2017年8月26日土曜日

20170825 昨日の続き 【事物の抽象化の傾向・癖】【社会全体の創造性】について思ったこと

本日の首都圏はまた昨日同様に気温が上昇し、夏らしく蒸し暑い一日となりました。

また、昨日投稿分の記事は投稿翌日にしては多くの方々(35)に読んで頂けたようです。

さて、この記事の主題であった『事物の抽象化』とは、昨今興味深く思っていることのひとつであり『各個人それぞれが持つ事物に対しての象化の際に見受けられるある種の傾向・癖とは一体どのようにして成り立っているのか?どのような背景を持っているのか?』とは、なかなか奥が深いことではないかと考えます。

さらにまた、こうした視座とは、個人のみならず、地域・国家などの歴史に対しても応用可能であると考えられることから、あるいはさまざまな議論、話し合いなどの際における有効な視座となり得るのではないかとも思われます。

しかしながら、おそらく議論、話し合いでの『当初から』その視座が決められているのであれば、それはそれで、平和な議論、話し合い、そして予定調和的な結論が得易くはなるのでしょうが、そうした状況が常態化し進行しますと、それは議論、話し合いというよりも『演劇』として分類されるようなものになると思われるのです・・(苦笑)。

また、それは本当の議論を(ある程度)経験されたことのある方でしたら、それこそ当記事冒頭で述べたような『事物の抽象化』を通じ、ある程度明瞭に判ぜられるのではないかと思われます。

加えて、それとほぼ同様の理由から、昨今の『テレビ番組全般があまり面白くない』といった意見にもつながるのではないかと思われます。

インターネットが普及した今日においては、本物に似せた演劇・お芝居(映画、ドラマなど)よりも本物を手軽に視聴することが出来てしまうのですから・・。

そうしますと、創造の世界を描き、魅せる(観せる)という意味でアニメ・マンガなどに以後増々頼ることになるのでしょうが、しかし、それも続けざまで行いますと食傷気味になるでしょうし、それより何よりそれは本質的には創造とは異なるものであるように思われるのです・・(原作のアニメ・マンガは創造であると考えますが)。

また、こうしたことは映像文化のみならず昨今の活字文化においても同様の傾向があるのではないかといった意見を聞くことがありますが、私見として、その抽象化の仕方には少なからず同意出来ます。

しかし、そうした批判的な抽象化ばかりに同意出来るといったこの傾向とは、当然ながら自身としてはあまり嬉しいものではなく、また、一応そのように考えていることから、自身の行い得ることとして、一連のこれまでのブログ記事作成に取り組んでいるのではないかとも思える次第です・・(いささか言い訳じみますが)。

しかし、社会全体の創造力を増進する効果的な方法とは一体いかなるものがあるのでしょうか?

【決して悪いことばかりではないですが、昨今よく聞く男性の女性化・女性の男性化が招来するあまり好ましくないと思われる一つの点とは、おそらく社会全体の創造力の劣化・低下ではないかと思われます。】

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」