2019年10月13日日曜日

鹿児島での出来事について(変性意識?)【20191013】

まず初めに今回の台風19号による列島各地の被害が小さく、そして被災された方々の日常生活が速やかに復旧されることを祈念いたします。

ここ徳島では、風雨の強い日が昨日12日迄に数日間続き、鉄道・航空などの運行に影響が生じましたが、東日本ほどの大きな影響、被害はなかったと思われます。

さて、本日は休日であることから新たにブログ記事を作成しようと、ここ数日間での記事毎の閲覧者数を確認したところ、去る9月15日投稿分の「自身のことについて(2007~2013年)」が最も多く読んで頂いていました。そして、この記事をあらためて読んでみますと、その後の投稿記事において鹿児島在住時の出来事を主題とする旨を述べていましたので、今回は、それを題材として記事を作成します。

以前の投稿記事にて述べましたが、私は2009年から2013年の歯科理工学実習に携わり、また2009年から2011年の間は、主に実習補助として参加させて頂きました。その間、事情により2010年暮れ頃から2011年内に研究室のスタッフ数が急激に減少したことにより、2012年の実習では、私がいくつかの実習項目を担当させて頂くことになりました。

とはいえ、2009年からほぼ同様の項目を実習補助の立場とはいえ、現場にて関与させて頂いていた経験から、また、それら項目の担当であった准教授の先生が、実習要領を私に(親切に)教えてくださっていたころから、実習担当をさせて頂くことに対しての恐れは、あまりありませんでした。

ただ、実習要領を教えてくださった先生が以前から仰っていた「鋳造や鑞付け実習は、高温の炎を扱い、また多くの学生さんは、おそらく、そうしたものを扱うことが初めてであろうから、とにかく火に関係する事故が生じないように注意しなければならない。」に関しては、身の引き締まる思いであったことは記憶しています・・。

これは今でも出来るか不明ではありますが、実習項目概要を説明し、班員全員の試料作製を見届け、そして、それら試料を用いて所定項目の測定を行い、測定結果の講評を行い、レポート作成のための要点(これは班毎にそれぞれ傾向のようなものがあり、そこに(出来れば教科書記述に依拠した)理論的背景を肉付けした説明・仮説のようなものを提示する。)を説明するのは、身を入れて行うと想像以上に消耗するものであり、特に高温の炎を扱うバーナー・遠心鋳造機が設置されたストーン・テーブル周辺での実習工程では、機器から生じる熱気も相まって、汗をかきかき、学生さんの手元と同時に全体の様子も把握していなければならないといった、自身としてはそれなりに大変なものでした・・(苦笑)。

また、実習工程においては、必要以上に学生さんの手助けを行わないことが重要であり、他方、所望項目の測定に供することが可能な程度の試料を(出来るだけ)人数分作製することは、時によっては矛盾する要求ともなり、熱気が包む実習現場にて突如考えさせられるといったことがしばしばありました・・。

そして、そうした状況の時、私は一体どのような表情をして対応していたのでしょうか・・。面白いことに、いや、残念なことであるのか、そうした状況での自身の行動・言動については、濃淡はあるものの比較的記憶していると思われますが、肝心のそれを行わせた・言わせた精神状態については、現在において再現(追体験)することは困難であるように思われるのです・・(苦笑)。おそらく、心のギアが異なったところに入っているか、あるいは変性意識のような状態になっていたのではないかと思われます・・(笑)。

ともあれ、そうした状態で、鑞付け実習でのハイライトと云える、バーナーで鑞を液相状態にして、それを母材間隙に流し込む工程を見ていますと、バーナーの炎の状態、そしてその当て方が、極めて重要であることから、緊張しないように少し離れて学生さんが持つバーナーの炎の行方を注視しつつ、時折、意見や助言をして、また周囲の気配を察知し、さらに、時には工程についての質問を受けるようなことをしていますと、自然、若干前のめりのいかり肩になり、表情も多少厳しくなっていたのではないかと思われます・・。

そして、おそらく出席番号から考えて、最初の班での鑞付け実習での、まさにハイライトの際、ある男子学生さんが予想外の慌て方をしたのは、大変印象的であり、また、学生さんの手元のバーナーを注視している際、突如横から「何でそんな目をしているの?」と、ある女子学生さんに言われたことがありました。少し驚いて横を見ますと、その学生さんは手を後ろに組んで、本気でない反復横跳びのように、ぴょんと少し横に跳んで、いたずらっぽい笑顔をしていました・・。

後の方の出来事は、突然の予期せぬ質問であったことから、その場では、はっきり返答することなく、工程が一段落してから、柳田國男や谷川健一の著作にあった鍛冶屋と「目かんち」(古俗語で視覚に障害がある方々)との関係性、さらに古代ギリシャ神話における鍛冶神であるキュクロプス(サイクロプス)も隻眼であったことに共通する溶湯(液相)状態の金属を扱う行為の中で、ある程度普遍的と思われる反応(目を細くする・片目ずつ細くして目の疲労を抑える)をそれらしく述べて、その時の自身の目つきの説明に充てたことを記憶しています・・(苦笑)。

他にも、どうしたわけか、2012年の実習から、最初の班にはじまり、これに類するような出来事がしばしば生じ、またそれらを経る毎に、自身の精神状態も徐々に良くなっていったものと記憶しています。そして、それら出来事と自身の精神状態に、何らかの相関関係があるのか、ないのかについては、科学的な説明・立証は困難であるかもしれませんが、自身は(何かしら)あるのではないかと考えています・・。

そして、その媒介となったものは、これまた谷川健一等の著作にて述べられている地域特有の「セヂ」のようなものではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

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株式会社幻冬舎刊 森見登美彦著「有頂天家族」pp.56-58

「遥か平安時代から我々の血脈が続いているのは明白である。いかに我々が狸といえども、楠の洞から毛深い飴のようにむくむくと浮き世に押し出されてきたわけではない。私に親父がいる以上、親父の親父もいるのが道理だ。
 私が不本意ながら末席を汚す下鴨の一族やその流れを汲む夷川の一族を例に出せば、桓武天皇の御代、平安遷都と時を同じくして奈良の平群から四神相応の新天地に乗りこんできた狸たちが開祖であるという。どうせ人間がこしらえる旨い飯と汁物の匂いに誘われて、うつつに万葉の地を捨てた烏合の狸に決まっている。頼みもせんのに産み増えて、「開祖」も何もなにものだ。
 平安時代から受け継がれて野放図に枝分かれした血脈は、そこはかとなく我々を縛る。私のような「ぼへみあん狸」ですら、軽々に捨てられないのが血縁というものであり、なまじ血脈があるだけにささやかな諍いが便所に流せず、水ならぬ血で血を洗う争いとなることもある。「血は水よりも濃い」とは、私には手に余る言葉だ。
 
 我が父は、洛中に名高い立派な狸であった。大勢の狸たちから敬われ、その威光で狸界を束ねてきたが、無念なことに数年前に不帰の狸となった。
 その偉大なる親父殿が遺したのは、私を含む四匹の息子たちである。しかし残念なことに、父親の偉大を引き継ぐには、ちょっぴり器の幅が足りない子狸ちゃんが揃っていた。偉大なる父親を持つ子どもたちを巡る、数限りない悲劇のうちの一つである。
 父亡き後、我々が長じるにつれて、長兄のカチカチに堅いわりに土壇場に弱い性格と、次兄の引き篭もりと、私の高杉晋作ばりのオモシロ主義と、弟の「史上未曽有」と評される不甲斐ない化けぶりが満天下に知られるようになると、「あの下鴨総一郎の血を受け継ぎそこねた、ちょっと無念な子どもたち」という我々に対する世間の評価は定まった。
 それを小耳に挟んだ長兄はその憤懣やる方なく、八つ当たりに岡崎公園の松に巻かれた菰を剝がして廻り、「必ず父上を超えてみせる」と右の拳を固く握った。次兄は「そんなこと言われたって、知ったこっちゃない」と井戸の底でぷうっと泡を吹き、私はとっておきの美味しいカステラを食べて腹を膨らまし、弟は「お母さんごめんなさい」と小さく丸まって、これもカステラを食べた。
それでも母は平気であった。
 我が母は、よりにもよって自分の子供たちが、狸界に名高いダメ狸であるとは毛ほどにも信じていなかったからである。我が子は一人残らず、今は亡き父の跡目を継ぐにふさわしい狸だと母は信じた。もはや不条理の領域へと雄々しく足を踏み込んだ、その根拠不問の信念こそ、母を母たらしめて、ひいては我らを我らたらしめるものだったのである。
 我らの父は偉大であったが、母もまた偉大であった。」
ISBN-10: 4344415264
ISBN-13: 978-4344415263

2019年10月7日月曜日

文藝春秋刊 司馬遼太郎著「翔ぶが如く」第三巻pp.324-326

宮崎八郎は、嘉永四年(1851年)のうまれである。明治十年(1877年)、西南戦争で熊本の協同隊をひきい、西郷軍に加わって八代で戦死する。
 宮崎民蔵は慶應元年(1865年)のうまれで、その末子である真央氏は明治四十五年(1912年)のうまれである。まだ六十一、二といえば、右の歴史時間の規模からいえばひどく若い。「八郎伯父は、あの戦争で」と真央氏がいう戦争は、明治十年の西南の役のことである。八代で官軍の上陸をむかえ、これを拒ぎ、八代の萩原堤で戦死した。
「戦死したのは、四月六日です。それが生家の宮崎家(熊本県荒尾市)にわかったのは十月十一日でした。」
 宮崎家の下男の助市というのが八代へゆき、人のうわさを聞きまわって戦死を確認したという。生家が戦場と同県内にありながら、戦死がその遺族の手で確認されるのに半年かかったというのは、この当時の政情がいかに重苦しいものであったかが想像できる。「賊軍になった人ですものね」と、真央氏の口調は乾いていたが、目もとには、萩原堤の八郎の死骸を瞼の裏で見ているような表情がうかんでいた。宮崎八郎が生まれた村は、その弟の滔天(寅蔵)の文章によると、熊本城から西北十余里のところにあり、「ゆくゆく将に筑後の国境に入らんとする処に一小村落あり、荒尾村と云ふ。民貧なりと雖も純朴に、地痩せたりと雖も形勝を占む」とある。
 いまは、荒尾市上小路という地名になっているが、市という印象からほど遠い田園である。村の入口に鎮守の社があって、境内に、「猿田彦大神」と彫られた石碑がある。八郎が二十歳ごろ村の人にたのまれて書いた文字だという。かれは九歳で村の僧から漢籍を学び、十二歳で熊本城下の月田蒙斎の塾に入り、そののち、郷士身分では入門はゆるされないとされていた藩校の時習館に、月田のかくべつな推薦で入った。この一事でも八郎が当時の水準でいう秀才だったことがわかる。このことが村にも伝わり、ぜひ鎮守の神名を書いてほしいということになったのであろう。
 宮崎家の屋敷は、いまは他家のものになっている、敷地も狭くなり、建物も母家ぐらいが残っているのみで、庭の様子なども変わってしまっているらしい。
 江戸期における宮崎家は郷士の格式をもつ中程度の地主であった。小作米が年に三百俵ほど入り、山林が五、六十町歩あった。
 八郎、民蔵、滔天らの父は、長兵衛といった。他人の悲しみを聞くと涙が流れてどうすることもできないというほどに感情の大きい人物で、この体質はその子供たちそれぞれに遺伝している。
 荒尾村は、当時も家屋が密集していたらしい。あるとき火事があって部落がほとんど焼けた。長兵衛は悲嘆に堪えず、一部落全部の家をかれの自費で建ててやり、このため家産を傾けたといわれる。
 長兵衛のような徳行好みの人物は江戸期の庄屋階級にはわりあい居たようであったが、長兵衛の風変りなことは、生涯に二度、日本中を武者修行してまわったことであろう。かれは熊本につたわっている宮本武蔵の二天一流を山東半兵衛という師匠から皆伝されたほどの腕で、宮崎真央氏宅にその伝書が遺っている。
 かれが諸国を武者修行してまわったときの覚帳というものが遺っていて、それを見ると、江戸の千葉周作の道場や斉藤弥九郎の道場にも乗り込んで行って試合をしている。
 この人物が、八郎以下の子供たちにかねがね言いきかせていたことは、
「豪傑になれ、大将になれ。金銭には手を触れるな。金に執着するのは乞食のなすことである」ということで、滔天もそれを聞いた。滔天が十一歳のときにこの長兵衛が亡くなったが、未亡人の佐喜は長兵衛似の婦人で、子供たちに、「畳の上で死するは男子の恥である」と言い続けていたという。
この家から、およそ金銭や浮世の栄達に無関係の実践的な理想主義者たちが何人も出たというんは、偶然ではなさそうである。」
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文藝春秋刊 司馬遼太郎著「翔ぶが如く」第三巻pp.324-326
ISBN-10: 4167105969
ISBN-13: 978-4167105969






2019年10月2日水曜日

平日に新たな記事を作成する理由について「SDGs」【20191002】

昨日は所用のため、日帰りにて都心部に行っていました。そして、その所用のある場所が、かつて自分が比較的多く活動していた場所でした。

こうした状況はここ徳島に移って以降、幾度も経験したことではありますが、それが日帰りであり、また時間が多少押して、さらにほんの数分程度、実家が運営しているクリニックに立ち寄り、家族と会話をしますと、その後、どうしたわけか電車・徒歩での移動時に、不図「ああ、このまま電車に乗ってあと数駅行くと、かつて住んでいた家に戻ることになるな・・。それなのに、私はこの用事を終えると徳島に戻るのだな・・。」といった不思議な感情が湧いてくるのです(笑)。

こうした感情はあるいは「しょうもない」ものであるのかもしれませんが、それはそれでなかなか面白いものであるとも云えます・・。

ともあれ、そこからハナシは変わり、一昨日(0930)の投稿記事によるものか、昨日の都心での移動時に以前フェイスブックにて友達申請をしていた方から承認されたとの通知がありました。こうしたこともまた、普段あまり気に留めないようにしていますが、それはそれで興味深い現象であると云えます。

そういえば、ここ最近、世界規模にてよく聞くコトバで「SDGs」というものがありますが、これは「持続可能な開発目標」という意味です。そして、そうした流れを受けて、このコトバを自身の状況に当て嵌め「私にとっての「SDGs」は一体どのようなものであろうか?」と考えることがここ最近ありますが、それは未だ自分のなかで完全に凝集・結晶化されることはなく、はなはだボンヤリとしたものであると云えます・・(苦笑)。

嗤われることを承知で、そのボンヤリとした自身にとっての「SDGs」を書き連ねてみますと、それは「西南日本のあまり規模の大きくない医療系の大学で、季節ごとに産学連携活動、学生さんの就職支援、そして論文英語の基礎ともなり、また、学生さんが興味を持ちつつ継続して学ぶことが出来るような教養科目を教える(あまり任期を気にしなくても良い)職種に就くことではないだろうか・・?」といった感じになります。

また、これら全て(産学連携・就職支援・教養教育)を行うことは難しいとしても、自身としては、さきに挙げた三つのうち、最後の教養教育に関しては比較的強くやってみたい、あるいは自身の性質をより多く生かすことが出来るのではないかと思われるのです・・。

とはいうものの、ここ一年以上は公募サイトを閲覧することなく過ごしてきましたので、今後、公募サイトを閲覧するようになったとしても、都合良く早々に、さきに挙げた職種に合致するものを見出すことが出来るかどうかは甚だ疑問と云えます・・(苦笑)。

しかしながら、これに関しては現実的に公募サイトを継続的にチェックすることが重要と云えますので、とりあえずは、それを新たな習慣とする必要があると云えます・・。

さて、習慣と云いますと、ここ最近は週末・休日に新たな記事を作成・投稿することが多いのですが、何故、ウィーク・デイである本日、こうして新たな記事を作成しているのかと申しますと、それは明日夕刻より数日間、また所用のため国内の幾つかの地域に出向くことになっており、そうしますと、新たな記事の作成も覚束なくなると思われるため、予め本日中に新たな記事を一つでも作成しておいた方が良いと考えたためです・・(笑)。

そして、そうしたスタンスにて記事を作成しますと、以上のような感じとなりますが、これはたしかに以前、ほぼ毎日記事を作成していた時期と比べると、ハナシの筋にまとまりがないように思われますが、その一方で多少は良くなった点といったものはあるのでしょうか・・(苦笑)。

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2019年9月29日日曜日

【20190929】太平洋戦争について述べた著作を読んで思ったこと「シビュラの書」

先日来からいくつかの著作を読み進めていますが、そのうちの一つは、内容的には専門書に近いと云えますが、同時に以前読了した司馬遼太郎著「翔ぶが如く」とまさに同時代を扱っているものであることから、難解と感じられる部分は多々ありつつも、どうにか読み進め、そして年内に読了に至れば御の字と考えています・・(笑)。

また、他の読み進めている著作については、昨日、一昨日でいくつか読了しました。それら著作では、太平洋戦争における複数戦場地域を、記録されたその様相を踏まえて述べていることから、ある意味において大変痛ましく、読んでいて自然に眉間にしわが入り、目が細くなってきます・・。

ここ最近になり実感することは、こうした著作は、その記述の大半が事実を述べたものであることから、心身を消耗させ、何やら絶望的に気分にさせられます。しかし、それは近現代において大規模な敗戦を経験した国々であるならば、同様であるはずなのに、我が国については、母国であることから、その生活文化をある程度理解していると感じられるところに根差すものと云え、その程度は相対的に深いと云えます・・。

つまり、自身の理解している我が国の生活文化と、それら太平洋戦争戦場について述べた著作の記述との間に、連続性・近しい関係が多いに認められることから、必然的にやるせなさ、そして絶望感を感じさせられるのだと云えます。

そのように考えてみますと、夏目漱石著「吾輩は猫である」そしてロバート・グレーヴス著「この私、クラウディス」双方に記述がある「シビュラの書」についての説話の持つ意味合いが理解され、そしてまた同時に、当説話の背景である古代ローマ帝国の後裔を自認する西欧諸国くわえて、その派生と評し得る米国において、単なるゼスチャーとしてでなく「歴史」が学問として重んじられている意味合いの輪郭をボンヤリと理解することが出来るのではないかと思われます。

そして少なくとも、その点において我が国は、他の敗戦国であるドイツをはじめ、西欧諸国そして米国と比べ、低い段階にあるか、あるいは、違った認識の方向の先にあると云えます・・。

我が国においては、未だ先進国並みと評し得る理系学問分野を基盤とする諸技術と比して「歴史」をはじめとする人文社会科学分野が前述の状態であることには、やはり生活文化に大きな挫折を負った太平洋戦争後からではなく、それよりはるか古くから続く、何らかの原因があると考えます。そして、この原因が、これまた何らかの原因によって、大きく変わること、あるいは今後ある程度の年月を経て、漸進的に変化していくことがない限り、おそらくまた我が国は直截的な流血は伴わないにしても、太平洋戦争終盤における各戦場地域であったような悲劇、否、惨劇を繰り返してしまうのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか。

そういえば、ここまで書いていて不図、思い出したことは文系の師匠が仰っていた「歴史の女神様はとても嫉妬深くてね、この女神様に好かれると、他の女性はどうしても近寄って来れなくなるんだよ(苦笑)。」といった冗談めいたコトバですが、当時は「何をカッコ付けているのだろうか?」と割合冷やかにこれを眺めていましたが、現在になりますと、何となくその意味、そしてそれ以上に、その背景にある悲哀のようなもののが理解出来るように思われます・・(苦笑)。


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2019年9月24日火曜日

20190923 「医療イノベーションの本質」からの抜粋記事のランクインから思ったこと

おかげさまで先日記事として投稿したクレイトン・M・クリステンセンによる「医療イノベーションの本質」からの抜粋引用部が、コピペ先のアメーバブログにてランクインしました。また、それに関連してか、その後いくつかご連絡を頂戴しました。

当ブログ記事の投稿と頂いた連絡との関連性については、未だによく分からないものの、あるいは思いのほかエライ方々も私のブログを読んでくださっているのではないかとも不図思いました・・。

しかし、そうしたことを認識してしまいますと、自身の場合、作成する文章の滑りが乏しくなり、どうも堅苦しい文章になってしまう傾向があると思われるため、つとめて、そうしたことを考えないようにします・・(苦笑)。

さて、以下に「医療イノベーションの本質」からの抜粋引用部をもう一度示します。

多くの疾患が直感的医療から精密医療の領域へと移行するのにつれ、また、総合診療医の診察室に世界最高の診断能力を持ったインターネットベースの意思決定ツールが普及するにつれ、必要とされる専門医はより少なく、プライマリケア医はより多くなるだろう。さらに、今日の総合診療医の仕事の大部分は、ナースプラクテショナ―やフィジシャンアシスタント、医療技術者に取って代わられるー私たちはこれらの専門職もより多く養成しなくてはならないということである。』


ここでは、近年我が国においても割合頻繁に聞く、医療分野におけるIOT・AI技術の普及、進化の先にある世界・社会について述べていると云えますが、その一方で、我が国においては、高等教育を受ける全人口のうち、こうした医療技術者・専門職となる教育を受ける人口の割合などについては、あまり聞くこともなく、また議論となっている様子も見受けられません・・。

あるいは、そうした議論を私が知らないだけであり、または医療分野におけるIOT・AI技術のみ進化すれば、医療自体も全体として随時良くなっていくであろうといった意見であるのかもしれませんが、しかし、後者であるとすれば、それは間違いと云えます。

具体例を一つ挙げますと、こうした近年のIOT・AIをはじめとするコンピューター技術の進化発展によって大きな変化を迫られている一つが「歯科技工」業界と云えます。

今からおよそ10年前、私が実習等で学んだ様々なタガート以来の20世紀初頭あるいはそれ以前からの歯科技工に関する技術は既に過去のものとなり、おそらく今後は、そうした過去の技術が、ある意味、汎用的ではない属人的な伝統技術のようなもののみとなり、それ以外の大半はコンピューターに有線・無線で接続された印象採得、デザイン、切削機器による歯科技工物の作製といった様相になると考えます。

そのように比較的近い将来の歯科技工業界を想像し、そこから現在を逆算していきますと、ほぼ当然のように、その教育・養成課程も変える必要性が生じると云えるのですが、そうした変革については、部分的なもの(いくつかの養成機関)として聞くことはありますが、養成機関全体として大きな方向転換を行ったというハナシは未だ聞いたことがありません・・。

あるいは、多くの既存養成機関では、こうした大きな教育・養成課程の変更は、さまざまな側面から困難であるのかもしれません・・。

そうしますと、新約聖書のマタイ伝にある「新しい酒は新しい革袋に盛れ」のように、口腔衛生指導・口腔ケア・診療補助といったこれまでの歯科衛生士の職分と歯科技工の双方に従事・対応出来るような資格・職種を設け、その教育・養成を行うような養成機関(あまり大規模ではない1学年100人程度の専門職大学あたりが妥当であるように思われます。)を新設するのが良いのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ちなみに、その小規模な専門職大学は教育・養成課程において近隣の大学歯学部・歯科大学および周辺医療機関との連携を取る必要性があることから、少なくとも設置当初は半官半民での運営体制が妥当であるのではないかと思われます。

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2019年9月21日土曜日

20190921 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33

 『私たち主従が行動を共にしていたあいだは、規則的な生活を送る機会があまりなかった。とりわけあの僧院に着いてからは、真夜中に目を覚ましたり昼間から疲れて眠りこんでしまったり、規則的に聖務日課に加わることはなかった。けれどもまだ旅から旅を続けていたころには、終課の後にまで師が目を覚ましていたためしは滅多になく、つねに節度ある習慣を保っていた。それが、あの僧院に入ってからは、しばしば生じたように、一日中薬草園を歩きまわって、緑玉や翠玉を探すみたいに、植物を調べていることがあった。あるいは地下聖堂の宝物庫を歩きまわって、朝顔の茂みを除きこむみたいに、緑玉や翠玉の鏤められた手箱に見とれていることもあった。あるいはまた、一日中文書館の写字室に籠って、自分の楽しみ以外の何ものも求めていないといわんばかりに、写本をめくっていることがあった。(私たちのまわりでは、日一日と、身の毛よだつばかりの殺され方をした修道僧の死体が殖えていったというのに)。ある日など、師は自分の没頭している仕事のために神さまへの務めなど気にかけていられないと言わんばかりに、やたらに僧院の中庭を歩きまわっていた。私が学んだ修道会ではこういう師の行動とはまったく違ったやり方で日課が定められていたから、思いきってそう言ってみた。すると師は、宇宙のすばらしさは多様性のうちの統一性にあるばかりでなく、統一性のうつの多様性にもあるのだ、と答えた。そういう返事は無教養な経験論に基づくもののように思えてなっらなかったが、後になってから、理性の働きはあまり重要な働きはしないという言い方で、師と同郷の人士たちが事物を規定することを知った。
 あの僧院では共に日夜を過ごしていたあいだ、師のほうは書物に積もった塵や、仕上がったばかりの細密画の金粉や、セヴェリーノの施療院で触れた黄色い物質などで、いつも両手を汚していた。それはまるで両手を使わなければ考えは進まない、と言わんばかりの態度であり、当時の私の目に師はときおり機械職人そのもののように映った(そして私がそれまでに受けてきた教育では、機械職人とは〈不倫ナ者〉であり、本来は貞節な結婚で知的生活と結ばれるべきなのに、いわば不倫を犯している者なのであった。)師の手が非常に壊れやすいものを、たとえば細密画を施し終わったばかりの手写本や、古くなって無酵母パンのようにもろくなり、崩れかけたページなどを取り扱うときには、少なくとも私の目には、師が並はずれて繊細な触角の持主であり、職人が自分の機械仕掛けに触れるときとまったく同じ手つきをしているように見えた。じじつ、いずれ述べることになろうが、このように風変りな人物であった師は、旅行用の袋のなかに、当時は私などが見たことも聞いたこともなかった道具類を所持していて、これを大切な機械類と称していた。機械とは技工の現れであり自然の模倣である、と師はいつでも言っていた。また、機械によって再生されるのは自然の形態ではなくて、作用そのものであるとも。こうして師は、時計の仕組みや天体観測器や磁石の秘密などを、私に説き明かしてくれた。しかし初めのうち、私はそれらを魔術のように恐れていたので、晴れた夜に師が(奇妙な三角形の道具を手にして)しきりに星座の観測を繰り返していたときなどには、眠っているふりをした。私がイタリアの各地や自分の故郷で知りあったフランチェスコ会修道士はみな素朴で単純な人たちばかりで、なかには文盲の人も少なくなかったから、師があまりにも博学の士であることに驚いてしまった。けれども師は微笑みながら、彼の故郷の島に住むフランチェスコ会修道士たちも自分とはまったく別種の人間だ、と私に言った。「ただしロジャー・ベーコン、この方を私は師とも仰いでいるのだが、この巨匠の説かれた言葉によれば、神の意図はやがて聖なる自然の魔術すなわち機械の科学となって実現されていくであろうという。また、人はやがて自然の力を用いて航海のための装置を造りあげ、船舶は〈人ノ力ノ支配ニヨッテノミ〉進むことができるようになるであろう、帆や櫂で進むよりはるかに迅速に航行できるようになり、さらには地上を走る車も別種のものになるであろうという。〈動物ニ牽カレナクトモ猛烈ナ勢イデ動ク車、サラニハ空飛ブ機械。人ハソノ機械ノ真中にスワリ、何ラカノ装置ヲマワスト、巧ミニ作ラレタ翼ガハバタイテ、鳥ミタイニ空ヲ飛ブデアロウ〉そしてごく小さな装置で非常に重いものを持ち上げるようにようになり、海底を進む乗物さえ造りだされるときが来るであろう」
 どこへ行けばそのような機械にお目にかかれるのかとたずねると、師はすでに古代において造られた例がある、そして私たちの同時代にはいくつか造られている、と答えた。「ただし、例外は空飛ぶ機械だ。これだけはわたしもまだ見たことがないし、見たという話を聞いたこともない。だが、その装置の考案にたずさわっている博学の士ならば、私は知っている。また、支柱を立てなくとも支点がなくても河川に橋梁を架けることができたり、それ以外にも、まだ聞いたことのない機械装置さえ造られているという。いままで存在しなかったからといって、疑いを抱くには当たらない、将来にも存在しないとは限らないからだ。そこで、おまえに言っておくが、神はなによりもそのような事物の存在を望んでおられるのだ。それが神慮のうちにすでにあることは疑いを入れない、たとえオッカムのわたしの親友〔ウィリアム〕がそのような形での思念の存在を否定しようとしても。なぜなら、わたしたちには神の性格が決定できるからではなく、そこに何らかの限界をも設けることができないからだ」このように矛盾する命題を師の口から聞いたのは、そのときに限らなかった。それにしても、すっかり年老いてあの当時よりはるかに賢明になったはずの私に、いまなお完全に理解しがたいのは、どうして師がオッカムの親友にあれほどまでの信頼を寄せていたのかという点であり、と同時にまた口癖の一つでもあったベーコンの言葉に、師があれほどまでに全幅の信頼を寄せていたのかという点だ。ともあれ、確かに言えるのは、あれが暗い時代の渦中の出来事であり、いかに賢明な人物であっても矛盾のうちに思索を進めなければならなかったということである。』
ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33
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