2017年2月26日日曜日

20170226 本質とは何でしょうか・・?【書籍からの抜粋引用あり】

今月二月ももうじき終わり、三月となりますが、ここで今月に多く閲覧されたブログ記事を取り上げてみようと思います。
これまでは、あまりそうした試みを行うことはありませんでしたので、いわば初めての試みということになります・・(笑)。

さて、今月作成した記事の中で最も読まれていた記事は2月4日に作成投稿された「どの程度の深さからの反応であるのか・・?」でした。

この記事に関しては、その主題が我が国社会が持つある種の傾向、特性を指摘したものであり、また、その内容全般に関しては特に加筆修正の必要性はないと考えます。

とはいえ、それと同時に思うことは、この記事に書かれた内容とは、あくまでも、我が国の首都圏、東京文化に対するものであり、あるいは国内他地域、地方においては、その内容とは、必ずしも適用することが出来るものではないのかもしれないということです・・。

また、本日が2月26日であることから考えることではありますが、現代において1936年・昭和11年のこの日に起きた2・26事件のことを何やら現今流行の経営戦略的な視点で論ずるのは、それがあくまでも国内の事件であり、対外的な戦争・戦闘でないだけにより一層何ともいえない苛立たしさをおぼえるのです・・(苦笑)。

また、三島由紀夫等が1970年・昭和45年に自衛隊市ヶ谷駐屯地にて盾の会事件を決行した主要な原因の一つとして、事件当時から既に社会に存在、顕在していた、そうした浅薄とも評し得る傾向に対する抗議の意味があったのではないかと思われます・・。

あるいはさらに時代を遡り、明治維新から神風連の乱西南戦争に至るまでの西郷隆盛をはじめ同様の過程を経た、かつての志士達にもまた、それと類似する心のメカニズムが働いていたのではないかとも推察することが出来ます。

そして、ここまで書いておりますと、つい先日読みました司馬遼太郎の対談集「日本人の顔」での
江崎玲於奈との対談を想起しました。
以下にその部分を抜粋引用し、示します。

司馬「日本人のいい面といえば、原理性から離れたところで物事を運営するのがうまいということでしょうか。
たとえば、日本航空は優秀ですな。
パリあたりの空港で途方にくれている場合、日本航空だとわれわれ乗客を低能として扱ってくれて(笑)-ずーっと至れり尽くせり誘導してくれるでしょう。スチュワーデスの制服にしても、いかにもキビキビ、マネジメントしているだろうという感じでしょう。
何だか昔の帝国海軍を見ている感じで、変な感じがするほどですね。(笑)」

江崎「日本航空は、一つの国策会社ですからね。(笑)」

司馬「運営という点で磨きあげられている感じがあって。
だけど独創的なところはないんじゃないですか。
椅子など機内の備品類でもよく磨いてありますね。
幕末に西洋から航海術を受け入れたころから、日本人は船内を清潔にせよという技術的習慣を学んだ。
だから飛行機でも、スチュワーデスは自分の担当の備品をきれいにする。
ところが非常に衛生を重んじるドイツの旅客機に乗ると、衛生はきちっとしてしているけれども、椅子など金属のところに傷がついていたり、その傷に黒っぽいアカがたまっているような感じだったり、何か汚らしい感じがしますが、日本のエアラインなら、ちょっとでも汚れるとすぐ新品ととりかえてしまう感じがありますね。
ドイツ人には、見かけは汚くても、衛生的であればいいんだという思想がありますでしょう。つまり衛生という原理さえしっかりしてればいい。」
(中略)
司馬「私が「坂の上の雲」という作品を書いていたとき、古い海軍さんに教えを請うたんです。
その海軍さんの話だと、ソ連の巡洋艦が寄港したとき、みんなで乗せてもらった。
ソ連の海軍はどんなレベルかと思って、ある人は船室の隅をほこりがついてないか指でなぜてみたというんです。
私は海軍のことは知りませんが、海軍さんはそうやって水兵をいじめていたそうですね。
これはイギリス海軍の伝統だそうで。
イギリス海軍は、船内を隅から隅まできれいにすることによって、自然に普遍的な海軍倫理をつくり上げていった。と
ころがイギリス海軍をお手本にした日本海軍は、清掃自体が至上命令のものになってしまった。
本来はそんなことはどうでもいいことですよ。
ソ連人が乗れば、汚く乗っていたっていいんで、その巡洋艦の機能さえよければいいんですが、日本人は非常に技術の末梢的なことを重要視することで精神性を見ようとしますね。

江崎「研究所にしても、きれいとか汚いとかの観念が西洋人と日本人とではだいぶ違うんじゃないですかね。
アメリカのわれわれの研究室は、壁なんか必要以上に塗りかえるわけです。
日本では塗りかえなんかはしないでぞうきんで一生懸命にふく。清掃すること自体に重きをおく。実際にきれいになるかどうかよりもね。

司馬「本質にいたらず、末梢にかかずらわってしまう。」

さて、上掲の抜粋引用部はその前に書いた記事主題の本質と多少は関わっていたでしょうか(笑)?

今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域のできるだけ早期の諸インフラの復旧、そして復興を祈念しております。






20170225 『計画性』『創造性』『散文』『手作業』『季節毎の仕事』について・・551記事

つい先日に総投稿記事数が550に到達することができましたので、本日も含め以降数日間、記事作成を休もうと思いましたが、以前に作成した記事を眺めておりますと、どうしたわけかまた何か書かなくては・・と思うに至り、現在このように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。

とはいえ、本日もまた特に記事の題材は決まっているわけではなく、漫然と『何か』が頭に思い浮かぶまで、その都度脳裏に浮かんだことを記していこうと思います・・(笑)。

果たしてこのような感じで良いのであろうか? 文章を書くのであれば、もう少し構想を練って、ある程度のハナシの構成が出来上がってから書くべきではないか・・?
とも思うところではありますが、しかし実際の多くの文章とは、そのような計画的なものではなく、いや、少なくとも、散文などの場合は書いてみないと分からない・・』といった感じではないかと思われるのです・・。

そして、こうした態度を『計画性がない』として非難する傾向のある社会とは、おそらく少なからず『創造性』を犠牲にしているのではないかと思います

一方『計画性』がないこともまた、それは問題であり、それにより社会全体が危ない方向に行ってしまうことも、さきと同程度にあるのではないかとも思われます・・。

しかし、こうしたブログなどにおいては、計画性云々よりも、とりあえず現段階においては、わずかでも創造的行為(書くこと)を継続することが重視されるべきであると考えますので、本日のような適当な着想が得られない場合であれば、このような文体で書くこともまた、それなりに有意義であるものと考えます・・(笑)。

そして、実際にそのように書くことにより、さきの『創造性と計画性』についての着想を得ることができました。

さらにここまで書いており、不図思ったことは、本日ある偶然により大変久しぶりに印象材、硬石膏の練和およびそれを採得された印象に注ぐといった作業を行うことになりました・・。

久しぶりであったわりには、特に問題なく一連の作業を行うことが出来たことは、自身としても安心するところであり、また同時にこれまでにそれなりの数を行ってきた作業、手技とは、そうすぐには身体が忘れるものではないことを実感しました・・。

加えて、それを行った場所が技工室等でなく、一般のご家庭の流し付近であったにも関わらず、その作業を滞りなくできたことに対し、わずかながら満足した次第です・・(笑)。

そして、ここまで書いて、さらに思い出されたことは、つい先日頂いた師匠(歯科理工学)からのお手紙の中に『やはり手を用いて作業をしていることは楽しい』と綴られていたことです。

そこから、今後しばらくしたら、再度そうした公募職種への応募を再度開始した方が良いのではないか?と思うところですが、さて、そうした職種とは上手いこと見つかるものでしょうか・・(笑)?

ともあれ、自身の希望する職種内容を考えてみますと、それは学部、学科は問いませんが、『季節毎』に
1):さまざまな試料作製・分析といった研究支援
2):導入部・教養課程での実習指導
3):求職活動の支援
などを担当する職種であればベストですが、これはいささか欲張りすぎであるかもしれません・・(笑)。

本日もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。