2023年11月24日金曜日

20231123 株式会社講談社刊 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著「日本の歪み」pp.233‐236より抜粋

株式会社講談社刊 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著「日本の歪み」pp.233‐236より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4065314054
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4065314050

茂木 核の脅威といえば、キューバ危機(1962年)は覚えていますか。

養老 覚えていますよ。新聞が大きく書いているなっていう。

東 ネットがない時代の感覚ですね。いまならば毎日ニュースが出てSNSが大騒ぎになるはずです。

茂木 米ソの核戦争を描いたキューブリックの映画「博士の異常な愛情」は、翌年の63年に公開されているんですね。やっぱり天才だなあ。あのようなコメディが、日本のお笑いの文化からは全く欠けています。人類の存亡の危機こそを、笑いによってメタ認知しなければならない。そうしないと、いざというときにまともな判断ができません。日本のお笑いは、自分たちで重要なことを判断しなくてもいいと思いこんでいる人たちの文化だとおもうのです。それから時代が流れて、ベトナム戦争はどんな感じだったんですか。

養老 ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)がうるさかったという印象です。

茂木 三島由紀夫の割腹自殺事件(1970年)はどうご覧になりましたか。

養老 司馬遼太郎が、あの演説を見ていた自衛隊の反応に対して、日本の社会は健全と書いていましたが、同じような反応でした。僕も含め、いわゆる普通の人は「変な人だな」くらいに見ていたように思います。あれを大きな問題と捉えて騒いだのはインテリ層だけだったのではないでしょうか。

東 三島由紀夫は日本近代の歪みを正そうとした作家だと言われます。しかし所詮はインテリのあいだのゲームでしかなかったと。

養老 そう思います。だから冷めていた。

茂木 前にも述べたように、僕は生物学的年齢に基づく世代論にはあまり与しませんが、何歳でそれを経験したかというのは大きいと思っていて、三島事件のとき養老さんは33歳で、僕は小学校2年生で8歳でした。東さんは生まれていないですね。

東 僕は71年生まれですから、生まれていません。

養老 三島事件より、むしろ連合赤軍のほうがひしひしと感じました。

茂木 あさま山荘事件が1972年ですね。テレビで立て籠もりの中継を見ていたのを覚えています。鉄球がんがんぶつかっているところを学校から帰ってきて見ていたなあ。養老先生は大学の医学部で教員をされていた頃ですよね。

養老 そうです。行くところまで行ったな、という感じでした。

茂木 テルアビブ空港乱射事件も1972年です。

養老 まだやっているのかという感じでしたが、医学部では教授会に入ってきて机をひっくり返すような赤軍派のやつが現にいましたから、それどころではなかった。

茂木 あの頃はよど号ハイジャック事件(1970年)も三菱重工ビル爆破事件(1974年)もあったし、いまから考えるとすごい時代ですよね。

東 丸の内で爆破事件が起こるなんて、いまではなかなか想像ができない。

養老 この国は暴力手段を持つと絶対にそれをコントロールできないで振り回しますから。今回の防衛費増額の話も大丈夫かよと思います。

茂木 本当にそうですよね。文官が軍人をコントロールできるとは思えない。

東 ウクライナ戦争以降、「平和が大切」と言うとバカ扱いされる空気が出来てしまいました。軍事評論家や国際政治学者の発言がリアリズムがあり、平和などと言うのはオールド左翼だという対決の構図が作られてしまいましたが、本当はいまこそみなで平和について考えるべきですよね。

養老 僕は「平和」ではなく「日常」と言っていますが、いちばん重要なのは日常だということが、この国では昔から通じていない気がします。