2024年3月20日水曜日

20240319 中央公論新社刊 中公クラシックス トクヴィル著 岩永健吉郎訳「アメリカにおけるデモクラシーについて」 pp.69-70より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス トクヴィル著 岩永健吉郎訳「アメリカにおけるデモクラシーについて」
pp.69-70より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121601610
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121601612

政府はふつう、無力によるか、または圧政により崩壊する。前者では権力がその手から漏れるが、あとの場合には権力がもぎとられる。

民主制の国家が無政府状態に陥るのを見て、政府が本来、弱くて無力だったのだと、多くの人は考えた。しかし、実は、いったん党派間に闘争が勃発すると、政府が社会に対する影響を失うのである。

私は、民主的な権力に本来、力と策とが欠けているとは思わない。反対に、政府を崩壊させるのはたいていの場合、物理的な力の濫用と方策・資源の悪用とであると信じている。無政府状態は、たいがい、圧政か未熟から生まれるが、無力からではない。

 安定を物理的な力と混同したり、巨大なものは持続すると考えてはならぬ。民主的共和制においては、社会を指導する権力は安定しない。しばしばその持ち手と目的とを変えるからである。しかし、それを行使されることになると、その力に抵抗するのはきわめて困難である。アメリカ共和制の政府は、ヨーロッパの絶対君主制の政府と同様に中央集権的で、精力の点ではまさっているように見える。それが弱いから崩れるとは、とても思えない。

 万一、アメリカで自由が失われることがあるとすれば、多数の万能が少数(派)を絶望に追いやり、物理的な力に訴えさせるようになる場合にちがいあるまい。その場合には無政府状態になるであろうが、それは専制の結果として到来する。

 (のちの)大統領ジェイムズ・マディソンが同じ考えを述べる〔『ザ・フェデラリスト』第五一篇を参照〕「共和国においては、支配者の圧制から社会を守るだけでなく、当該社会の一部を他の部分の不正から守ることがきわめて重要である。正義はすべての政府の向かうべき目的である。それこそ社会形成の目的なのである。これを人民は達成されるまで追求したし、今後ともそうするであろう。あるいは、追求は自由の失われるまでつづけられよう。一つの社会で、より強力な党派が容易に勢力を結集して、より弱い党派を圧迫するようなことがあれば、その下では、自然状態においてと同様、無政府状態が支配するといえよう。自然状態では、より弱い個人は、より強い個人の暴力から護られていない。そして、自然状態でより強い個人さえも、自己の境遇が不確かで不安定なため種々の不都合が生じるから、政府に服する気にさせられ、その政府が同様が弱者を彼らとともに保護することになるのと同様、無政府状態でも、より強力な党派が、同様な動機から、しだいに強弱を問わず、すべての党派を保護する政府を希求するようになる。