2018年3月24日土曜日

20180324 正義の源泉として思想そしてその基となる小説・モノガタリ?

本日の首都圏は日中気温も上がり過ごし易く、また日が暮れた後も、以前ほどの寒さは感じられなくなりました。こうしたことから季節の推移が実感しますが、また明日はさらに暖かくなるとのことです。

さて、昨日投稿分の記事は以前の『バズり』ほどではありませんでしたが、投稿翌日にして200人近い方々に読んで頂きました。これは最近投稿した記事の中ではかなり多くの方々に読んで頂いた部類と云えます。自身のブログでは、しばしばこうした宗教・思想方面の記事が投稿されますが、これらはなかなか大事であると思われると同時に、どうしたわけか(現在の)我が国では見事に閑却している要素ではないかと思われるのです・・。

こうした国独自の宗教・思想といったものの存在の実感なくして、その上に構築される正義・法律・憲法などは理想のない空虚なもの、あるいは上手く潜り抜けるためのお上からのお達しのようなものとなるのではないでしょうか?

こうしたことは戦後しばらく経って(1960年代頃か)一部の人々に云われるようになりましたが、この時期においては戦後の復興そして更なる経済成長の真っ只中にあるという事情により、多くの人々に真剣に考えられることはありませんでしたが、しかし、本質的にはそれと同じ問題が現在に至るまで、我が国社会においては存在し続けているのではないでしょうか・・?

そして、この宗教・思想の欠如といったものは、どのような状況より露見するのかと考えてみますと、それは施政者側のさまざまな説明・答弁などの蓄積から、何かしらの思想的な一貫性を見出すことが出来ないことからではないかと思われます・・。
もちろん、思想があればそれで良いというわけではありませんが、しかし、最終的に正義の根拠となるような思想がなくては国民の上に立ち施政など出来ないのではないかと思われるのです・・。
我々は一応、その正義の根拠と経済的な発展が組み合わさった政策を評価して施政をお願いしているわけですから・・。
一方で、もしも経済的な発展だけを念頭におくとすれば、たとえば国策として近隣の小国を軍事力にて制圧し、その国力を収奪すれば良いとも云えますが、さすがにこれは現在では国際的に許されません・・。とはいえ、これが百数十年前でしたらまた事情が違っていたのでしょう。

また、かつてのこうした事情とは現在の国際社会においても少なからぬ影響を与えているわけですが、もちろんそれは我が国においても同様であり、あるいは見方によれば、我が国が現在あるように此岸性一辺倒の無宗教・無思想とも見受けられる社会になってしまったのかと考えてみると、それは極東にある小国が西洋的な近代化をどうにか成し遂げ、そしてそこから続く健全な発展を封じ込められたからではないかとも思われるのです・・。

おそらく、そこには我が国の責任もあるとは考えますが、しかし、そこには少なからず西欧列強の圧力もまたあったと思われます。

その一方で、私は自虐史観というものは分かりませんし信じませんが、しかし近代以降、現在に至るまでの我が国とは、国内における施政と同じことを、支配下となっていた現在の諸外国に対して行っていたのだとすると、それはやはり、ことある毎に糾弾されるだろうし、また信用されることも少ないのではないかと思われるのですが、このようなことを述べること自体が非国民的な利敵行為なのでしょうか・・?

正義とは、少なくとも母国に対する惑溺とは別ものではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そして、一貫する思想の重要性もまた、その辺りにあるのではないかと思われます。また、宗教のない我が国の場合、それだからこそ小説・モノガタリが重要になるのではないかと考えるのです・・。ある程度普遍的な考えかもしれないが、我が国の場合、小説・モノガタリの先に思想・哲学そして正義といったものがあるのではないだろうか・・?


ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した、今現在も継続的に発生している地震・大雨・水害・火山噴火など大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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