2019年1月27日日曜日

20190127 P・F・ドラッカー著 小林 宏治監訳 上田 惇生・佐々木実智雄訳 ダイヤモンド社刊『イノベーションと企業家精神』pp.26-27より抜粋引用

P・F・ドラッカー著 小林 宏治監訳 上田 惇生・佐々木実智雄訳 ダイヤモンド社刊『イノベーションと企業家精神』pp.26-27より抜粋引用
ISBN-10: 4478370176
ISBN-13: 978-4478370179

『経営管理という名の社会学の技術が、経営管理者をはじめとする一般社会にはじめて提示されたのは、第二次世界大戦後、すなわち今から約40年前のことである。その後、経営管理は、一部の企業による試行錯誤的な実践から、一つの体系へと急速な発展をみせた。そしてこの40年間において、経営管理は、他のいかなる技術上の革新にもおとらないだけのインパクトを社会にもたらした。第二次世界知戦後、一つの例外もなく、あらゆる先進国が組織の社会となったのは、経営管理の発展にのみ帰すべきことではないのかもしれない。それは主たる原因でさえないのかもしれない。また今日、あらゆる先進国において、きわめて多数の人たち、とくに圧倒的多数の高等教育を受けた人たちが組織のなかで働くようになり、それら組織の長でさえ、ますます多くがオーナーよりも専門家としての経営管理者になっているとうことも、経営管理の発展にのみ帰すべきことではないのかもしれない。

しかし少なくとも、経営管理が一つの体系として出現していなかったならば、今日、先進国において見られるような社会、すなわち組織社会や従業員社会というものは、実現されなかったにちがいない。
もちろん今日にいたるとも、経営管理について学ぶべきことは無数にある。とくに知識労働者の管理については、未開拓の領域が多い。しかし、とにかく経営管理の基本は、すでにかなり明らかにされるにいたっている。わずか40年前、経営管理を実際に行っている大企業の経営者でさえ、自分たちが行っているものが経営管理であることを知らなかった頃には、経営管理とは一部の人たちに限られた密教であった。それが今は、まったく一般化された知識となるに至っている。
 しかし経営管理は、ごく最近に至るまで、多かれ少なかれ、企業だけのためのものと考えられてきた。しかも、企業のなかでも、大企業だけのためのものと受け取られてきた。

1970年代の初めにいたるも、全米経営管理協会(AMA)が社長向け経営管理コースについて中小企業の社長を案内しても、返って来る返事は「うちは経営管理は必要ない。あれは大企業のためのものだから」というものであった。1970年、あるいはつい最近ともいうべき1975にいたるも、アメリカの病院の経営者は、経営管理と名のつくものすべてに対して、拒絶の反応を示していた。「われわれは病院で会って企業ではない」というのが、彼らの決まり文句であった。大学では、今日にいたるも、教授たちがかつての病院と同じことを言っている。それでいながら、大学の無管理状態を嘆いているのである。
第二次世界大戦直後から1970年に至る長い期間というもの、進歩とは組織の大規模化を意味した。

 この25年間において、企業、労組、病院、学校、その他、あらゆる分野で見られた大組織志向の風潮には無数の原因がある。しかしそのうち最も大きなものは、大企業は経営管理の対象となりうるが、中小企業は管理の対象となりえないという思い込みであったといえる。この思い込みが、たとえば、アメリカにおける巨大な総合中学のブームをもたらしたのである。「教育は専門家による管理を必要とする。しかるに、管理は大組織においてのみ可能である」と決めつけられたのである。最近の10年ないしは15年の間に、この傾向がようやく逆転しはじめた。いまや、アメリカは脱工業化ではなく、脱大組織化を始めたといってよいであろう。

*この末尾の太字部分からクラウゼヴィッツ著『戦争論』また、そこからインスパイア―されたとも云える石原莞爾による著作『最終戦争論』『戦争史大観』が思い起こされることは的外れであるのでしょうか・・?


今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2019年1月26日土曜日

20190126 しばらく記事作成を止めて思ったこと【量から質への転換?】の必要性?

しばらくの間ブログ記事の更新を止めていましたが、そのためであるのか、ここ最近は読書が以前と比べ捗るようになったように思われます。

こうしたことは上手くコトバにて表現することが難しいですが、強いてたとえるならば、以前のブログ記事更新継続時における読書は通常の運動靴にて走っているような感覚であったのに対し、ここ最近の読書はスパイク靴を履き走っているといった感覚であると云えます。

あるいは、より端的には、読んでいる書籍の文章の意味合いが、かつてよりも深く入ってくるような感覚とも云えます。また、その理由を考えてみますと、ブログ記事更新を止めたことにより相対的にいくらか睡眠時間が伸びたことから生じたのではないかと思われました。

そこから今後1200記事までは継続しようと考えていますが、その後については、無理せずに続けることが出来そうであれば、さらに継続してみようと考えています。ともあれ、本日のような週末に関しては、比較的容易に記事作成が出来ると思われますので、こうした週末のみの記事更新にてブログを継続するのが妥当であるように思われます。

しかし『いつも人生の明るい方を見て行こう』というわけではありませんが、振り返ってみますと、これまでよく1100記事以上の記事を作成することが出来たとも思われます・・。また、それらは書籍からの抜粋引用を除いても1000記事程度にはなりますので、今後は再度、書籍からの抜粋引用を多くしてみるのも、有効な継続のための手法であるのかもしれません。くわえて、記事作成者としては大変残念なことではあるのですが、やはり全体的には書籍からの抜粋引用の記事が、より多くの方々に読んで頂けていますので、純粋に当ブログの有用性・インパクト向上の視点から考えてみますと、そちら(書籍からの抜粋引用)の方が良いのかもしれません・・(苦笑)。しかし、それでも忘れないで頂きたいのは、それら書籍からの抜粋引用をブログ記事として選択して提示しているのは、あくまでも当ブログの運営者であるということです・・(笑)。

さて、そうしたことを書いていますと『昨年2018年に投稿した記事にて、多くの方々に読んで頂いた記事はどのような記事であったか?』という疑問が生じ、それを調べてみますと、第一位は5月3日投稿分の『岩波書店刊 バートランド・ラッセル著 安藤 貞雄訳 『ラッセル教育論』pp.50‐52より抜粋引用』であり、書籍からの抜粋引用です。とはいえ、同時に、ここで述べられていることは現在の我が国社会について考える上においても有効な視点が含まれているようにも思われます・・。続いて第二位は4月5日投稿分の『
永遠回帰・シューシュポスの神話? 議論よりも上意下達が効率的と考える社会・・』であり、自身オリジナルの文章ではありますが、そこで取り上げているのは、いくつかの書籍に対しての意見であり、自身オリジナルの意見はその末尾程度のみであったと云えます・・。次いで第三位は7月22日投稿分の『1050記事 ブログ記事作成継続のエネルギー・熱源について【対話形式】』であり、これは主に自身の経験およびそれに基づいた対話の経験を対話形式にまとめたものであり、まさに自身オリジナルの文章であると云えます・・。また、その後4位以降も自身による記事が続くのですが、首位および次点が書籍からの抜粋引用あるいは、それに近いものであったことは、少し深読みしますと自身によるブログの文章がこの年、1000記事到達あたりにて息切れを起こしていたことを示しているようにも思われます・・。これは多少、主観に過ぎる勝手な考えであるのかもしれませんが、現状から考えてみますと、あながち的外れではないものと考えます。

そして、以上の経緯から今後は、より多くの方々に読んで頂けるような記事を書くことが出来るよう、記事の量産から、その質の向上に記事作成の主軸をシフトしていこうと思います。

そういえば、昨日新たに熊本周辺にて地震が発生したと聞きました。これによる大きな被害がなかったことを切に願います。

そして、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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2019年1月19日土曜日

20190118 しばらく記事作成を休止して思ったこと・・潮時?

しばらくブログ記事の更新を行わず、本日久しぶりに記事作成を行いますが、少し意外なことに書き始めるに際して感慨のようなものはありません・・。そこから思うことは、これまでに1100記事以上を概ね継続して作成してきましたが、あるいはこのあたりが記事作成を止める潮時であるかもしれないということです。

これまでは当ブログの継続のため睡眠時間をいくらか削ってきたとは思いますが、それはあまり気にすることではなく、それよりもむしろ当ブログの継続の方を気に留めて大事にしてきましたが、ここにきてそれが揺らいでいる、あるいは自然に減衰しつつあると云えます。しかし何故、それが今であるのか分かりませんが、ただ、ここ最近時折考えることは、自分自身についてです。おそらく私は自分の興味を持ったことに対しては、かなりのめり込む性分があると思われ、そしてそうした性質をどうにか満足させ、さらにそうした性質を出来るだけ良い方向に伸ばすためにさまざまなことを行ってきたと云えますが、これに関しては間違っていたとは思いません。しかし、そうして自身の興味の方向に進んできた先である現在から考えてみますと『果たしてこれで良かったのだろうか?』と思わないこともありません。くわえて、ある程度生きていますと、自分の能力からのさまざまな仕事・職務の向き不向きも大体は分かってくるものであり、また、そうした自分に対しての感覚は、若い頃のように『全力でぶつかって行けばどうにかなるだろう。』とは思い込むことが出来ない程に強いものであり、おそらく、一つにこうした感覚が年齢を重ねるに随い生じる面白くない、いや、物事を面白く感じさせなくする諦念の類であるように思われます。

しかしそれでも『明らかに自分に向いていないと感じさせることを続けることにより、
いくらかは得ることがあるかもしれない。』と少しでも考えないことには、その先にある何か新たな感覚をも見過ごしてしまうようにも思われることから、おそらく、今しばらくはこのブログ記事作成よりも、そうした考えを自身内部に常在化・深化させるように努力してみることが大事であると思われます。

しかし他方で、かねてより不図思うことがありましたが、おそらく私はマルチタスクが得意な人間ではなく、どちらかというとそれとは対極にあるとも云える標準的ではない発達を遂げてきた人間であるように思われるのです・・。これは自身周囲の血縁関係者を考えてみても、その得意・不得意の方面は異なりますが、まあ少なくとも間違いではないように思われます。ただ、自分の場合、その得意とする方面は(現在においては)生活を成り立たすためには必ずしも効率的には作用していないということになります(苦笑)。

こうした葛藤のようなものなどは、おそらく私程度の年齢になればキレイに忘れている方が好ましいのでしょうが、しかし、そうはいかないところが自分で思う自分の扱い難いところです。これまでに正式な診察を受けたことはありませんが、あるいは私には何らかの発達障害に近いような傾向があるのかもしれません・・。また、以前より私の周囲にいる方々はそうしたことを薄々気付いているようにも思われるのですが、それは少し考えすぎなのでしょうか・・(笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2019年1月14日月曜日

20190113 井筒俊彦著 慶應義塾大学出版会刊『読むと書く・井筒俊彦エッセイ集』pp.419‐421

『何が起こりつつあるのだろう。何が、一体、日常茶飯的なヨミ・カキを、こんな重大な学的主題に変貌させてしまったのか。いろいろな原因が挙げられるであろうが、とにかく、一番決定的なのは、ソシュール以後の記号学の急速な発展に伴って、書かれるコトバ(書記言語)の位置づけが根本的に変わってきたことだと思う。

一昔まえ、私が大学で教えられ、また自分で教えたりもした近代言語学では、コトバは第一義的には話しコトバであって、書記言語はせいぜい第二義的な、派生的な位置しか与えられていなかった。話されるコトバが先ずあって、それを文字に転写したものが書記言語。文字に書かれたコトバは、人が生きたコミュニケーションの場面で話すコトバの、いわば人為的な再現であり、きわめて不完全な代替形態にすぎない。とすれば、当然、およそこと言語に関するかぎり、すべての理論は話されるコトバの考察に基づかなくてはならない。と、これがつい最近まで言語学の第一原則であり、専門家のあいだでどこでも通用する常識だった。だが、構造主義の勃興以来、事情は急速に変わった。書記言語の価値づけが一変したからである。書かれるコトバは話されるコトバの土台の上にはじめて存立する派生物ではなくて、もともと書くことと喋ることは、言語使用のまったく違う二つの次元である。ということになってきたのだ。両方とも、窮極的には、言語(ラング)という同じ一つの記号コードに依拠するがゆえに、表面的には同一次元でのことのように見えるが、それはほんの見せかけだけのことで、両者の内実は根本的に違う。話しコトバの場合は、原則として、話者と聴者という二人の人間が現実の具体的場面にて面々相対してコトバを交わす。これに反して書きコトバでは、話しコトバでの聴者に相当する相手すなわち読者は書き手の想像理にのみ存在するのであって、書き手がものを書く現実の場面には居合わさない。相手不在のいわば独り芝居のようなもの。現実に相手がいるのといないのとでは、ひとしくコトバの顕現様式ではあっても、その顕現のレベルが違う。同じ一つの平面上で、一方が先、他方が後、というわけでは決してない。

 それどころか、ポスト・構造主義的思潮の先駆的位置を占めるジャック・デリダのごとき思想家となると、話しコトバと書き言葉の常識的先後関係をひっくりかえして、「根源書記」(アルシ・エクリチュール・archi-ecriture)という新概念まで作り出し、話しコトバは書きコトバとはまったく別の、独立した言語次元と見なされなければならないという点では、大抵の論者が一致している。こんな状況の下では、「読む」と「書く」とがかつてない重大な学問性を露呈しはじめたとしても、何も不思議はないだろう。もともと、「読む」と「書く」とは書記言語の基礎形態、というより、それのすべてなのであって、書記言語にたいする見方が根本的に変わってくれば、「書く」こと、「読む」ことに対する見方も、当然、根本的に変る。常識的に理解されたヨミ・カキの概念は、こうなればもはやものの役に立たない。』

読むと書く・井筒俊彦エッセイ集
井筒俊彦
ISBN-10: 4766416635
ISBN-13: 978-4766416633










2019年1月7日月曜日

20190107 先日の陸奥宗光著『古今浪人の勢力』に関連した記述の抜粋引用

おかげさまで昨日投稿分の記事は、ここ最近では珍しいほど多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さまどうもありがとうございます。また、その記事にて挙げた『競争的退行』というコトバは、かねてより組織内部での競争が盛んである我が国においては、国の全体的な勢力が退潮気味である現在では、より多く、一般的な現象としてさまざまな組織にて見出すことが出来るのではないかとも思われます。

また、先日抜粋引用した陸奥宗光 中央公論社刊『蹇々録』収録 論説『古今浪人の勢力』もまた、多くの方々に読んで頂いていたことから、本日は、これに関連すると思しき記述を以下に抜粋引用してみようと思います。


『ちかごろよく取り上げられるようになりましたが、中江兆民の『三酔人経綸問答』という書物が明治二十年に出ております。そこには「洋学紳士」と「豪傑君」と「南海先生」という三人物が登場し、南海先生の家に集まって徹夜で飲みながら国家を論じます。彼等のイデオロギーはそれぞれ違い、しばしば全く正反対になります。結局大議論の末に明け方になって別れるというのが筋書きです。大ざっぱにいうと「洋学紳士」はラディカルな民主主義と、軍備全廃の絶対平和主義を代表し、「豪傑君」は洋学紳士に真向から反対して、権力政治の立場から大陸に対する軍事的進出の方向に進路を見出し、「南海先生」は二人の議論を調整しながらイギリス流の立憲政治と、穏和なナショナル・インタレストの結論に落ち着きます。結局、三人は立場を譲らぬまま別れるのですが、彼等の議論を通じて兆民は当時の日本が選択を迫られていた主要なイッシュ―の見事な鳥瞰図を描いております。が、私がこの書物をここで挙げたわけはそういう内容ではなくて、むしろこの書物の結尾にあります。「二客、竟に復た来らず。」或は云ふ、洋学紳士は去りて北米に遊び、豪傑の客は上海に遊べり、と。而して南海先生は依然として唯、酒を飲むのみ。」これが終わりであります。この結末は、恐らく兆民が意識して以上に近代日本の知識人がその後歩んだ道程を象徴しているように思うのです。つまり明治二十年頃には、まだこういうちがったイデオロギーの持主が集って徹夜で議論するような精神的空気が実際にあった。しかもこの三人の主人公はこの夜を最後として再び会うことがなかったというのです。ではこの三人の「その後」はどうなったのでしょうか。「洋学紳士」のその後のコースは一つは「末は博士か大臣か」と謡われた出世街道を歩んだ入々であり、もう一つはクリスチャンと社会主義者です。もちろん大多数は前者に属し、しかもその中には、明治初期には急進的自由主義者であった人も含まれます。さて、第二の「豪傑君」はその後、中国の上海に遊びます。洋学紳士と同じく海外に赴くわけですが、中国・東南アジア・インドなどに行くのは、洋学紳士の場合とちがって「洋行」とは通常いわれません。したがって、「豪傑君」の人生行路は当然「洋学紳士」と対蹠的であると推定できるでしょう。「上海」という豪傑君の行先は、維新後の一連の叛乱から自由民権運動の急進化の時代までひきつづいた国内の動乱状況に住みなれたために、不断の混沌(ケイオス)の渦中にしかl精神の慰めを覚えないような習性を身につけたーつまり古来の伝統的表現を用いれば「性、乱を好む」-行動的知識人がいわゆる「大陸浪人」に転身して行った過程を暗示しております。彼等は日本の国家および社会体制が急速に整備されて行く状況にうんざりし、幻滅したあげく、そのロマンティックな野望の舞台を中国大陸に求めたわけです。そこでは清朝の帝国の末期症状がまさに果て知れない混沌を惹起しておりました。この「大陸浪人」はのちのラディカルな右翼ナショナリストの原型ですが、明治時代において彼等に一律に「右翼」のレッテルをはるのは早すぎます。西欧帝国主義のアジア浸蝕にたいする彼等の悲憤の叫び、西欧の圧力にたいしてアジア諸国の連帯による抵抗を呼びかける彼らのファンファーレは、実にフランスおよびアメリカ革命の思想で武装していた自由民権運動の系譜のなかにもこだましていました。したがって、ある時期までの現実政治の配置のなかでは、「洋学紳士」と「豪傑君」とが、明治寡頭政府にたいする闘争において、お互いを意外に近い距離に見出した、ということも十分ありえたのです。そうして「洋学紳士」が制度的知識人と在野反対派に分裂してゆくのに対して、「豪傑君」→「大陸浪人」への系列も、やがて日本の挑戦および中国大陸への帝国主義的膨張とともに、一方では、政府・軍部の片腕あるいは下請けとして(密偵!)行動するグループと、他方ではアジア主義をラディカルに貫徹して異端の右翼という運命を辿る人々(たとえば大川周明・北一輝ら)との二方向に分裂しました。』

なかなか興味深い記述であると思われるのですが、さて如何でしょうか?

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2019年1月3日木曜日

20190103 1160記事の到達および昨日の投稿記事に関連して

昨日の記事投稿により、総投稿記事数が1160に到達しました。これは特に区切りが良い数値ではありませんが、これにより、あと40記事の投稿にて当面の目標である1200記事に到達することが出来ますので、ともかく一つのマイル・ストーンであるとは云えます・・。

さて、1日1記事の投稿として、本日より40日後と考えてみますと、来月2月半ば頃になりますが、ある程度の余裕を見込んで2月中に1200記事に到達出来れば良いとします。ともあれ、そこまで問題なく記事作成を続けることが出来るかどうかも未だ分かりませんが、とりあえずこうして『書けるうちは書き続ける』といったスタンスを自然に保持することが重要であるものと考えます。

また、昨日の投稿記事のように時には書籍からの抜粋引用を行うことも、記事作成の刺激になり良いと考えます。また、こうした記事の投稿により、抜粋引用した著作に興味を持って頂ける方が少しでもいましたら、それはそれで意味があるように思います。

そういえば、昨日抜粋引用部を記事として投稿した中央公論社刊(中公クラシックス)陸奥宗光著『蹇々録』ですが、この著作は岩波文庫からも刊行されていますが、岩波文庫版には抜粋引用部の論説は収録されておらず、その意味で中公クラシック版の方は、多少値が張りますが、装丁の大きさも適当であり、いくらか読み易くなっているのではないかと思います。

くわえて、その表題である『古今浪人の勢力』の内容からもまた、極めて重要な時期の外務大臣を務めた、いわば政府側の要人であるにも関わらず、反政府的な政治スタンスを常態とする浪人勢力の更なる伸長、そしてその勝利をも予言し文章を結んでいるところから、この一見現存する写真からはノーブルにも見える政府要人は、維新回天期そして、その後のめまぐるしく変化する社会の中をかいくぐり生き抜いてきたことが分かるものと考えます・・。

ともあれ、ハナシは戻り、この中公クラシックスですが、先日立ち寄った書店においても少なからず置いてあり、また神田神保町の三省堂では中公クラシックスにて一つの書棚がほぼ埋まっていましたので、その全貌は分かりませんが、このシリーズからは、かなり多くの著作が刊行されていると云えます。

さて、そうした中で、先日の書店にて見つけたのは同シリーズの小泉信三著『共産主義批判の常識』という著作であり、ざっと立ち読みしてみましたが、以前読んだ講談社刊 同著者による『平生の心がけ』とも被る部分があるように思われましたが、全体的に興味深い内容であり、後日機会を見つけて読んでみようと思います。

また、ここまで書いていて不図思い出したことは、さきに述べた陸奥宗光も、そして小泉信三も出自が紀伊国、紀州藩であるということです・・。こうしたことにあまり文脈的な関連性はないのかもしれませんが、文章を作成している自身としては、なかなか面白い現象であるように思えます・・。くわえて、多少、蛇足の気味もありますが、現在の和歌山の状況をお二方が見た場合、一体どのような感想を持つのであろうかということもなかなか興味深いと云えます・・。

ちなみに幕末期、陸奥宗光はその兄貴分であった坂本竜馬および陸援隊長であった中岡慎太郎の暗殺の真犯人を、いろは丸沈没事件にて揉めた相手であり、陸奥宗光の出自でもある紀州藩の三浦休太郎等であると考え、海援隊・陸援隊士等で襲撃を実行しています。【天満屋事件

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20180102 陸奥宗光著 中央公論社刊『蹇々録』収録 論説『古今浪人の勢力』より抜粋引用pp.329‐333

論説『古今浪人の勢力』より
『元亀、天正のころ、諸侯八方に割拠してその雄を争うのあまり、いわゆる譜代恩顧のみにてはその勢力の不足を感じたるにや、いやしくも一技一能ある浪人あれば互いに争うてこれを招致、網羅するの風習を生じたれば、一筋の長槍と一片の感状とを有するものあればすべて群豪、諸侯の間に歴任してその功名心を満足せしむるを得、かつ、いやしくもその志を得ざれば朝に黒田の家を去りて夕に加藤に仕え、関東に方人して思うがごとくならざれば大阪に籠城する等、その進退実に自由にして毫も拘束を受くることあらざりしがゆえに、したがってこの時代において利器を抱きてその位を得ずという一種の不平党ははなはだ稀なりしがごとし。慶長偃武ののち、徳川治世十五代の間は、世は既に太平の運に向かい、将軍も諸侯もただ自己の逸楽に耽るのほか、またいわゆる一技一能ある士を用ゆるを要せず、これに加うるに幕府、諸侯もすでに多くの常職あり常禄あるの士族を蓄養し居ることなれば、別に新たに有為の浪人者流を満足せしむるだけの余地を有せず。ここにおいてか所在文武の技能ある浪人の徒は何方にいたるもその位を得ずその志を達せず、沈鬱憤怨のあまりついに一種の不平党とならざるを得ずして、結局或は腕力をもって社会を動乱せんとし或は議論をもって政弊を痛斥し、時の政府を困却せしめたる例、はなはだ少なからず。すなわちかの天草の乱を始めとして由井丸橋の徒、もしくは山県藤井の輩、その他大塩平八郎の類のごとき、その志望おのおの自ら相同じからざるものあれども、いずれも有為の才を抱きてその位を得ざるよりも激してもってここに至りたるものなるはまた疑うべからざるものあるなり。

 ゆえに徳川幕府二百五十年間の政治は、大体、智勇弁力を具うる浪人の安排法を工夫せるものに過ぎずというも過言にあらざるなり。今この二百五十年の歴史を三分すれば、初めの一百年は元亀、天正の余勢に乗ずる浪人鎮圧の時代にして、次の一百年はこの浪人が文学、経書に身を託し腰を屈して威勢ある官吏に阿付しもって時勢に同化せんと試みたる時代なり。試みに御家騒動なるものを見よ、多くは志を得ずんば浪人となるべく性格ある者が腰を屈して搦手より官途に就きて生じたるものなるを見るを得べし。而して次の五十年は一旦腰を屈して時勢に同化せんとしたる浪人が、同化はとうていその功名、栄誉を遂ぐるの道にあらざるを覚り、局面を打破して時務を一変しもって風雲に乗ぜんとしたる時代ともいうべきか。而して第三期に現出したる浪人こそもっとも恐るべき腕力、議論兼帯の浪人なりしが、徳川幕府も最初の間こそその慣手段なる政権をもってこれら浪人に対してしきりに圧制、酷刑をもってその種子を絶滅せんとしたれども、のちには到底これを全滅するの至難なるを悟り、その浪人中やや馴致し易き者をば誘惑買収し、もってその不平を慰めんとしたり(壬生浪人、新撰組のごときものすなわちその一例なり)。然れどもいずれもその政策を貫く能わずして徳川政府はついに滅亡するを免れざりしなり。右の由来なれば、尊攘党の本山とし維新功臣の最第一等を占むる薩長両藩はその実、右の不平浪人に多少の糧米を与え、ときとして罪人逃遁の隠れ家を与えたる浪人尻押者たりしに過ぎざりしのみ。ゆえに徳川政府は不平浪人と戦うたるために敗れ、薩長両藩は不平浪人に味方したるために勝てりというも、またはなはだ失当の言にあらざるべし。

 もちろん皇政維新の初めにあたり、不平浪人の尻押者たる薩長両藩は無比の功臣として顕揚せられ、したがって政治上最大の権力を有するに至れるは明白の事実なり。然れども島津家も毛利家もこの際徳川氏に代わりて征夷大将軍となり、天下の大権を掌握せんというまでに野心を起こし得ざりしものは何故なるかといえば、当時内外の情勢ははなはだ不利なるものありしならんなれども、この両藩主ともに自己の実才、実力ありし尊氏、信長、秀吉、家康のごとく善悪邪正にかかわらず自己の力をもって自己の主張を実行したるにあらずして、畢竟部下もしくは他の浪人らが主張するところに付随し、ようやくその功を奏したるにほかならざれば、切にいえば天下は浪人の天下にして始めより薩長の天下たるを許さざりしによれりというべし。


 かくて尊攘党てふ(という)不平浪人者流の巨魁にして、維新以前にその一身をもって自家の主張の犠牲として非命に倒れたるものその数はなはだ多かりしといえども、維新の際なお引き続き生存したる輩もまた少なからず。すなわち薩の西郷大久保、長の木戸広沢という不平党の巨魁および各藩各地に散在したる同輩のごときは、いずれもいわゆる維新の隆運に乗じ、今はみな顕要の権勢を占め、ここにおいてはじめて積年の所志を達し、その劣等なる不平連もその材に従いその分に応じ相当の位置を得るに至りたれば、当時しばらくの間は浪人輩が不平を鳴らすの声も聞こえざりし。然れどもいずれの時代においても天下の不平党を絶滅する能わず。かつ人類の常情として、此に一の不平消滅するとほとんど同時に彼に一の不平を現出するものあるに加えて、薩長一列の不平党がようやく自らその志を得るに至るや、往々放恣専横のことを行い、あたかも昔日彼らが徳川幕府を攻撃したるがごとき咎責を自ら招くに至り、世間再び一種の不平党を生じたるは数の免れざるところなるべし。而してその不平党は、第一に彼らの仲間内より起こりたるこそおかしけれ。その著大なるものを挙ぐれば肥後に神風連あり、佐賀に江藤の党あり、長門に前原一誠の徒あり、最後にかつて尊王攘夷という看板を掲げたる不平党の大本尊たりし西郷隆盛は薩肥の子弟を統率して九州地方を擾乱せしことほとんど十閲月の久しきにおよびたり。而してこれらの不平党はいずれも腕力をもって政府に抗敵したれども、幸いにその時の政府は優勢の兵力をもってこれらを剿滅することを得たり。

 しかるに明治六年のころ、かの征韓論にて当時の征韓論にて当時の内閣の分裂するや、板垣らが唱起したる民選議院論は腕力以外に一種の議論を有する不平党を招集して政府に反抗せんとするに至れり。この新不平党を組織したる分子は醇駁雑多にして、その立論ははなはだ浅薄たるを免れざりしといえども、要するにその主張するところの自由民権の説によりて専制政治を改革し、もって立憲政府を設立せんと欲するにあり。その内幕よりいえば彼らは自由民権説を仮り薩長政府を顛覆せんと欲するものなることは、薩長政府の元老輩が尊王攘夷論をもって徳川政府を攻撃したるとその揆を異にせざるべし。しかるに人心は古今相同じきものにして、かつて徳川政府の虐遇を受けし薩長政府の元老は、かつて己れらが徳川政府より受けたる圧制政略を施してこれら自由民権の不平党を撲滅せんとし、種々苛察の政策を断行したるこそ不思議の極みなり。すなわち明治十年後、政府が西南叛乱鎮定の余威を仮り自由民権家を窘迫するや、当時各種の国事犯者が鉄窓の下に呻吟せし者その数はなはだ少なからざりしがごときがその一例というべし。然れどもかつて西郷輩に属せる腕力不平党を撲滅し得たる政府も、今や板垣輩に属する議論の不平党を征伐し能わざりしは時勢の力はなはだ大なるを知るべし。しかのみならず開拓使官有物払い下げの一件より、当時政府内の一骨子たる大隈をして朝を去り野に出てさらに一種の新不平党を集合せしむるに至れり。』

陸奥宗光著 中央公論社刊『蹇々録』pp.329‐333より抜粋引用
ISBN-10: 412160153X
ISBN-13: 978-4121601537



数年前から現在までに日本列島各地・特に西日本にて発生した、さまざまな大規模自然災害によって被害を蒙った地域の速やかな復旧そして復興を祈念しております。
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2019年1月2日水曜日

20190101 新年あけましておめでとうございます。【今年は少しインプットに重点を・・】

新年あけましておめでとうございます。さて、昨年内での当ブログ投稿記事数は305であり、大よそ10日のうち8日は記事を更新してきたことになります。昨年はそれ以前に比べ、1000記事という目標への達成があったことから比較的記事作成を休んでいた記憶がありましたが、それでもこうした記事更新頻度であったことには多少驚きました。

また、もしも今年もほぼ毎日記事の更新を行った場合、年末には1500記事程度まで到達することが出来る目算が立ちますが、さすがにそのスケジュールではキツイように思われます。今後、1200記事への到達後、当ブログを継続するとしても、年内に1400記事程度まで到達出来れば良いと思います。また、自分にとって記事作成がほぼ毎日の日課となっていることは、おそらく決して悪いことではないとは考えますが、今後はもう少しインプットの方に重点を置きつつ記事作成を続けて行きたいと考えています。そして、そうした状態にて1200記事まで到達した場合、今後更に継続するか否かに対しても自然な返答が出るのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、昨年末に、当ブログ記事が既知ではない専門の方から評価されたことは画期的なことであると云え、自身はその分野にて身を立て、食べて行こうとは思わないにしても、何かしら、こうした活動を継続する意味を多少は見出すことが出来たようにも感じられます・・。しかし、そもそも、当ブログをはじめた主な原因は周囲からの勧めと自身の内心での葛藤が合致したからであり、さらに、その主な駆動力となったものは、以前にも述べましたが2012~2013年春迄の一連の出来事であり、就中、2013年2月初旬の出来事は未だ現在どのような意味であったのか分からずにいます・・(苦笑)。

さて、さきに『インプットに重点を置きつつ』と述べましたが、このインプットに関してですが、つい先日BBCHBOが共同制作したテレビドラマである『ROME』DVD全巻セットを中古にて購入し観ていますが、これはかなり面白いと思います。ちなみに、この全巻セットは鹿児島在住時にも普及版を購入していましたが、これは当時無聊を託つていた師匠のもとに他の書籍と共にお送りした記憶があります。後日、師匠にお目に掛かった際の会話にて、この作品内容についてのご質問がありましたので観て頂けたことが分かりました。また、この作品と共に、塩野七生著『ローマ人の物語』【特に3~5巻】あるいはトム・ホランド著『ルビコン―共和政ローマ崩壊への物語』、ロバート・グレーヴス著『この私、クラウディウス』、ウィリアム・シェイクスピア著『ユリウス・カエサル』・『アントニーとクレオパトラ』そしてユリウス・カエサル著『ガリア戦記』・『内乱記』あたりを併せて読みますと、ある程度、時代背景への理解は深まると思われます。

くわえて、このテレビドラマ『ROME』は作中にて使われている英語も比較的聞き易いことから、英語字幕として観るのもまた勉強になり良いと思いますので、興味のある方は試してみてください。

また、それとはあまり関係ありませんが、我が国の大河ドラマにて、是非、西南戦争以後のさまざまな思想を持つ若者たちの動向を中江兆民著の『三酔人経綸問答』、石光真清著・石光真人編『石光真清の手記』あたりの視点をベースとした大河ドラマとすれば、それはかなり有意義なものとなり、我が国近現代史概要の認識に寄与するのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。そして、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に焦点を当てた勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス
conrad19762013@gmail.com 
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