2023年3月28日火曜日

20230327 カルチャー・ショックと身体性と学びについて【現代は過渡期?】③

去る19日に帰国してから、徐々に普段の生活に戻りつつありますが、それでも、向うでの見聞をまとめる為に出展していた企業さまにメールにて問い合わせなどを行っていますと、自然とその時の様子が想起されてきます。

そこから、おそらく私を含めて多くの方々は、海外といった自分にとって非日常である場所にしばらく滞在しますと、そこで、否応なく自らの母国での対応する事柄が思い出され、そして、そこにある「相違」について考えることになります。それは、即物的な物事であったり、あるいは不図した時に感じられる、その奥にある抽象的なことであったりします。

現代の日本であれば、それなりに発展していることから、西欧諸国とのさまざまな相違から大きな挫折感を抱かないで済むのだと思われますが、これが所謂「普請中」であった明治時代ならば、かなり大きなカルチャー・ショックを受けたのではないかと思われます。そして、そうした様子を描いたものが夏目漱石の「倫敦消息」であったり、あるいは映画であれば、時代は少し遡った幕末期を舞台としていますが、五十嵐匠監督による「長州ファイブ」が挙げられると考えます。

ともあれ、今回の私の訪独は(世界最大規模の)歯科医療の見本市への参加という目的があり、そこで見て、感じたことは、さきの日常的な事柄にも劣らないほどのカルチャー・ショックであり、それをどうにか自分なりに言語化して、その構造を知るために、さきに述べた帰国してからの資料の整理や海外企業さまへの問合せなどに繋がっていると云えます。

そして、そうした活動を通じて、どうにか自分なりに、その様相や構造への知見を得たと実感すると、多少は落ち着いてくるのではないかと思われます。また見方に拠れば、それも「勉強」の一種であるのかもしれませんが、それは、異言しますと「自らの実体験を言語化する行為」であると云え、テキストなどが先にある種類の勉強ではありません。またそれは、身体性を通じて得たものを言語化している行為であり、これと類似していると思われるのが、実験や実習などであると思われます。また、我々の多くは、勉強としては、こちらの身体性を駆動させる種類の勉強と云える実験や実習の方が面白く、興味深く感じられるのではないかと思われます。

あるいは、こうしたところは国民性や地域性のようなものがあるのではないかとも思われますが、この身体性を用いた勉強も今後、VRなどに替わっていく可能性があるのだと考えますと、話はやや抽象的になり「では身体を通じた経験によって得られる感覚の主体とは脳であるのか、あるいは肉体であるのか?」と思い至るのですが、おそらく、このあたりに関しては、ある程度観察して、あるいは関連する著作や資料などを読んでいくと、その概要のようなものが見えてくるようにも思われます。

しかし、それは観察主体が、そこに至るまでに、それらを比較検討できるほどの実体験と学びを積んでいることが前提としてあるものと考えます。そして、そこから論語の「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆ふし。」が思い出されてくるわけですが、ともあれ、そこから実際のところ、それらには通底するものがあるのか?そしてまた、こうした考えは時代を通じて普遍的なものであるのか?といった疑問が生じてくるのですが、その意味においても、現代もまた「過渡期」(「普請中」?)であると云えるのかもしれません・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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