2020年5月20日水曜日

20200520 河出書房新社刊ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.43‐46

河出書房新社刊ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.43‐46
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

「同様に、もし世界医療保健期間(WHO)が新しい疾病を認定したり、研究所が新薬を開発したりしたら、こうした進展を世界中の人間の医師全員に知らせることは不可能に近い。

それに対して、たとえ世界中に100億のAI医師が存在し、それぞれが一人の人間の健康状態をモニターしていたとしても、そのすべてを瞬く間にアップデートでき、それらAI医師はみな、新しい疾病や薬についての自分のフィードバックを伝い合える。

このような接続性と更新可能性の潜在的な恩恵はあまりに大きいので、少なくとも一部の職種では、すべての人間をコンピューターに取って代わらせることが理に適っているかもしれないーたとえ個別には、機械よりも腕の良い人間がいくらかいたとしても。

個々の人間をコンピューターネットワークに切り替えたら、個別性の利点が失われるとして、異論を唱える人がいるかもしれない。たとえば、一人の人間の医師が判断を誤まっても、世界中の患者を殺すこともなければ、すべての新薬の開発を妨げることもない。それに対して、もし医師全員が本当は単一のシステムにすぎず、そのシステムが間違いを犯せば、大惨事になりかねない。とはいえ実際には、統合されたコンピューターシステムは、個別性の恩恵を失わずに接続性の利点を最大化しうる。同じネットワークで多くの代替アルゴリズムを作動させることが可能だ。だから、辺鄙な密林の中の村にいる患者は、自分のスマートフォンを使って、単一の権威ある医師ではなく、実際には100の異なるAI医師にアクセスできる。それらのAI医師の相対的な実績は、絶えず比較されている。IBMの医師に言われたことが気に入らなかった?大丈夫。たとえあなたがキリマンジャロの斜面のどこかで立ち往生していたとしても、いとも簡単に百度(バイドゥ)の医師と連絡を取って、セカンドオピニオンが聞けるから。

 おそらく、人間社会が受ける恩恵は計り知れない。AI医師は何十億もの人に、これまでよりもはるかに優れた医療をはるかに安く提供できるだろう。とくに、現在は何の医療も受けていない人々には。学習アルゴリズムと生体センサーのおかげで、発展途上国の貧しい村人さえもが、現在、世界で最も裕福な人が最も進んだ都会の病院で得るものよりもはるかに優れた医療を、スマートフォンを通して享受できるようになるかもしれない。

 同様に、自動運転車はこれまでのものをはるかに凌ぐ輸送サービスを人々に提供できるのではないか。とくに、交通事故の死亡率を下げられるだろう。現在、交通事故で毎年125万人近くが亡くなっている(訳注 世界保健機関によると、2016年の交通事故の死者数は135万人)(これは、戦争と犯罪とテロで死亡する人の合計を上回る)。これら事故の九割以上は、いかにも人間らしい過失が原因だ)。飲酒運転をする人もいれば、運転しながら電子メールを送っている人や、居眠り運転する人、道路に注意を向ける代わりにぼんやりと空想に耽っている人もいる。31パーセントにアルコール濫用、30パーセントにスピードの出し過ぎ、21パーセントに運転者の注意散漫が絡んでいたという。自動運転車なら、こういうことはいっさいない。もちろん自動運転車特有の問題や制約はあるし、避けられない事故もあるが、人間の運転者をすべてコンピューターに替えれば、交通事故による死者数の数がおよそ九割減ることが見込まれている。言い換えると、自動運転車に切り替えれば、おそらく毎年100万人の命が救われる。

 したがって、人間の仕事を守るためだけに、交通や医療のような分野での自動化を妨げるのは愚行だろう。なにしろ、最終的に守るべきなのは、職ではなく人間なのだから。余剰になった運転者や医師は、何か他にすることを見つけるしかない。

モーツァルトと機械
 少なくとも短期的には、AIとロボット工学がさまざまな産業をそっくり排除することはなさそうだ。狭い範囲での定型化された業務を専門とする職は、自動化されるだろう。だが、幅広い技能を必要とし、予期できない筋書きに対処するような、あまり定型化されていない職で、機械が人間に取って代わるのは、はるかにむつかしい。医療を例に取ろう。多くの医師は、情報の処理にほぼ専念している。医療データを取り込み、分析し、診断を下す。それに対して看護師は、痛みを伴なう注射を打ったり、包帯を取り換えたり、暴れる患者を拘束するために、優れた運動技能や情動的な技能をも必要とする。したがってAIの家庭医をスマートフォンで持てるようになってからも、信頼できる看護ロボットが手に入るまでには何十年もかかるだろう。病人や幼児や高齢者などの世話をする対人ケア産業は、ずっと先まで人間の独擅場であり続ける可能性が強い。それどころか、人間の寿命が延び、少子化が進むにつれ、高齢者の介護は人間の雇用のうちでも、著しい成長を見せる部門の一つとなるだろう。」