2021年11月18日木曜日

20211117 ある文章や文体から感知される「陽なるもの」について・・

日来からの「ウンベルト・エーコの世界文明講義」は順調に読み進めば、おそらく、明日・明後日には読了に至るものと思われます。当著作には、より多くの方々にご理解頂けるであろう、普遍的とも思われる見解が少なからずあると思われますので、ご興味を持たれた方々、是非、書店にて手に取り頁を開いてみて頂ければと思います。私もまた、そのようにして当著作を知りました。くわえて、以前に読んだ同著者による「プラハの墓地」もまた、同様の出会いであったことが丁度、これを書いていて思い出されました。


もう少し詳説しますと「プラハの墓地」を見つけたのは、徳島のそごうデパート内の紀伊国屋書店であり、当時「何か面白い小説はないだろうか・・」と書店内にて文庫やハードカバーの小説が並んだ書棚を徘徊していましたが、そうした中で、何故かウンベルト・エーコの著作が並んでいるところに目が行き「ああ、大分前に読んだ「薔薇の名前」以外でウンベルト・エーコによる物語、小説は読んだことがないな・・」と思い、代わる代わる、その著作を手に取って立読みをしてみますと、この「プラハの墓地」がとても興味深く感じられて、これを購入した次第です。

また、当著作(「プラハの墓地」)を読み進めていた時も、そのことを題材としてブログ記事を作成していましたが、そこから、私個人の見解としては、どうもウンベルト・エーコの文章・文体には、読み手に対して文章作成を促す「何か」があるように思われるのです・・。

その「何か」とは、上手く言語化することに困難を覚えますが、それでも言語化してみますと、和訳文ではあっても、その文章・文体には、単に感情の表出、あるいは抒情的とは云えない、厖大な知識・見識に裏付けされた、背景文脈への深い理解があり、そして、それに基づいた作中の会話などは、たとえ文章であっても、読んでいて臨場感のようなものがあり、それは、ある種の「陽なるもの」であると云えます。

そして、それは「薔薇の名前」「プラハの墓地」においても同様であり、こうした書きぶり、つまり、著者自身が直接知っている時代とは遠く離れた時代の様子を、その当時の人々の会話といった倍率が高いと云える情景での「陽なる」書きぶりに何か強い説得力があるように思われるのです・・。

あるいは、それは端的に「時代考証」とも云えるのかもしれませんが、映画などの映像作品と異なり、文章における「時代考証」とは、特にそれが作中での会話などになりますと、たとえ、架空のものであっても、かなり難しいのではないかと思われるのです・・。

そして、それは時代を遡り、残存する資料が少なくなってきますと、さらに拍車が掛かると思われます。たとえば、平家物語をベースとした木下順二による戯曲に「子午線の祀り」という作品がありますが、こちらは作中がほぼ会話にて構成されており、そこでの日本語は現代の我々が読んでも理解出来るものであると同時に、源平時代当時の言い回しやコトバ使いなどについて考慮されており、また、そうしたことを含めて優れた興味深い作品であると思われるのですが、その他に、たとえば小説家ですと司馬遼太郎による短編にて「八咫烏」という題名のものがあり、これは神武東征の頃を時代背景としていますが、ここでも比較的多く作中に会話がありましたが、何故であるか、主人公の八咫烏が「ええですとも」と、よく云っていたことが思い出され、そこから「神武東征のあたり、つまり3世紀頃の日本では、そうしたコトバを使っていたのだろうか?」と疑問を持ったまま読了していたことが思い出されました・・。

ともあれ、そうしたこともあり、我が国では臨場感のある古代や中世を時代背景とした小説作品が少ないのではないかとも思われますが、また他方で、同じく司馬遼太郎による奈良時代末、平安時代初期(8~9世紀)の人物である弘法大師こと空海を描いた「空海の風景」は、大変面白く読んだ記憶がありますが、当著作での書きぶりは、概ね、主人公である空海になりきってハナシを進めるというよりも、著者が解説しつつ話を進めて行くといったスタンスであると云え、またそれは「空海の風景」という作品の題名にもあらわれているのかもしれません。

しかし、それはさておいて、さきに述べたウンベルト・エーコの著作にて、作中時代の人物になりきって話を進める、その文章・文体から感じられる「陽なるもの」とは、著者の作中背景時代に対する理解から生じているのではないかと思われ、また、そのように考えてみますと、それは、これまた過日の投稿記事にて挙げたロバート・グレーヴスによる「この私クラウディウス」が想起されます。

この作品もまた(読んだのは)和訳文ではあるのですが、全体を通じて、主人公になりきりハナシを進めるスタンスであり、また、その背景時代への深い理解がある文章・文体から、私は「陽なるもの」を感じさせられます。また、おそらく、それは当作品を初めて読んだ20年ほど前にも感じていたことであると思われるのですが、当時は、そうしたことをわざわざ文章化しようとは考えていなかったようですが、現在、こうして、偶然を起点としてブログ記事を作成してみますと、この「陽なるもの」は、なかなか重要であるように思われてきましたが、さて如何でしょうか・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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