2016年4月17日日曜日

20160417 肥後・熊本での「神風連の乱」について

先日発生した熊本での地震は、その後も揺れは継続し、現在においても予断を許さない状況であるとのことです。


熊本をはじめとする九州の皆様、とても大変であるとは思いますが、どうぞ、お気落ちなく、お元気で。


また、この地震のことに触れずにブログ記事を書くことは難しいと思いつつも、同時に私の書いた記事の内容により、何かしら地震被災地の方々に対し失礼があっても良くないと思い、新たな記事作成に対し躊躇しておりました。


とはいえ、やはり私は新たなブログ記事を作成した方が良いと考え、この記事を作成することにしました。


さて、以前も当ブログ記事にて少し触れましたが、今年2016年とは、明治9年つまり1876に同地、熊本にて発生した「神風連の乱」から丁度140年経った年です。


また、このことも以前、当ブログ記事にて触れたことではありますが「概ね70年程度の周期にて、世の中の様々な価値観が大きく変化する」という考えを、前の「神風連の乱」が発生した年と加味して考えてみますと、今回の熊本での天災である地震においても、何かしら深い意味合い、あるいは何かしらの関連があるのではないかと考えさせられます・・

しかしながら、実際、そういった意味合い、関連が存在するのかどうか「科学的」に判断することは困難であるとは思いますが・・。


また、様々な歴史的な出来事において、その当時の生々しい「時代精神」といったものが、各々歴史的出来事の本質を理解、把握する上において極めて重要な要素であると考えます。


そして、そうしますと「では、過ぎ去った時代の時代意識、同時代感をどのようにして理解、把握できるのか?」と感じる方々も少なからずおられると思います。


こうしたことにある程度、適切な解を与えてくれるものが、文学、日記、そして映画などを含む映像資料といった同時代に作成されたものをなるべく多く閲覧、読み込むことではないかと思います(無論能動的に)。


そして、そうした資料閲覧、熟読の後に発生するいくつもの想念、観念の結合、それらの間の反応などといったものが一つの哲学、思想が形成される過程の一側面ではないかと考えます。


また、インターネットにより、多くの資料の閲覧が即座に容易になったことにより、逆に、ある程度大きな想念、観念そして思想の形成が妨げられるか、その形成の過程に変形が生じる(生じてしまう)可能性があるのではないかとも思われます・・。


さらに、こうしたことは経年の蓄積により世論、民度、文化の質などに対し、結果的に大きな影響を与えるものではないかとも思います・・。

そして、それ故に一見いや、到底実利的、功利的とはいえない文系学問分野の重要性、存在意義といったものがあるのではないかと思いますが如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。