2022年9月1日木曜日

20220901 「無双感・無双」と「黒光り」について思ったこと・・違い?

2013年の9月にどうにか学位を取得して、帰郷の後、しばらく経った頃に文系の師匠が、さらに何人かの先生方、院生の方々を招いて高田馬場でお祝いをしてくださったことがありました。こちらの師匠にとって高田馬場は思い入れのある場所であるらしく、それ以前にも何度か、界隈の古本屋を巡ったり、早稲田松竹で大作「戦争と人間」を観て、その後、映画館を出て、昭和感が濃厚に漂う喫茶店に入り、師匠から鑑賞作品の批評や解説を聞いていた時に一瞬、未だ作品の中にいるのではないかといった錯覚を覚えた記憶があります・・。

ともあれ、こうした際の師匠の語り振りについて、以前の投稿記事「久しぶりの文系師匠との対話から思ったこと【無双感・脱抑制】」内にて「無双感」と述べました。また、他方で、つい先日に投稿した「類型化され得る要素としての「黒光り」・・」においては「黒光り」という表現を用いました。

そして、つい先ほど「「無双感」と「黒光り」とは、ニュアンス的に類似した意味あいを持っているのではないだろうか?」と不図、思いつきました。

そこで、これをもう少し考えてみますと、先ずは、おそらく、双方共に比較的最近、一般的に用いられるようになった言葉であると思われます。そこではじめに「無双感」の「無双」の意味については「相手の勢力如何に左右されない圧倒的な力を発揮するさま、誰に阻止されることもなく縦横無尽に、あるいは傍若無人に振る舞うさま、などの意味で用いられる俗な表現」とのことであり、これはたしかに語義的に、並び立つ存在がいない様子を示すものであることから、納得出来ますし、また、ここで重要であると思われるのは「無双」とは、一瞬の静止した状態を示すものではなく、その対象が動き、躍動感を持っている状態をも含めたものを示すといったニュアンスが強いのではないかということです。

そして他方の「黒光り」は、さきの「無双感」「無双」と比べて、静止したある状態にある存在を指し示すといったニュアンスが強く、さきの投稿記事内にて述べた「黒光り」は、ブランドもので固めた開業歯科医師の外見、そしてまたもう一つは、外見的にはイケているとは云い難い開業歯科医師が、ご自身の得意とする分野についての、何らかの学問的背景のある言説を宣っている際の状況を示すものとして用いましたが、この後者の表現については、たしかに「黒光り」でも通じはしますが、しかし、こちらについては「無双感」の方がより適切であるように思われます。つまり「黒光り」の方が、さまざまな一瞬の状況に対して、用いることが比較的容易であり、他方の「無双感」・「無双」は、動きのあるものの中から、さらに、ある特殊とも云える動的な状態を指し示すものとして、さきの「黒光り」と比べて、その用い方が限定されるものと思われますが、より、精確を期する表現を用いる場合であれば、その言葉「無双」の中には、相対的な評価も含まれていることから「黒光り」と比べて適切であることが多いように思われます。

しかし、これが、今回の投稿記事にて述べたかったことではありません。こちらには続きがあるのですが、それにつきましては、また後日あらためて記事作成を行いたいと思います。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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