2016年6月11日土曜日

20160610 320記事 出汁が具材に染込むとき・・形而上・形而下の現象

A「おかげさまでこれまでに作成したブログ記事も320となり、その総閲覧者数も85000人に到達しました。

今後どの程度ブログ記事の作成を継続するかわかりませんが、とりあえず1年分、365記事程度までは作成してみようかとユルく思っております・・。

また、多く閲覧されるブログ記事とは、直近に投稿したそれと強い関連が示されるものであることが多く、これは大変勉強になり、ブログ記事を作成する際の大きな原動力となっております・・。

とはいえ、ここ最近は(さきのブログ記事にて示した)歴史系の著作以外特に読んでおらず、また何か面白い小説でも探してみようと考えております・・。

こうして考えてみますと、少なくとも私の場合、何か物語、小説などを読んでいる時期の方が、そうでない時期に比べ、自身のブログ記事の作成がスムーズになされるような感じを受けます。

また、これまで一応300記事以上継続して作成することが出来た背景においても、同様のこと(物語、小説を読む)がいえるのではないかとも思えます。

そして、さらには、これまでに経験した議論もまた、同様の効果をもたらしているのではないかとも思えます。

そのように考えてみますと、これらの要素が複合的、相互作用的に存在していた時期とは、現在のブログ記事作成をどうにか可能にしている原因、根拠であるのではないかと思われます・・。

また、それらを比喩的に表現してみますと、カレーや煮物などで、その具材に味がしみ込むのは、加熱している間であるよりも、加熱を止めた後であるといったことに類似しているのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、そこで大事なことは、それが「本当の熱」が加えられている(た)ということではないかと思います。

それは我々日本人が古来より得意とする類感、感染呪術の進化発展の延長上とも見做すことが出来る「模倣」(のみ)によっては同じ効果を得ることが困難ではないかと考えます・・・。

また、それと同時に如上のように類似したものとして物理的現象を用い精神的現象を「説明」することは出来るのかもしれませんが、それはあくまでも「説明」であり、効果をもたらす実効性を有するものではありません・・。

そういった意味において即自的、対自的といったコトバの意味もまた多少深く理解出来るのかもしれません・・。

そして、それは様々な国、地域において原初の時代より徐々に様々な文化、事物が発展を遂げ、繁栄し、そしてそれが衰退するといった歴史上に多く見られる普遍的な現象においても関連があるのかもしれません・・。

とはいえ、それもあくまでもさきに述べたように「説明」であり、歴史上の微細な一主体的存在(個人)の典型的な社会における姿ではないのかもしれません・・。

しかし、あるいはこのような思考経路を辿りがちであるということもまた我が国の特徴であるのかもしれません・・。

そのように考えてみますと、何を為すにおいても、その主体性、能動性が重要であるのではないかと考えさせられます・・。

しかし同時に、そうであるからといって、主体性、能動性とは、主体的、能動的、意識的に「模倣」をするということとはまた別ではないかと考えさせられます・(主体性の向かう先とでもいいましょうか・・?)。

それ故、主体性、能動性を得るためには、何といいますか意識的な模倣ではなく「知らないうちに没頭していた」というような経験が「多く」必要なのではないか思いますが如何でしょうか?

そして、そういったことを忘れ、ただ計量的データによる利害損得に基づき考え、意識化し、行動を決定するようになると、さきのブログにて引用したマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最終章のコトバがどうも想起されるのです・・(苦笑)。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、さる四月の九州、熊本の大地震により被災された地域の早急な諸インフラの復旧そしてそれに続く復興を祈念します。」