2017年11月14日火曜日

20171114 講座・医局について思ったこと(昨日投稿と少し関連するかもしれません)

『本日もまた、何かしら古代史、考古学あるいは民俗、地理的な内容にて記事を作成しようと考えていましたが、昨日投稿分の記事が思いのほか多くの方々に読んで頂いていたことから、本日は敢えて趣向を変え独白形式にて記事を書くことにしました。

とはいえ、その内容とは昨日投稿分の記事にも多少関連することであり、また、これまでにも何度か述べてきたことではあるのですが、大学の理系学問領域においては、研究室、講座あるいは医局といった単位にてさまざまな行動をとることが多いと云えます。

これはおそらく文系学部におけるゼミに相当すると思われるが、それらの単位における凝集性とは、感覚的ではあるものの、文系に比して理系、特に医歯学系の方が相当強いのではないかと思われます。

おそらくその根本においては、修業年限が長いことから、より、そうした行為態度が強化、定着される期間が多く与えられるといった事情があるのではないかとも思われます。

またその一方で、文系の場合、卒業後に就く職業とはさまざまであり、むしろ学生時代よりそうした各自の多様性を認め、保持している方が諸事都合が良いのかもしれない。

その面において医歯学などの場合は特に卒業後に就く職業とは、ほぼ限定されることから、学生時代より、そうした(職業に付随する)受け継がれるべき行為態度とは、当初多少無理やりであっても研究室、講座そして医局といった小規模での集団行動を通しておぼえ、定着した方が大局的に見れば良いのかもしれない・・(おそらくそれは個人の教育観にも影響を与えるであろう)。

とはいえ、文系もまた大学院まで行くと、それはそれで少なからず変わっているのであろうが、その全体数が理系学問分野と異なり(理系の方が多い、特に工学、理学、さらに博士課程となると医歯学が最も多くなる)、同時にそれぞれの背景文化もまた大きく異なると思われることから、こうした集団行動とは、文系の場合においては、あくまでも各個人が自発的、能動的に従うものでないとダメであるように思われるのです(それが文系学問の大事な要素であると思うのですが、一方、そればかりであると今度は世の中が治まらなくなるかもしれない・・)。

そして、この両学問分野間に存在する『違い』というものをある程度広く、そして明瞭に認識することにより、何といいますか、我々の社会にて生じているさまざまな出来事の雛型、原型のようなものを認識することが出来るのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸インフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』






20171113 九州の文化が持つ海洋民的性質について

九州島は日本列島弧と琉球弧が接合するところであることから、双方の特徴を持っていると云える。

さらにまた、九州本島は中央構造線の九州版とも云える臼杵・八代構造線により南北に二分され、その北部には中国山地の延長である筑紫山地、また南部には四国山地の延長である九州山地がそれぞれ北東から南西にかけて走り存在する。

この九州島南北の両山地の間は大きく溝状に陥没し、太古においては瀬戸内海の延長とも云える海域(阿蘇水道)であったが、周辺の九重山、阿蘇山などの火山噴火による噴出物や河川の堆積物などにより、徐々に陸地化され現在の地形を構成しているが、このかつては海であった地域には現在においても火山が集中している(中央火山帯)。

九州南部の薩摩、大隅半島の地形は琉球弧の形状と方向的(北東から南西に走る)に一致し、両半島以南に位置する南西諸島が琉球弧の主要部を構成している。

また、この琉球弧の内側を走り、阿蘇山にはじまり遠く台湾まで至るのが霧島火山帯(琉球火山帯)である。

概ね以上のように山地、火山帯、弧などにより地域が劃される九州島であるが、それにより地域毎の気候風土、民俗文化などは共通する要素をも持ちながら、それぞれの特徴を持っていると云える。

九州地方は日本列島の最西南端に位置し、本州とは関門海峡にて隔てられ、また四国とは豊後水道、豊予海峡にて隔てられ、北方の朝鮮半島とは対馬海峡そして西の中国とは東シナ海によって隔てられている。

そして南は南西諸島を島づたいに進むと琉球を経て台湾にまで至る。

その意味にて日本列島のなかにおいても、九州地方とは際立って海と島々により構成される地域であると云え、さらにまた、古来より脈々と続く我が国(本来の)国際性(対外的感覚)の最先端の地域と評しても過分ではないものと考える。

また同時に、対外的な交易・漁業といった側面においても九州地方とは我が国の中でも特に海洋民的性質が強いのではないかとも考える。

当然といえば当然であるのだが、文字文化が普及定着、ある程度一般化する以前の社会においては最高の国際人(異文化を知る人)とは漁民、海洋民といった船を操る人々であった。

この漁民、海洋民の持つ民俗文化の特徴とは、おそらく自然といった神を畏れ、敬いながらも陽気であり、屈託がなく、精神的には伸びやかなものがあると思われる。

加えて冒険心、射幸心も少なからずあり、且つ勇猛果敢であり、思弁的、観照的であるよりかは行動的、実践的といった傾向もあるのではないかと考える。

さらに航海とは一人では困難であることから集団行動に長け、また経験豊富な指導者(船長)の価値をも知り、そしてその下すことには従わなくてはならないといった権威主義的なところがあり、また同時に実力主義的な要素をも加味されるのではないかと考える。

こうした社会が男性的なものであると考えるのは、特に論理の飛躍ではなく、自然であり、そしてまた、それが九州出身の男性を示す九州男子といったイメージに対し、無意識ながらではあるかもしれないが、少なからず影響を与えているのではないかと考える。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまで列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸インフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

昨今、再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』