2022年11月22日火曜日

20221122 株式会社ランダムハウス講談社刊 アリス・W・フラハティ著 吉田 利子訳 茂木 健一郎解説「書きたがる脳 言語と創造性の科学」pp.76-77より抜粋

株式会社ランダムハウス講談社刊 アリス・W・フラハティ著 吉田 利子訳 茂木 健一郎解説「書きたがる脳 言語と創造性の科学」pp.76-77より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4270001178
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4270001172

創造性は誰もがー少なくとも原則的にはー評価するが、創造性を研究するとか育てるという試みには懐疑的な人が多い。

芸術家のほうにも、創造性については、ほうっておくべきだという意見が多い。正面から見つめては危険だというわけだ。

基礎科学の研究者にも創造性はほうっておくべきだという見解が多い。そもその定義からして、きちんと統制した研究の対象にはなじまない異常な現象だからである。

そこで創造性を育てる研究はニューエイジの実践家やビジネスのひらめきに関するセミナーの指導者、それに少数の勇敢な社会科学者などに委ねられてしまう。社会科学者にさえ、ためらいはある。フロイトはドストエフスキーに関するエッセイのなかで、「創造的な芸術家の問題を前にしては、残念ながら分析家は手をこまねくしかない」と書いている(念のために記せば、心理分析家はほかの臨床家よりも雄々しく、この問題に取り組んできた。

対照的に精神薬理学者は、きちんと薬を服用しない患者がでっちあげた口実だとして創造性を切り捨てる傾向がある)。

一部の社会科学者は「科学的発見や文学、舞踊、ビジネスを成功させる決断などという多様な営みを創造性という単一の概念でくくってしまうべきではない。」と考えている。

たとえばハワード・ガードナーは、言語と数学というような異なる領域には、別の知性が必要で、一つの領域の創造性が、ほかの領域に及ぶとは限らないと主張する。

 しかし創造性を研究する人たちは、多くの違った分野からの情報を関連づけ始めている。創造性の様な重要な現象を研究せずにほうっておくべきではない。というこれらの研究者の主張には説得力がある。

創造的な活動は、新奇性と価値との組みあわせを含むという定義が有効だということにはあまり異論がないだろう。創造性に新奇性が必要なのは、立証済みのソリューションはたとえ巧妙で有用であっても創造的とは言えないからだ。それに創造的な作品に(有用であるか、少なくとも社会の一部の人たちに光を与える)価値がなければならないのは、単に奇抜なだけでは創造的ではないからである。

この二つの要素からなる創造性の定義からすれば、なぜ創造性が狂気と隣りあわせなのかも説明できる(狂気とは異常で価値のないふるまいだ)。

 創造的な作品とは新奇性と価値があるものだという定義は、創造的な作品と呼ばれるものの社会的な側面を捉えている。創造的という特質は孤立した活動にはあてはまらない。新奇性や価値は社会的な文脈との関係で判断されるからだ。わたしが庭で石を動かすのに梃子の原理を利用したとしても創造的という評価は得られないが、わたしがクロマニヨン人ならべつだ。社会的な文脈がはっきりしない場合もある。わたしはなぜ「フィネガンズ・ウェイク」のような作品を創造的と判断するのだろう?一般大衆には充分な判断能力も関心もないが、その分野の専門家には現状維持が得策なので、画期的な仕事が抵抗にあう、という場合がある。価値判断における社会的な文脈の役割からは、ある年代の天才が次の世代には陳腐とされ、ただの変人と否定されていた人々が天才として復権するというプロセスも生じる。