2017年3月25日土曜日

20170324 心境、趣味の変化・・脱然貫通?

本日は帰宅の際にレンタルCD・DVD点に立ち寄ったところ『シン・ゴジラ』がレンタルに出ておりました。

これは人気の最新作ということで、レンタル料も高く、立ち寄った時点にてわずか数本がレンタル可能な状態であり、迷わずその中から一本を一泊にてレンタルしました・・(笑)。

もちろん未だ現在これを観ておらず、おそらく当ブログ記事を書き終えた後に観ることになると思われます。

とはいえ、かなり久しぶりに映画作品のDVDソフトのレンタルにて高揚しました・・(笑)。

しかし思い起こしてみますと、自身はかつて、かなりの映画(レンタルを含め)好きでありましたが、どうしたわけか鹿児島在住時の後半、2012年あたりから以前ほど、それらを楽しむことが出来なくなりました・・。

この原因は未だ自身でもよくわかりませんが、おそらく何かしらの変化が内面に生じたのではないかと思われます・・。

また一方で面白いと思うことは、それまでどちらかというと批判的であった某アニメスタジオ(和製)一連の作品を2013年の春過ぎあたりから突如面白いと感じ、また感激するさえするようになったことです・・(笑)。

まさか、こうした心境、趣味の変化が30半ばで訪れることは、自身でもいささか驚きました・・(笑)。

それに加え、同アニメスタジオ作品ではありませんが、上記の変化を更に実感すべく?この時期偶然にレンタルした昭和30年代の瀬戸内西部を舞台としたアニメ作品では図らずも泣いてしまいました・・(笑)。

おそらくこうした心境・趣味の変化が一旦内面にて生じると、その効果、影響とは広く速やかに精神、内面全体にまで波及するのではないかと思われます・・(脱然貫通)。

また、上記経験から抽出された実感について考えてみますと、以前、当ブログにて二回に亘り抜粋引用した岩波書店刊 井筒俊彦著『意識と本質 精神的東洋を索めて』記述内容に、あるいは関連があるのではないかと思われるのです・・。

また、そのように考えてみますと、我々の精神、内面の構造とは12世紀、20世紀の中国、日本の思想家間においても(少なくともそうした面においては)あまり大きく違わないのではないかとも思われるのです・・。

そしてまた、それらの方々の考えを(現在)読み、そして理解しようとすること、あるいは理解出来たと実感できることこそが、一面における文系諸学問の大きな存在意義であるのではないかと思われるのです・・。

また、かつてそうした考え、思想があったということを各個人の経験、実感を通じて認識、理解出来ることは昨今よく取り上げられる人工知能(AI)でも不可能なことであり、同時に、たとえ多少、的はずれであったとしても、そうしたことを述べる、書くこと(こそ)が、我々の持つあらゆる考え、思想を『血の通ったものとして』進化、創造していく際の極めて重要、不可欠な過程ではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」