物性(アニマ)と生物のなかの物質性という複数の用語を、体験の記述用具として最初から東洋人に与えられており、その状態がつい最近になるまで破れたことはなかったのである。』

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。

また明日新たな台風が北部九州に接近するとのことです。
これによる地域の被害が出来るだけ軽微であることを同様に祈念します。

抜粋引用後に不図思ったのですが、もしかすると、我が国について特徴的である云われるタコツボ文化、ガラパゴス化などは、何かしら上掲文章の意味と関連があるのかもしれません・・が、皆様は如何お考えになるでしょうか?


20180131 【再投稿】加藤周一著「日本文学史序説」下巻 筑摩書房刊 pp.124-127より抜粋

十八世紀の初めから人形浄瑠璃と密接な関係を保ちつつ発達した歌舞伎芝居は、同じ世紀の後半に町人文化の中心が次第に江戸に移るとともに、対話劇の性質を強め、人気役者を中心とした見世物として多数の観客を集めるようになった。

このすぐれて町人的な芝居=見世物は、多くの点で、狂言と異なり、また十六世紀以来の西洋の近代劇とも根本的に異なる。

その特徴は、人形劇としても役者の芝居としても成功した「仮名手忠臣蔵(初演一七四八)や「菅原伝授手習鑑(初演一七四六)や「義経千本桜(初演一七四七)に、早くもあらわれていた。

全曲が互いにほとんど独立した挿話と場面の連続から成り、その全体を一貫するすじには大きな意味がない。

各幕は大詰へ向って収斂するのではなく、それだけで一種の盛り上がりをみせる。

「仮名手忠臣蔵」の場合には、すでにふれた。敵討ちのすじは、その芝居の前提であって、眼目ではない。「菅原伝授手習鑑」の全体も、菅原道真の失脚を中心としてまとめられてはいない。

「義経千本桜」に到っては、義経伝説と平家の武将を背景とする場面をほとんど何らの脈絡もなくよせ集めただけで、各場面を一貫するすじも、論理も、思想もなきに等しい。

観客がこのような大作の一幕だけを、独立の見世物としてみるのは当然であり、現に人形劇でも芝居でも、部分を全体から切離して上演する独特の習慣が生じた。
また座附作者の側でも、その数人(普通は二、三人、しかし四、五人に及ぶこともある)が、手分けして、それぞれの部分を書く。
かくして出来上がった脚本が、たとえば近松門左衛門の浄瑠璃、殊にその世話物の緊密な劇的構造と著しい対照をなすことはいうまでもないだろう。
科白劇としての歌舞伎は、浄瑠璃の語りの部分を抑えて、各場面を役者の科白で進行させる。

しかしそのことは、浄瑠璃の美文の魅力が、役者の科白に移された、ということではない。

それどころか科白劇の成立は、同時に歌舞伎が「言葉の力」を失うことでもあった。

歌舞伎の科白は、状況の説明か、人物の感情の単純で日常的な表現にすぎず、どういう意味でも雄弁の力を示さない。

また一般化や逆説や抽象的な命題を含まず、その知的な内容の極度に貧しいものである。

たとえば有名な科白として人口に膾炙する文句をみよう。

そのほとんどすべては、特定の状況における特定の人物の特殊な感情に係っていて、人間一般の感情を語らず、人間についての知的考察を加えない。

したがってその大部分が固有名詞を含むものである。(「由良之助はまだか」から「今頃は半七さん」まで)

これはたとえば英語国民によく知られているシェイクスピアの有名な科白とは、鋭い対照をなすだろう。

「世界はどこでも一種の舞台だ、男や女は誰でも役者にすぎない」(As You Like It, Act , Scene 7)というような一般化を、歌舞伎の役者は決して行わないのである。

なぜ行わないのか。おそらく徳川時代の町人がその日常生活において、特定の人物について語ることが多く、人間一般(「男や女は誰でも」)について語ること稀だったにちがいない。

彼らの関心は特殊な対象に向い、普遍的な洞察には向わなかった

また小さな所属集団内部での情意伝達に慣れた人々が、長い間「以心伝心」を理想としてきたということもあろう。

言葉による伝達には限界があり、大切なことはすべて言葉によらずに伝達されるという考え方は、日本文化のなかに浸透していた。


伝達の内容の特殊な状況との密接な係り、また伝達の手段としての言葉の相対的な非重要性、一般に日本社会の、殊に徳川時代の社会の、現実の会話を特徴づけていたであろうこの二つの性質は、歌舞伎の舞台の会話にも反映せざるをえなかったはずである。

しかし特殊な状況における特殊な感情の表現に科白を限定することは、芝居から知的興味を奪い、登場人物の人格の大きさを制限する。

赤穂浪士の一団を率いた大星由良之助の性格は、敵討ちの目的そのものを問いなおすほどに複雑ではなかった。

菅原道真や義経には、彼らの置かれた不幸な境遇だけがあって、性格らしい性格はほとんどない。

しばしば登場する忠臣たちは、しばしば彼らの主人に対する忠誠と人情との間に引裂かれていたが、彼らのなかの誰一人として、みずからの感情的経験によって既存の社会的秩序を批判し、再解釈しようとする者はなかった。

外在的な理性的秩序と内在的な恋情的欲求との対立緊張は、決して合理的秩序の内在化と恋情の合理化=外在化へみちびかれず、したがって異なる感情的経験にもとづく異なる法解釈の対立は生じ得ない。

歌舞伎に法廷の場面が少なかったのは、おそらくそのためである。

日本の芝居の悪玉と善玉とは、シャイロックとポーシャのように公的な法廷において対立するのではなく、金や腕力や陰謀だけがものをいう私的な場面において出会っていた。

また歌舞伎の主人公は公衆に向って訴え、彼らを説得しようとはしない。

彼らの正義は、当事者だけのものであり、彼らには第三者を説き伏せる論理がなかったからである。

将軍たちは、ブルータスマーカス・アントーニアスのように広場の演説で自己の立場を正当化する手続きをとらずに、いきなり戦闘に入る。問答無用。科白は当然貧弱にならざるをえなかった。
「日本文学史序説」下巻
「日本文学史序説」下巻
ISBN-10: 4480084886
ISBN-13: 978-4480084880
加藤周一



2018年1月30日火曜日

20180130 文体の獲得の目的?【口語的なものと文語的なものの違いについて】

本日の首都圏もまた、この時季らしく大変に寒い一日であり、特に足の方から冷えてくるのはなかなかこたえます・・(苦笑)。

くわえて記事作成においても本日はこれといった主題がないままにて書き始めた次第ですが、面白いことであるのか、ある程度継続的にブログ記事を作成していますと、作成されたブログ記事自体を題材として新たな記事が書けるようにもなり、たとえば、本日これまでに閲覧された記事の特徴およびそこからの考察らしきことを述べることも出来、それにより、ある程度の文章を作成することは出来るようになるようです・・(笑)。

また、それとは毛色が異なるものが、これまでに時折作成・投稿した歯科材料・民俗学・歴史関連を題材とした記事であり、それらを主題として記事を作成する際は、周囲に参考とする書籍を置きつつ、少し作成しては書籍を開き、インターネットにて検索し、といったことを繰り返しつつ行っています・・。

それは少なくとも、さきに述べた、自身の過去の記事を題材として記事を作成するよりも、いくらかは面倒な作業であると云えます・・。

しかしながら、そのようにして作成された記事と比較して、そうした過程を経ずに作成された記事の方が往々にして多くの方々に読んで頂けるのです・・(苦笑)。

そうしますと『では何故、わざわざそうした書籍を開き、ネット検索を行いつつ記事を作成する必要があるのか?』とも考えるところではあるのですが、少なくとも自身に関して述べますと、それら種類の記事とは、必ずしもより多くの方々に読んで頂くことのみを目的としているのではなく『自身の文体の獲得およびその定着』といったことを明瞭ではないにしても目的にしていると云えますので、そのためには、それら種類の異なる文章を作成する際の刺激とは、それぞれ不可欠であるように思われるのです。

そこから、おそらく余程の才能に恵まれた方々は別として、そうした一種右往左往するような路程を辿り、漸進的に文体の獲得とは為されていくのではないかと思われるのです・・。

しかし一方において、この『文体の獲得』自体には一体どのような目的があるのかと考えてみますと、それがイマイチ自分のことながら分かっていないのです・・(苦笑)。

とはいえ、おそらくそれが為されることにより、人のハナシをより深くまで理解することが可能になり、あるいは自身の述べたいところをより精確に述べることが出来るようになるのではないかと思われるのです【双方共に私が苦手とするところです・・(苦笑)】。

そしてそれはあらゆる他者との対話において、少なからず有効に作用するのではないかとも思われるのです・・。

また、そこから考えてみますと、テレビなどにて面白いとされている方々のその面白さの真髄とは、さきの『文体の獲得』といった一種文語的とも云えるものとは異なった相にある口語的な面白さではないかとも思われるのです・・。

くわえて、その文語的なものと口語的なものの相違とは、文字による小説とマンガとの間にある相違にも近いのではないかと思われるのです・・。

このことは、仔細に考えてみますと、更に奥が深いように思われますが、それでも、そこから自身の思うことを簡潔に述べますと、たしかに文系の学問は重要であるのですが、おそらくその更に基層・内奥にあるものとは、実際に存在する事物と、それらに付与されている名称の対応関係が明確な体系ではないかと思われるのです。
そして、そうした体系の代表例がさまざまな理系学問ではないかと思われるのですが、その対応関係がアイマイなままにて文系学問を重ねていくと、おそらく変に感覚的なものとなり、よく分からないオリジナルとは離れた感受性の鋭さを競うようなものとなってしまうのではないかと思われるのです・・。

あるいは、我が国におけるさまざまな工業製品の所謂ガラパゴス化とは、こうした状況に播種されているようにも思われますが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年、国内各地にて発生した地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被災された諸地域の復興を祈念しています。

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2018年1月29日月曜日

20180129 文章の作成などに作用する地域由来の要素について思ったこと・・

本日の首都圏もまた大変寒い一日でした。さらに今週は半ば過ぎより再び降雪の可能性があるのとことで、屋外にいることが比較的多い自身としては、多少気が重くなるハナシです・・(苦笑)。

また、そのように考えてみますと鹿児島在住の後半の期間は、ほぼ毎週末温泉に浸かっていましたが、おそらくそれらの機会で自身に取り込まれた当地風土の『何か』が、おそらく現在においてもまだ体内の何処かで生きているのではないかとも思われるのです・・(笑)。

何故ならば、以前の首都圏在住時の自身であれば、寒い状況よりも暑い状況の方をより耐え難いと感じていたからです(あるいは単純にそれは加齢による基礎体温の低下によるものであるのだろうか?)。

しかし一方で、現今においては(悔しいことに)ほぼ首都圏での生活に慣れつつあり、くわえて一連のブログ記事もまた(悔しいことに)ほぼ此処首都圏にて作成されたと云えます・・。

そのように考えてみますと意識・無意識を問わず日常的に刺激に事欠かないとも評し得る首都圏とは、一面においてこうした文章作成には適しているのかもしれません・・。

以前にも書きましたが鹿児島在住時、SNSのミクシィにて週に一回程度、こうした記事らしきものを作成していましたが、その当時において作成頻度を増やすことが出来たかどうかとは不明ですが、おそらく当時の自身ではそれが限界に近かったのではないかと思われます・・。

そうしますと、では何故、現在の自身とは、書籍からの抜粋引用もありますが、ほぼ毎日、このように記事作成を行うことが出来ているのでしょうか?そして、それを為さしめている能力とは如何なるものなのでしょうか?
否、より精確には、それは能力と表現されるものではなく『視野』と表現されるものであるのかもしれません・・。

つまり、ある種の視野にて世界を認識することにより、こうしたブログ記事の文章とは特に苦もなく作成することが出来、そしてまた、その視野を保持するためには、首都圏などにおいて特有な、ある種の刺激が効果的に作用するのかもしれません。

そのように考えてみて想起されることは、加藤周一が述べていた『都市部に文章作成・文学などに対して興味のある層が集中する我が国の傾向』であり、あるいはそれと何かしらの関連性があるのではないかとも思われるのです・・【多少自意識過剰気味ではあるものの(苦笑)】。

次いで想起されたことは、これまた以前のブログ記事にて述べた『近代以降の我が国における都市部、就中、東京出身の長編小説執筆者の少なさ』であり、長編小説の執筆といった息の長い創作活動を行うためには、我が国の都市、特に首都圏とは向いていないのかもしれません。これを換言しますと、長編作品を生じさせるためのある種の『土性骨』といったものは都市部にて得ることは困難であるということであるのかもしれません・・。

あるいはそれと同様の事情が、我が国のノーベル賞受賞者の出身地が首都圏文化圏とは異なる西日本に偏在している一つの原因であるようにも思われます・・。

それ故、おためごかしではなく、やはり我が国にて現在進行しているとされる東京・首都圏への一極集中とは、長い目で考えてみますと持続可能性・発展持続性が乏しくなってしまうのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年来、国内各地にて発生した地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模な自然災害によって被害を被った諸地域の復興を祈念しています。




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2018年1月28日日曜日

20180128 19世紀末~20世紀初頭の我が国について・・

欧米列強を手本として所謂近代国家となった我が国はその後、幾つかの対外戦争を経験した。
そのなかでも近代国家となった我が国が最初に経験した本格的な対外戦争である日清戦争とは、当時においては危険な賭けでもあった。

何故ならば当時の我が国とは国際的に孤立していたからである。しかし、戦端が開かれてみると陸海双方において清王朝の軍隊は脆く、あっけないほどに近代化以降間もない我が国の軍隊は快勝を重ね、戦争に勝利した。

この勝利により、我が国は益々欧米列強流の近代化への確信を強め、更なる富国強兵への道を進むこととなった。

しかし、この傾向に付随して、徐々に我が国国民の多くは自らがアジアの一国であることを忘れ、白人あるいは準白人待遇を求めるようになり、そしてそれは後の日露戦争以降においてもより一層助長されるようになった【また、現在においてもその影響は色濃く我が国の社会にあると云える(良い悪いは抜きにして)】。

そしてその後の日露戦争とは、日清戦争に比べ、苦心惨憺の結果どうにか勝利に至った戦争ではあるものの、それと同時に、この戦争においては国際社会にて我が国の同盟国もあり、また同情を示す国も少なくなかった。そうした事情から、国際市場における戦費の借り入れも為され、またキリの良い潮時での国際社会、アメリカ合衆国からの調停も得られ、結果的に我が国はどうにか勝利することが出来たと云える。

また一方で、この勝利とは、結果的に極東におけるロシア帝国の南下政策を快く思わない他の列強諸国の勢力範囲・権益を益々安泰としたものであり、見方によれば、この戦争において我が国は、終始それら諸国の利益に奉仕させられたとも評し得る。

もとより、さきの同盟国とは、極東にある我が国に対し、そのような役回りを期待していたと云え、またそれは主人と従僕の間のような同盟関係ではあったのだが、従僕は従僕なりに、その役回りに飽き足らなくなり、その数十年の後、極東地域はかなり面倒な事態へ至ったと云える。

日露戦争にて我が国とロシア帝国間の調停を申し出たアメリカが戦争により我が国が権益を得た南満州鉄道の共同経営を申し出たが、我が国はその申し出を一蹴し、その後から急に日米関係が冷却・悪化していった。

とはいえ、当時の我が国もまた、多大なる犠牲によって獲得した南満州の権益を少しでも減ずるような行為とは出来かねる状況であったこともまた理解出来、当時としては無理からぬことであったようにも思われる・・。

また、明治近代化以降、軍備、とりわけ海軍力の増強とは大英帝国に依存するものであり、日露戦争期における我が国海軍の主要な艦船とは、概ね英国製であった。つまり、一面において、日露戦争における我が国海軍の勝利とは、大英帝国重工業の勝利をも意味するものであったとも云える。そしてその後、我が国においても重工業が興ると、国産の軍艦を用いるようになった結果、英国に発注しなくなり、これが英国を怒らせる結果となった。

その後1914年に欧州にて第一次世界大戦が勃発すると、我が国は日露戦争前に締結された日英同盟に基づき、ドイツ帝国に対し宣戦布告し、極東におけるその根拠地であった青島半島南側の膠州湾ドイツ租借地を攻略した。また地中海の機雷除去のため、我が国海軍艦船が派遣されるということもあった。

ともあれ、こうした富国強兵の流れとは、新興国家が一度は通過しなければならない民族主義の一つの現れであると云え、我が国の場合、それは明治・大正期に概ね為されたのであるが、同時にそれは危険な後遺症をも伴った。

それは軍事優先・他民族の蔑視・絶対不敗の信念の普遍化などであるが、これらもまた戦争勝利の後に生じる現象ではあるのだが、こうした考え、否、信仰とは、一度成立すると、現実に国家が戦争に負けるまでは続くことから大変に厄介なものであると云える・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年来、国内各地にて発生した地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被災された諸地域の復興を祈念しています。


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2018年1月27日土曜日

20180127 880記事到達、今後のブログ記事作成について思ったこと

本日の首都圏もまた日中より寒く、足の方から寒さが伝わり、歩く際も時折わざと小走り気味にして体を暖めることを試みましたが、雑踏においてはたしかにこちらの方が幾分か都合が良いのかもしれません・・(笑)。

さて、ブログ記事も今回の記事投稿により総投稿記事数が880に至ります。そして残り20記事の投稿にて目標である900記事に到達するわけですが、ここまで至りますと以前ほどは投稿記事数にこだわらなくなり、その一方で、自身の作成する文章に対しての興味が大きくなっているように思われます。【あるいは自家中毒の一種であるのかもしれない・・(苦笑)。】

とはいえ、この興味とは、これまで継続的に記事を作成したことにより漸進的にそして内発的に生じたものであると云えますので、そこに至るまでには少なくとも自身の場合、800~900程度の記事作成といった過程が不可欠であったのかもしれません・・。

また、同時に、これまでどうにか記事(文章)を作成してはきましたが、その折に、身体を用いる運動の際に感じるような上達の実感といったものは皆無であり、書き続けていることから生ずる、わずかな変化の積重ねにより、現在の文体らしきものが形成されたことが後知恵・後付けの解釈のように、あるいは一種他人事のようにして理解されるといった感覚があります・・(笑)【ある程度長い期間造営が為された群集墳における横穴式石室の造営様式の時代毎の変遷を観察しているのにも似た感覚であると云える】。

そしてまた、今後900記事を過ぎ1000記事程度まで記事作成が継続された場合、確証はありませんが、その過程において、なかなか面白い自己についての発見があるのではないかとも思われるのです・・。くわえて、おそらく私が師事しているお師匠等とは、その人生の何処かで、こうした感覚を既に得ている(た)のではないかとも思われるのです【これもまた一種の相変態と云えるかもしれません・・(笑)】。

さらに、もしも自身がこのブログ記事の作成を通じ、新たな感覚の発見に至ったならば、それは読んでくださっている方々にも、あるいは何かしらの発見らしきものがあるのではないかとも、多少自意識過剰気味ながら思うところなのです・・(笑)【そうであれば、少し嬉しいのですが・・】。

さて、ハナシは変わりますが、昨日投稿分の記事もまた、おかげさまにて100人以上の方々(110)に読んで頂けました・・。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、ここ数日間は歯科医療機関の求人情報の掲示を試行的に行ってきましたが、今後は当ブログ記事において、それ(掲示求人情報)に関連した取材記事(対話形式)のようなものを作成し、それを記事として掲載してみたら面白いのではないかとも考えています・・。

自身としては、そこまで目立つことはないものの、光る何かがある歯科医療機関がより多くの方々に認知されることは、決して悪いことではないように思われるのです。

そして、その一助として当ブログが多少なりとも寄与することができるのであれば、それは僥倖であるものと考えます。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

国内各地において発生した地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被害を被った諸地域の復興を祈念しています


新刊書籍のご案内
師匠による新たな著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内させて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。



















2018年1月26日金曜日

20180126 久しぶりに歯科材料関連の記事を書いて思ったこと

昨日投稿分の記事は内容的にあまり多くの閲覧者数を得ることが出来ないものと考えていましたが、現在までに100人以上の方々に読んで頂けました。
読んで頂いた皆さまどうもありがとうございます。

さて、書籍からの抜粋引用の場合は、あまりその場にて考える必要はありませんが、読書などの際に面白いと思われた箇所の頁を折るとか、印を記入するといったことを日常的に行う必要があります。また、これまでにそのように感じた箇所とは、百に及ばなくとも数十以上はあると思われますので、今後自身による記事作成が深刻に困難となった場合、そうした書籍からの抜粋引用を充て、どうにかその時期をしのぎたいとも考えています・・(笑)。

また、書籍からの抜粋引用とは、往々にして自身が作成する記事よりも多くの閲覧者数を得ることが出来るため、単純に閲覧者数を得るためであれば、大変効果的であると云えます。しかし一方で、そればかりを続けていますと、いつの間にか自身の文章を作成することが出来なくなるのではないかとも思われます【これは意外と重要なことであると思われます・・。】。

また、いくつかの分野にわたる自身による記事に関しては、以前にも述べましたが、昨日の歯科材料学関連の記事は相対的にあまり多くの閲覧者数を得ることが出来ない傾向があり、あくまでも推測ではありますが、それらを読んでいる方々からすれば、そこに書かれている内容とは、先刻承知のことでありつまらないのか、あるいは興味を持つには縁遠過ぎる分野のものであるのかもしれません・・。

その他の歴史・民俗学関連の記事における閲覧者数はこれまた以前にも述べましたが、記事によりかなりブレがあり、またそれが生じる原因とは明確には分かりませんが、一方で、これまで記事作成をどうにか継続してきましたので、そこからのあくまでも仮説に近い感覚的なものですが、一連の記事においても多くの方々に読んで頂ける記事には何かしらの特徴といったものがあるのではないかとも昨今は思うようになりました。
とはいえ、その内容とは未だ判然と言語化されるものではありませんが、それでも強いて言語化を試みますと『何かしらの疑問を表明している記事』が多いのではないかと思われました。

また、それに関連してか、昨今のブログ記事作成において特筆すべきことであるのが1月15日投稿分の『一つの基礎研究が行われるまでの過程について・・』の閲覧者数が現在に至るまで伸びていることであり、これまで投稿された全記事の中でも、かなり多くの方々に読んで頂いている記事であると評し得ます。

この記事に関して思うことを少し述べますと、この記事とは、さきにも述べた通り、あまり多くの方々には読まれない歯科材料関連の記事であるにも関わらず、こうした状況となっていることは、さきの意見と矛盾するかもしれませんが、同時にそれは実際に行われた基礎研究のプロローグともなり、さらにはその先にある論文の読解へも進み易くするといった効果、あるいはそこからさらに別の弟子が臨床の様子を動画を作成されていることから、基礎研究が為された実際の卑近な背景そしてそこからさまざまな試行が為されていく過程もまた伝わり、読まれた方々に何らかの感情を喚起するのではないかとも思われました・・。

そこから、実際の科学的知見を圧縮して述べた教科書・テキストのような文章も極めて重要ではありますが、同時に科学的知見を散りばめて書かれたモノガタリ形式の文章もまたそれなりに有意義であり、それは一面において、これまでに何度か抜粋引用したトーマス・マン著『魔の山』での記述部においても類似した何かがあるのではないかとも、聊か自意識過剰ながら思うところではありますが、さて如何でしょうか・・(笑)。

ともあれ、今後、このブログが如何なる方向に進むかは分かりませんが、とりあえずは当面の目標である900記事を目指し記事作成を続けて行こうと思います。

そして、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

国内各地にて発生した地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被害を受けた諸地域の復興を祈念しています。

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2018年1月25日木曜日

20180125 コバルトクロム合金について

コバルトクロム合金は歯科医療においては主に義歯床の材料として用いられてきた。
また、以前にも触れたが医科領域においては整形外科分野での人工股関節のステム材料として用いられてきた。
合金主成分は名称が示すとおりコバルトであり、種別により異なるが概ね45~65%程度であり、次いでこれも名称が示すようにクロムであり、概ね20~35%添加されている。
ほかにはタングステン・金属チタン・鉄といった成分が微量添加されている。
これらのなかで重要な働きをする成分がクロムであり、この金属元素がある程度添加されていることにより、合金表面に酸化クロムによる緻密な膜が形成され、これが合金の酸化・イオン化を防ぎ、ひいては合金の生体内での為害性を少ないものとしている。
あるいはこれを異言すると、合金表面一層が酸化安定状態である石・セラミックスなどと同様の性質を有することから、その生態適合性を良好なものとしているとも云える。
また、このことは、他の生体材料として用いられる卑金属を主成分とした多くの合金・金属材料においても同様の傾向があると云える。
具体例としてインプラント治療にて顎骨に植立するフィクスチャー(歯根部)材料にてチタンが一般的に用いられているが、チタンもまた表面に酸化膜を持つことにより、良好な生態適合性を持つとされている。
さて、コバルトクロム合金に戻り、この合金はさきに述べた利点のみでなく、一方で広汎な使用を困難にする性質をも持っている。
それは、硬いことから(手)研磨が困難であることが先ず挙げられる。そこから、コバルトクロム合金による補綴物の研磨は、バレル研磨や電解研磨といったあまり一般的とは云えない手法が用いられる。
くわえて、その液相点が1300~1400℃と高温であり、さらにその鋳造収縮率も約2%と大きいことから、我が国にて汎用される歯科用合金である金銀パラジウム合金による補綴物作製に用いる機材・材料をそのまま流用することが困難であり、その溶解においても圧縮空気を用いるバーナーでは不可能と云える。
また、適切な鋳造体を得るための埋没材もまた、さきの金銀パラジウム合金に用いるクリストバライト埋没材(石英系)では、鋳造収縮率を相殺するための埋没材の熱膨張率が異なり、さらには高温となっているコバルトクロムの溶湯に耐える機械的強度を持たないことから、より緻密(通気性が良くない)で熱膨張率が大きく、高温に耐え得る埋没材としてリン酸塩系埋没材が用いられる。
ともあれ、以上のことからコバルトクロム合金とは優れた点を持ちながらも、金銀パラジウム合金に代わり得る汎用歯科用合金とは見做されていないと云える。
しかしその一方で、近年においてはCAD/CAM加工技術あるいは3ーDプリンターなどと同様の原理にて、コバルトクロム合金による補綴物を作製していく技術(SLMなど)が進化発展つつあり、今後、我が国の歯科医療分野においても、より広汎に用いられることになるのではないかと考えられる。

近年、国内各地において発生した地震・大雨・水害といった大規模自然災害によって被害を被った諸地域の復興を祈念しています。

昨年より再び活発な噴火活動をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。


今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
おかげさまで昨日投稿分の記事も100人以上の方々に読んで頂けました。引き続き書籍案内を掲載します。
出来ましたら口コミ等による拡散よろしくお願いします。



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2018年1月24日水曜日

20180124 これまでに作成した記事を眺めたのち新たに記事作成を行うと・・

本日の首都圏は一昨日の降雪による交通機関への影響はあまり聞かなかったものの、気温が大変寒く感じられ、一昨日・昨日よりも気温が低かったのではないかと思われました。

さて、一連のブログに関してですが、一昨日(二日前)の記事投稿により、総投稿記事数が875に到達していました。現在の目標が900記事ですので、残り23記事にて達成出来ることになりますが、これは現在の1日1記事作成を維持することにより、来月半ば過ぎ頃には達成出来ると思われます。そしてさらに、本格的に暖かくなる4月半ば頃までには950記事に到達したいとも昨今は考えるようになりました。

また、これまでにも何度か書きましたが800記事までも書き続けることが出来るとは考えていませんでしたし、また、以前投稿した記事を閲覧してみますと、この程度まで継続することを念頭に置き書いていたとも思われないため、人により異なるのかもしれませんが、こうしたものの継続とは顕在的な意識といった所謂意志よりも、何と云いますか身体化・習慣化されることの方が重要であり、そしてそのように考えてみますと、その基層にあるものとは、ある程度の時間、机を前にして座り、何らかの作業を行うといった習慣ではないかと思われました・・。

そしてまた、その習慣があることから、さまざまな試料の作製、機器分析、スライド作成あるいは英論文の読解などもまた、どうにか出来たのではないかとも思われます。

しかし、本来私は外を動き回る方が好きな性分であり、さきのようなインドアの作業ばかりであると、それはそれでおかしくなってしまうとも云えます・・(苦笑)。

そして、この性質とは、おそらく万人に共通するものであろうと今現在に至るまでで、どこかで信じているフシがあるのですが、あるいはこういったところから既に、各個人によって性質が異なっているのかもしれません・・。

くわえて、こうしたものとは、おそらく多分に季節・気候風土などによる影響もまた受けていると思われます。

夏の場合、長時間机の前に座ることは、それなりに苦痛であると感じ、一連の当ブログ記事においても、現在読んでみますと、主題を定めて比較的短時間にて作成した記事が多いのがこの時季であると云えます(あまり推敲を行った形跡がなく、どちらかというと文章自体が口語体に近いとも云える)。

また、面白いことに、そうであるからといって、よく推敲が為された感のある記事の方が面白いかと云うと、必ずしもそうではなく、一方で夏の方が身体の活性自体は上がっていると思われるため、上手く表現することは出来ませんが『よく分からない勢い』みたいなものがあるとも思われるのです・・(苦笑)。

そしてまた、こうしたことは、以前の自身ではなかなか思いつかなかったことであると云えますので、あるいはかねてより述べている『文体の獲得』とは、自分の作成した文章を読み、そして考えて新たに書くといったことを、ある程度の期間行うことにより為されていくのではないかとも思われるのです・・。

くわえて、そこでもう一つ極めて重要であると思うことは、それらを読んで頂く方々の存在であり、実際にご意見を伺うのがベストであるのかもしれませんが、記事によって明らかに閲覧者数が異なるものを交互にあるいは総合的に眺め、その違いなどについてボンヤリと考え、また新たに記事を作成することを継続していますと、それはそれで(少なからず)勉強になっているのではないかとも思われるのです。また、それ故に読んで頂く方々の存在が極めて重要であると思うのです。

さて、ここまで書いてきましたが、おかげさまで昨日作成した記事もまた相変わらずの独白形式であったにもかかわらず(かなり)多くの方々(125人)に読んで頂けました。

また、ここで新たに歯科衛生士の求人情報を掲載しましたが、これが一助となり、何らかの良い結果が生じることを願います。【バタフライ効果となるか?!(笑)】
課金はありませんので、口コミなどで拡散して頂けましたら大変助かります。
本日もまた師匠の新刊書籍のご案内に加え同求人情報を掲載いたします。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年、国内各地で発生しました地震・大雨・水害といった大規模自然災害によって被害を受けた諸地域の復興を祈念しています。

昨年より新たに活発な噴火活動をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。



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20180123 本能に近い部分と探求心との歯車が合うと創造性が生じるのか?

本日の首都圏は昨日積もった雪が溶け残ったことによってか、さまざまな交通手段に遅延が発生しました。とはいえ、昨日のような降雪がなかっただけでも大分過ごし易くはなりましたが・・。そしてまた、おそらく明日になれば昨日の降雪による交通手段等への影響はほぼ無くなるものと思われます。

さて、おかげさまにて昨日投稿分の記事もまた多くの方々(98)に読んで頂けました。この記事もまた自身の考えを述べた独白形式であったにもかかわらず、さきのような閲覧者数となりましたので、あるいはこれをより精確に述べますと、自身の考えを述べた独白形式の記事とは、そのアタリ・ハズレあるいはブレが大きいと評すべきものであるのかもしれません・・(笑)。
また、くわえて特筆すべきであると思われることは、本日に至ってもなお115日投稿分の記事『一つの基礎研究が行われるまでの過程について・・』の閲覧者数が徐々にではあれ伸び続けていることであり、そうした現象を目の当たりにしますと、今後もさらに、こうした経験を記事として書いてみようかと思うところではあるのですが、その一方で、こうした経験を書き続けていますと、さまざまな方面に脱線する可能性もまた生じる・高まるため、あまり力まず・意識せずに、自然に想起された時に記事として書き起こすのが良いのではないかと思われます・・(笑)。
この115日投稿分の記事がどのように読んで頂けているかは精確には分かりませんが、この記事にあるような経験を多く持つことが出来るのは、おそらく医局・講座・研究室に属している時期であると云えますので、そこから思う自身の勝手な願いとは医歯薬看護・理工農・人文社会科学問わず、そういった場(医局・講座・研究室)にて、より多くの方々が自身の本能に近い能動的な部分と、何らかの学問分野における探求心との歯車が合うといった経験を持って頂くことです。
しかし『自身がそのような(ある意味立派な?)ことを書けるのか?』と考えてみますと多少恐れ入るところではありますが、そうではあるものの、さきのような経験を持つことにより、それを記事として作成することが出来、さらにそれは、これまでの記事全てにおいてもまた同様であると云えるのです・・。
そして、そうした経験を持つことにより、何と云いますか自転運動のようなものが精神の内部にて喚起・発動され、それにより創造性を目指しつつ何らかの能動的な活動を継続することが出来るようになるのではないかとも思われるのです・・。
また、多少大げさに述べますと、そうした人間が多い社会の方がそうでない社会に比べ、相対的に持続可能性あるいは発展持続性が多少はあるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
近年、国内各地にて生じた地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被災された諸地域の復興を祈念しています。
昨年から再び活発な噴火活動をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。


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2018年1月22日月曜日

20180122 昨日投稿分の記事の閲覧者数が比較的多かったことから・・

本日の首都圏は午前中より本格的に雪が降りはじめ、夕方に至る迄には路上にも雪が10㎝程度積もり、またそれにより電車の運行も遅れ、帰宅時の電車においては幾度か停車し、のべ10分程度は停車していました。

また自動車の方も時折車道の方からスノーチェーンを装着したタイヤ独特の音が聞こえましたので、自動車の運転はより大変であったものと思われます。くわえて、おそらく本日降り積もった雪は明日朝までに溶けきることはないと思いますので、明朝もまた各種交通手段が遅延する可能性が高いのではないかと思われます・・。

さて、ブログのハナシになりますと、昨日投稿分の記事は、自身の考えを述べた独白形式の記事であったにも関わらず、比較的多くの方々(90人以上)に読んで頂けました。

昨今投稿した記事にて多くの閲覧者を得ることが出来た記事とは、①歯科材料学・民俗学などに関する知見・考えを述べたもの、②自身の具体的な経験を述べたもの、③書籍への感想・考えを述べたもの、そして④書籍からの抜粋引用となっています。

一方、これらに対し、冒頭に挙げた⑤自身の考えを述べた独白形式の記事とは、さきに挙げた①~④と比べ、あまり多くの方々には読まれないといった傾向があります。

とはいえ④は別として①~③いずれの種類の記事であれ、自身の手によるものであることから、それらが多くの方々に読まれた場合、素直に喜ぶことも出来るのでしょうが、一方で、その内容の抽象度がより高く、自身オリジナルの見解が強く出ているとも云える⑤に分類される記事が多くの方々に読んで頂けることは、他の(①~④)記事が多く読んで頂けることに比べ、やはり幾分かは喜びの度合いが大きくなると云えるのです(笑)。

また②に関しても⑤と同様、オリジナルの傾向が強いとも云えるのですが、その異なるところは②が具体的・物理的な活動を文章化したものであるのに対し⑤がそうした活動はあまり記述せず、内面における活動・考えの経路などを示した傾向が強いということであると云えます。

そして、そこからもまた、さきの⑤の方がより抽象性が高いと云え、くわえて一般的に文章とは具体性が高いほど読み易いと云えますので、相対的に決して読み易いとは云えない抽象度の高い文章による記事を多くの方々に読んで頂けることは繰り返しとなりますが、やはり自身としては喜ぶべきことであると思うのです。

①に分類される記事にて述べられている知見・考えとは、総じてこれまでに書籍等にて知り得た内容であると云えますので、そこには自身のオリジナルといった要素はないと云えます。つまり①とは④に分類されるものを自分なりに消化したものであったり、それらを混合させ並び替えた内容であると云えます。

しかしながら、ここで面白いことは、①に対して②、③の要素を半ば無意識的に(これは後知恵的な表現であるのだが)組み合わせる時に、本当にごく稀ではあるのですが、何かしら『新しい知見ではないか?』と考えさせられる知見が湧いてくることです・・。

そして、こうした経験とは、おそらく未だ精神を持つ人間しかできないのではないかと思われるのです。

昨今、知識も技術も労働力も外部化出来るものは全て外部化しようといった傾向があるようですが、それが行き過ぎますと、精神発動の大きな醍醐味ともいえる『ひらめき』というコトバが徐々に死語となってしまうか、あるいは別の生気のない意味合いを持つコトバとなり果ててしまうのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もここまで興味をもって読んで頂きどうもありがとうございます。

近年以来、列島各地において発生した地震・大雨・水害などといった大規模自然災害によって被害を被った諸
地域の復興を祈念しています。

昨年より再び
活発な噴火活動をはじめた新燃岳周辺の方々
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著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5
















2018年1月21日日曜日

20180121 【専門分野における科学的知識・知見】と【すべてのものを包括する統一的な知識】

一般的に科学者・研究者とは自身の専門とする分野については徹底した知識・知見を持っていると考えられています。

また、
その反面、自身の専門とする分野以外については、あまり積極的に意見を言わない、書かないものとも一般的に考えられています。

さらに、こうしたことは侵してはならないといった不文律・空気らしきものが我が国の社会には隠然と存在するのではないかと思われます。

その一方、これを一例として、さまざまな社会にて隠然と存在するこれら不文律・空気といったものがインターネットの普及に伴い、徐々に明らかになりつつあるのが現今社会の趨勢であるとも云えます。

こうした社会のさまざまな分野における葛藤とは、今後しばらく続くのでしょうが、それでも、そうした相のさらに奥には我々が古来より普遍的に持つ本能に近い性質といったものがあるのではないかと思われます。

それは『すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする性質』であり、おそらく宗教といったものは、それが進化すればするほど、あるいは言語により、その教義が述べられるようになるほど、そうした性質が強化されていくのではないかと思われます。

そしてまた、こうしたことにおいても一神教と多神教の間では、その先鋭化の強さ、傾向といったものが異なるのではないかと思われます。

ともあれ、そのように考えてみますと、限定された専門分野における十全な知識・知見を備えた科学者・研究者が、さきの『すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする性質』によって、自身の知性の更なる向上を試みた場合、往々にして科学的であるよりかは、宗教的と解釈されるような考えになる傾向があるのではないかと思われます。

くわえて、科学的な知識・知見の進化発展とは留まることがありませんので、一人の人間が、ある科学分野における十全な知識・知見を持ちつつも同時に『すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする性質』を求めることは、実質的にかなり困難(不可能に近い)であるのが現状ではないかと思われます。

しかし同時に、現在の我々の社会において、実質的な利益は(あまり)伴わないものの必要とされている要素とは『科学的知識・知見』と『すべてのものを包括する統一的な知識』を結び付けるような見解を示すことではないかとも思われるのです。

そして、こうした難局(すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする性質が失われてしまう・・)をどのようにして(創造的に)乗り切るかと考えた場合、やはり誰かが、さまざまな知識・知見あるいは事実や理論を総合する作業に思い切って手を着けるよりほかにはないと思われるのです・・。

たとえ、そこで述べられる知識・知見・理論の若干においては又聞きであったり、不完全にしか知らなくとも、あるいは物笑いのタネになる危険を冒すとしても、そうするよりほかにはないと思われるのすが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味をもって読んで頂きましてどうもありがとうございます。

近年、列島各地にて生じた地震・大雨・水害などの大規模自然災害により被災された諸
地域の復興を祈念しています。

昨年から再び
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2018年1月20日土曜日

20180120 【対話形式】 閲覧者総数29万人到達:SNSとブログを連動させて

A「ここ最近はSNSとブログを連動させているようですね。それで何か変わったことはありましたか?」

B「ええ、閲覧者数が二倍とまではいきませんが、かなり増加しました。あとはこれまで私のブログへの訪問がなかった国からの訪問者が時折あることぐらいでしょうか?」

A「はあ、やはりSNSと連動させると訪問者数は増えるのですね・・。それと、その国とは具体的にどこですか?」

B「それはいくつかありますが、ここ最近で割合数が多かったのはフランス、韓国、ポルトガル、インド、タイ、ペルーといったところです。とはいえ、何故これらの国々からの訪問者があるのかはイマイチ分かりかねるところではあるのですが・・。」

A「それら国々からの訪問者とは、どのようなネット上の経路にてBさんのブログあるいはSNSに辿り着いたのか分からないと思いますが、それらは特に気味が悪いと感じることはありませんか・・?」

B「・・そうですね、実際に気味悪く感じるのでしたら、これまで実名にてブログ記事の作成を継続することはなかったと思います・・(笑)。」

A「なるほど、たしかにそれはそうですね。しかし、これまではたしかにそうであったかもしれないですが、今後、Bさんのブログ記事による効果といったものが生じた場合、何か考えがあるのですか?」

B「おそらくそれはかなり可能性として低いと云えます。何故ならば私のブログは閲覧者が最も多い場合であっても1日に1000人程度であり、よく読まれているブログの1日の閲覧者数とは桁が二つぐらい違いますから・・。くわえて私もまた、それだけ多くの方々に読んで頂けるような記事を作成しているとは考えてもいませんし・・(笑)。」

A「まあ多くの方々に読まれることにより、その反応たる効果も生じますからね・・Bさんのブログもまだまだ小さな方なのですね。」

B「ええ、かなり小さい方であると云えます(笑)。それでも、さきほど云いましたように私の作成した文章が多い時は1日に1000人もの方々に読んで頂けているということでも、それ以前の自身では到底出来なかったことですので、まあ現在においても多少なりとも進化しているのではないかとも思われます・・。」

A「それはたしかにそうだけれども、そうすると、これまでに全体としてはどのくらいの方々にBさんのブログは読まれているのですか?」

B「ああ、それはつい先日29万人に到達しました。そして、おそらく来月の今頃、丁度900記事に到達するのと同時期あたりに30万人に到達するのではないかと思います。そしてこの29万であれ30万であれ、これも自身としては縁がないと思っていた閲覧者数ですので、あるいはこれがあるから、何らかの効果が万が一程度には生じる可能性があるとも云えるのです(笑)。」

A「それもまあ、ネット社会さまさまですが、それでも30万はなかなかスゴイですね・・。
しかし、そうしますと今度はブログを止めるのが難しくなってきませんか?」

B「ええ、それでも、これまでののように、大きな反応が生じることもなく、それでいて自身が当初思ったよりかなり多くの方々に読んで頂けているという、この状態こそが比較的安定して記事作成が出来、同時にそれを止めることもまた苦にならないのではないかと思われます・・それでも、出来れば今後900記事程度までは継続したいとも考えていますが・・(笑)。」

A「900ですか・・しかし900まで書くことが出来たのでしたら、折角だから1000記事まで書いた方が良いとも思えてきますね・・。」

B「ええ、今のところあまり意識はしていないのですが、出来ればそこまで書いてみたいとも考えていますね・・それでも、ここまで書くことが出来たことも、さきにも言いましたが私としてはかなりスゴイことであり、ブログを読んでくださっている方々のおかげによるものなのです・・思い返してみますと、2015年のブログ開設当初は1日の閲覧者数が10人未満という日が続きましたから、それと比べますと大幅な進歩と云えるのではないでしょうか?」

A「まあ、そういう感覚になるのでしょうが、しかしBさんのブログの一体どこが面白いのでしょうかね? 私も時折は面白いと感じる投稿もあるのですが・・。」

B「・・ええ、それが分かれば苦労はないのかもしれませんが、しかし、逆にそれが明瞭に分かってしまうと、悪い意味での文章を作成するコツのようなものを掴んでしまい、何といいますか経時的にではあれ、肝心の内容といったものがボヤけてくるのではないかとも思われるのです。
ですから、とりあえずは、まあ今のままで良いのではないかと考えます・・(笑)。」

A「内容ですか・・・そういえば、先日から何回かにわたって『魔の山』を題材とした記事を作成して、それらが多くの閲覧者数を得たと書いてありましたが、今後もまたそういった小説などを題材として記事を書こうと考えているのですか?」

B「ええ、またほかの作品にてそうしたことをしていこうと考えていますが、最近はまた新たに民俗学・歯科材料学関連にてまた面白い着想にて記事を作成出来ないかと考えています。」

A「ああ、そこら辺はBさんの得意なところですからね、少しだけ期待して新たな面白い記事を待つことにしましょう・・(笑)。」

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
近年、列島各地にて生じた地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被災された
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昨年から再び
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著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5