2016年11月7日月曜日

20161107 能動性 目標の設定 達成感の有無・強弱

A「先日より読んでいる「楡家の人びと」は第二部の読了に至り、今後、第三部(最終部)を入手、読んでみようと考えておりますが、これは週末までとって置こうと思います。

その理由は、そちらの方が比較的ゆっくりと読むことが出来、また、週末までは、これまでに読んだ第一、第二部をもう一度読み返してみることに因り、より最終部たる第三部を面白く読むことが出来ると考えるからです。

とはいえ、これまでブログ記事にて記した通り、少なくとも私の場合、ある程度の長編小説を読む場合においては、ある程度の間隔、インターバルを設けた方が、よりスムーズに読み進むことが出来るのではないかということが今回の事例により理解、認識することが出来ました・・。

また、それと同時に、これまで継続的に作成しているブログ記事も、こうしたことをリアルタイムに記すことにより、記事数を稼ぐことが出来るということも理解、認識することが出来ました・・(笑)。

やはり、インプット・アウトプットおよびその均衡とはなかなか大事なものであるのかもしれません。

さて、そのアウトプットたるブログについてですが、昨日の記事投稿により470記事に至り、本日の記事投稿により500記事到達まで残り30記事を切ることになります。

そして500記事とは、それなりにキリがいいのですが、果たしてそれで一端記事作成を止めてみると、その後、どのようなことが生じるのかとは、なかなか興味深いものです・・(笑)。

それこそ、煮物などの具に出汁の味が染込むのは、熱を加えるのを止めた後であるといった極めて具体的な事例、(物理的な)現象から鑑みますと、自身の外部、周辺の出来事でなくとも、内面における何かしらの変化といったものが生じるのではないかとも予想されるのです・・。

いや、実際のところ、そうした変化とは、現在の私が考えるよりも、より小さなものであるのかもしれませんが・・(笑)。

とはいえ、以前にもブログ記事にて記した通り、これまでに各々記事の中身の濃さ、深さは別として継続的に文章を作成したことはありませんでしたので、これはこれで自身としては多少の意味があるものと考えます・・。

まあ、それもあくまでも自己満足に類するものであることは否定出来ませんが・・(苦笑)。

しかし、そのように考えてみますと、大抵の自身の根源から由来する能動性にしたがい、はじめた行動とは、その目標達成の感覚の有無、強弱とは、本質的には自身が決めるものであるのかもしれません・・。

もちろん客観的な評価基準もまた、一面においては重要であるとは考えますが・・。

そして、そうした視座から考えてみますと、果たして今回の投稿記事数500とは、適当な数値目標であるのでしょうか・・?

こうしたことは、残念ながら判然としませんし、あるいはそれが自身の自信のなさの表れであるのかもしれません・・(苦笑)。

そして、そのように考えてみますと、以前様々な条件にて行った実験において、そのNの多さに自身がこだわったことにも、こうしたことは何かしらの基層における類似性があるのかもしれません。

また、このことを記しておりますと、丁度この時期であったためか、作成した様々な条件の試料を有機溶媒(アセトン50・エタノール50)にて超音波洗浄(5分)を行い、試料ケース(ウェル)に収納し、観察のため、電子顕微鏡室に持ち込んだことを思い起こします・・。

しかし、この時に行う試料への蒸着処理(CVD)を通例の金でなく、より細かい導電被膜が得られる粒子の微細なオスミウムを用いていたならば、より良い観察画像を得ることが出来ていたのかもしれません・・。

とはいえ、こうしたことは電子顕微鏡の解像能との兼合いであり、あの場合は金で良かったのかもしれません・・。

また、この時に観察を試みたものは、ジルコニア基材に歯科用陶材を焼き付けた接着界面であり、これは試料の作製条件によっては、高倍率(~30000)にて観察してもあまり意味あるものではなく、単純に条件間による焼き付け、接着具合の比較画像を得るためであるならば、それで良かったのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に発生した熊本における大地震、昨今の山陰東部にて発生した大地震により被災された地域の今後出来るだけ早くの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」