2023年5月15日月曜日

20230515 株式会社講談社刊 池内紀著「悪魔の話」pp.57-59より抜粋

株式会社講談社刊 池内紀著「悪魔の話」pp.57-59より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061490397
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061490390

かつて私たちのまわりにも、いたるところに闇があった。深い闇があった。山は昼でも暗く、森蔭には黒々とした闇が隠れていた。町の通りは暗く、夜の空には満天の星の背後に底知れない闇があった。

 人の住居もまた暗かった。玄関も、座敷も、納戸も、はばかりに、物置きも、屋隅には昼間から闇がひそんでいた。とっぷり日が昏れると、たちまち墨を流したような一面の闇につつまれた。

 闇の中には何がいただろう。そこにはあきらかに死者がいた。見えない死者の群れがいた。暗い通りや、玄関や、庭をとおり抜けるとき、私たちは子ども心に、何よりも死者を思った。死者を連想し、死の観念におびえて足がすくんだ。

 ゲルマン神話には死者の赴く闇の国がある。戦いで倒れた者たちのいるヴァルハラでは、毎朝、死者たちが起きあがって武器をとり、戦いに出ていく、夕には800人ずつが一列になり、6400の門をとおってもどってくる。

 闇には、闇の兄弟がいる。闇を材質とする堕ちた天使たち、災いをなし、苦しみをひきおこし、悪をなして、死をもたらす黒天使たち。

 私たちのまわりから闇が追い払われてすでに久しい。いまやどこもかしこも眩いばかりに明るいのだ。町の盛り場は夜を知らない。どの家にも部屋ごとに電気じかけの光学機械があふれている。山野にゴルフ場の照明がつっ立ち、夜はナイターのための時間帯に下落した。

 闇を駆逐した。ついては私たちは、同時に何かも喪失したのではあるまいか。ひそかに生者を見はっていた死者の群れ、死の観念を失った。死にしたしまずして、どうして生を尊重できるだろう。外界の闇はまた、自分のなかの闇の部分の警告ではなかったか。息を殺して自分のなかにひそんでいる黒々とした悪の部分。おのれのなかの悪を知らずして、どうしてこの世の悪が識別できようか。おそかれ早かれ私たちは駆逐したはずの闇の力の報復を受けるにちがいない。