2021年3月25日木曜日

20210324 みすず書房刊 ロバート・グレーヴス著 多田満智子・赤井敏夫訳「この私、クラウディウス」pp.13‐15より抜粋

みすず書房刊 ロバート・グレーヴス著 多田満智子・赤井敏夫訳「この私、クラウディウス」pp.13‐15より抜粋

ISBN-10 : 462204806X
ISBN-13 : 978-4622048060

もしできることならこの物語を両親より前にさかのぼることなく、あっさり自分の幼年期からはじめたかった。系図だの家族の歴史だのは退屈なものだからである。しかし私は(四人の祖父母のうち私の出生時にただ一人存命であった)祖母リウィアについて、いささか長くはなるが語っておかねばならない。というのは不幸にして彼女は私の物語の第一部における主要人物であり、彼女の若いころのことをはっきり話しておかないかぎり、彼女のその後の行動が不可解になるからだ。祖母が皇帝アウグストゥスに嫁いだことはすでに述べたが、これは私の祖父と離婚したあとの二度目の結婚だったのである。わが父の死後、わが母アントニア、(法律上の家長たる)伯父ティベリウス、さらにアウグストゥスその人ー父は遺言によって我々遺児を皇帝の力強い保護にゆだねたーにとって代わって、祖母はわが家の実質上の家長となった。

 リウィアはローマで最も古い家系の一つであるクラウディウス氏の出であり、祖父も同様であった。今でも時おり老人たちが歌っている民謡だが、その折り返し句(リフレイン)はこうなっているークラウディウスの家系の樹には、二通りのりんごが生る。片や甘い実、片や渋い実。数の多いのは渋いりんご。その民謡の作者が渋いりんごのなかに数えているのは、ウィルギニアという自由民の娘を奴隷にして誘惑しようとし、そのあげくローマ全体を騒動にまきこんでしまった〈増長漢〉アッピウス・クラウディウス、共和政時代に全ローマの王となろうとしたクラウディウス・ドルスス、聖なるひよこが餌を食べないのを見て、「それなら飲ましてやれ」と叫んでひよこを海に投げ込み。その結果重大な海戦に敗れた〈美男〉クラウディウスなど。甘い実のうちに数えているのは、ピュロス王との危険な同盟を避けるようにローマを説得した〈盲者〉アッピウス、シチリアからカルタゴ人を追い出した〈木の幹〉クラウディウス、兄である大ハンニバルの軍に合流しようとヒスパニアを出たハスドバルを打ち破ったクラウディウス・ネロ(ネロはサビニ方言で強者を意味する)などである。この三人はみな豪胆で賢明であったばかりか有徳の人物であった。さらに民謡作家がいうには、クラウディウス氏の女たちも、いくたりかは甘いりんご。しかしこれまた数の多いのは渋いりんご。

 祖父はクラウディウス氏の最良の人物の一人であった。ユリウス・カエサルこそはあの困難な時期にローマに平和と安寧をもたらすに足る人物と信じて、かれはカエサル派に与し、エジプト戦役ではユリウスのために勇敢に戦った。ユリウスが専制的権力を狙っているのではないかという疑念が生ずると、祖父はあからさまに仲違いこそしなかったが、それ以上ユリウスの野心に協力しようとはしなかった。そういうわけでかれは神祇官職を求めてそれを手に入れ、ガリアに老兵たちの町を創設するために神祇官の資格でガリアに派遣された。ユリウス暗殺の後、帰国した祖父は、大胆にも、暗殺者たちに専制者殺害の栄誉を与える動議を提出して、当時はオクタヴィアヌスといわれていたユリウスの養子、若きアウグストゥスと、その盟友アントニウスの敵意を買っていまい、ローマから逃亡せざるをえなかった。ひきつづいて起こった争乱の中でかれはその時々に正義があると信ずる側についた。一時期、若きポンペイウスに味方し、次にエトルリアのペルージャでは、アウグストゥスに敵対してマルクス・アントニウスの弟と共に戦った。しかし、アウグストゥスが養父ユリウスの仇を討たねばならぬ立場にあり、その義務を情容赦なく果たしたとはいうものの、かれが専制君主的心情を持たず、人民の古き自由を回復しようとしていることを遂に悟ると、祖父はかれに与して、わが祖母リウィアと、当時まだ二歳であった伯父ティベリウスと共に、ローマに定住したのであった。以後、かれは神祇官の職務に満足して、もはや内戦に関与することはなかった。