2017年2月9日木曜日

20170209 真似の『型』から脱する、破るについて・・

本日も首都圏は降雪もあり大変肌寒い一日でしたが天気報道によりますと西日本の方が全体的に降雪が多かったとのことです。

さらにこうした西日本の状況は今後数日続くとのことから、日本列島全土の春の訪れとは、まだ先のようです・・(嘆)。

さて、昨日投稿の記事とは投稿翌日にしては、これまた比較的多くの閲覧者を得ることができました。そして同時に昨日ブログ開設以来の総閲覧者数が199000人に到達しました。

今後おそらく550記事に到達するのとほぼ同時期に総閲覧者数が200000人に到達するのではないかと思われます・・。

しかし、こうした皮算用はあまりせずに、ただ記事作成を継続しようと思います・・(笑)。

そういえば、昨日投稿記事に記した事柄とは、また面白い偶然であるのか、ほぼ全員の師匠がこうしたことを好んでおられました・・。

そして、そうした効果により自身も更にその傾向を強めたのではないかともいえます・・(笑)。

とはいえ、こうした博識ぶりについては各々師匠に傾向といったものが認められ、さらに面白いことに独特の語り口、話し方もまた認められるのです・・(笑)。

そして、以前はそうしたことを積極的に真似しようとしておりましたが、何時の頃か「自身は自身の語り口、文体などのスタイルを持たなければ・・」と考えるようになりました。
また、そうした以前に受けた師匠からの影響とは、未だどこかに残存しているものとも思われます・・。

さらに、こうしたことは一般化され得る性質でもあると云え、時代をさかのぼると「金枝篇」内にて述べられている類感呪術のように、はるか太古より我々が保持していた(原始的な)性質ではないかとも思われるのです。

小林秀雄は、こうした古来よりの感覚に依って『教育』とは成り立っていると、どこかで述べていましたが、これは自身の経験からもその通りであると考えます。

その一方で、概して我々は徹頭徹尾他者から真似される、真似することを好まないことから、皆どこかで、その真似の『型』を脱する、破らなければならないのでしょう。
それこそが個々人の成長にとって重要な要素ではないかと思われるのです。

そして、これを自身に適用して考えてみますと、この一連のブログが自身の場合『型』を脱した、破った形態の一段階ではないかと評することが出来るのではないかと思われるのです・・。

無論それは決して真似した対象と比べ上等な内容を持つとはいえませんが、それでも自身が選らんだ手法を採り、その述べたいところを述べてきたものであることから、これは自身による一つの『型』であるとはいえるものと考えます・・。

そして願わくは、今後更なる発展、展開を期待したいところではありますが、こうしたことはあまり急ぐことなく、その経過を辿るのが良いのではないかと思われます・・。

その先に、おそらく自身の文体の獲得といったものがあるのではないかとも思われます。

さて、そうした経験、感覚とは、一体どのようなものなのでしょうか・・?

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。