2024年2月11日日曜日

20240211 株式会社講談社 講談社学術文庫刊 山上正太郎著「第一次世界大戦」 pp.18-20より抜粋

株式会社講談社 講談社学術文庫刊 山上正太郎著「第一次世界大戦」
pp.18-20より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4062919761
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4062919760

 オーストリアとセルビアのバルカン半島をめぐる勢力争いは、二〇世紀初頭にさかのぼる。元来、オスマン・トルコ帝国領であったボスニア地方自治体が、トルコの弱体化に乗じて、一九〇八年、この地に対するセルビアの野心を押さえて、オーストリアによって併合されたものである。同じくセルビアが抱くアルバニアからアドリア海進出の野心は、一九一三年、同じくオーストリアによって阻止された。

 当時、スラヴ民族の国であるセルビアには大セルビア主義と称して、バルカンにおいて自国を強国たらしめようとする民族主義が高揚していた。ところがオーストリアにはスラヴをはじめ、多様な民族が同居している。隣国セルビアからの民族運動の高まりは、国内の諸民族を刺激して統治を乱すものであった。セルビア側からすれな。オーストリア帝国の専制政治による民族主義の弾圧である。フランツ・フェルディナンドはこのオーストリア専制主義のいわば象徴として、暗殺の対象となった。

 ところでスラヴ民族主義のもとに勢力拡大をはかるロシア帝国が連想されよう。当然、ロシアはセルビアを支持していたが、それはロシア自体の勢力をバルカン方面に伸張させるためである。前述のように一九〇八年と一三年、二度にわたってセルビアがオーストリアに屈したとき、前者を援助できなかった無力さは、ロシアの国威を傷つけずにはすまなかった。いま、またもセルビアを見棄てるならば、さらに威信の失墜であるともに、ロシアの南進にとっても打撃である。ここでオーストリアのセルビアに対する強硬措置から戦争が起こり、そしてオーストリアが勝利を得れば、バルカンの勢力分布は変動して、ロシアに不利となるであろう。ロシア帝国主義にとって南進、すなわちバルカンからトルコのボスポラス、ダーダネルス両海峡への進出は命運を賭するものであった。

 オーストリアを支持し、年来、軍事同盟をさえ結んでいた国はドイツ帝国である。ドイツはあの汎ゲルマン主義によって、東ヨーロッパからバルカン、そしてトルコ、西アジアをめざしていた。それはドイツ帝国主義の東方への野望であり、やがてヒトラーの侵略主義に組みこまれるものである。このドイツとオーストリアとの軍事同盟の一つ、いわゆる三国同盟(一八八二年成立)にはイタリア王国が属していた。しかしイタリアの動向には信がおけず、それだけにドイツ、オーストリアはゲルマン民族主義のもと、同盟国として緊密な関係を保たねばならなかった。

 ドイツに依存しているオーストリアは、セルビアに強硬措置を決意したとき、この同盟国ドイツの全面的支持を求めた。ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世、首相ベートマン=ホルヴォークはためらいもなく支持を約したのみならず、機を逃さず、強硬手段に訴えることを促すほどの積極性を示した。さらにウィーン駐在のドイツ大使は、連日のようにオーストリア外務省に出向き、セルビアに強硬手段をとるように圧力をかけた。

 ドイツはオーストリア対セルビアの戦いが局地戦にとどまるにこしたことはないが、セルビア側にロシア、さらにフランスが加わったとしても、二、三年先はともかく、いまならば軍事力で成算ありと自負していた。ロシア、フランスとの戦いが不可避であれば、両国の軍備が整う前に、という予防戦争の気配もあった。

 一九世紀末以来、独墺伊三国同盟と対立していたのがロシア、フランス共和国の露仏同盟(一八九四年成立)である。一八七一年、プロシアを中心としてドイツ帝国を成立させるべきいわゆるドイツ統一戦争のとき、このプロシアはその統一のため、フランスに戦勝する必要があり、これを果たした「復讐」を期しているであろうフランスを孤立化させておきたい統一後のドイツ外向は、いまや露仏接近のために破綻したといえよう。こうして独墺の連合勢力とこれに対する露仏の軍事同盟によって、ヨーロッパ大陸の列強は二分されることとなった。

 そして「光栄ある孤立」を誇っていた植民地帝国イギリスも、諸国との競合が高まるうちに外交政策の変更を迫られたのである。