2022年11月16日水曜日

20221116 株式会社文藝春秋刊 大岡昇平著「対談 戦争と文学と」 pp.283-284より抜粋

pp.283-284より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4168130509
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4168130502

司馬 歩兵は肉体一つですから敗勢の場合でも、斬り込みをやって死ぬとか、ある意味では変化の可能性がたくさんあるわけですかれど、戦車隊ですと機械力が劣弱の場合、それが絶対的なもので、運命についての可能性などは少しもありません。暗いものでした。ただ鋼板の厚みで、国家の力がからだで否応なしにわかってしまうという、そういうわかり方はあの戦車に入っていますとありました。敵の鋼板は、とても厚くて、自分の小さな大砲ではタドンを投げたようでカスリ傷もあたえることができない。日本のほうは、体裁はととのっているけれど、いざ戦場に出ると豆腐みたいに砲弾で貫かれてしまう。あの97式中戦車は、できあがったときには国際的水準に近い戦車だったようですが、しかしすぐ時代遅れになっています。昭和12年のことでしたか、戦闘機が7万円、爆撃機が20万円のとき、戦車は35万円だったそうですから、日本の国力ではモデルチェンジができないわけです。ノモンハンが終わったころに量産のコースにのったシロモノで、独ソ戦を経た欧米のレベルからみればとても・・。太平洋戦争の初期のマレー作成のときは、駐留英軍が装甲車程度しか持っていませんでしたから、相対的に威力はありませんでしたけれど・・、あとはずっと、役立たずでした。

大岡 ノモンハンのときに、だめだということは証明されているわけだからねえ。あれより大型は作らなかったのですか。

司馬 日本の国内鉄道が狭軌でしょう。ですから日本の貨車の幅で戦車の幅が決まるわけですから大型はだめだったんですね。

大岡 レイテにも戦車はきましたが、もっぱら、大砲を引っぱたり、連絡に使うつもりでもってきたらしい。馬はすぐ死んじゃうのでね。ところが、戦車ってのは、すぐ飛行機に見つかっちゃうんで、昼間は広いとこえおには出られない。夜だけ動き回っていたらしい。

司馬 沖縄でもそうです。沖縄にも、戦車隊が一個連隊おりましたが、実際には使いものにならない。飛行機や相手の戦車にどんどんやられちゃいますから。そうすると、温存されてきて、他がみんなやられたのに戦車だけが残っては申しわけないというので、夜襲をかけた。戦車で夜襲はできないというのは、常識ですけれど、大きな音がしましてね、それに、夜襲には、無線が使えない。無線による指揮ができないとなると、バラバラになるおそれがある。であるのに夜陰いっせいに動きだして、敵の方角へ進んだんです。全滅しなければ申しわけないという非戦術的理由だけで。むろん相手の大砲にドカドカと迎え撃たれて、20分ほどで全滅したしたという。ここらへんがなにか、日本の旧国家のすがたですね。

大岡 レイテ島でも、ペリリュー島でも、敵があがった晩、やはり夜襲をかけて全滅してしまう。戦車隊はおいといても、すぐ見つかっちゃうし、邪魔になるばかりなんです。ほかにやることがないから、潰してしまう。終末的思想とでもいうほかないですねえ。