2016年11月21日月曜日

20161121 「研究の進化・深化・未来そして「語るに落ちる」・・

本日の首都圏は夕刻より雨が降っております。
また、現在は小降りにはなってきておりますが、このまま明日早朝までは降るとのことです・・。

さて、昨日投稿の記事により総投稿記事数が485に達しました・・。

そして500記事到達まで残り今回の投稿記事含め15記事ということになりますが、ここに至ってまた、不図考えたことは以下の通りです。

「たしかにその通りではあるのだが、その一方で、あまり芳しくない出来と思しき記事も中には少なからず存在するものと考えられる・・これらに関しては、それら記事を削除するよりも、そのままにし、更なる記事の投稿を以て、実質的な意味で500記事到達にすれば良いのではないか、そして、それ以前にとりあえず目標としている、全体としての500記事到達を目指す方が先決はあるまいか・・?」

と考えるに至り、勇気をもって棚上げし(笑)以降、記事作成を続けることにしました・・(笑)。

そういえば、先日の「楡家の人びと」読了以来、大きな著作、長編には手を出しておりませんが、先週末に不図、朝永振一郎著の「量子力学と私」を読んでおりましたら、ついつい引き込まれてしまいました。

無論、そこに記されている専門的な概念、用語などは分からないものが数多くありましたが、それでも我が国の量子力学の黎明期である昭和初期(大学にその研究を教えることが出来る先生がいなかった)に著者を含む若い知性等が文字通り泥縄式に様々な手法を試み、互いに切磋琢磨し、徐徐にその学問(量子力学)を我が国に確立していく様が感じ取れ静かな興奮をおぼえました・・。

また、それと同時に今現在の未知の分野に挑んでいる方々も、おそらく表層からはあまり分からないのでしょうが、この著作に記されているのと類似した状況にあるのではないかと思います・・。

また、これが文系学問における研究となりますと、ハナシは多少異なってくるようであり、何と言いますか「自身が研究している内容に世の中の動きが追いかけてくる」といったところがあるのではないかと思われます・・(笑)。

このようなことを記しますと「それは単なる勘違い、迷信である!」と仰る方々が少なからず出てくるのではないかと思います・・。

また、自身も他者の研究にて、そうした現象を何度か認識、発見する以前は、概ねそのよう(勘違い、迷信)に考えておりました・・(自身もそうした錯覚(?)らしきものを感じたことはあります・・(笑)。)

そして、こうしたことを記しておりますと「何か世の中の重大な秘密を漏らしているのではないか?」といった幾分誇大妄想的な考えが湧いてくるのですが(笑)、果たしてこれは、そこまで重大な「秘密」であるのでしょうか・・?

あるいは単なる勘違い、迷信といったものであるのでしょうか?
ともあれ、それは何れであっても構いませんが、ただ思うことは、々人間とは、何かに継続的に無心に打ち込んでいる時に得ている不可知の感覚により、半ば無意識的にではあるのかもしれませんが、一時的に少し先(未来)の集合的無意識の世界への視野が開かれるのではないでしょうか・・?

しかしながら、これを記していて不図思ったことは、こうした感覚を得ることは、何も文系学問に限らず、理系学問においても同様に生じており、また、さきに挙げた著作「量子力学と私」に描かれている内容の一側面も実はそうしたものではないかということです・・(笑)。

「語るに落ちる」とは、こうしたことかもしれません・・(苦笑)。

ともかく、そのように考えが落ち着いてきますと、私は「文系学問とは・・・」と、その重要性や特徴を述べながらも、次第にその内容が広がり、文系のみに適応する内容ではなくなるといった傾向があるのかもしれません・・(苦笑)。

これは、よく云えば内容に普遍性があるのか?あるいはベッタリとして特徴がないということになるのか分かりませんが、しかし、それでもこうした考えを文章として記しておくことは、未来の笑いのタネを提供するかもしれないという意味においては、わずかに有益であるものとします・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


さる熊本、山陰東部の大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」