2017年2月18日土曜日

20170217 口語→文語の変換装置とは・・

昨日の投稿記事において「文章を作成する際においては少しおかしくなっていた方が良いかもしれない・・」といった意味のとを記しましたが、これはある程度事実ではないかと思われます・・。

少なくとも文章を書いている間においては、多少異なった精神の相、あるいは対外的な応対時とは異なった状態でいる方が良いのではないかと思われます・・。

また、同じ言語を操るといった意味において、能弁、よく話す状態の方が文章が浮かぶかというと、それらはそう簡単には結節するものではなく、むしろあまり普段話さないでいる状態の方が文章は、よく浮かんで来るのではないかとも思われるのです・・。

何れにせよ、話し言葉と書き言葉あるいは口語と文語とは、少なくとも自身の場合においては簡単には結節する性質のものではなく、その結節に至るまでには、何かしらの変換装置らしきものを経ないと上手く行かないのではないかと思われます・・。

そして「では、その変換装置とは何か?」と問われた場合「おそらくそれは、習慣により醸成される文体ではないだろうか?」と返答します。

また極言すれば、これまで作成してきた一連のブログ記事とは、その継続においてはさまざまな要因が関与しておりますが、その当初よりの大きな「目的」とは「自らの文体の獲得」にあったということが出来ます。

このことは以前よりブログ記事にて度々取りあげてきましたが、これ(文体の獲得)が為されることにより、おそらく口語にて表現した事柄を文語に変換し整理して書くことを可能にするのではないかと思われるのです・・。

そして、その初期的な段階においては即物的な文章作成法ともいえる口語による対話形式が有効であったのではないかと現在においては考えます・・。

しかしながら、初期に多用した対話形式の文体とは、それをはじめた当初においては、自身の文章を書くことが出来ないことで、かなり真剣に悩んだ結果の苦肉の策であり、そこからはじめ、現在の状態までどうにか発展、継続出来たことは自身でも多少驚くことでもあるのですが・・(笑)。

また、この現在に至るまでの継続こそが、さきに述べた作動する口語➡文語の変換装置となり、あるいは完全とまではいかないが、部分的な意味での「文体の獲得」であったのではないかとも思われるのです・・。

そして、今後の課題とは、その更なる洗練、発展ではありますが、それがいかなる経緯により為されるのかとは、残念ながら現在では見当もつきません・・(苦笑)。

とはいえ、当初と比較した場合、ある程度の洗練、発展は認められるとも考えますので、ともかく記事作成を継続することにより、次の段階らしきものが見えてくるのではないかと思われます・・。

また、ハナシは変わりますが、本日は日中における閲覧者がいつになく多く「これは一体どうしたものか?」と思いましたが、何であれ、読んで頂いていた皆様、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において生じた大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。