2022年1月10日月曜日

20220109 久しぶりに、対話形式のブログ記事を作成したことから思ったこと

 一昨日の投稿記事は対話形式にて作成しましたが、これは、かなり久しぶりであった割には、思いのほかスムーズに作成することが出来たと思われます。ここ最近は、以前にも述べましたように【架空の話】もしくは書籍からの抜粋にて記事作成を行うことが多かったことから、その他の文章形式については、あまり考えていませんでしたが、不図した思い付きで、どうにかこの形式にて作成出来たことは、2015年のブログ開始当初の頃は、それを困難に感じていた記憶があることから、この6年半程度の継続で、その点については、多少進化したのではないかと思われました。

これをもう少し述べますと、アドリブにて文章を継続的に作成し、それらをブログ記事として公表することは、6年半前の私にとっては、能力的に、そして精神的に難しいことであったのです。また、そうした事情もあり、開始当初の頃は、自分で記事を作成する必要がない、書籍からの引用記事が多かったのだと云えますが、この引用記事の作成も現在、振り返ってみますと「自分の文章」を作成するための練習になったと思われます。

換言しますと、普段、読んでいると思っている書籍の記述ではあっても、それをキーボードを通してブログ記事としていますと、その記述部について、また新たなことに気が付かされ、そこから、その記述の意味などについて、さらに考えさせられ、そしてまた、自分がこれまでに知っていた他のそうした知識と関連させて考えることが出来るようになり、そして、その考えを「自分なりに文章として著してみたい」と思うようになるのです。

そして、その「思い」が原動力となって、能動的にブログ記事を作成、投稿した後、それが思いのほか多くの方々に読んで頂いていますと、作成者としては、さらに、記事作成に対しての能動性が強くなるのですが、こうしたことは、開始当初から3年ほど、あるいは1000記事到達のあたりまでは、たしかにそうであったと記憶していますが、そこからの、現在に至るまでの期間(3年半)のなかで、そうした新鮮さは徐々に乏しくなり、他方で、ブログ記事の継続的な作成については、ある程度の経験があることから、たとえ、能動的とは云えない記事作成ではあっても、さきの経験に基づいて、どうにか記事作成をこなすことは出来るようになっていたのですが、おそらく、端的にこれが6年半前の私では(能力的・精神的に)出来なかったことであると云えます。

そうしますと、どの程度まで普遍化することが出来るか分かりませんが、さきに述べた記憶と関連させますと、ブログは開始後3年あるいは1000記事程度まで継続しますと、その先からは、当初からの能動性よりも、それまで継続してきた経験によって記事作成が可能となるのではないかと思われますが、あるいは、以前に知った「ブログは1000記事を越えてからが勝負だ」との見解の意味は、このことに何か関連があるのではないかと思われます・・。

その意味において、たしかに1000記事到達の前後では、後の方が困難さを感じたと云えますが、そうであっても、現在に至るまで、どうにか継続はしていることから、もう少し続けてみようと思います。そしてまた、その先には、また前記の自分の能力や精神の変化を感じ取ることが出来るようなことがあるのでしょうか・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 


一般社団法人大学支援機構


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