2015年9月3日木曜日

堀米庸三著「歴史と人間」NHKブックス刊pp.81-83より抜粋

歴史がしばしば原始民族()学的ないし社会学的研究の恩恵を蒙ることも、理論的には同じ事です。

社会学とくに社会心理学には精神病理的方法と呼ばれるものが用いられますが、精神病患者の心理を研究する事によって、通常の人間の特殊な心理や、通常人の特殊環境における心理を分析するのに役立つものです。

原理的にはこれと同一のことが歴史の研究でも行われます。
つまり人間やその集団のある極限状況における事例を歴史中に発見し、それを分析する事によって、当面する歴史的事件を分析し理解する方法を発見することです。

そのような例の一つを私の専攻領域から引き出してみましょう。
私は最近朝日新聞上に「日本史における戦後二十年」という連載記事を書いたのですが、その中で二回ほど、日本文化の自閉性について柄論じたことがあります。その内容については繰り返しませんが、基本的なねらいは次のようなものでした。

文化は異質的なもののふれ合いによって発展するが、わが国の歴史にはその全期間の三分の一以上におよぶ事実上の鎖国期がある。
鎖国は文化の純粋化を助けたが、他方では想像力を失って矮小化する結果をも生んだ。

なおいけないのは長期の鎖国が文化の自閉性をつくったことであった。奈良朝の仏教文化、安土・桃山期の西洋文化はわが国の固有文化に大きい活力を与えたが、その後の鎖国はいずれも文化の矮小化を結果している。

しかし安土・桃山期に入ってきたキリスト教的西洋文化は、我が仏教文化がそれと対決することによって、新しい真の創造力を獲得すべきであったのに、その機会は鎖国によって閉ざされた。

とくに仏教がこの試練を国家権力の介入と保護によって回避し、他律的に安泰を得たことは、その退廃の最大の原因となった。
仏教が高度に発達した一神教としてのキリスト教との対決から逃避したことは、私どもが明治の開国に当って、その他の条件も加わり、キリスト教に弱い民族文化しかもてなかったことの理由となった。そこからしてキリスト教の世俗版たる一面も持つ一元論的世界観・マルクシズムが入ってきたとき、我が国の思想界は抵抗すべき術を知らない有様であった。

がてこの革命思想が国体の名のもとに天皇制政府の禁圧するところになったとき、体制側に一切の変革を恐れる自閉症状が色濃くまとわりつくとともに、反体制側の我が国の知識人の間には、知性の犠牲を伴う深い自閉症コンプレックスが植え付けられた。

これが敗戦前十五年間の思想的鎖国の暗黒時代の意味であるが、敗戦による第二の開国に際してのマルクシズムの風靡と、またその退潮の事情も、劣等意識を裏返しにしただけの他律的権威主義の側面が見られた。

大体こういった事情を明らかにするのが、「日本文化の自閉性」のねらいだったのです。

こういった日本文化史の観方は他にも例があるかも知れませんし、また間違っているかも知れません、しかしそのような視角がどうして得られたかを明らかにすることは、以上に述べた歴史の「分析的」理解と「発展的」理解の関係を示す上で無駄ではないと思います。

このような視角は、第一にはヨーロッパの十字軍の研究から得られたものでした。つまり十字軍までのヨーロッパは、東・南をアジア・アフリカの大陸とそこに住むトルコ・サラセンの強大な外敵によって閉ざされ、北・西を氷に覆われた蕃地と未知の大洋によって限られた封鎖された世界だったのです。これは第一回十字軍を起こした法王ウルバン二世の演説に見られるヨーロッパ人の観念なのですが、中世に見られるいわゆるT字型世界地図は、この観念を一層明示的に与えるものです。
 
 
ASIN: B000JACI6U
 
堀米庸三

 
「現代日本の開化」夏目漱石1~5
 
 
「日本資本主義講座」 小室直樹