2021年3月7日日曜日

20210306 乗気でなく始めた記事作成でも(それなりに)重要な理由

 今回の記事投稿は、早朝に起きて書き始めることにしました。特に、これといった理由はありませんが、こうした試みにより、何らかの発見が見つかれば、それはそれで貴重であるとも思われますので。

また、ここ数日間は毎日1記事ずつ投稿してきましたが、これも徐々に慣れてきますと、また2018年半ば以前のようなペースにて投稿出来るようになるかもしれません。とはいえ、当ブログは現在、当面の目標としている1500記事まで残り20記事を切っていますので、ここでペースを上げて書き続けるというよりも、ある種ラスト・スパートのようなものと考えた方が後々気が楽であるように思われます・・(笑)。

そして、今後、順調に1500記事まで到達することが出来ましたら、その後、少なくとも1~2週間程度は記事作成を完全に止めても良いのではないかと考えていますが、これもまた先のハナシであり、実際にそうした状態に至った場合、そこで生じる感興とは、ここで述べた考えとは異なるということも充分にあり得るとも思われます。

何れにせよ「獲らぬ狸の皮算用」をするよるは、とりあえず、それを題材にしてでも、新たに1記事作成して投稿する方が、現在の私にとっては重要なことであるとは云えますが(笑)。

しかし「そのような一種打算的あるいは、いい加減とも云える心境にて作成した記事にどれだけの価値があるのか?」と問われますと、それに対しての明確な返答は困難ですが、しかしながら、どのような心境であっても、一端書き始めてみますと、また別の心境が生じ、さらにそこから、また別の心境へと変化していき、ある程度記事作成が進んだ頃に至っては、その書き始めて当初の心境そのままであるということは珍しく、これは何と云いますか、ある程度の集中や没頭を要する作業全般に当て嵌まることであるのかもしれませんが、ある種「意識の変容」が生じているのだと思われます。

そして、あまり意見として聞くことはありませんが、こうした作業に伴う意識の変容の蓄積が、その更に奥あるいは基層にある精神に対しても徐々に作用してゆき、その次の何かしらの変化・変態が生じるのだと思われるのです。(ここに普遍性があるのか分かりませんが)

異言しますと「記事作成毎に生じている意識の変容が蓄積してゆくと、次第に、その基にあるさらに大きな意識・精神に対しても何らかの変化が生じる」といったところですが、これはボクの場合、ブログ記事の継続的な作成を通じ、自分自身を用いて実験を行っているところであり、たしかに2015年あたりと比べますと、文章作成については「何となく変わったかな?」とは思いますが、それでも覚醒や強い実感のようなものは全くありません。(ここにも普遍性があるのか分かりませんが)

あるいは、この期間における自分の意識の変容を高速度カメラのようなもので可視化することが出来ましたら、それはそれで面白いのかもしれませんが、それは文章による記事という性質から、やはり文章を読むことによる認識や理解の方が、何らかの媒介的技術を用いるよりも善いのではないかと思われます・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



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